やっぱりあった「震災黙祷放送」その3
もくとう [ 黙祷 ・黙禱 ]
( 名 ) スル
無言で神や死者の霊に祈ること。 「一分間-する」 「-を捧げる」

すいめい [ 吹鳴 ]
( 名 ) スル
吹きならすこと。 「汽笛の-」

いずれも大辞林より。

これを読むだけで、「サイレンを鳴らしながら黙祷する」「サイレンを『吹鳴』することで死者を悼む」などという行為が、いかに罰当たりかわかりますね。
なのに新聞を読んでも、「震災から1年、響き渡るサイレンの中で犠牲者を黙祷した」というようなアホな言い回しを平気でしている記事が、いくつも目に飛び込んできました。
いったい、いつからこんな「大音量のサイレンが哀悼の意を表することになる」などというバカげた考え方が、日本に定着してしまったんでしょう。
調べてみれば面白いかもしれませんが、面倒なのでそんな気はありません。
軍隊、空襲警報、政治、甲子園、メディア。このあたりが密接に関わって、ある特定の意図のもとに形成されていったような気がしますけど。
いずれにせよ、「この放送を合図に黙祷するんですよ!」と、そんなことまで指図されないとできない日本人の幼児性が、いかんなく発揮されている現象の一つが「黙祷放送」といえるでしょう。

思うに、今回の震災にあたって宗教界は何をやっているんでしょうかね。
私はお涙頂戴ばかりでうんざりしているので、最近は震災関連の記事や番組などまったく見ていませんが、犠牲者に哀悼の意を捧げるなら、汚らしく無粋なだけの防災無線のスピーカーではなく、宗教や宗派を超えて全国の寺社や教会などが一斉に3月11日の2時46分に1分間、鐘を鳴らせばよかったと思うのです。そのほうが、私のような無宗教の人間でも、ずっと厳かな気持ちになれます。
なのに、そのようなことをした宗教施設があるという話を一つも目にしません。
彼らにとっては、「鐘を鳴らすのは金が目的」だから、たくさんの人が集まり金が落ちる大晦日や正月以外に、そんな面倒なことしたくねえよ、というところなんでしょうかね?
そういう皮肉の一つも言いたくなります。
宗教界がそんなことだから、代わりに現代の日本では、あの汚らしい防災無線の放送が一大宗教になってしまっているのでしょう。もちろん、これは私の勝手な見方ですが。
宗教と防災無線の関連性については、考えるといろいろ出てきそうです。
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カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
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