駅・車内のアナウンスは現代の「無用物」
 書きたいことは山のようにある(特に今は「デモ騒音」や「救急車のサイレン騒音」について)のですが、仕事や生活がわやくちゃになってしまい、ブログ一つ落ち着いて更新する暇がありません。そこでまた、人様の覆面でプロレスをさせてもらおうと思います。
 私のようなただの馬の骨が書くことより、著名人やメディアが「うるさい!」と言っていることを紹介するほうが、ほんの少しでも人の耳に届くだろうし。

 今回、紹介するのは、朝日ジャーナル編『現代無用物事典』(1985年)という本。本書は「朝日ジャーナル」に84年から連載された同名コラムをまとめたもので、タイトル通り「こんなもの、本当はいらないんじゃないか」と疑問に思う世の中のあれこれを論じています。

 まな板に載せられたのは「戒名」「敷金」「私物としての傘」「ズボンのチャック」「書店のブックカバー」など、生活に身近な38のものごと。今回はその中の一つ「駅のアナウンス」を紹介します。

 ちなみに、このブログのテーマと近い内容では、ほかに「電話の“お待たせオルゴール”」「電信柱」「校歌」「朝会(朝礼)」「車内販売」「映画館のCMと予告編」なんてものも。
 ついでだから、残りのテーマもすべて書いておくと「公団の分譲住宅」「有料道路」「五〇〇円硬貨」「お正月」「給料の銀行振り込み」「プロ野球の引き分け」「マイルドセブン」「合否電報」「イッキ飲み」「時価」「ボトルキープ」「おいしい水」「あまちゃづる」「ホスト・テイスト」(レストランなどのテイスティングのこと)「お色直し」「男性用化粧品」「キュロットスカート」「動物園のコアラ」「政府広報」「雑誌の〈発行日〉」「主催者側発表」「ハウツー」「クルマの厚化粧」「血液型性格判断」「ダイエットのウソ」「禁句集」(差別用語集)となっています。

 本当は、このコラムの内容を下敷きに、いろいろぶちまけたいこともあるんですが、それはまた気が向いたらということで。

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駅のアナウンス

どうする。不快97パーセントの親切過保護!

「ハチバンおさがりくださーい。ヤマノテセンつづいてトーチャクになります。ハチバンにヤマノテセンがトーチャクをいたしまーす」

「ピッ」

「シンジュクでーす。シナガワほうめんにまいりまーす」

「プルプルプルプル」

「ごジョウシャになるかたは、サユウにわかれてくださーい」

「シナガワほうめんゆきはハッシャをいたします。シナガワほうめんゆきハッシャしまーす」

「カイダンふきんのかたは、つづいてねがいまーす。まもなくドアがしまります。ヤマノテセンはまもなくドアをしめます」

「カラダ、ニモツをひいてください。カラダ、ニモツをつよくひいてください」

「しまりかけましたら、おそれいりますが、イチダイおまちください。イチダイおまちくださーい」

「ドアがしまりまーす」

「ナナバンセンには…」

 一日百三〇万人の乗降客を誇る東京の国鉄新宿駅。一日のうちで最も混雑する朝八時二〇分ごろのホームのアナウンスは、ほとんど途切れがない。

 アナウンスの主はホームにいない。ホーム端の、司令塔みたいに一段高くなった事務室で、テレビ画面を併せ見ながらマイクに向かっている。

 二つ隣の高田馬場駅へ足を伸ばしてみると、ここは女声。近くの大学の放送クラブ員らしき女性が“司令塔”にいた。

「おはようございます。タカダノババ-。タカダノババ-」

「乗り降りは前の方に続いて」

「ドア付近の方は、閉まるトビラにご注意」「右側通行に皆様のご協力を」「白線の内側まで十分に下がって」「電車が止まりましても、降りる方が先となります」

 過保護ママのそれに似た気配りが、延々と続く。

 長時間、ホームにいるわけではないから、駅アナウンスの一部始終を聞かされてはいないのだが、電車に乗り込み、ホッとしたところへ、今度は車内アナウンスが待っている。

「次は、池袋、池袋。赤羽線、東武東上線、西武池袋線、地下鉄丸ノ内線、有楽町線はお乗り換えです。お出口は左側です」

「本日はカサの忘れ物が多くなっております。お忘れ物のないよう、もう一度、お確かめ下さい」

 文字にしてみれば、さほどのことでもないようだが、聞き漏らしのないように、とボリュームいっぱいに放送するシンセツ車掌さんもいる。そんな電車に乗り合わせたら、「不運」としかいいようがない。

 そうした不快感体験を、スーパーエッセイストを名乗る椎名誠さんは、こう表す。

「三台に一台の割ぐらいで、もうやたらとでっかいボリュウムのスピーカーになっていて、さらにまた悪いことに、三人に一人ぐらいの割で鼓膜ぶっちゃき電気ドリル声という非人類型の車掌が乗っているのである

 このデカボリュウムの電車のスピーカーと、電気ドリル声の車掌が組み合わさった時の車内といったらこれはもう九七パーセントが不快、という『全車輌ギヤマンくずしの脂汗ネトネト陰獣ギャオスの背骨双手ひしぎ、血ヘドの逆襲』という『東京スポーツ』二面の大見出し的状況になっていくのである」(『さらば国分寺書店のオババ』情報センター出版局)

賛否両論のサイレント・タイム

 椎名さんのいうデカボリュームや電気ドリル声は、東京の営団地下鉄丸ノ内線での体験だが、国電や他の私鉄などでも似たような事態。まして私鉄の電車やバスとなると、春の××半島へどうぞ、○○遊園ではこんな催しを開催中など、自社の営業案内を流したり、△△家具センターへはここで降りて、などCM放送のオマケまでつく。

「うるさ過ぎる」「ラッシュ時は放送不要」「『無音の日』をつくって」などの声が、年ごとに強くなっていることを受けて国鉄では、一九八一年四月、国電の神田、有楽町、新橋の三駅にかぎって朝八時~九時の一時間、駅アナウンスをピタッとやめた。名付けて「サイレント・タイム」。一ヵ月間続けられたが、乗降客らの反応は真っ二つに割れた。

「その駅で降りてしまうお客さんは、圧倒的に無音賛成派が多く、他の電車に乗り換えのお客さんや不案内の人からは無音反対の意見が多かった」(東京南管理局)。またテスト期間中、ホームからの転落や電車との接触事故が起きやしまいか、とも心配していたが、無事だった。

 そこで国鉄は、無音テストへの賛否の反応を合わせて二で割った答えを採用した。従来の「のべつまくなし型」から「簡潔型」へ改良したのだ。

 神田駅を例にとると、「大船行きがまいります」「神田、神田」「ドアがしまります」を三本柱にし、「お降りの方はお急ぎ下さい」「ご乗車の方は、空いているドアへお回り下さい」「足元にご注意下さい」などはカットするというものだ。車内放送も、「忘れ物……」はやめて、次はどこどこ、開くドアは右か左かぐらいに、などの減音対策をとっている、と当局は説明する。

 だが、現実はシンセツ車掌、シンセツ駅員がいっぱいで、減音対策が守られているとはいいがたい。

 そういえば、何年か前、アナウンス抑制をめぐって新聞紙上に賛否の論が載った。その中で放送賛成論は「放送が客を幼児扱いしているとしたら、幼児扱いされている客の方が悪いのではないか」「列への割り込みなど、マナーを心得ない人に他人が注意したら殺されかねない社会情勢。放送で注意を」といい、抑制論は「マナーは、マイクでがなり立てても、よくはならない」としていた。

 そして、賛成論をよくみると、アナウンスの音よりも、列を乱したり、中の方が空いているのにドア付近で立ち止まって行く手を阻む客の態度が、もっと腹立たしいわけで、やはりアナウンスはうるさいことに変わりはない、と解釈できないか。

問われる“人格権侵害”

英国鉄道物語』(晶文社)などを著してイギリス事情にくわしい小池滋・東京都立大学教授は、「イギリスは欧州でも一番そっけないかもしれませんが、駅のスピーカー施設そのものが、大きなターミナル駅ぐらいにしかありませんね」という。数少ないスピーカーからでさえ、電車が入ってくることなど必要最小限の情報しか流されず、「危ないですから、白線の……」や「カサの忘れ物……」放送は全くない、そうだ。

 車内放送も似たりよったり。汽車や電車を利用する人は、あらかじめダイヤを調べておくか、駅員や居合わせた乗客に尋ねるかしなければならない。

「駅の放送だけに限りませんが、自分のことは自分で始末し“おかみ”などに頼らない、という個人主義が徹底しているから」と、小池教授は指摘する。

 車内放送に異議を申し立てている人もいる。大阪市に住む弁護士の森賢昭さんは、市営地下鉄が、百貨店などのCM放送を車内で流すのを中止するよう、裁判所へ訴えている。一、二審は敗れたが、現在、最高裁で審理中。(注=八八年一二月、上告は棄却され、結局請求は通らなかった)

 訴えの理由は、「拘束された車内で、聞く義務のない放送(CM)を強制的に聞かされるのは人格権の侵害」というものだ。だが、これまでの判決は「人間は本来、聞きたくない音を聞かない自由を持っているが、程度の問題。社会生活でその自由を完全に保つことは不可能だ。(CM放送という)赤字解消としての目的は正当で、一回五秒ぐらいの放送は、一般乗客に嫌悪感を与えない」と、しりぞけている。

 これに対して、「程度問題にすり替えることが問題だ」と森さん。「安全かつ快適に目的地へ運んでもらう、という契約で運賃を払っているのに、なぜ乗客が我慢して営利放送を聞かなくてはならないのか」と、徹底抗戦の構えである。

「放送」は駅や車内に限らない。

 水戸市に近い茨城県勝田市では、行政無線と称して市内八八ヵ所に放送塔をつくり、時報や定時放送が毎日最低五回、火災発生による消防団集合の連絡など臨時放送は昼夜の別なく流れる。

「仕事に誇りを持ち、楽しく働きましょう(市民憲章の一)/警察から採用試験のご案内をします/自衛隊の演習があります。危険ですから近寄らないように/暴走族は、市民に暴力を加えています/全国戦没者追悼の日です/……」などといったアナウンスが家の中にいても聞こえてくる。長いときは五、六分間も続く。

 ここでも、画家の山西一郎さんが、「意味や思想性を持つ言語を強制的に聞かされることは、思考の自由に影響を与える」と、人格権侵害を訴えている。

 山西さんは「仕事に誇りを」などの内容や放送のやり方をみて、「かつて『労働は人間を自由にする』と看板に書かせたヒトラーを思わせる」と、キナ臭さを感じとっているのだ。

 あるとき、作家の中上健次さんがこんなことを話してくれた。

「水俣病のことだけど、あそこの魚が『危ない』と声ならぬ症状をみせた。そのときの魚の声や、異状を訴えた漁民の声を聞く耳があったら、患者の多くは救えたのではないか」

 大きな声、一方的に押しつけてくる声にマヒし、小さな、弱い声を聞けなくなったときこそが、最も恐ろしいのではないか。そして駅や車内で、盲人や不案内な人を導く手段が、そうぞうしいアナウンスしかない社会も、コワーイとはお思いにならないか。

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Author:静かな街を考える会 別館
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