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日本人は管理放送が大好き!その2
「『声』の資本主義」読み終わりました。

終章のあたりに少し出てくる、ヒトラーの演説や天皇の玉音放送の話も興味深かった。
玉音放送については、私の知る限り誰も指摘していませんが、いまの日本のスピーカー騒音の氾濫には、やはり終戦時の玉音放送が大きく影響しているのではないか。あれがもともと「お知らせされるの大好き!」「ご注意されるの大好き!」な日本人の性向を決定的なものにし、絶え間なくスピーカー騒音が流れる町を日本の原風景にしてしまったのではないか、とあらためて思いました(著者がそう指摘しているというわけではなく、私の解釈ですが)。

また、ヒトラーのラジオ演説について思想家のマックス・ピカートが著述した文章が多数引用されているのですが、たとえば下記の文の「ラジオ」の部分を「スピーカー騒音」と置き換えてもまったく違和感がありません。

「このようなラジオの世界は、単に無関連的でばらばらだというだけにはとどまらない。ラジオの世界はまた、関連のない状態を製造するのである。というのは、ラジオの世界は、もろもろの事物がはじめからお互いに連関しないように――だから、事物自体が消え失せる以前にそれらがつぎつぎに忘れ去られてゆくように――そのように事物を製造する。つまり、ラジオの世界は、はじめから忘却の雲のなかに浮かび出るのである。ところで、このようなばらばらの外部世界は、人々のこころが世界の事物を一定の連関において受け取る能力をまったく欠いていること、――つまり人間の内部が世界の諸事物をあるがままに、あるがままのものとして、そして、それらがそれぞれの本質に従ってたがいに連関し合っているようには捉え得なくなっていることを前提としているのである」

また、次の文では、「ヒトラー」を「駅員」なり「スーパーやコンビニの店員」なり「防災無線」なり、つまり現代の日本のスピーカー放送や「やまびこ挨拶」等の騒音として読み替えても、まったく違和感がありません。

「聴衆だけでなく、ヒトラー自身があまりに無関連的であったから、彼も日々命令によってはじめて一つの明確さ、一つの中心点を、自己自身に与えることができたのである。彼は聴衆に向かってだけではなく、自己自身に向かっても日々命令を叫んでいたのだ。ヒトラーは日々命令によって聴衆を創造したように、またそれによって自己自身も創造したのである」

保育園から病院まで、近所のコンビニから観光地まで、どこに行ってもスピーカー放送や絶叫挨拶、マニュアル接客だらけの日本は、まさに「あまりにも無関連的でばらばら」で「自己自身に向かっても日々命令を叫んでい」る世界だと思います。
こうした点に着目した社会学的、心理学的、あるいは思想的、哲学的、現象学的な――まあなんでもいいんですが――調査や研究・思索というものが、日本ではまったくと言っていいほどなされていないのは不思議です。
それだけ、99.9%の日本人にとってスピーカー騒音は「あって当たり前」というふうに体に染みついてしまっているんでしょう。
どれだけ高潔なことをのたまおうが、国家や政治や社会や人生や環境を論じようが、この、町にあふれるスピーカー騒音に「気づかない」学者だの識者だのの言うことは、結局のところ間が抜けているとしか思えません。
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Author:静かな街を考える会 別館
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