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ナンセンスも度を越している「幼稚園国家」
 FC2ブログは1カ月間放置していると、画面がバカでかい広告で塞がれてしまうようなので、それを避けるエントリーを書いておきます。
 公私ともにバタバタしているため、しばらくは更新が途絶えがちになるでしょう。でも、ブログをやめたわけじゃありません。ポツポツとでも書き続けていきますので。I will be T-back.

 で終わらせようと思ったけど、それではやはりあんまりなので、また、人様のスピーカー騒音に関する文章を紹介しておきます。東洋文化研究家、アレックス・カー氏の著書『犬と鬼』(2002年)から。

 本書は、主にこの国の醜く爛れきった景観の問題について書かれたもので、スピーカー騒音についてはそれほど多くを割いていません。しかし、景観にしろ音の問題にしろ、その原因は同じ根っこでつながっています。
 『犬と鬼』というなんのことやらよくわからない書名は、そうした日本人の病理を表している言葉。読み進めるうちに「なるほどなあ、そうだよなあ」と思えるようになるはず……なのですが、まあ、どうせならない人が99.9%でしょうね。それこそが、この国の病が重篤であることを示しているわけですが。

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ありがとうございます、ごめんなさい、危険です!

 拡声器が発する命令に従うよう訓練されて、現代の日本人は公共放送中毒にかかっている。ホテルのロビーでも、デパートでも、駅でも、エンドレステープのアナウンスがわめき続ける──忘れ物をするな、切符を出せ、通路は右側を歩け。

 日本は深刻な騒音公害に蝕まれている。エスカレーターには拡声器が取り付けられていて、テープの声がああしろこうしろと、四歳児にでも言って聞かせるようなことを指図する。駅では、「エスカレーターではベルトにおつかまりになり、黄色い線の内側にお立ちください。お子様をお連れの方は、手をつないで中央にお立ちください。ブーツやかかとの細い靴を履いている方は、溝にはさまれないようお気をつけください。手や頭をベルトの外に出すと危険です」と言われる。

 学校教育で重視されるのは挨拶である。言うまでもなく「挨拶」はこの国の魅力的な一面だ。その半面、録音された挨拶や指示の中毒になるあまり、人々はそれがないと寂しく感じるほどになっている。来店を感謝したり、さまざまな情報を伝えたり、迷惑や不便を詫びたり、あるいは命令や警告を伝える言葉から逃れる場所はどこにもない。そのうえに、ブザー、チャイム、ベルのピンポン伴奏が入るのである。

 最もよく耳にするのは、「危険」と「危ない」の二語だ。日常生活は危険に満ち満ちているかのようだ──規則に従っていないと。バスや電車や地下鉄に乗れば果てしない「キケン」の連続で、「お忘れ物のないように」「電車が来ますので後ろにお下がりください」「駆け込み乗車はやめましょう」「ドアに指をはさまれないようご注意ください」「列にお並びください」などの指示がついてまわる。だが騒音はこれだけでは終わらない。国立公園にも京都の石庭にも、スキー場にも大学のキャンパスにも、寺社にも、音響効果つきの録音されたアナウンスが響きわたる。鳥のさえずりと電子音のチャイムがひっきりなしに流れ、甲高い女性の声が、ここは名高い景勝地であるとか、危険だ、迷惑をかけて申し訳ない、としゃべりまくっている。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と芭蕉は詠んだが、今では芭蕉の岩にしみ入るのは、警察がチャーターしたセスナ機から降ってくるアナウンス──「シートベルトを締めましょう。歩行者は左右をよく見て、横断歩道をわたりましょう。こちらは○○警察署です」。『静かさとはなにか』の著者のひとり福田喜一郎は、この種の放送に税金を使う公共機関は、「公共サービス」のなんたるかがわかっていないのだと指摘する。真の公共サービスはどうすればよいかわかっていない官僚は、アナウンスをするぐらいしか思いつかないのだ。福田は、「さしずめ、交通安全協会あたりが、活動しているぞというアリバイ工作のためにでも仕組んだ茶番劇であるのだろう」と書いている。

幼児化

 しかし、アナウンスの送り手についてはこれでわかるとしても、受け取る側の人々がこんな指示や警告を受容し、それどころか求めるのはなぜなのかということだ。アナウンス文化のおしつけがましさについて、福田は次のように書いている。

「日本における管理社会化は極端に私的領域にまで介入していると言えるであろう。もちろん管理化というのは、管理したい人たちがいるだけでは成立しない。それと同時に管理されたいマジョリティが必要条件である。これは社会学で言われている『自発的服従』ということと同質の構造をもつ。つまり管理化は自ら管理されたい人たちが競って実現しているのである。それは高校生や大学生になっても教師に注意してもらいたい生徒や学生が絶えないという事態に結びつく。日本の大学生は、権利と義務を担った大人ではなく、自他ともに『子ども』と称されている」

 キーワードは「子供」である。アナウンスの最大の特徴は、その徹底した子供っぽさである。福田はこう指摘する。「そもそも、あのエスカレーターのそばに流れる『手すりにつかまって』も、駅員の『乗り降り続いて』も、『手回り品に気をつけて』も、どれもこれもが幼稚園向きでありながら、これがれっきとした大人に向けて流されているのだから驚くべき状況であるわけだ」。「幼稚園国家」に見られるナンセンスは度を越していて、とうてい信じられないところまで達している。伊丹市のバスでは、乗客に石鹸を使いましょうとアナウンスしている。葉山の海岸では、「遠くから来られた方はゆっくり休んでから海に入りましょう! 溺れそうになったときは大声で助けを求めましょう!」と注意してくれる。

 かいつまんで言えば、戦後日本の教育システムは、日本の次世代を幼児化しようとしている。どこに行っても「危険!」と「危ない!」の警告が鳴り響いていることは、心理学的な研究が必要だと思わせる。

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カテゴリ:騒音をめぐるあれこれ
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Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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