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これでいいのかプロ野球の応援
とてもいい本を読みました。

渡辺文学・編著「よみがえれ球音―これでいいのかプロ野球の応援」

もう10年も前、2003年に出版された本ですが、タイトル通りカネや太鼓、トランペットの音に象徴される、プロ野球の暴力的でクソやかましい応援のあり方に問題を提起しています。

内容は、前半がこの渡辺文学という人が書いた文章。後半が、さまざまな新聞や雑誌に作家や記者、スポーツライターなどが書いた、プロ野球の応援を批判するコラムやエッセイを収録したものです。
各章のタイトルと著者名を抜き出します。

●私設応援団はいらない――プロ野球の応援をみなおす 渡辺文学

●鳴り物入り応援廃止論――球音を楽しむ
 騒々しい野球応援は転換期に 武田五郎(元大洋球団社長)
 三行半の下書き 井上ひさし(作家)
 一瞬の静寂こそが最上の瞬間 鳴り物応援はやめるべき 豊田泰光(野球評論家)
 日本の私設応援団はいらない 大橋巨泉
 騒ぎたいならカラオケに行け 二宮清純(スポーツジャーナリスト)
 プロ野球を毒す騒音と強要 中田喜直(作曲家)
 ナゴヤ球場 江口圭一(歴史学者 愛知大学名誉教授・日本近現代史)
 野球は静かに味わおう 富永俊治(新聞記者)
 かき消される「競技音」 増島みどり(スポーツライター)
 球場における「自然の音」 工藤均(新聞記者)
 ラッパ応援は御免 自前の声で盛り上げよう 岡田忠(スポーツライター)
 危険なファウルボール 生島淳(ノンフィクション作家)
 応援団の騒音公害、TV中継の尻切れ、これだけはやめて 高田実彦(新聞記者)
 球音を楽しまない自由 藤島大(スポーツライター)

このほか、本文にはイチロー、福良良一(大リーグ解説者)、海老沢泰久(作家)、中村誠一(サックス奏者)、吉川潮(作家)といった人たちによる、応援のあり方を批判する発言も引用されています。

私は、この本に書かれていることのすべてに賛同します。書いて当然のことが書かれていると思います。
日本のプロ野球の応援というのは、野球そっちのけでただ騒ぎたいだけの連中と、一緒になって騒ぐことを押しつけられて喜ぶ連中が集団ヒステリーを起こしているだけで、とても「野球を楽しむ」という行為からほど遠いものになっている。
野茂がアメリカに行って以来、BSなどでメジャーリーグの試合が放送されることも多くなりましたが、あの自然な、人間的な盛り上がりで成り立っているアメリカの球場の雰囲気をテレビで見て、あらためて日本のプロ野球の応援が異様なことに気づいた人は少なくないのではないでしょうか。
私もその一人です。

でも、残念ですね。こういうふうに問題提起をする人はそれなりにいるというのに、「プロ野球の応援のあり方を見直そう」という機運は、まったく広がらないようです。

この本には、球場からやかましい応援を追放するために渡辺氏が、「球音を楽しみたい会」を設立しようとした動きも書かれています。新聞への投書をきっかけに野球評論家の佐々木信也氏と会い、大橋巨泉ともコンタクトをとって会長になってもらおうとしたらしいのですが、佐々木氏とは仕事の都合がなかなか合わず、大橋氏から「私はもう日本のプロ野球は見捨てて、メジャーリーグに走りました」と丁重な断りの手紙をもらったあたりで、計画は頓挫してしまったようです。
また、2000年にはセ・パ両リーグの会長に要望書を送って、応援についての規制を訴えたところ、返事が来たのはパ・リーグの会長からのみだった(「改善の余地はあるし努力したい」と書かれていたそうですが、その後、なんの進展もないことは明らか)そうです。

渡辺氏は「一般社団法人 タバコ問題情報センター」という団体の代表理事を務めている人だそうで、要するに長年、禁煙運動に関わってきている人です。そういう「運動のプロ」であっても、騒音についての運動だけは展開することができないのだから、いかに日本人が騒音というものに無神経で無頓着かよくわかります。
これだけ町中にあふれるスピーカー騒音の問題を取り上げているのに、地を這うような地道な活動しかできない本会の立場とも似ています(本会のほうが、まだ存在しているだけましかもしれませんが)。

本の中には、私が知らなかったことや、読んで「ああ、そういえばそうだったかな」と思い出すことが、いくつも書かれています。

1984年、当時の下田コミッショナーが「他人に応援を強要しない」、「他人の耳をつんざくカネや太鼓(後にトランペットも追加)を鳴らさない」、「他人の目を奪う大きな旗やのぼりを振らない」という「応援倫理三原則」を定めファンに呼びかけたものの、「各球団や関係者の強い反発もあって」結局は実現しなかったこと。

2000年6月14日には、東京ドームの巨人-横浜戦が、鳴り物応援を自粛した「球音を楽しむ日」として開催されたこと。この試合は選手会長の桑田の発案で私設応援団に要請し、長島監督がネーミングして実現したものだったそうです。
試合後は観客から好意的な声が多く、松井や仁志、元木といった選手たちも評価するコメントを残し、何より長島監督が、
「ややもすると今は鳴り物の野球で、お客さんはずっとお祭りムードですが、われわれ玄人筋に言わせると、ミットにボールが吸い込まれる音、打球の音や高さ、そういうものの余韻に浸ると、われわれの時代はこれが魅力でしたから。ベンチですがすがしく、野球の原点に戻った雰囲気でしたね」
と発言しているにもかかわらず、その後、同様の企画がおこなわれることはなく、今も鳴り物入りのやかましい応援スタイルが続いているのが現実です。

私はアンチ巨人ですが、やはり長島は別格の存在。たとえ現役時代を知らなくても「野球の神様」と言っていい人でしょう。その神様がこうして、鳴り物応援を否定するコメントを残しているというのに一切やめようとしないのだから、応援団や彼らと一緒になって騒いで喜んでいる連中など、野球ファンではなくただの「バチ当たり」でしかありません。

なお、千葉ロッテの応援団が12球団で唯一(今はどうなのかな?)、鳴り物は使わない応援をしていますが、それについても「鳴り物を使ってないのだからいい」と評価はできません。
たとえ鳴り物を使っていなくても、声をそろえた軍隊調の絶叫応援であることは変わりないし、その声のせいで球音や選手の息づかいが聞こえなくなっているのは同じこと。
渡辺氏も「実に素晴らしい応援団だと高く評価したいが、しかし私は、個人の意志で応援・声援を送る『大リーグ方式』に軍配を上げたいと思っている」と書いています。

私がここ数年、野球の応援で一番嫌でしょうがないのは、日ハムの「稲葉ジャンプ」です。稲葉の打席になると、お約束で観客が全員ジャンプをするので、球場全体が波のように揺れてしまう。テレビカメラを通してもその様子がわかるのですが、そのたびにバカなアナウンサーは「これが稲葉ジャンプです!」と興奮して叫びます。
でも、プレーしている場所を揺らして楽しむなんて、まともなスポーツではあり得ないですよね。テニスでもラグビーでもなんでもいいですが、わざとグラウンドを揺らして選手にプレーさせるなんて、考えられないことです。また、これは「音」だけでなく「振動」の問題でもあるので、テレビを消音して試合を見ていても、画面が揺れるのは防ぎようがありません。それだけに悪質です。
あんなことをしているファン、あれを見て喜んでいるファンなんて本当の野球ファンじゃない。肝心の稲葉は、あのジャンプについてどう思っているのかとても気になりますが、果たしてどうなのでしょうか……。

ちなみに、この本には本会の会員が二人、登場します。
一人は作曲家の藤田崇文氏。もう一人が哲学者の中島義道氏です。
二人とも、著書やインタビューで町の騒音を厳しく批判しているのに、プロ野球の応援については一言も言及していない。特に中島氏には手紙まで出したのに、返事をもらえず残念だったと書いています。

まあ、これはわからないでもないですね。
私も会のミーティングで、「プロ野球の応援もうるさいですよ」と話題を振ってみたことがあるのですが、中島氏はすぐに「まあ、それは球場に行かなければいいことだから」と言って、興味を示しませんでしたから。
おそらく中島氏も藤田氏も、プロ野球にまったく関心がないんでしょう。球場に行くこともなければ、テレビで試合を見たりスポーツニュースを見たりすることもない。「見たいと思っても、うるさいから見られないんだよ!」と困ることがなければ、別に憤る必要もありません。
それはそれで当然のことではあるのですが、私は「プロ野球の応援騒音」というのは、もう少し騒音一般への広がりのある問題ではないかと思っています。

たとえば、ライブハウスに行って「この店はうるさいな! 音楽をやめてくれ!」と言うのは頭のおかしい人です。ライブハウスというのは、音楽を聞きながら酒を飲んだり飯を食ったりするところであって、初めから音楽があって当然の場所だとわかっている。それこそ「嫌なら行かなければいい」ですむ話です。
しかし野球場というのは「野球を楽しみに行く」場所なのに、そこを支配しているのは自分勝手な応援団が鳴らす、けたたましくて調子っぱずれなカネやラッパの音ばかり。目と耳の両方で野球を楽しみたいと思っても、応援団という「他者」が決してそれを許してくれない無残な場所に成り果てているのです。

それにライブハウスのような「私的な場」と違って、プロ野球を楽しむ場所である球場は、半ば「公共の場」と言っていい存在でしょう。
公共度の高さというのは簡単に言えば、「駅や役所、病院など」「スーパーやコンビニなど」「野球場などのさまざまな場所」という順番に、「誰もがその施設を利用せざるを得ないかどうか」「利用したいと思っている人が、どれくらいいるか」で決まるものだと思います。
そういう意味で、プロ野球という国民的スポーツをする球場という場所は、駅や役所ほどではないかもしれないけれど、完全に私的な場(しかも「音」があって当たり前の)と言っていいライブハウスなどと比べれば、はるかに公共度の高いところだと思います。

それなのに、応援団の騒音というのは球場はもちろんのこと、「見に行くとうるさいから、テレビで我慢しよう」と考える人にすら無理やり聞かせようとする音なのですから、これでは「まっとうな野球観戦を楽しみたい」と思うファンは選択肢がない。
「野球は見たいけど、あの応援が嫌だ」という人を球場からも、テレビの前からも、完全に排除しようとするプロ野球の応援騒音。これはまさに「誰もがこの音を聞くべきだ!」と信じ込んで強制的に流されている、町にあふれるスピーカー騒音と同じ構図で発生しているのです。

プロ野球の応援騒音とは、「たかがスポーツの応援だろ?」ではすまない、日本社会に巣食ったとことん根深い問題じゃないのか。私はそう思います。
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Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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