再びうるさくなる駅の騒音
先日、ディーガンさんにお願いして、「アメニティ」のバックナンバーを送っていただき、なんと私の手元には創刊号から最新29号までのすべてがそろいました。
それを読んで最も悲しい気持ちになったのは、鉄道アナウンスについての記事でした。
だいたい鉄道アナウンスの騒音は、会が設立された84年から90年代前半くらいまでは、「静かになっていく方向で喜ばしい」という記事が多いのです(特に東京の鉄道では)。会員の書いたレポートのみならず、新聞記事の切り抜きなどを見ても、「うるさい駅が静かになった」という報道がけっこう目に付くのです。
ところが、今では正反対に「どの駅もうるさくなっていく方向で大変なげかわしい」というしかない状況です。社会も「少しでも静かに」ではなく「少しでもうるさく」と、それを後押ししているとしか言えない状態です(今回の新聞記事が典型例)。

そのように一度は静かになりつつあった駅が、90年代半ば頃から、再びとてつもなくうるさくなってきたのにはさまざまな理由があるでしょう。
「地域振興のために」「外国人のために」「体の不自由な人のために」「事故を防ぐために」「老人や子どものために」「エキナカのにぎわいために」etc。騒音を出す側、あるいは出させたいと思う側は、「~のために」という理由をさまざまに編みだします。
そんな中で、よけいな放送を聞きたくない人は「ウォークマン」で自分を防御するだけで「やめろ」という声を上げることはない。「鈍感な人」はまったく無関心であれだけのしつこい大音量放送がそもそもまるで聞こえていない。そして「やさしく理解のある人」は「(私のために、弱者のために、社会のために)もっと放送して! もっと指示して!」と要求することに際限がない。鉄道会社も嬉々としてそれに応じている。

そんな子供じみた行為が蔓延する根底には、「不況」「国際化」「弱者救済」「テクノロジーの変化(進歩ではない)」「日本人のさらなる幼児化」などさまざまな理由が重なり合っていると思われます。しかし音に関して言えば「放送をすれば、~のため、が解決する」などという安易な思い込みがどれほど間違っていることか。
それを論じるには、今回のようなメロディの導入の件一つとってもとても面倒な議論が必要になるのでここには書き尽くせませんが、いずれにせよこのような「~のためには、誰もが~すべき(この場合は社会のためには放送をしつこくすべき、聞く側はそれをありがたく思うべき)」という、いかにも日本人が大好きな一方的偽善的表面的強制的な考え方はますますひどくなっていく一方なので、もはや前途は絶望的というしかないかもしれません。

それにしても、会員の方もそうでない方も、みなさん本当にこんな音漬け社会で平気なんですか?
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カテゴリ:駅・車内
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Author:S.B
市民グループ「静かな街を考える会」会員S.Bのブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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