「イラッシャイマセ」と人間自動ドア挨拶
先日、近所の小さなスーパーの店員氏に苦情を言いました。

●入口の自動ドアから、人が出入りするたびに流される大音量の「イラッシャイマセ!」「アリガトウゴザイマシタ!」という合成音が不快なのでやめてほしい。

私「センサーに反応してただ自動的に流される機械音の挨拶など、不快なだけでうれしくもなんともないです。あれを流さないと店が困る理由でもあるのでしょうか」
店員「あれは歓迎の意味だけでなく、お客様が入店したことを知るために流しているという面もあるのですが、ご意見は上に伝えておきます」

それなら「『イラッシャイマセ』という音声ではなく単なるチャイム音でもかまわないだろうし、出るときの『アリガトウゴザイマシタ』についてはまったく必要ないでしょう」
と言いたかったのですが、立ち話で長くなりそうだったので断念。
「イラッシャイマセ」という機械音でなく、できる限り音量を絞ったチャイムにでもしてくれれば、それだけでだいぶ不快感が少なくなるのですが。

●客が近くを通ったり視界に入ったりするたび店員が自動的に発する「いらっしゃいませー」という挨拶が不快なので(以下同文)。

私はこうした不快な挨拶を勝手に「人間自動ドア挨拶」と名付けています。
ちなみに似たような挨拶で、入口から客が入ってこようがこまいが、数分に一度は店員が順番に「いらっしゃいませー」と連呼していく挨拶は「やまびこ挨拶」という呼び方が定着しているようですが、どちらも不快極まりないです。
だいたい、「いらっしゃいませ」と聞こえる挨拶ならまだしも、たいていは「いっしゃいせー」とか「しゃーせー」とか「せー」とか、とてもまともな日本語とは思えないような発音にしかなっていないので、なおさらこれらの挨拶を聞かされると怒りが沸騰してしまいます。

やまびこ挨拶をする店は、店内にいる限りその挨拶から避けようがありません。人間自動ドア挨拶をする店の場合、私は極力、店員のそばには近寄らないようにしていますが、それでも遠くで別の客に「しゃーせー」と繰り返している声は店内のどこにいても聞こえるので、やはり不快感からは逃れようがありません。

今回の苦情も、同じ店員からわずか10分の間に3回も「いっしゃいせー」と言われ、しかも2回目に言われたほんの数秒後にすれ違ったとき、またしても「いっしゃいせー」と繰り返されたので、「あなた、ついさっきおれに挨拶したばかりなのに、なんでまたしつこく繰り返す必要があるの? そんな機械的な挨拶はやめなさいよ」という怒りから、突発的に苦情を言うことにりました。

私の知る限り、「やまびこ挨拶」はブックオフあたりが始めてからマネをして導入する店が増えたように思いますが、それでも一定のところで増殖が止まっているようなイメージがあります。
どちらかというと問題は「人間自動ドア挨拶」のほうで、ずっと昔はデパートの洋服売り場に行ったとき、店員がすれ違うたびに「いらっしゃいませー」と慇懃無礼に挨拶してくるのが不快だった程度のような印象があるのですが、今ではスーパーやコンビニなど、日常生活の中で利用せざるを得ないどんな店に言ってもこの挨拶が連呼されるので、本当にうんざりしています。

だいたい、これらの挨拶について店側は、「お客様に歓迎の意を表するため」というもっともらしい理由をつけるものですが、実際は万引きを防止するため「おらおら、店員はちゃんとお前ら客のことを見てるんだから、変な気を起こすんじゃねえぞ!」という威嚇の意味で連呼しているだけというのは明らか(私は読んだことがありませんが、ブックオフの社長が誰かが、著書でそのように明言しているそうです)。
ちょっとものを考える客ならそんなことは先刻承知ですから、「おれを万引き犯扱いするというわけか」と思えて、よけいに腹立たしくなるのです。あのような挨拶をされて腹立たしく思わないほうがどうかしている。

万引きに困る店の自衛策+過剰に挨拶しておけば歓迎の意を表明していることになるだろうという客をバカにした発想=「やまびこ挨拶」「人間自動ドア挨拶」の氾濫
ということになってしまい、どこもかしこも人間が機械化された挨拶しかできない社会になってしまったわけで、もちろん万引きに困る小売業の人たちの気持ちはよくわかるのですが、いくらなんでも客を「威嚇」して万引きを防ごう、それを過剰な挨拶というオブラートにくるんでおけば客は歓迎の意と受け取るから一石二鳥だぜ!などという発想は人を、社会を、挨拶という文化を、そして言葉をバカにしすぎです。

さらにいえば、こうした「人間による機械的定型的な繰り返し挨拶の氾濫」というある意味で「身近で小さな問題」に着目することもせず、「震災以降の日本でどうすれば絆が取り戻せるか」などとのんきに論じているマスコミや学者などの連中は、いったい社会のどこを見ているのかと思います。
無粋なスピーカー音が氾濫するだけでなく、実際に人間が発する挨拶までどんどん機械化されていく一方なのが日本の社会で、むしろ震災以降、特にその傾向が強まっていると私は思います。
ただ機械のように人の姿に反応して、誰かれかまわず「イラッシャイマセ」と繰り返すだけの人間を増やしておいて、「挨拶しているんだからこれが絆だ! 繋がりなのだ!」などと喜んでいるアホばかりなのが今の日本の社会だと私は思います。そんな社会に本当の意味での「絆」などありませんし、私はこれから先の日本に「絆」などというものが存在し得るなどと、これっぽっちも思いません。こうした挨拶を「ちょっとおかしいよ」と思う感性が育たない限り(育てようとしない限り)は絶対に無理でしょうが、現状の機械的挨拶の増殖ぶりを見ていると、そんな社会がやってくる確率は0%だろうなと私は断言します。
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