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近隣騒音を擁護するマスコミと学者
土曜日の朝日新聞が、また「騒音擁護」の記事を載せていました。テーマは近隣騒音です。
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この記事の中で、「近隣トラブルに詳しい」八戸工業大学の橋本典久という教授は、「音に対する感受性が変わり、(騒音の被害者が異様なまでに)敏感になっている」「セミやカエルの鳴き声がうるさいから何とかしろ、と(単なるクレーマーとしか思えない)苦情も行政に寄せられる」などとコメントしています(かっこ内は私の解釈)。
そして、社会心理学者で目白大学の渋谷昌三という教授は、「(音にいちいち文句をつけるような)自分の殻に閉じこもる人が増えた」「孤独なほど人と交わりたいという欲求が強ま(る。だから)しつこく苦情を言う人ほど、実はコミュニケーションを取りたがっている」などとコメントしています。

まあ、どうしてここまで「騒音に文句を言う奴は、音に敏感になりすぎた引きこもりのクレーマー」で「本当はみんなさみしい奴なんだよ」とでも言いたげな、さげすみのコメントばかりできるのか不思議です。

住宅地に住んでいれば、炊事や掃除、洗濯といった必要不可欠な「生活音」が、近隣にまである程度聞こえるのは仕方のないことです。しかし近隣「騒音」というのは、そんな「生活音」のレベルをはるかに超えたものだからこそ「騒音」になるのです。
私自身がこれまでに経験し、苦情を言ってきた近隣騒音には、
●住宅地で平気で大音量のエレキギターを弾くバカ
●一日中吠え続ける犬のバカ飼い主
●朝まで酒を飲んでどんちゃん騒ぎを繰り広げるバカ学生
●毎日、必ず同じ時間に30分近く、私の家の前の駐車場でアイドリングを続けるタクシーのバカ運転手
などなどがあります。この夏も、夜中に突然、窓を開けっ放しにした部屋で大音量の音楽を鳴らし始めた近所の住人をやめさせるため、警察を呼びました。

こんな例は枚挙にいとまないのですが、いったい、これらのどこが生活に必要な「生活音」なのか。
生活音ですら、夜中に掃除機をかけたり洗濯機を回したりすれば、特に集合住宅では迷惑になる場合が多いし、「常識外れだよね」というのは、まあまあ大方の人が理解していることでしょう。しかし、これらを超えた騒音を出す「騒音主」というのは、このような「常識」さえ理解せず、自分勝手に、自分の都合で、一般的な生活に必要な範囲を遙かに超えた迷惑な音を出して当然だと思っている連中ばかり。そして、そのことに苦情を言っても理解したり、きちんと対策を取ろうとしたりする頭脳や行動力を持っていない場合がほとんどなのです。
エレキギターなら、私が「住宅地で大音量でギターを弾くのはやめてくれ。どうしても弾きたければ、アンプにヘッドホンをつなげばいいだろう」と言っても相手がなかなか実行せず、ほぼ解決するまでに2年近く、5回ほど苦情を言い続けるはめになりました。
犬の例については、
http://bunkasouonn.blog.fc2.com/blog-entry-87.html
に書いたような経験があります。

子どもの遊び声についても同様です。確かに子どもが公園や道路などの屋外で遊び回るのは当然のことですし、遊べばある程度の「歓声」が発生するのは仕方ありません。それを騒音と感じるか、「ほほえましい」と感じるかは人それぞれレベルが違うでしょう。しかし、日本の社会は、あまりにも「子どもの発する騒音」に寛容で、「人の迷惑になることはやめましょう」「周囲に配慮しましょう」という、きちんとしたしつけをしなさすぎる。それについては、
http://bunkasouonn.blog.fc2.com/blog-entry-59.html
に書いたような考えを私は持っています。
今回の記事も、見出しに「子どもの歓声に『すら』苦情」と書き、「子どもの遊ぶ声に苦情を言うなんて信じられない!」と、騒音に悩む人を一方的に「クレーマー」だと断罪する内容になっています。

記事の中でも触れられている1974年の「ピアノ殺人事件」は、これについて書かれたドキュメント「狂気―ピアノ殺人事件」を読んだことがあるのですが、じつに身につまされました。団地という集合住宅の中で娘にピアノを弾かせるバカな一家のせいで、どんどん精神的に追い詰められていく犯人の気持ちは痛いほどよくわかります。
当時、あの有名な音楽家の団伊玖磨氏は、「日本の狭い家屋でピアノを弾くのは、バスの中で野球をしようとするほど無茶なこと」と言って、音楽家でありながら日本の音楽教育のあり方を批判したようですが、これはもっともとしか言いようのない発言だと思います。
しかし、こうした発言があったにもかかわらず、日本が「騒音に寛容であることを強制する社会」である事実はいっこうに変わりません(それどころか、どんどんひどくなっています)。
特にマスコミレベルでは、このブログで取りあげた一連の記事にもあるように、常に「音を気にする奴こそ異常者」とでも言いたげな論調ばかり。手に余る騒音に悩み、行政や警察に相談すれば、たちどころに新聞が「クレーマーだ!」と「叩いてくる」のですから始末に負えません。

八戸工業大学の橋本典久というのは、確かに近隣トラブルに詳しい研究者という触れ込みで、何冊かの著書も出しているようです。私はそのうちの一冊を読んだことがあるのですが、基本的に「話にならない本だ」という印象しか残っていません。
アメリカで、騒音トラブルを解決するために導入されている制度について紹介している部分は参考になりましたが、根本的にこの人が言っているのは「騒音問題の解決は、お互いの対話や意思の疎通が必要」などというあたりまえの話ばかり。しかし現実には(加害者も被害者もお互いに)「対話もできない、意思の疎通もできない」相手ばかりになりがちだからこそ、騒音問題の解決は難しいのだ、ということをまったく理解していないようです。

目白大学の渋谷昌三の理解はもっと浅い。浅いというより「(騒音加害者が被害者の)話を聞いてやれば、相手がすっきりすることもある」などと、完全に加害者の立場になって「被害者を丸め込む」ことしか考えていない、もっとも最悪な考え方の持ち主のようです。こんな人物が社会心理学者で大学教授だというのですから、教授というのは実に安っぽいお手軽な商売だなあと思います。

こうした考えに全面的に賛同しながらこの記事を書いた朝日新聞の北林晃治、そして八戸工業大学の橋本典久、目白大学の渋谷昌三、この3人はもう少し「騒音問題の本質」を考えてみてはいかがでしょう。
そのために必要なら、私がこの3人の自宅の横に引っ越して、日夜ステレオをかけ、楽器を弾き、夜中でも洗濯機を回したり、犬を鳴かせたりしてさしあげましょう。もし文句を言ってきたら、渋谷教授のおっしゃるとおり、「相手の話を聞き、傾聴の姿勢を見せ、『意外といい人じゃないか』」と思わせて、あなたを「すっきり」させつつも、騒音は一切やめずに生活をしてさしあげましょう。そのとき渋谷教授、あなたはどうしますか?
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市民グループ「静かな街を考える会」会員H・Kのブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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