「音」の問題は日本文化の問題です
聴覚というのは、五感の中で嗅覚と並んで最も「さえぎることができない」感覚です。
視覚は目の前に嫌なものがあっても、目をつむったりそむけたりすれば、とりあえずさえぎることができますし、味覚はものを口に入れなければそれですむこと。触覚だってさわらなければ何も感じません。でも「聞きたくない音を聞かされる」ことについては、いくら耳をふさごうがどうしようが、完全に防ぐことはできないわけです。
目に見えないもの、手でも触れられないもの、だからこそ「音」というものとはもっと繊細に接するべきだと思うのですが、日本人は「音」の扱い方があまりにも乱暴で無神経すぎる。

「音があるほうが平和だ、うれしい、安心するetc……」といった感受性を持っている人が世の中にたくさんいるのはわかっていますが(そういう人が大多数だという現実に、私たちはずっと打ちのめされているのですから)、そういう人に「音」というものの「押しつけがましさ」にもう少し気づいてほしい、音の出し方や使い方を考えてほしいというのが、簡単に言えば本会の主旨ということになります。

音の問題というのは、感覚的に「うるさい」というだけでなく、日本人の根っこにある「無意味なやさしさをありがたがる(押しつけたがる)心」だの、「自他の区別が付けられない精神」だの、「形式だけを重んじて中身はどうでもいいという考え方」だの、「『日本人の自然観はとても優れている』という間違ったセルフイメージ」だの、「建前だけでなんの実効性もないメッセージをやたらとありがたがる感覚」だのという、さまざまな日本的社会論・文化論にもつながります。非常に根深い問題です。
こうした点については、私なりにこのブログでさまざまな書き方をしていますが、ブログという性格上、散発的な内容になってしまいますし、私はプロの文筆家ではないので、とてもそんな文化論をまとめて展開する場も実力もありません。

もし、こうした問題に少しでも引っかかる気持ちを持った方がいたら、本会の会員が書いた本、中でも哲学者の中島義道さんの「うるさい日本の私」を読んで、ぜひ「音から考える日本社会の問題」について考えてみていただきたいと思います。そのほうが私の書いた駄文を読むより、よほど「スピーカー音問題の本質」を理解していただけます。

中島氏については会のミーティングで何度か会ったことがありますが、著書の印象通り、ちょっと(いや、とても)変わった人ではあります(笑)。
「なんだかなあ」と言いたくなる点も多々ある人なのですが、それでも、スピーカー騒音についての指摘はやはり的を射ているし、「うるさい日本の私」を書くことで日本で初めて、メディアを通じて広くスピーカー騒音の問題を訴えた力業には敬意を払っています。

「うるさい日本の私」はたいてい、どこの図書館にもあると思います。わざわざ買わなくてもいいので、図書館で借りてぜひ読んでみてください。哲学者が書いたといっても難解ではなく、エッセイ風の「笑いながらすらすら読める本」です。
関連記事


カテゴリ:「静かな街を考える会」について
TOP PAGE

 <<(次)一番大切なのは自分自身の人生

復活するな「振り込め詐欺注意放送」(前)>>
 
■パンくずリスト

TOP PAGE  >  「静かな街を考える会」について >  「音」の問題は日本文化の問題です

■プロフィール

Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

■最新記事
■カテゴリ
■月別アーカイブ

■全記事表示リンク
■ブログ内検索

■会員の著書
■リンク
■RSSフィード
■QRコード

QR

■アクセスカウンター

FC2Ad