おせっかいばかりのアナウンス
本日の朝日新聞夕刊。作家の池澤夏樹氏が言葉を巡る連載エッセイの中で、若干ですが「鉄道アナウンス」について触れています。それについて少々意見を。
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私は特に言葉を扱う作家や、音楽を扱う音楽家で、「スピーカー騒音」「アナウンス騒音」「音楽騒音」「接客騒音(どう考えてもおかしなやりとりを強要してくる接客やしつこい挨拶、絶叫呼び込みなど)」などについて、「おかしいのでは?」という意見を少しも持っていない人は信用できないと思っています。
その中で池澤氏は、確かほかにも「過剰なアナウンスはおかしい」といったテーマのエッセイを書いているはずで、現代の作家の中では珍しく「スピーカー騒音への違和感」をある程度は持っている方だと認識しています。しかし、それでもまだもの足りません。

今回のエッセイの中盤にある、「東京モノレールの車内放送で、日本語、英語、中国語、朝鮮・韓国語が流されている」のくだりですが、まず、私はモノレールにもう10年以上乗っていないので、いつの間にか4カ国語ものアナウンスが流されるようになっていたとは知りませんでした(きっと、異様なまでに長い放送なんでしょうね)。
このアナウンスについて池澤氏は、エッセイの材料の一つとして触れているだけなのですが、私は「いくらなんでも、4カ国語は多すぎるのではないか」と思います。羽田空港直結のモノレールという特性を考慮しても、日本語と(事実上の国際標準語である)英語だけあれば十分でしょう。

私は海外旅行といっても、観光でアジアの何カ所かに行ったことがあるだけなので、それ以外の場所のアナウンスについてはよくわかりません。
しかし、観光であっても、ビジネスであっても、果たして海外から来た旅行者は異国で母国語のアナウンスが流されたからといって、本当に喜ぶものでしょうか。「便利だな」などと思うものでしょうか。私は疑問です。
まず観光だとしたら、観光というのは「異文化に触れ、その中で右往左往しながら新しい発見をしたりすること」こそ楽しみなのですから、せっかくの異国滞在中に「母国語のアナウンス」などあったら、私ならむしろ興ざめしてしまいます。
鉄道アナウンスで言えば、「出発前に情報収集をして」「現地に行ったら路線図とにらめっこして」「それでも降りる駅や乗る列車などが分からなければ、辞書を引き引き現地の人に尋ねたりする」ことこそ、旅行の醍醐味というものではないでしょうか。
私が仮にニューヨークに行って地下鉄に乗り、ご丁寧に日本語で「次はニューヨーク駅です」などというアナウンスを聞かされたとしたら、「それじゃニューヨークっぽくないじゃん!」と、むしろやるせない気持ちになると思います。
ビジネスならなおさらです。ビジネスで海外に行く場合、たいていは「その国に関係者や知り合いがいる」「通訳やガイドがつく」などして、行動を共にするものじゃないでしょうか。ならば、母国語のアナウンスなどなくてもかまわないはずです。

どうして、日本人というのは、4カ国語ものアナウンスを流すなどという「よけいなお世話」が大好きなんでしょうか。
よく日本人は、自分たちのセルフイメージとして「おもてなしに優れている」などと言います。「海外のビジネスライクな接客とは違い、日本人は心のこもったおもてなしができる」などといい、日本人に向けてでも外国人に向けてでも、過剰な「おもてなし」をアピールする企業がどんどん増えています。
しかし私に言わせれば、日本人のおもてなしというのは「他人が怖くて怖くて仕方ない」「あとで何か言われたらたまったもんじゃない」という「恐怖心」を抱いているから、「文句を言われないよう、バカ丁寧にあれもして、これもしておかなきゃ」と考えているだけの、単なる過剰で卑屈な自己防衛手段でしかないと思います(あまりにも複雑な敬語や挨拶の手順なども同じ)。
こんな文化、誇るようなものでもなんでもないですよ。

次に、エッセイの終盤にある、東京メトロと札幌の地下鉄のアナウンス(の英語部分)についてです。
私は札幌の地下鉄のことはわからないのですが、池澤氏は「音を一つずつ着実に手渡すように言う」好ましいアナウンスと書いています。
本当に「好ましい」ならそれでけっこうですが、どうも「着実に手渡すように言う」という表現は、上記の「文句を言われないよう、バカ丁寧にあれもして、これもしなきゃ」と考える「過剰で押しつけがましいおもてなし」と紙一重(というよりほぼ同義語)のような感じがして気になります。

東京メトロのアナウンスについて、池澤氏は読んでいただければわかるとおり、その話し方について「耳障りで嫌い」と一刀両断しています。ここに書いてある耳障りな理由は私も同感ですが、付け加えるならば、メトロのアナウンスは「アナウンサー(声優)のしゃべり方が、ニヤニヤした含み笑いをしているようでとても不愉快」という点があげられます。
人間がしゃべった声を録音して流しているのですから、ある程度感情が含まれるのは当然ですし、感情がまったくなかったら逆に不気味なのですが、どうもメトロのアナウンスはほかの鉄道会社に比べ、「もっと『笑顔を感じる声で!』」というような演出があまりにも露骨で、繰り返しになりますが「あとで文句を言われないよう、バカ丁寧にあれもして、これもしなきゃ!」という「過剰なおもてなし」がひどすぎるのです(もちろん声に込める感情が過剰というだけでなく、メトロのアナウンスはそのしつこさやうるささのすべてが過剰なことは、ここでいちいち書くまでもありません)。

ただし、今年、東京メトロのアナウンスの話者がいつの間にか交代した(少なくとも東西線は)らしく、それ以降、「しゃべり方が、含み笑いをしているようでとても不愉快」というニュアンスについては、ほんの少しですがやわらぎました。
この気色悪いニュアンスは、特に次の駅を告げるアナウンスの冒頭に必ず付ける「本日も、東京メトロ●●線をご利用いただき、ありがとうございます(ニヤニヤ)」というセリフのときにものすごく感じられたので、これが控えめになっただけでも、ほんの少しだけですがほっとしています。
本当に、ほんの少しだけですが。
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