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「あなたもまた凡庸である」と決めつけるBGM
 哲学者で元大阪大学総長、現大谷大学教授・鷲田清一氏のエッセイ集『「自由」のすきま』(2014年)を読んだら、「音」を題材にした一編があり考えさせられました。

――――――

ホテルの朝食

 海外のホテルに投宿するときの愉しみの一つは、食堂でとる朝食だ。朝日の降り注ぐ天井の高い空間。聞こえてくるのは、カチカチという皿とナイフがぶつかる音、ガチャッとスプーンやフォークを束ねる音だけ。「おはようございます」という挨拶以外、声もほとんどしない。代わりに聞こえてくるのは、厨房で大釜の湯が煮立つ音、じゅーっと肉汁が弾ける音、フライパンが台座に当たる音……。

 ふだん日本のホテルでなら食事が半分、新聞を読むのが半分といった気もそぞろの朝食になってしまい、そのような厨房の音に耳をあずけることもない。いやそもそも厨房は壁で隔てられ、中の様子をうかがうこともできない。代わりに耳にまとわりついてくるのはBGM。定型的なクラシックの弦楽四重奏かピアノソロの有名な楽曲、和食堂だと決まって箏曲。うんざりするほど定型的なメロディに空間は染められ、空間とともに「あなたもまた凡庸である」と決めつけられたような気分になってしまう。冴えないじぶんの確認。これが一日の始まりというのはちょっとつらい。それで日本のホテルでは、それがあればの話だが、通常、ルームサービスをお願いしている。

 海外のホテルでは新聞など置いていない。音楽もない。だから眼を泳がし、耳を待たせておくしかない。で、眼に入ってくるのがスタッフの仕事ぶり、顔つき、佇まい。耳に入ってくるのはテーブルを整える控えめな音、厨房の蒸気のほの温かい音。

 耳をくすぐる音、ナイフやフォークのふれあう音、煮立つ湯の音は、食べるという一点に収斂している。それ以上でもそれ以下でもない。余計な意味を削ぎ落とした、あまりにシンプルな、一日の開始の合図である。みなおなじささやかな食事をとって、そしてこれからそれぞれに異なる仕事にとりかかるのだ。(後略)

――――――

 日本のホテルの食堂で<耳にまとわりついてくる>BGMの<うんざりするほど定型的なメロディ>に、<「あなたもまた凡庸である」と決めつけられたような気分になってしま>い、<冴えないじぶんの確認>をさせられているようで<つらい>。
 私にはこの気持ちがよくわかるし、特に<「あなたもまた凡庸である」と決めつけられたような気分になってしまう>というのは、BGMに限らず押しつけがましい音楽やアナウンスを聞かされると不愉快になる心理の表現として見事だなあと思います。
 私なんかただのアホだから、同じ心理状態を表現するにしても「人をバカにすんなってことだ!」みたいな下衆な書き方しかできません。まるで三流のプロレスラーだ。

 でもねえ。

 鷲田氏のような日本を代表する知識人のエッセイに「ものもーす!」というのもおこがましいのですが、この内容には違和感を覚える点もあります。「BGMを聞かされると凡庸であると決めつけられてつらい」というのはわかるのだけれど、それってわざわざ海外のホテルと日本のホテルを比較したり、そもそもホテルを題材にしなければ書けないことなのかな、と。

 話がややこしくなるのを避けるため、ここでは「アナウンス」を省いて「BGM(音楽)」だけに絞りますが、日本に暮らしていれば、ホテルという特殊な空間でなくても、そこらじゅうに<うんざりするほど定型的なメロディ>が溢れかえっているじゃないですか。

 駅に行くと「てつわーんーあとーおむうー」だの、なんだかよくわからない「ジャンジャカジャカジャカズンジャンジャン、ジャーーーーーーン!」だの、耳をつんざく<凡庸>な駅メロばかり聞かされます。
 スーパーや商店街に行けば、マーチ風に編曲したサザエさんの曲や、やっぱりなんだかよくわからない「シャバダバダー」みたいな意味不明なポップスを、買い物している間中ずっと聞かされます。アップテンポな曲でもスローな曲でも<凡庸>をそのまま音にしたような音楽です。

 家電量販店はもっとひどい。「やまーだまーだまだやすいんだああああああ!」「まあるいみどりのやまのてせん!」「びーくびっくびっくびっくかーめらっ!」。こんな<凡庸>な曲をエンドレスで気が狂うほど聞かされます。
 ドラッグストアなら「まつもときよし~~~!」だの「ここからふぁいん~!」だの、コンビニに行けば「今週のヒットチャート第1位はAKB四十八手の新曲『恋の騎乗位』(こんなこと書くと刺されるのかね)」とか言いながら、キンキン声の<凡庸>が店の中を飛び交います。

 わざわざ外出しなくても、家にいるだけで防災無線から「夕焼け小焼け」だの「エーデルワイス」だのを聞かされ(雨の日でも「夕焼け小焼け」!)、ごみ収集車からも「赤とんぼ」なんかを聞けと無理強いされる(春でも夏でも「赤とんぼ」!)。冬になれば灯油の移動販売業者が「ゆーきやこんこん!」などとキチガイじみた大音量で流しながら走り回りますが、その音楽のせいで本物の「雪がしんしん降り積もる音」がかき消されても日本人はなんとも思わない!

 別に「ホテル」でなくても、日常生活で常に<凡庸>さを押しつけられるこの国の異様な音環境に鷲田氏は気づかないのか、気がついていても「ホテルの食堂」ほどは気にならないのか。普段、電車に乗らずスーパーに行かず、コンビニにも立ち寄ったことがないのか。防災無線や移動販売業者などの音楽にも<うんざり>することはないのでしょうか。

 別に嫌味で書くわけではないのですが、以前のエントリーで紹介したように作家の椎名誠氏が指摘し、本会の会員でもある哲学者の中島義道氏も著書で指摘しているとおり、この国では相当高級な頭脳と感受性を持つ(はずの)文化人や知識人などと言われる人たちですら、劣悪極まりない音環境の酷さになぜか気づきません。鷲田氏の言葉を借りれば<凡庸>であると決めつけられることに<うんざり>もせず<つらい>とも思わないようです。

 その中で「音」をテーマにしたエッセイを読んだのは(そんな内容があるとは知らなかったので)嬉しかったのですが、一方で「そうじゃないんだよなあ」と言いたくなる気持ちも湧き上がってしまいました。
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