防災無線の騒音で引っ越しを余儀なくされた
 前回のエントリーの続き。

 中国文学者の高島俊男氏が『週刊文春』に連載していたエッセイ「お言葉ですが…」に、駅のアナウンスと防災無線の騒音に憤慨している回がありました。
 文庫版第3巻『お言葉ですが…(3) 明治タレント教授』(2002年)から紹介します。

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 *〔あとからひとこと〕

 これ(註:駅アナウンスについてのエッセイ)を書いたのは琵琶湖の西の団地にいたころである。その後わたしはこの地を離れた。

 おしまいの一年ほど、わたしの生活はほとんど破滅状態であった。

 毎日、午後五時になると大音響の放送がはじまるのである。どんなに窓をぴったり閉めきっていても、それはあらゆる方向からガンガンと突入してくる。

 まず「わらべは見たり野中のばら」の音楽が鳴る。それから女の猫なで声が、「ただいま五時になりました。よい子のみなさんはそろそろおうちに帰る時間です。家族のかたに心配をかけないよう、みんな誘いあって帰りましょう」と言うのである。

 いったいだれがあんな放送をやっていたのか、わたしは知らない。また、ああも四方八方からひびいてきたのは、どういうしかけになっていたのか知らない。

 夏のころなら五時はまだ日がカンカンしている。この放送を聞いて、遊ぶのをやめて帰る子どもなんかいやしない。だいいち子どもは遊びに夢中で、放送なんか聞いていない。たいてい七時ごろまでは遊んでいる。

 また逆に、ひどい雨で外で遊んでいる子どもが一人もいない日でも、やはりこの放送は鳴り出して、「よい子のみなさんはそろそろ……」と大音響の猫なで声をまきちらす。

 つまりこの放送は、実質的意味は皆無である。この放送をやっている連中が、あたしたちは児童の善導に大いに力をつくしているのだわ、と自己満足しているだけだろう。

 あの地区には、駅前など人の目につきやすいところで、中学生か高校生とおぼしきダブダブのズボンをはいた不良どもが地べたにしゃがみこんで、タバコを吸いながら通りかかる人をじろしせろとねめまわしている場所がいくつかあった。そういうところへ、これら児童善導の連中が出てきて善導しているのを見たことがない。実質的なことをやるつもりはないのである。

 五時前後の時間に、どうやってこの放送のきこえない所にいるか。それが、朝起きた時からのわたしの問題だった。スーパーマーケットのなかにいるときこえない。また住宅街のはずれの自動車道路まで行くと、一部分きこえない所がある。たいていそういう場所で五時前後をすごした。

 しかし、その時間だけが問題なのではない。毎日、その時間にむかって緊張が高まってゆく。四時をすぎるともう動悸がしはじめる。突然襲ってくるものより、毎日きまった時間にきっちりと襲ってくるもののほうがおそろしく、人の神経を破滅させるものであることを、わたしはに如実に知った。

 あの猫なで声の女を見つけ出して殺そう。そのために生涯を監獄でくらすことになってもいい、とも考えた。それはあんまり割に合わぬから、あの放送をやっている所をさがして、かなづちを持って押し入って機械をぶちこわそう。それならば器物損壊ぐらいですむだろう、とも考えた。

 しかし結局、この地を離れるほかない、という判断にかたむいたのである。

――――――

 「だれがあんな放送をやっていたのか、わたしは知らない」とか、「どういうしかけになっていたのか知らない」とか書いていますが、明らかに防災無線の放送です。高島さんが防災無線の存在を本当に知らなかったのか、それとも、知らないふりをして書いたほうが原稿として面白くなるからそうしただけなのか、そこはよくわかりませんが……。

 私も高島さんと同じですね。防災無線に限らず、よけいなお世話の注意放送を聞かされると、「あの猫なで声の女を見つけ出して殺そう」とか「かなづちを持って押し入って機械をぶちこわそう」(笑)とか考えます。

 もっとも、私の住んでいる市で防災無線から流されるのは、現時点では夕方の音楽のみ(この音楽が流れる間、私は仕事の手を止め耳を塞いで我慢しています)。
 「小学生の下校時間になりました。子供たちを見守りましょう(私たちを見守ってください)」という究極の「女の猫なで声」放送は、数年前にテスト放送がありましたが、「これは不要だ」という市の判断で本放送には「昇格」せず済みました。
 一時期毎日のように流された「振り込め詐欺に注意しましょう」は、私が「振り込め詐欺なんて、究極的に自分で気をつけるしかない犯罪なんだから、意味のない放送は不要です」と苦情を言ったところやめてくれました(抵抗は激しかったですが)。
 これらの判断に限っては、市の英断を褒めたいと思いますね。

 このような放送をするのとしないのとで、町の治安にどんな違いができるというのか。明確に違うというデータがあるなら持って来いという話です。むしろこんな放送をするから「あいつも不審者、こいつも不審者だ!」と、人々が互いを疑心暗鬼の目で見て、よりギスギスした「人と人との繋がりのない町」になってしまうのだ、と私は思いますけどね。
 防災無線の放送にどんな問題があるのか、それはこのエントリーにまとめているので、時間のある人はぜひ読んでいただきたいと思います。

 最近は、子供を道路で遊ばせる「道路族」の迷惑行為が話題になっているようです。自分の子供を公園に行かせず、目の前の道路で遊ばせる親は「公園は、不審者ばかりで危険だから!」という、わけのわからない理由でそんな遊び方をさせています。
 実際、数カ月前まで私の家の前の道路で遊んでいたガキどもの親も、そんな考えで子供を道路で遊ばせていました(今は、子供たち自身が同じ場所で遊ぶのに飽きたらしく、公園に行ったりどこかに遠征したりしているようで、ひとまず道路は静かになりました)。

 でもねえ。いったい日本の公園のどこが「不審者ばかり」なのか。そこまで「危険だ!」「注意しなければ!」と怯えるほどのことが、公園で毎日のように起きているという証拠がどこにあるのか。
 ちょっとベンチに(親以外の)大人が座っているだけで「あいつは不審者だ! やっぱり公園は危険だ!」などと考える人たちは、何がどうなれば「安全」だと思えるんでしょうか。

 子供も大人も、日本ほど安全に暮らせる国はない。それはほとんどの人が皮膚感覚で理解しているはずです。
 「外国はスリや置き引きばかりで怖い。店に強盗ばかり入って、子供の誘拐も多いらしい。いつテロが起きるかわからないし、アメリカなんて銃犯罪ばかりだもんなあ。それに引き替え日本の治安はすばらしいよ。治安の良さこそ日本が世界にアピールできる観光資源だ」なんてことは、誰もが口にしたり思ったりしていることでしょう。マスコミだってそう言います。

 客観的に見てそこまで安全だと「知っている」のに、なぜ「注意しましょう! 気をつけましょう!」の放送がこんなにも必要なのか、「公園は危険だ!」などと思い込むのか。「日本は安全だなあ」と口にする人(やマスコミ)が、同じ口で「最近の日本は犯罪だらけだあ!」と叫ぶ自己矛盾になぜ気づかないのか。

 今の日本ほど安全な国でも「不安で不安でしょうがないんじゃ!」とガタガタ怯え、「注意放送が必要だ!」「もっと監視カメラをつけろ!」などと考える人は、一度、病院に行ったほうがいいんじゃないかと私は思いますけどねえ。何科の病院かは言いませんが。

 話を高島さんのエッセイに戻すと、正直、私が不満を覚えるのは、高島氏が「大音響の猫なで声」の正体は防災無線の放送であると調べて、役所に「やめてくれ」と苦情を言いに行かなかったことです。
 最終的に「この地を離れるほかない」という判断に傾くのは仕方ないとして、生活が「破滅状態」に追い込まれるほどひどい放送なら、なおさら、一度でいいから苦情を言いに行ってほしかったと思います。

 おかしいことはおかしいと言わないと、「町が怖いよお! 危険だよお!」と、なんの根拠もなく思い込んでしまった人は「治らない」し、防災無線から「注意しましょう! 気をつけましょう!」と放送することを「いいことだ!」「放送すれば問題が解決する!」と信じ込んでしまった人たちは、絶対に放送をやめようとはしません。
 もちろん、悲しいことに苦情を言ったからといって、この手の放送がなくなる可能性は低いのが現実です。でも、言わなければ何も始まらないのもまた現実です。

 ところで、この本の解説は、評論家の呉智英氏が書いています。呉さんは居住地である愛知県西枇杷島町(現在は合併で「清須市」になったらしい)で、防災無線の放送を止めさせるため裁判を起こした方です。

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防災放送のテスト「うるさい」と提訴へ=西枇杷島町相手に呉智英さん-名古屋地裁

 昨年9月の東海豪雨で最大の被災地となった愛知県西枇杷島町の防災放送のテストをめぐり、「静寂を破られ苦痛」として、同町の評論家呉智英さん(55)が町を相手取り、放送の中止を求める訴訟を16日、名古屋地裁に起こす。
 訴状などによると、同町は東海豪雨で町内約6600世帯のうち、約4000世帯が床上浸水するなどの被害を受けた。住民から「避難勧告が伝わらなかった」などとする声が相次いだため、町は6月、防災放送塔26基を設置。試験放送として朝夕2回、ドボルザークの「家路」などを流し始めた。 (時事通信)

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 呉さんがこの訴訟を起こしたのは2001年。そして最高裁まで争った末、2005年に敗訴が確定してしまったようです。

 今回、紹介している高島氏の本が出版されたのが2002年。呉さんは解説を書いた時点で、すでにこの訴えを起こしていたのではないかと思うのですが、解説では特に触れていません。また、どこかで「この裁判の顛末は、いずれ本にする」と書いていたと思うのですが、現時点でそういう本は出版されていないと思います(出しても売れないだろうしねえ)。

 呉氏は、今も裁判を起こしたのと同じ清須市に在住のよう(Wikipediaによれば)ですが、相変わらずこの「朝夕2回のドボルザーク」に悩まされているんでしょうか。それとも、防災無線についての発言が途絶えたということは、この放送がなくなったか、あるけど気にならなくなったのでしょうか。気になります。

 敗訴は残念(予想どおりでもあったのでしょうが)ですが、高島氏にしろ呉氏にしろ、こういう著名な人たちが、もっと「スピーカー騒音」のおかしさに言及してほしい。私はいつもそう思っています。
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カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
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