わざわざ改札口で「郡山、郡山です~!」と絶叫
 先週、仕事で数年ぶりに地方出張へ。といっても福島県郡山市なので、ちょっと首都圏から出たという程度ですが。
 一泊二日で郡山に滞在中も、「なんだこりゃ」と言いたくなる「スピーカー騒音」と「バカ接客」に呆れるばかり。まあ、郡山だからという特別な内容はありませんけれども。

●東北新幹線を降りて出口に向かうと、いきなり駅員がハンドマイクを手にがなり立てていました。改札口の真横に突っ立って「ご乗車ありがとうございました~! 郡山、郡山です~!」……。
 もう、ここからわけがわからない。

 新幹線の車内で「間もなく郡山」というアナウンスは流れたし、乗客は誰しも「そこが郡山であること」をわかって降りているし、ホームでも(いちいち覚えてはいませんが)「郡山~郡山~」というアナウンスぐらい流れたはず。駅構内のいたる所にも「郡山」と表示されています。
 にもかかわらず、一つ下のフロアに降り、少し歩いたところにある改札口でまで、ハンドマイク片手に「郡山! 郡山!」と大音量で放送するというのは、どんな必要性があってやっていることなんでしょうか? 改札口で「郡山! 郡山!」と聞かされて「あら、私が行きたいのは仙台なのに間違えちゃったワ」なんてはじめて気づく乗客への「やさしさ」のつもりなんでしょうか。

 本会の会員で哲学者の中島義道氏が書いた本『うるさい日本の私』に、ある鉄道会社が終点の駅のホームで「●●駅~、●●駅~」とアナウンスを流し始めたので、抗議したエピソードが出てきます。「ここは終点なんですよ。合理的に考えて不要でしょう」「なぜ、そこまで乗客を子供扱いするのか」「よけいなアナウンスはやめて、少しでも静かな駅にしたらどうか」と言い、一度、その鉄道会社はアナウンスをやめたのに、またすぐに復活したという話です。
 あらためて「なぜなのか」と聞くと、鉄道会社からは「必要か不要かというより、ホームで駅名のアナウンスがないと『なんとなく物足りない』と言うお客様がいらっしゃるのです」という返事。中島氏は愕然としたと書いていますが、この郡山のアナウンスも同じようなものです。

 郡山は終点ではないので、ホームで「郡山~」と放送するぐらいは、ギリギリ許容範囲にしてもいい。しかし、さらにしつこく最終関門の改札口で「ここは郡山だ!」と「言われないと、そこが郡山であるとわからない」乗客なんて、いったいどれくらいいるというのでしょうか。もしいたとしても、「自分の降りる駅を自分で判断する」ことすらできない極端な人を想定して、改札口で「郡山! 郡山!」と絶叫する駅員の「やさしさ」というのは、ただ「他人をまるごと幼児扱い」する見下した気持ちの裏返しでしかありません。

 もっとも、中島氏の著書に出てくるエピソードが典型的ですが、駅員は「ここが郡山であるとわからない人のために言ってあげよう!」というはっきりした意識などなく、「ただなんとなく」がなり立てているんでしょう。そして、そんな放送を聞かされて不思議だ、うるさいと思わない人たちも「なんとなく聞き流している」だけなんでしょう。
 そんなバカアナウンスが、この国には溢れかえっているわけです。

●滞在中、郡山から磐越東線というローカル線に乗りました(「ゆうゆうあぶくまライン」という愛称がついているらしいですが、こういうまぬけな名前は大嫌いですね。「阿武隈ライン」ならまだしも)。

 発車まで時間があったのでホームでぼーっとしていたのですが、やがて向かいのホームから「4番線に通過列車が参ります。危ないですから黄色い線の内側にお下がりください!」という録音されたアナウンスが流れ始めました。
 ところが、このアナウンスが何度流れても、通過列車なんかやって来ない。時間にすれば1、2分ぐらいだったかもしれませんが、何度も何度も同じアナウンスをエンドレスで繰り返します。
 怒りが頂点に達し、サナギマンからイナズマンに変身しそうになった頃、ようやくやって来たのは貨物列車。驚いたことに、この長い貨物列車が轟音をたてながら駅を通過する間も、「4番線に通過列車が参ります。危ないですから黄色い線の内側にお下がりください!」のアナウンスは流れ続けていたのです。列車が通り過ぎてからも2、3回ぐらい流していたなあ。チェスト~!

 このアナウンスが駅員の手動で流されているのか、なんらかの仕掛けで自動的にスイッチが入切されるようになっているのか、そんなことは知りませんが、「実際に列車がやって来るまでに、何度もしつこく放送する必要などない」(1、2回で十分。しつこく放送すればするほど、人は「必要なアナウンス」に耳を貸さなくなるだけ)し、何より「列車が通過している最中(通過し終わってまで)に『間もなく通過します』というアナウンスを流すことのバカバカしさ」に、駅員は気づかないのでしょうか。

 JRは、アナウンスに苦情を言うと「うるさい、過剰だと言われようがどうしようが、乗客の安全確保のためにアナウンスしているんだ!」と強弁しますが、「列車が通過中(すでに通過した後)なのに『間もなく通過します』と嘘を放送する」ことの、どこが「安全確保」になるのか? むしろ安全をないがしろにしているとしか思えませんが、要するに何も考えていないということなんでしょう。

●磐越東線の車内でも、不愉快な音やアナウンスがありました。まず、ドア(乗客が自分でボタンを押して開閉する方式)を開け閉めするたびに鳴る「ピンポーン」というチャイムが、車内の天井に取り付けられたすべてのスピーカーから流れること。
 「ドアが開く」「閉まる」ということを音で知らせるのは仕方ありませんが(本当は、ドア自体の開閉音がするのだから、わざわざピンポンピンポンと鳴らす必要はないと思いますがねえ)、それにしても、この音が必要なのは実際にドアを開け閉めしている人だけなのだから、車内全体に鳴らすのではなくドア近くのスピーカーからだけにする、という工夫はできないものなのだろうか。
 「ドアを開け閉めする際は、横のボタンを押してください」というアナウンスも、車内のスピーカーすべてから流れていたと思いますが、それもドア付近だけで十分でしょう。

 これらの「音」は、改良することが技術的に(あるいはコスト的に)可能か不可能かという以前に、「そんな音、必要なのか? うるさいだけじゃないのか? 人の注意力を散漫にさせるだけで有害じゃないのか?」という疑問を持ってしかるべきだと思うのですが、その程度のことに気づくことができない人ばかりというこの国のどこに、「繊細さ」なんてものがあるんでしょうか。

●磐越東線のホームでは、階段から流れる「ニセモノの鳥の鳴き声」もうるさかった。ローカル線でほとんど人がいないホームに「チュン、チュン、チュン」とわざとらしい鳥の鳴き声が響き、つまり駅のホームにいて聞こえてくるのは「人工的な案内音やアナウンス」ばかりになっているということです。ま、そんな駅は磐越東線に限りませんが。

 以前、あるJRの駅で子供と母親がこんな会話をしていました。

 「お母さん、鳥が鳴いてるよ」
 「ほんとだ、鳴いてるね」
 「鳥さん、どこにいるの?」
 「そのへんにいるんじゃない?」
 「どこ、どこ?」
 「見えないけど、そのへんにいるのよ」
 「ふーん。鳥さん元気だね!」
 
 「日本人は世界に誇る繊細な自然観を持っているのだあ!」なんて、でたらめばかり言ってていいんでしょうかねえ。

 長くなったので、続きはまた今度にします。

カテゴリ:郡山
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Author:静かな街を考える会 別館
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