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廃品回収車への110番通報回数(2015年5月~16年1月)
 仕事が忙しかったり体調が悪かったりで、ブログを書くのが大変になってきたので、内容の薄いエントリーでごまかします。2015年5月以降の廃品回収車への110番通報回数。

5月  0回
6月  2回
7月  0回
8月  0回
9月  1回
10月  1回
11月  0回
12月  0回
1月  1回

 ひと月に現れる業者が6、7台くらいで、そのほとんどは「こちらわああああ」と聞こえてきても、サーッと走り去ったり、あまり家の近くまで寄って来なかったりという状況。「こんなのが居着いたら大変だ」と110番するのは、あいかわらずこの程度の回数で済んでいます。
 確か去年の年末は30日、今年の年始は3日から業者の音が聞こえて身構えていたのですが、すぐにどこかへ消えていきました。それ以降、急に増えそうな気配も今のところなさそうです。

 まあ、「廃品回収車の騒音」については、台数が減ったのも、しつこくうろつく業者が減ったのも、こうして地道に通報しているから──ではなく、あくまでも「たまたま」なのでしょう。
 でも、人様の家のドアや窓を蹴破って、まるで強盗のように侵入してくる騒音には、たとえ台数が少なくてもやるべき対処をしっかりとやる。それだけは変わらない。毎度同じことを書くだけです。

 うちの周囲に限っては、今の状態なら防災無線の乱用、救急車の大音量サイレンや運転手の絶叫、共産党の演説テロ、トラックの過剰な警告音やボイスアラーム、近所の小学校・中学校の金切り声の校内放送などのほうが、廃品回収車よりよほどやかましいかもしれません。
 廃品回収の騒音に関してだけは、ほんの数年でずいぶん落ち着いたなあと思います。

──────

●2010年6月以降の110番回数

2010年6月  2回
2010年7月  5回
2010年8月  8回
2010年9月  7回
2010年10月  8回
2010年11月 14回
2010年12月  6回
2011年1月  4回
2011年2月  2回
2011年3月  1回
2011年4月  0回
2011年5月  1回
2011年6月  5回
2011年7月  5回
2011年8月  1回
2011年9月  5回
2011年10月  1回
2011年11月  7回
2011年12月  4回
2012年1月  3回
2012年2月  1回
2012年3月  1回
2012年4月  3回
2012年5月  2回
2012年6月  1回
2012年7月  2回
2012年8月  1回
2012年9月  2回
2012年10月  5回
2012年11月  3回
2012年12月  5回
2013年1月  1回
2013年2月  2回
2013年3月  4回
2013年4月  4回
2013年5月  0回
2013年6月  1回
2013年7月  2回
2013年8月  4回
2013年9月  0回
2013年10月  3回
2013年11月  1回
2013年12月  1回
2014年1月  1回
2014年2月  3回
2014年3月  1回
2014年4月  0回
2014年5月  1回
2014年6月  0回
2014年7月  1回
2014年8月  0回
2014年9月  1回
2014年10月  1回
2014年11月  1回
2014年12月  1回
2015年1月  1回
2015年2月  1回
2015年3月  0回
2015年4月  1回
2015年5月  0回
2015年6月  2回
2015年7月  0回
2015年8月  0回
2015年9月  1回
2015年10月  1回
2015年11月  0回
2015年12月  0回
2016年1月  1回

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カテゴリ:廃品回収・移動販売
むやみにチャイムを鳴らし、アナウンスをする鉄道会社
 忙しくてブログを更新する時間がとれないので、また、人様がスピーカー騒音について書いた文章を紹介します。
 たとえ20年前、30年前の文章でも、この国でスピーカー騒音がどのように語られてきたか、その記録を残すことには意味があると思うからです。

 今回は、本会の会員でもあった作家、故・城山三郎氏のエッセイ集『湘南―海光る窓』(1989年)から。

──────

江ノ電賛歌

 江ノ電は、いい電車である。何より静かなところがいい。

 駅での余計なアナウンスは一切ないし、発車のベルも、低くて小さい。車内でのアナウンスも、駅名の短い呼称だけ。

 おかげで、景色もゆっくり眺められるし、考え事もできるし、本も読める。《中略》

 それに比べて最悪なのは、名古屋の地下鉄である。各駅間、また各駅毎に、商店名を連呼する。それを埋め合わせるつもりであろうが、公共施設の案内やら乗車上の諸注意等々のアナウンス。つまり、のべつ幕なしのおしゃべり鉄道であり、うるさいことこの上ない。乗るには耳栓が要る。

 この地下鉄の経営者、つまり名古屋市長をついこの間まで三期もつとめた人は、よほど物事を考えることがないか、本を読もうとしない人種に思われるのだが、実は名古屋大学教育学部で教授だったというのだから、あきれる。

 それにしても、このごろ各地の交通機関でこの悪しき「名古屋方式」をまねるところがふえている。うるさいだけでなく、かんじんの駅名を聞き漏らす心配もあるのに、監督官庁の運輸省はなぜ野放しにしているのか、理解に苦しむ。

 ついでにこのごろ気になるのは、各駅でいっせいに「チャイム公害」がはじまったこと。まずチャイムが鳴り渡り、「まもなく──番線に列車が参ります。御注意下さい……」と、テープに吹きこんだアナウンス。

 どの駅どのホームでも、同じ男の声、同じ女の声。心がこもらず、寒々とする。

 それにボタンひとつですむからであろう。むやみにチャイムが鳴り、むやみにアナウンス。「まもなく……」「まもなく……」

 三度も「まもなく……」があったりして、注意のしようがない。「狼が来る」ではないが、これでは注意力が散漫になり、危険は増すばかりだ。

 本当に列車が入りこんでくる直前に、なまの声で鋭く短くアナウンスするのが、何より正確で安全である。交通機関としてはいちばん大事なところで手抜きをしていいものなのだろうか。

 このチャイム公害、駅によって程度の差はある。音量を絞るのはもちろん、できるだけなまの声でアナウンスする駅は、客の安全を考え、まじめに健気にやっている感じだが、無神経にチャイムを鳴らし続ける駅は、手抜きそのものを、その度に確認させてくれる形である。

 いや、国鉄は客にまで「騒々しくなれ」と言いたいのかも知れない。ナイス・ミディなんとかの女三人のあられもない広告ポスター。「ばか騒ぎしない客は国鉄に乗るな」と言わんばかりのポスターである。

「とにかく音を立てたい」「騒々しくしたい」と、チャイムの音は日毎、駅毎、叫び続けている。こうした体質だから、新幹線騒音訴訟など起されるのも、当然であろう。《後略》

どこへ行くJR

 《前略》JRになってから、はしゃぎが目立つ。

 試験的にせよ、プロ野球の結果を放送しようなどというのは、その典型的な悪例である。

 たとえ一瞬でも、それが放送されれば、車内がどよめいたり、ざわつく。体を休めて眠っていた人や、読書中の人、考えごとをしていた人はどうなるのか。

 その辺の配慮が全くなく、客を十把一からげにしている。

 野球ぎらいの人間はいくらでも居る。さらにプロレスやボクシングなどの結果、株価やニュースまで放送しろなどとなったら、いったいどうする気か。知りたい人は、携帯ラジオのイヤホーンを用いればすむのに。

 余計なお世話であり、無責任というか、ふざけた思いつきという他ない。

 おはしゃぎJRは、それにふさわしい相談相手を持つのであろう。JRアドバイザリーと称するグループから、「通勤電車にBGMを流せ」という提案があったという。おそろしい話である。

 音楽には好き嫌いがある。選んでこそ音楽であり、どんな名曲も強制されれば騒音でしかないのに。

 いま、音楽や広告を垂れ流す店や街では買物をしない、という人がふえている。そういうところは利用しなければすむ。

 だが、交通機関は利用せざるを得ないし、しかも見るものとちがって、いやだといっても聞かされる。客は車内にとらわれの身となっており、耳は閉ざすわけには行かないのだ。

 店に買物に来た客の腕をつかまえ、一人残らず聞きたくもない音楽を聞かせ、知りたくもない野球の結果を強制的に聞かせようとしたら、どういうことになるのだろう。

 店の主人は客にぶんなぐられ、客は二度と来なくなるであろう。

 車内の乗客の置かれた状況が、まさにそれである。望まぬ客が一人でも居る以上、余計な放送は厳に慎むべきである。それが客に対する良識であり、礼儀というものではないのか。

 似たようなことで迷惑千万なのは、新幹線などでの車内販売のアナウンス。これは私だけの感じではなく、徳川美術館長の徳川義宜氏も新聞のコラムに「禁音車」をというすすめを書いて居られた。

 それにしても、監督官庁である運輸省は、いったい何をしているのか。

 当然、規制を考えるべきなのに、業者への寄生しか考えていないのか。

 かつて車検制度の見直しに反対したのも運輸省だが、国民にとって存在理由がないどころか、むしろ有害な役所に堕しているのではないのか。《中略》

 東京駅などのBGMの渦。客は安っぽいキャバレー街に居るのかと、錯覚してしまう。

──────

 江ノ電が、今でも静かでいい電車なのかどうかはともかく(乗ったことがないのでわからない)、一読して感じるのは、うるさいうるさいと言いつつも、このエッセイで表現されたスピーカー騒音なら、現在より少しはましだろうな──ということです。
 今はプロ野球の結果を放送されることこそありませんが、〈むやみにチャイムが鳴り、むやみにアナウンス〉を聞かされる鉄道会社の放送のやかましさは、年々ひどくなる一方です。

 私が最近、駅の放送で(大袈裟でなく)衝撃を受けたことがふたつあります。

 ひとつは、ほぼ1年ぶりに東京メトロに(乗りたくないけど)乗ったとき。いつの間にか、乗車した高田馬場から降りた茅場町までのすべての駅で、発車メロディー(しかも、駅毎に異なるメロディー)が導入されていたことです。

 もともと、東京メトロはホームのアナウンスも車内アナウンスも、音量が大き過ぎて不愉快極まりない路線です(だから、できるだけ乗るのを避けている)。特に発車ブザー音の大きさは桁外れ。私は手で耳を塞ぐか耳栓をして、なんとか我慢しながら乗車していました。
 このブザーが音量はそのままに、ジャンジャンジャカジャカとけたたましいメロディーに置き換わってしまったのだから、不愉快さは300%大増量(当社比)です。

 一体全体、あのような音楽(とすら呼べないもの)を無理やり聞かせようとする発想や、聞かせられて「うれちぃぃぃぃぃ!」と喜ぶ感受性というのは、どこから生まれるんでしょうか。
 駅メロなどというものを喜ぶ人たちは、そんなに嬉しいなら、自宅でも童謡だのアニメの曲だのJ-POPだのを一日中聞きながら踊り狂っているはず……ですが、実際にそんなことをしている人はいないでしょう。
 それなのに、駅が勝手に押しつけてくるメロディーを聞かされて、「癒されるぅ」だの「心がウキウキするワ!」なんて幼稚なことを言う人たちの神経というのは、どれだけ前頭葉を働かせても理解できません。

 私は駅で癒されたり、ウキウキしたりしたいとは思いません。電車に安全に乗ることができれば十分。駅を利用するときに何より必要なのは「落ち着いて乗車できる環境」のはずだし、鉄道会社にそれ以上のものを求める(鉄道会社がそれ以上のおせっかいを焼く)のは、どだいおかしなことなのです。
 特に地下鉄の駅という密閉され、音が逃げる場所がない空間の中、100dBにも及ぶ超絶大音量で、ジャカスカジャカスカ音楽を鳴らすという行為が、当たり前のことになってしまったのは異常です。

 この国では新しい駅メロが導入されると、新聞でも「人気アニメの曲が駅メロに」などといちいち取り上げていましたが、それも数年前までのこと。最近では滅多にそんな記事も見なくなりました。それだけ、駅メロが「あって当然のもの」になってしまったのでしょう。
 ますます、電車に乗って外出するのが嫌になる一方です。

 もうひとつの衝撃はJR東日本。最近(こちらも当然、嫌々ながら)乗り降りしたいくつかの駅で、「東北旅行の案内放送」が構内全体に響き渡っていたことです。

 もともと「東北旅行の案内放送」は、ほとんどのJR駅の改札口周辺で流されていました。エンドレスで「東北旅行に行け、切符を買え」と押しつけてくるこの放送のやかましさについては、過去のエントリーでも書いています。

 私はこれまで、複数の駅で「電車に乗るために必要なアナウンスならともかく、旅行の販促放送なんか流すのはやめてくれ。ポスターを貼ったり、みどりの窓口にパンフレットを置いたりすれば十分だろう。金儲けに走るのもいいけれど、もう少し節度というものを持ってくれ」と苦情を言いました。
 しかし、口先だけで「はいはい、ふんっふんっ」と生返事をする駅員は、見事なまでに放送をやめようとしません。
 このアナウンスは駅の判断ではなく、管轄の営業所から「流せ」と指示されるので、ご意見は営業所に伝えておきます、というような返事をしてくる駅員もいましたが、どうせ何もしちゃいないでしょう。

 挙げ句の果てに最近はこの放送が、改札口周辺だけでなく、駅構内の通路やホームに通じる階段でも、何食わぬ顔で流されるようになっているのです。この変化に気づいた人はほかにいないんでしょうか?

 改札口から階段まで、ホームを除くすべての場所で旅行案内を聞かされるということは、改札をくぐり電車に乗るまでの間、完全に絶え間なくアナウンスを聞かされ続けるということです。
 通路で人にぶつかったりしないよう、うまく流れに乗って歩こうと神経を使っているときに、頭の上から「癒しの東北旅行に出掛けてみてはいかがでしょうか!」などと聞かされるのです。
 階段では、ホームから漏れてくる「間もなく×番線に××行き電車が到着します」などの「電車に乗るために必要なアナウンス」を聞き取って、「急ぐか、次の電車にするか」と判断しようとしているのに、わざとそれを邪魔するように「ゆったり温泉とおいしい料理の東北旅行!」と放送するのです。
 こんな、鉄道会社としての本分を忘れたアナウンスを「本末転倒」と言わずに、何が本末転倒なんでしょうか。まるで、泥水で手を洗って「きれいになった!」と喜んでいるような愚かな行為です(なんのこっちゃ)。

 おかしいのは、このような放送をするJR東日本だけではありません。駅という「公共の場」で、宣伝放送を一方的に聞かされることに「ノー」と言わない人たちばかりというのが最もおかしい。そんなこの国の現実には、つくづく呆れるばかりです。

 駅や車内のアナウンスについては、私鉄も含め無茶苦茶なことが山ほどあり、電車に乗るたびに「なんだこれは」と嫌気が差すことだらけなのですが、書いているとキリがなくなるので、今回はこれくらいにしておきます。

 なお、話を城山氏のエッセイに戻すと、氏は〈店に買物に来た客の腕をつかまえ、一人残らず聞きたくもない音楽を聞かせ、知りたくもない野球の結果を強制的に聞かせようとしたら、どういうことになるのだろう。店の主人は客にぶんなぐられ、客は二度と来なくなるであろう〉と書いていますが、これも現時点から振り返れば、まだ牧歌的な感想だったのかもしれません。
 今はどこへ行っても〈買物に来た客の腕をつかまえ、一人残らず聞きたくもない音楽を聞かせ〉たがる店ばかりですからね。
 〈音楽や広告を垂れ流す店や街では買物をしない、という人がふえている〉というのは、いったいどこの国の話だろうと考え込んでしまうほどです。

 忙しいと言いつつ、結局、長々と書いてしまった。

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カテゴリ:駅・車内
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■プロフィール

Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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