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商店街スピーカー騒音の記録その3
●西武池袋線「秋津駅」・JR武蔵野線「新秋津駅」の商店街

 連絡通路がなく、乗り換えに350mほど延々と歩かされることで有名な秋津駅と新秋津駅。この両駅を結ぶ商店街は、街灯にスピーカーを設置してBGMや宣伝放送を垂れ流したりしていなかったので、それについては良いところ。幸か不幸か、駅前ロータリーもろくに整備されていないので大型ビジョンもありません。
 常に頭の上から音楽やアナウンスを聞かされながら歩かなければならない、地獄のような商店街と比べればずっとましです。

 ただ、いくつかの店が、店先に置いたラジカセや液晶モニターから大音量の宣伝放送を流しているので、それはちょっと鬱陶しい。また、この商店街や駅周辺は不動産業者の捨て看板だらけ。私が通った日も、秋津から新秋津までの電柱という電柱、街灯という街灯に汚らしい貼り紙が何十枚も貼られていました。

 秋津駅のすぐ横には交番があるのに、警官はこういうものを見てもそのまま放置。商店街の経営者も、自分の店の前の電柱にベタベタと貼り紙をされて何も感じないようです(自分たちが堂々と「はみ出し陳列」をしたり、ギラギラしたド派手な看板を取り付けたりしているから、貼り紙もなんとも思わないんだろうね)。

 大して広くもない道を歩行者、自転車、バイク、自動車が行き来しているので、避けようとすると電柱からはみ出た捨て看板が邪魔になったりもする。こういうものを野放しにするのは景観的にも物理的にも問題。だから法律や条例で規制されているのに、誰も真剣に取り組まないから不動産業者のやりたい放題になっている。

 まあ、そんな状況はこの商店街に限ったわけではなく、どこへ行っても同じですが。

 追記 先日、またこの商店街を歩いたのですが、新秋津駅近くのパチンコ屋が密集している裏道のあたりは地獄ですね。店内で流している大音量の音楽やアナウンスが、そのまま道路までガンガン響いている。せめて、店の外には音が漏れないようにしようという配慮が、どの店にもまったくありません。こりゃだめだわ。

商店街スピーカー騒音の記録その1
商店街スピーカー騒音の記録その2

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カテゴリ:店・施設・商店街
絶叫連呼する政治屋には投票しないよ
 一言だけ。選挙カーで連呼したり、街頭で喚き散らしたりする政治屋には、絶対に投票しません。するわけがない。
 まあ、せめて選挙カーを使わないことを公約している「NO!選挙カー推進ネットワーク」に参加している候補者から、当選者が出てほしいと祈るだけです。

 ……と思ったら、NO!選挙カー推進ネットワークのホームページが閲覧できなくなっている。やっぱり「スピーカー騒音だいちゅき!」なこの国では無意味な試みだったんでしょうか。

 ……なんてことを書いていたら、うちの近所100mほどのところで、狂惨党が喚きだした。選挙カーからの連呼じゃなく車を停め、何人もの連中が入れ替わり立ち替わり絶叫しています。
 二日前にはうちの目の前50mのところで痔眠党が吠え続けたし、その1週間前には同じ場所で、狂惨党の凄まじい演説(限りなく公職選挙法に違反しそうな事前運動・投票依頼)に耐えかねて逃げ出したこともあります。
 仕事を放り出し、川っぺりに座り込んで「おれが、おれの時間を大切にすることが許されないこの国って……」と考えながら費やした時間の虚しかったこと。

 今日もこれに邪魔されて、仕事の締め切りに遅れそうだよ。

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カテゴリ:政治家・団体・デモ
インターミッション
 「たいへんたいへん。マサオくんが北朝鮮に暗殺されちゃった!」
 「ちがうぞネネちゃん。あれはマサオじゃなくて正男だゾ」
 「バカだなあ、しんのすけは。あれはマサオでも正男でもなくて、キム・ジョンナム同志だよ」
 「同志って……まさか風間くん、北朝鮮のスパ……」
 「しまった! うっ……ぐっ……」
 「北朝鮮のスパゲティーって言おうとしただけなのに。なんで青酸カリのむかなー」

 「清水富美加ちゃんが、いやな仕事ばかりさせられて心がおいつかないって、幸福のバカ学に出家したんだって。ママもしんのすけの世話ばかりで心がおいつかないから、出家しちゃおっかなー」
 「おー、かあちゃんが出家したらチョコビ食べほうだい、アクション仮面見ほうだいだゾ。はやく出家しろ三段腹オババー」
 「な、なんですって!(ボコ、バキ、ボキッ)」
 「かあちゃんの出家よりさきに、オラの顔面が出血したゾ」

 ブログ復活まで、あと365日

カテゴリ:未分類
『AMENITY』34号発行のお知らせ
 本会が年に一度発行している機関誌『AMENITY』34号が完成しました。購読のお申し込みは会のホームページからどうぞ。
 購読料は発送1回につき何冊でも1000円。同時にバックナンバーを注文しても、発送1回あたり1000円でお送りします(送料を負担していただく場合あり)。

 34号の内容は次のとおり。この1冊で「カノジョができた」「まぶたが二重になった」「就職できた」(※)など、全国からお喜びの声が続々。ご注文はお早めに!
 ※個人の妄想です。

●「スピーカー騒音禁止」の看板がある理由 柿沢繁・池田牧人・C.J.ディーガン・香山弘行……1
 敷地内に「スピーカー騒音禁止」の看板がある団地。管理組合の役員に、このような看板を立てることになった経緯についてインタビュー。きっかけは、廃品回収車や灯油販売車などの宣伝放送に悩まされたことだった。

●静穏保持法の看板 C.J.ディーガン……4
 東京・信濃町の大通りに立てられている「静穏保持法指定地域」の看板。一見すると拡声器騒音を規制する「よい看板」のように思えるが、調べてみると静穏保持法そのものが、「池田大作を守る」ために、公明党と自民党の政治取り引きで改正されたものとわかった。参考文献・矢野絢也『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』。

おせっかいなメロディ 木暮夕人……6
 石川県輪島市では、毎日、朝7時、正午、夕方6時の3回も防災無線から音楽を聞かされ、「子供は家に帰りましょう」の放送もある。息苦しさしか感じないこのような放送に、いったいなんの意味があるのか問いかける。ブログからの転載。

●保育園建て替え 鈴木捺保……8
 40年にわたり悩まされてきた、騒音保育園の建て替えをめぐる騒動。その他、板金工場の騒音や、街中いたる所に溢れかえる醜い景観、スピーカー騒音について。

●選挙戦 竹内昭子……12
 1年前にあった市議会議院選挙の際、30人の立候補者に「静かな選挙を」と手紙を送った。結果として、従来よりかなり静かな選挙を実現することができた。

●音声付き〔清掃中〕の看板 C.J.ディーガン……13
 東京メトロのトイレ掃除に導入された「注意放送付き」の案内板。ひび割れた音で「ただいま清掃中」と繰り返し英語放送まで流される。この英語放送は何度も聞かないと理解できないほど発音がひどい。しかも、看板に書かれている英文も間違っているお粗末なものだった。

●子供の声も騒音です。 五味広美……14
 「保育園がうるさい」という意見の広まりを受けて始まった、東京都の「都民の健康と安全を確保する環境に関する条例」の見直し。都議会や都環境局の記録を洗い出し、さらに都議会を傍聴するなどしてことの経緯をまとめた。

●ノイズ・キャンセリング・イヤフォン 永井広……24
 街のうるささに閉口し、ノイズキャンセリングイヤホンを購入。期待したほどではなかったが、多少は騒音を打ち消す効果があるようだ。今では、イヤホンなしでの外出は考えられなくなった。

●スイスの静かな日常から考えたこと 岩永星路……27
 トルコ出身で日本国籍を取得した筆者は、仕事で5年ほどスイスに滞在した経験を持つ。騒音問題を環境保全の一環として考え、「静かに暮らす」ためのルールや規制が生活に浸透しているスイスと日本を比較する。

●防災無線・商店街・交通機関の耐えられない騒音 C.J.ディーガン・吉田修一・大嶋良子・大内梨枝子・内田聡・香山弘行……30
 初参加の会員を迎えた会のミーティング。主な話題は防災無線、商店街、電車やバスなど交通機関の放送について。

●防災と関係ない田舎の防災無線の放送例 C.J.ディーガン……39
 防災無線から「世界遺産に登録された」「ノーベル賞を受賞した」など、防災とはなんの関係もない放送が流された事例を新聞から収集。

●秋葉原妄想中心(その四) 荒木信……40
 アイドルのイベントや路上ライブ、ヘイトスピーチ、大型ビジョン。騒音が際限なく増え続ける東京・秋葉原の現状。

●街と防災スピーカーと私 ウチダサトシ……42
 東日本大震災後、ますます林立し音量も大きくなる防災無線。早朝に流された無意味な「台風注意」の放送をきっかけに、「せめて、音量を下げてほしい」と市の職員と話し合いを始めるも、改善は遅々として進まない。

国内で防災無線のない場所に移住したいのですが……49
 会の掲示板から、防災無線に関する書き込みを転載。

●外国人が苦手な騒音 ジュリアン・ロング、中島義道……50
 在日オーストラリア人女性と哲学者の、スピーカー騒音をめぐる対談。救急車・消防車の過剰なサイレンやアナウンス、トラックのボイスアラームなど、家にいるのに無理やり聞かされる放送は拷問のようだと指摘。

●騒音をめぐる闘いの壁・再説 種子田實……54
 スピーカー騒音を止めさせるため抗議を続けても効果は薄く、多くの会員が壁にぶち当たり活動をやめてしまう現状。メディアが文化騒音の問題を広く取り上げるように、もっと働きかけるべきではないかと提言。

●「吹上浜 砂の祭典」のBGM 古賀知行……59
 鹿児島県南さつま市の「吹上浜 砂の祭典」に出かけたが、「にぎわいを演出するため」という理由で流されていた拡声器からのBGMにうんざり。「せっかくの自然の音が台無しだ」と主催者に抗議する。

●九州の片隅から 古賀知行……60
 防災無線は地震の予告放送ができるわけでもなく、揺れが激しければスピーカーが倒壊する。台風のときも風雨の音で放送がかき消されるだけ。自然災害の際は役に立たない防災無線より、防災ラジオや携帯電話を活用すべきだと実感する。

AMENITY34号.jpg

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カテゴリ:「静かな街を考える会」について
コミュニケーションを形骸化させる「言霊」の氾濫
 もう、どうにもこうにもブログなんぞ書いている余裕がないので、また、人様がスピーカー騒音に言及している文章を紹介します。本会設立時からの会員でもある中央大学教授(フランス思想)・加賀野井秀一氏の著書『日本語の復権』(1999)から。

 本書は、日本語が本来とても「寡黙な言語」であり、しかも「甘やかされた状態」にあると分析。その状況を突破するにはどうすればよいのかという問いを立て、日本語の歴史や文法、日本人のコミュニケーションの在り方について論じています。つっても新書だからそんなに難しい本ではありません。

 その導入部で登場するのが、街中に溢れかえる紋切り型の注意放送や標語看板、そしてコンビニなどに氾濫するマニュアル敬語。ありきたりの言葉を押しつけがましく垂れ流すこれらの言葉は、過剰で冗長に感じられるもののその本質は徹底した形式性にあり、こうした呪術的な「言霊」に依存することが、日本人のコミュニケーションをますます形骸化させていると指摘しています。

──────

第一章 言霊の幸わう国

「ゆるしません白い粉」

 先ほどの《註:成田空港の》税関申告所の話にもどるが、ここで私は、おもしろい事実に気がついた。申告をする人しない人の列をしめす電光掲示板に、たとえば「みんなで退治、麻薬と拳銃」「ゆるしません白い粉」「関税申告は正確に」などの標語が、ずらりと並んでいるのである。

 これは異様なことだ。《略》

 そもそも、関税申告は正確にやるべきものであって、それをどうしてわざわざ、電光掲示板などに表示しなければならないのか。それに、「みんなで退治……」などと書いたからといって、何の役に立つのだろうか。《略》

 とどのつまり、わが国のいたるところには、肉声から文字標語にいたるまで、指図、スローガン、紋切型の表現が蔓延しているのであり、空港はただ、それを象徴的に映す日本の顔となっていたにすぎないのである。

街にあふれる言葉たち

 ことほどさように、空港から出て、都心にむかう電車にでも乗ってみれば、そうした状況はつぶさに実感されるにちがいない。駅の構内には、このたぐいの言葉が、エンドレス・テープでとびかっている。

 「○番線に電車がまいります。危ないですから黄色い線の内側までおさがりください」
 「乗り降り(いや降り乗りだった)続いてお願いいたします」
 「駆けこみ乗車は危険ですから、おやめください」

 車内に落ちついたと思ったら、待ってましたとばかりに車内放送が始まる。

 「本日は○○電車をご利用くださいまして、まことにありがとうございます」
 「この電車のとまります駅は○○、○○、○○……」
 「車内での携帯電話のご使用は、他のお客様のご迷惑になることもございますので、ご遠慮くださいますようお願いいたします」
 「つぎは○○、○○」(かならず二回くりかえし、停車の際にもまた同様)

 これに「ゆれるので注意」「忘れ物に注意」「扉に手をはさまれるな」「ホームと電車の間が広くあいている」「窓の開け閉めに協力を」「ただ今は交通安全週間」「シルバーシートをゆずれ」等々、ああしろこうしろと、親切ととなり合わせの指図が延々と続くことになる。いつだったかは、「お客様のあたたかい思いやりをお願いいたします」などというものまであった。なんと優しきわが祖国よ。

 さて、街に出れば、まだまだこんな生やさしいものではない。商店街を通れば、街灯やアーケードのあちこちにつけられたスピーカーから、たえまなく宣伝が流れてくる。ターミナルの交差点には巨大なテレビ画面が設置されているし、大型店舗は、通りにむけてひっきりなしにコマーシャル・ソングをかけている。デパートに入っても、呼び出し、宣伝、BGM。公園に逃げてみても、やはり出店のラジオ、自動販売機の合成音。あげくのはてに公園事務所からは、迷子のお知らせが流れてくる始末だ。

 家にこもって静かにしていようと思っても、そうは問屋がおろさない。チリ紙交換車、物干し竿、網戸、アイスクリーム、焼芋、パン、灯油などの販売車が、「毎度おさわがせして……」と、がなりたててゆく。学校や幼稚園からは近隣に校内放送がひびきわたり《略》、夕方になると、市区町村の防災無線が「よいこのみなさん、おうちに帰りましょう」を呼びかける。

 海辺や高原やスキー場に大自然をたずねて行っても、社寺へ静寂をもとめに行っても、やはりそこにも演歌や観光ガイドが流れていたりするのである。

 いささか話が音声言語に傾いてしまったが、文字言語にあっても事情はほとんど変わらない。《略》「とび出すな車は急にとまれない」に始まる交通標語・警察標語が、街のいたるところに貼られている。時には、「交通安全週間」ののぼりが信号機を隠してしまっていたりするほどだ。駅前のロータリーには「核兵器廃絶平和都市宣言」「正しい芽育てる親の目社会の目」などのスローガンが立ち並ぶ。

 電信柱にも、個人の家の塀にも、広報、広告、政治家のポスターがベタベタ貼られ、さらには「世界人類が平和でありますように」「天国は近づいた」などの宗教的なものまで、ミソもクソもいっしょに色彩と標語の一大交響詩をかなでているのである。

 五七調・七五調がこの詩の主流となっているところからすれば、伝統のリズムは健在とも言えようが、おかしな日本語は加速度的にふえている。「お待たせ申し上げました」「発車をいたします」「○○様、おりましたら、事務室までおいでください」「本日はお休みをいただいております」「だれでもお気軽にご利用できます」

言霊の幸わう国

 数年の海外生活の後、こうした音声言語・文字言語がとびかう空間のなかに久々に身をおくと、いかにもわが国は──ロラン・バルトが言ったように──「象徴の帝国」であり、「言霊の幸わう国」であることが実感されるようになる。《略》

 ひとたび言葉に出して言われたことは、それ自身が独立した存在となり、現実を左右する。そんな言霊を信じるどこかの迷信家が「世界人類が平和でありますように」という標語を家の塀に貼ったからといって、何の役に立つのかと人は問うかもしれない。だが、交通安全週間に、かなりの血税を遣ってセスナ機をとばし、地上に向けて「シートベルトを締めましょう」などとやるお役所の発想は、これとどうちがうのか。はっきり説明するのはむずかしかろう。

 セスナ機からのアナウンスは、車の中ではほとんど聞きとれない。たとえ聞きとれたとしても、それによって、あわててシートベルトを締めるような人がいるなどと、本気でお役所は考えているのだろうか。あまりのばかばかしさに、私はしばしば該当部署に苦情電話をいれる。だが、答えはいつも、判で押したように決まっているのである。

 まず、「そんなことを言うのはあなただけです」と少数者排除の姿勢。つぎは、「お説はわかりますが、これを望んでいる方々もいらっしゃいますので」と相対化の反論。では、だれが望んでいるのか、という具体的な問いには答えない。さらに、これは自宅にいる人たちにも向けられた呼びかけなので……、というようなことをも弁じたてる。しかし、車を使わない者だってたくさんいるが、と切り返せば、一般のモラル向上のために、などと言いだす始末。どうにも話にならないので、最後に、セスナ機にかかる税金の額からみたコスト・パフォーマンスについてたずねると、ようやく彼らも歩み寄りの姿勢をしめすとともに、これが有効であることを「確信している」とか「よろしくご理解を」とか、ほとんど理屈にもならない表現でしめくくられることになる。

 こうした応答には一貫して、責任ある役所や血のかよった個人の言葉は見あたらない。そこでは、合理的な議論を避ける不思議な「確信」がすべてを支配し、実効さえ考えぬままに、ひたすらスローガンを唱えさせているのである。一種の呪術、祈願、現代の「雨乞い」、これを言霊と呼ばずして、何と言おう。《略》

言霊には逆らえない

 そのうえ、言霊には霊力があって、反対意見を出しにくくさせる。かつて、一億一心が火の玉になっている時に、わが国の敗戦を予測するものがいれば、それはすぐさま国賊よばわりされ、やがて敗戦の際には、おまえが縁起でもないことを言うから負けてしまったじゃないかと屁理屈をこねられたという。《略》

 言霊信仰は、気にくわない予測は認めたがらないし、布教の方法に異を唱える者は、教えそのものに反対する者だとみなす傾きがある。チリ紙交換車がうるさい、と言えば、リサイクルに理解のない人間であるとされてしまう。だから、だれもが、あえて異を唱えようとはしなくなり、状況の冷静な分析は、なおざりにされるのである。

 選挙運動での連呼にしたところで、ほとんどの人は内容空疎なものと思っていながら、それを黙認しているのは、「言論の自由」というまことしやかな言霊に反対していると見られたくないからにちがいない。同様にして、「平和」「民主主義」「青少年の健全育成」「思いやり」などといった大義名分は、手垢のついた貨幣のように人口に膾炙し、その実、だれもが毒にも薬にもならないお題目として、右の耳から左の耳へと素通りさせてしまっているのである。こうして、あたりにとびかう言語については、たかがアナウンス、たかが言葉、と見すごしてしまうのだが、思えば危険なことではあるだろう。《略》

巧言令色すくなし仁

 デパートのエスカレーターのところに流れているあの「お子様は手をつないで中央に……」というアナウンスもまた、いかにも客の身を案じる措置のように見えながら、実際はデパート側の、安全管理をしているというアリバイ工作の一環をなしてもいる。こんなふうに書くと、読者のみなさんは、私が意地の悪い見方をしているように思われるかもしれないが、実のところ、これはさるデパートの管理部長さんから直接聞いた話なのである。

 「いやあ、あれが要らないということは、私どもにも重々わかってはいるんですがね。流しておかないと、万一事故がおこった場合に、こちらの責任が問われるんですよ」

 同じ事情は、駅の構内放送にも、市区町村や警察の広報にも、おそらくあるにちがいない。つまり、おためごかしの自己保身、心のこもらぬ形式性といったものが生じる素地は十分にあるわけだ。《略》

ソフトな管理のメカニズム

 さて、こうした安全対策や広報の領域でこそ、言霊の機能は存分に発揮されることになる。ここにおいて言葉は、多くの場合、「~しましょう」というソフトな管理の姿勢をとってくる。いわく、「投票に出かけましょう」「シートベルトを締めましょう」。為政者や管理者のこのような物言いは、そのまま、教育者のものでもある。「みなさんはしっかり勉強して、りっぱな大人になりましょう」「先生の言うことをよく聞きましょう」。やがてこのスタイルは、社会生活のすみずみにまで反映されてゆく。「ゴミは決められた日に出しましょう」「芝生に立ち入らないようにしましょう」云々。これはまた先ほどの「今は~の時代と言われている」などと同じく、誰が言っているのかわからないままに、かなりの力で、わが同胞の行動を規制しているように思われる。《略》

なぜ日本語だけが形骸化するのか

 今日もまた、近所のコンビニエンス・ストアでは、店内放送で紋切型の言語がとびかい、むっつりと押し黙った人々がレジに列をつくっている。レジ嬢は、まるでロボットか自動販売機であるかのように、かん高い声でマニュアル言語・マニュアル敬語を連発する。この間、客の男の子は、小型のヘッドホンをつけたまま、終始無言。商品を投げるようにしてカウンターに置くだけで、やがて、つり銭をポケットに入れ、表情ひとつ変えずに店をあとにするのである。これまたロボットみたい。《略》

 では、なぜ日本人や日本語だけが、こうした情報化社会のなかで寡黙になっていったり、マニュアル化に拍車をかけたりするのであろうか。それは以下の章で、少しずつ明らかにしていくつもりだが、まずは、日本語が本来非常に寡黙な言語であったことから語りはじめることにしよう。

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■プロフィール

Author:S.B
市民グループ「静かな街を考える会」会員S.Bのブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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