「やかましい応援団の問題」は無視する新聞
 1986年に刊行された、ジャズのサックス・プレーヤー中村誠一氏の『サックス吹きに語らせろ!』というエッセイ集を、たまたま読みました。
 その中に、「これでいいのかプロ野球の応援」というエントリーで触れた本『よみがえれ球音―これでいいのかプロ野球の応援』(渡辺文学・編著)でも軽く紹介されている、中村氏がプロ野球の応援を批判しているエッセイがありました。

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 野球場の太鼓について

 このところずっとスポーツと音楽との関係について書いていますが、ここで一回、閑話休題。
 なぜかといいますと、プロ野球の下田コミッショナーが、野球場に鉦や太鼓やのぼり、それに楽器などを持ち込まないように各球団に要請したからであります。
 私は、ハッキリ言ってこの意見に大賛成。このような取り決めが早くできないものかと待ちわびていたのでした。それにしても下田さんはエライ!!
 この取り決めにはずいぶん考慮なされたことと思いますが、大英断、大ヒットであります。

 なんたって、野球場の太鼓ほどうるさいものはありません。非音楽的なことこの上ないんであります。いい音を出そうなんて気持で叩いているんじゃあない。ただ思いきりひっぱたいてるんですから、隣にいた日にゃあたまりません。野球どこじゃあない。応援団の奴共に金返せと怒鳴りたい位であります。

 私も野球が好きでありますから、たまには見に行きたいなあ、などと思うんでありますが、あのウルサイ応援団のことを思うと、つい二の足を踏むんであります。特に、パ・リーグはいけません。西武球場の相手チーム側なんかに行ってごらんなさい。イライラして健康に悪いことこの上ありません。なにせ太鼓のやむ閑がないんですからたまりません。
 ですから今回のこの下田さんの大英断には、諸手をあげて大賛成なのであります。野球なんて静かに見ていて、自然に盛り上がればいいんであります。

 そこへ行くと大リーグはいいですなあ。おととしN・Yに行ってヤンキースタジアムで野球を観ましたが結構でしたなあ。
 ホームランを打った打者が次の打席で観客の期待に応えようとブンブン振り回す。結果は三振でしたけど観客は大喜び。こういうのがいいですな。鉦や太鼓、それになんとかラッパなんていらないんであります。
 そしてヤンキースが勝ちますと、フランク・シナトラのニューヨーク・ニューヨークの唄が流れて、それを背に球場を後にする。これが文化ですな。

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 「下田コミッショナーの要請」というのは、「これでいいのかプロ野球の応援」にも書いた通り、「1984年、当時の下田コミッショナーが『他人に応援を強要しない』、『他人の耳をつんざくカネや太鼓(後にトランペットも追加)を鳴らさない』、『他人の目を奪う大きな旗やのぼりを振らない』という『応援倫理三原則』を定めファンに呼びかけたものの、『各球団や関係者の強い反発もあって』結局は実現しなかったこと」を指しています。
 中村氏のエッセイは『アサヒ芸能』に連載されたものらしいので、執筆時は下田コミッショナーが「応援倫理三原則」を発表した時点だったのでしょう。しかし現実は、まるでそんな呼びかけなどなかったかのように無視されて、今に至るまでプロ野球のクソやかましい応援は延々と続いているというわけです。

 このエッセイの内容に、付け加えたい点は何もありません。書かれている通りのことを私も思ってます。30年たって、ますますひどくなるプロ野球の応援団の乱痴気騒ぎは、いったいどこまでエスカレートするんでしょうか。

 そういえば、これはうろ覚えで書くのですが、今年の春のオープン戦で、中日の東海地区の応援団が「カネや太鼓を使った応援」の申請をしなかったので、対戦相手の攻撃時はプープープープーカンカンカンカンカンやかましいのに、中日の攻撃時は人の肉声が聞こえるだけで、球場のバランスがとても悪かったというような新聞記事を読みました。

 それでバランスが悪ければ、両チームの応援団がプースカプースカとヒステリックな応援合戦を「して」バランスを取るのではなく、そんなものを「なくして」、野球本来の音が響く試合にすればいいじゃないかと思うのですが、やっぱり日本人はそういう発想ができないようです。

 記事には球場にいた「ファン」のコメントがいくつか載っていましたが、それは「太鼓やトランペットがないと張り合いが出ない!」だの、「誰かがリーダーになってくれないと応援しにくい!」だの、「選手に気持ちが届かない!」だのという、呆れ果てるような声ばかりでした。あんたの「張り合い」のためにカネや太鼓を鳴らされても迷惑だし、リーダーがいないと何もできないなんて「あんた子供か?」としか言いようがないし、選手に応援する気持ちを届けたければ、自分の肉声で自分らしく応援すればいいじゃないか。
 そんなことすらできない連中が群れを成し、調子に乗って周囲を威圧しているのが「応援団」なのだから、暴力団とのつながりが云々と言われるのもさもありなんというところです。

 それに名前は覚えていませんが、中日の選手まで「なんか静か過ぎてやりにくいっすね」というようなコメントまでしていたのには、嫌になってしまいました。まあ、高校野球からプロ野球まで、彼らのプレーは常に「カネや太鼓のどんちゃん騒ぎ」の中でするものだったのだから、それがないと不自然だと感じるようになってしまっているんでしょう。

 でも、以前のエントリーと同じことを書きますが、果たして球音一つまともに聞こえない環境でやる野球が、本当に「スポーツ」と言えるんでしょうか? 掛け声やベンチからの指示が選手に聞こえず、激突したり落球したりという「事故」だって、かなり起きてるんじゃないの? グラウンドで選手同士、選手と監督、監督と審判などが話をするときに、思いきり顔を近づけて大声を出さないと聞こえない! という仕草を見せるのにも笑ってしまいます。
 メジャーリーグの中継を観ていたら、グラウンドでもっと普通に会話をしてるでしょう。あれこそ「まともに野球ができる球場」というものだと思うんだけどなあ。

 そしてもう一つ腹立たしいのは、私が読んだ記事にはファンの側からも選手の側からも、「やかましい応援団がいなかったから観戦を楽しめた」とか「プレーしやすかった」という、応援団がいなかった試合を肯定する声がまったく載っていなかったことです。記者が、クソやかましい応援団の存在を「あって当たり前」のものとして、記事を書いているのは明らかでした。

 まあ、私が読んだのは朝日新聞の記事で、朝日は甲子園大会の実質的な主催者ですからね。バカみたいに大声を張り上げたり楽器を叩き鳴らしたりする高校野球の応援を、万が一にも否定することにつながる「応援団なんてないほうが、野球を楽しめるのではないか」という視点の記事など、絶対に書くわけがないんでしょう。
 「体が出来上がる前の投手の肩は、投げ過ぎると壊れる」という、今では常識となった考え方を絶対に取り入れず、炎天下の中「倒れるまで投げろ!」という非科学的な根性論で、子供たちに「模擬戦争」をさせて喜んでいるのが新聞なのだから、「野球そのものを楽しむ」という視点を持った記事など期待するだけ無駄というものです。

 でも、少なくともプロ野球の応援については、コミッショナーという最高の権力者が「カネや太鼓はやめましょう」と呼びかけたことは確かなのに、それを誰も守らない、守ろうとしないというのはおかしいよなあ。そんな呼びかけがあった以上、しっかりした議論を重ねて結論を出す義務はファンやマスコミにあるはずなのに、そんな話がされた記憶はまったくないものなあ。

 ここから先、話はどんどん変わっていきます。

 私がなぜ「応援団の問題について、ちゃんと議論しないのか」、「コミッショナーの要請が、ここまで無視されていていいのか」という点にこだわるかというと、朝日新聞には西村欣也というスポーツ記者(編集委員という偉い人らしい)がいて、この記者の書く記事(コラム)が、いつも異様なまでに教条的で失笑しているからです。
 選手獲得に関する「裏金」だとか、試合でもタイトル争いでの疑問を感じる選手起用だとか、野球界でちょっと問題があると、この記者は「コミッショナーには指導する義務があるのに動こうとしない!」だの、「以前の発言と矛盾しているじゃないか!」だのと(主にアンチ読売の立場から)、紙面の私物化と言えるほどコミッショナー(と、それを背後から動かす読売)という「権力者」を攻撃する感情的なコラムを書き続けています。

 スポーツに限らず、新聞は政治家の発言などについても「10年前にはああいう談話をしたのに、今、言ってることは違うじゃないか!」という、微に入り細を穿ちすぎた「追及」をするのが大好きです。まあ、それはマスコミの役目でもあるし当然のことだとも思うけれど、それなら、下田コミッショナーからはっきりと「過度な応援は控えよう」という要請があったのに、それが無視され続けている現実についてだって、「歴代のコミッショナーは、この要請をしっかり守らせるため動くべきだ」と書いてもよさそうなのに、新聞は絶対にそんな発言はしません。上記の記事のように「応援団サイコー!」という、30年前のコミッショナーの呼びかけに反する記事しか載せません。

 それは、応援団に象徴される「ただひたすら騒ぎたい」圧倒的多数の大衆に迎合するためであり、うっかり「やかましい応援は控えたほうがいいのでは」などと言って、高校野球のあり方にまで火花が飛ぶのを避けるためであり――というところが理由なんでしょうが、なんとまあ見苦しいものかと思います。
 特に西村欣也という編集委員は、やたらと「スポーツの本質とは」といったお題目が好きなのですが、観客論も含めて野球の本質を少しでも真面目に考える気持ちがあるのなら、「やかましい応援団の問題」についても肯定、否定どちらでもいいので、一度でいいからコラムを書いてみてもらいたいものです。
 もちろん「巨人の応援団は」というような、私怨の塊としか思えない偏向した内容じゃなく、まともな原稿としてですけれども(この人のコラムは、アンチ巨人の私も辟易するほど「読売憎し」で凝り固まっていて、ちょっとどうしようもないのです)。

 話が変な方向に行き過ぎてしまいました。
 ま、プロでもアマでも、やっている選手が「応援がうるさくても別にいい」というのなら、そんな状態が続くのもしょうがないのかもしれません。私としては、まさか21世紀も15年近くたって、いまだに応援を含めた野球というものが「こんな有様」であることに、ただただ驚くだけの話です。
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Author:静かな街を考える会 別館
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