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今はなんとか小康状態を保っている「子供の騒音」
 本当は「景観」の話の続きを書くつもりだったのですが、かなり面倒臭いので一度休み、「子供の騒音」について記録中心のエントリーを書いておきます。

 このブログでは、しばらく子供の騒音について何も書いていませんでしたが、これは私の家の周囲では状況が小康状態を保っているから。理由はただそれだけです。

 いわゆる「道路族」については、確か前にも書いたとおり、うちの目の前の道路で叫び狂っていた子供の集団は、いつの間にか現れなくなりました。別に私が対策を講じたからというわけではなく、子供たちの年齢が上がり、毎日同じ道路で遊ぶのに飽きたから現れなくなっただけでしょう。
 キーキー奇声を発しながらバドミントンを始めた小学生女児の集団が出現したとき、すぐ「ここは車も通る道なんだから、バドミントンをしてはいけない。公園に行きなさい」と注意するなど、やってきたことの効果が多少はあったような気もしますが。

 うちのすぐ横にある児童公園からは、毎日、夕方になると幼児から中学生までの子供の絶叫が響きますが、これも少し落ち着いたような感じです。こちらも特に理由があるわけでなく、たまたまそうなっただけですね。
 以前、中学生の集団が本格的なサッカーをしていた時期は、野太い雄叫びやボールを蹴るときの「ダン! ダン!」という低音の響きに頭を抱えたものですが、今のところは幼児が走り回ったり、小学生がボールを投げて遊んだりしているのが中心。
 もちろん「ただブランコを漕いでいるだけなのに、なんでそんなに」と言いたくなるような、喉も裂けよという奇声は張り上げます。それでも声量が大きい中学生の集団よりましだし、そもそも公園がすぐ横にあることを知っていて住み始めた家なので、あまりにもひどい状況でなければ、ある程度は我慢するのが筋だろうと考えているので何も言いません。

 うちから70mほど離れたところにある保育園の騒音は、あいかわらずと言えばあいかわらず。どんなふうにあいかわらずかは以前のエントリーの繰り返しになるので書きませんが、今年は秋の運動会の練習でも大音量の音楽は聞こえてこなかったし、今のところ何かを言うべき状況ではないので黙っています。
 本当は、週に2日ぐらいやって来る男の保育士の絶叫がなければもっといいのですが。
 この保育士は園庭で、「ほーら、ボールがあっち行ったぞ、わーはっはっはっはっ、わーっはっはっはっはっはっ!」、「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ、うほほほほほー、ぬぅおおおおおおおーーーー!」などと、口から内臓が飛び出るんじゃないかというような絶叫を常に上げ続けています。
 数十人いる園児たちのはしゃぐ声より、この保育士一人の絶叫のほうが、はるかにやかましいのだからたまりません。
 別に保育園で子供たちを「黙らせる」必要なんかないけれど、子供を「煽る」必要はもっとないはずです。こういう保育士を見ていると、つくづく「子供の騒音というのは子供自身の問題じゃない。子供を教育する大人の問題なんだ」と感じます。

 保育園の騒音については、今年、東京都が環境確保条例の規制から外してまで「子供の騒音問題なんてないことにする」という、いかにも役人の考えそうな「ごまかし」に乗り出しました。
 この条例「改悪」を前に、都は都民からの意見を募集しましたが、その結果は「『子供の声等に関する規制の見直し』に関する意見募集の結果について」というページにまとめられています。
 もともと、役所の「皆様からのご意見をお聞きします」というのは、ただのアリバイ作り。最初から条例を改悪するつもりなのは見え見えでした。それでも私は意見を送ったし(もちろん反対意見)、それはまとめられた資料の中にも含まれています。

 この条例が改悪される前後、つまり去年の後半から今年の前半あたりは、新聞や週刊誌に「子供の声は騒音か」という記事がよく出ていたようです。
 雑誌についてはいちいち読まないので(読んでも不愉快になるだけだし)、どんな記事が出ていたのかよくわかりませんが、新聞(朝日新聞)を読む限り「子供の声だって、程度と環境によっては騒音になる」という当たり前の論調を見たことは、たった一度しかありません。
 それが、以下で紹介する北海道大学工学研究院教授・松井利仁氏の寄稿(5月13日朝刊)です。

──────

(私の視点)子どもの声 特別視せず騒音規制対象に 松井利仁

 東京都は3月、環境確保条例を改定し、保育所などから上がる小学校就学前の子どもの声を、「音の大きさ」に基づく数値規制の対象から外した。

 背景には、子どもの声が騒音基準の数値を上回り、被害を訴える住民が法廷で争うようになったことがある。都議会では、条例の数値規制が「新たな保育所開設の障害になっている」「子どもの健全な育成を妨げる」といった意見が述べられ、報道でも「子どもの声を騒音とするのはおかしい」といった声が多く見受けられた。

 しかし、保育所周辺で生じている騒音被害は広く認識されているだろうか。保育所の設計・運用によっては、隣接する住居で毎日長時間、テレビの聴取や会話もままならない生活環境となり得る。実際にそこで暮らしてみないと被害は分からない。被害を経験していれば、「子どもの声を騒音とするのはおかしい」とは言えないだろう。

 都条例の数値規制はどういうものか。通常、環境騒音の規制値は、昼間の聴取妨害、夜間の睡眠妨害を防ぐことを主な目的とし、科学的根拠に基づいて定められている。重要なのは、自動車の走行音でも子どもの声でも聴取妨害や睡眠妨害は生じるという当たり前の科学的知見だ。

 都は今後、住民の「受忍限度」を超えるほどなら事業者に勧告や命令を出すという。しかし科学的根拠を欠いた条例で、保育所開設の際の十分な住民への説明や、適切な設計を行わない事業者への指導ができるのか。子どもの声を特別視した条例改定は、「子どもの声は受忍すべき特別な音」との誤ったメッセージを与えるのではないか。

 最も危惧するのは、「子どもの健全な成長」という美辞によって少数の被害者が「受忍」を強いられ、声も上げられなくなる事態だ。かつて「経済の健全な発展との調和」との美辞を伴う環境政策で多くの被害者が生まれ、今も大気汚染や騒音被害が生じている。

 行政には少数派であり弱者であるこのような被害者を保護する義務があり、そのために科学的根拠に基づいた各種規制値が定められている。数値規制は、行政の指導に従わない事業者に対する切り札として残しておくべきではなかったか。

(まついとしひと 北海道大学工学研究院教授〈環境衛生学〉)

(私の視点)子どもの声 特別視せず騒音規制対象に.jpg

──────

 これと正反対なのが、同じ朝日新聞1月17日朝刊の紙面に載った、梅田聡(心理学者)・宇野常寛(評論家)・斎藤慈子(行動生物学者)という、とんちんかんな連中による「(耕論)子どもの声は騒音か」です(不快なので転載はしません。リンクと画像を貼るのみ)。

(耕論)子どもの声は騒音か.jpg

 神戸市の保育園騒音訴訟に関わっているツンデレ弁護士もブログで書いているとおり、これはちょっとひどすぎますね。「共感する心が大切だ!」と言っておきながら、自分たちは騒音に苦しんでいる人たちへの共感ができないこの手の連中の頭の中は、いったい何がどうなっているのかじつに不思議です。
 そもそもこのページでは、「耕論」と言うわりに3人が3人とも「子供の声が騒音なわけねえだろ」、「子供がうるさいなんて言う奴は我慢が足りないんだ」などと決めつけています。一人くらい「子供の声が騒音になる場合もあり得る」という意見の人間を入れなければ、「論を耕す」とは言えないはずなのですが、いったい新聞の「バランス感覚」とやらはどこへ行ってしまったのでしょう。

 特に宇野常寛というひょーろんか様は、「子供の声がうるさいという奴は原発に反対しない奴」などと意味不明な方向に話を広げるだけで、最後は自分でも何を言っているのかわかっていないんじゃないでしょうか。「今日はこのお題でひとつ」と言われ、その場で思いついたことを適当にしゃべるだけのいいかげんな商売は、やめてほしいですね。もっと自らが苦しんで苦しんで、考え抜いたことだけ発言しろ。
 私は「あ、これは読まなきゃ」という本を忘れないようリストにしているのですが、この記事を読んで、何冊か含まれていた宇野常寛の本はすべて外しました。

 最後に。これはネタとして読んでもらえればいいのですが、私の家の前の道路で毎日毎日何時間も叫び狂っていた「道路族」の母親が、こんなTシャツを着ているのを見たことがあります。書いてある文字をネットで検索したら商品画像を見つけました。

もう知らにゃい。Tシャツ.jpg

 さもありなん、というところです。

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カテゴリ:子供・学校・保育園
たった一人の要求で立てられた「スリップ注意」のバカ看板
 今回も「景観」の話題の続きです。

 前回のエントリーにも掲載した、東京・多摩センター駅前のペデストリアンデッキに立てられている「スリップ注意」のバカ看板。

多摩センター駅前ペデストリアンデッキの交通看板01.jpg

多摩センター駅前ペデストリアンデッキの交通看板02.jpg

 これについて、設置責任者(多摩中央警察署と連名)の多摩市に電話し、道路交通課の職員と話をしました。そのときの会話を再現します(2枚目の写真に写っている「喫煙禁止」のしつこい看板にも腹が立ちますが、とりあえず無視)。

 以下、わかりやすいよう、私の名前を福山(福山雅治)としておきましょう。
 まあ、名前なんてただの記号です。福山雅治が気にくわなかったら、レオナルド・ディカプリオとでも読み替えてください。ジョージ・クルーニーでもいいや。はっはっは。

──────

福山 もしもし。私、福山雅治またの名をレオナルド・ディカプリオと申します。そんなことはともかく、多摩センター駅南口のペデストリアンデッキに、自動車のイラスト付きで「スリップ注意」と書かれた看板が、何枚も立ってますね。ペデストリアンデッキは車道ではないし、物理的にも車が進入できないようになっています。あんなところに車を乗り入れるのは、ジェイソン・ステイサムくらいじゃないですか。それなのになぜ、自動車のスリップに注意しろ、という警告看板があるのでしょう。

職員 ペデストリアンデッキに、自動車のスリップ注意の看板ですか……。ちょっと確認してみないとわからないので、お時間をいただけますか。

福山 わかりました。数日後にまたお電話します。なお、このような看板が立てられた経緯についても知りたいので、調べておいてください。よろしくお願いします。

《数日後》

福山 もしもし。私、福山雅治またの名をレオナルド・ディカプリオと申します。そんなことはともかく、注意看板についての問い合わせなのですが。

職員 はい。まず、現地にそのような看板があることは確認しました。それで、おっしゃるようにペデストリアンデッキにあの看板はおかしいので、自動車のイラストがない看板に立て替えることにしました。

福山 ちょ、ちょちょちょちょちょちょちょちょっと待ってください。するってえとなんですか。今後は自動車のイラストがない「スリップ注意」の看板が立ち並ぶ、ということですか。

職員 はい、そうです。

福山 それは、誰に向けた「スリップ注意」の看板なのでしょう。

職員 歩行者ですね。

福山 私には今ひとつ理解できないのですが……。その場合「スリップ」とは、具体的に何を意味しているのでしょう。

職員 たとえば冬の日の朝、道路が凍結すると滑りやすくなりますよね。そのようなときに注意をうながすための看板です。

福山 つまり「スリップ」とは、歩行者が「滑って転ぶ」ことを指してるんですか?

職員 そうですね。

福山 あのー。多摩センター駅前のペデストリアンデッキは、凍結すると特に滑りやすい材質でできているとか、ものすごく転びやすいデザインになっているとか、そのような不具合でもあるのでしょうか。

職員 そういうわけではありませんが……。

福山 ですよねー。私もあのペデストリアンデッキを何度も通ってますが、ほかの道路と比べ「滑りやすくて危険だなあ」と感じたことはありません。それなのになぜ「滑って転ばないよう注意しろ」の看板が必要なのでしょう。そもそも現在の看板はいつ、どのような経緯で立てられたのでしょう。

職員 経緯については、申し訳ありませんが資料が残っていないので、よくわからないんです。たぶん、実際に歩行者が凍結したペデストリアンデッキで転倒し、市に「注意看板を立てるべきだ」という要望をお出しになったから、立てられたのではないかと思います。

福山 資料が残ってないのは仕方ありませんが、率直に言って、その説明では納得できないですね。まずお聞きしたいのは、「転倒して市に注意看板設置の要望を出した歩行者」というのは、何人くらいいたのでしょうね。10人でしょうか、50人でしょうか、100人でしょうか。

職員 おそらく……お一人だと思います。

福山 私もそうだろうと思いますよ。あのペデストリアンデッキが、短期間に何十人も転倒するほど滑りやすい構造だとは思えませんからね。それにもし、そのような危険な場所であったとすれば、必要なのは凍結しても転倒にくい道路に改修するというような物理的な対策であって、看板を立てて注意をうながすことではありませんよね。

職員 おっしゃるとおりですね。

福山 つまるところ、その要望を出した歩行者は、何も問題のないペデストリアンデッキなのに、自らの不注意で滑って転んだだけじゃないですか。たった一人の歩行者が不注意で転び、要求してきたからといって、「転倒注意」の看板をあちらこちらに立てるというのは、過剰反応だと思いませんか。

職員 ただ、市民の安全を守るのは自治体の役目なので。

福山 ですから。さきほども申し上げたように、あのペデストリアンデッキが特に転倒しやすい構造になっているなら、それはすみやかに改修工事をすべきであって、看板を立てれば解決する問題ではありません。でも、そもそもあのペデストリアンデッキは、転倒しやすいわけでもなんでもないんですよ。それは市も認めるわけでしょう? どんな道路でも、路面が凍結すれば滑って転びやすくなるのは当たり前なのだから、要望を出した歩行者がペデストリアンデッキで転んだのは、ただ自分が注意を怠っただけじゃないですか。凍結した道路を歩くとき、転ばないよう自分自身で注意するのは、人間として当然のことですよね。

職員 それは、おっしゃるとおりですが……。

福山 それなのに、なぜ現在の看板を撤去した後、わざわざ歩行者向けの注意看板を立てる必要があるのでしょう。看板の設置には税金を使うのだし、管理やメンテナンスにも費用がかかります。たった一人の歩行者、それも自分が転んだことを市や道路のせいにする歩行者の一言で、そんな無駄遣いをする必要があるのでしょうか。それに、市がわざわざ「転倒注意」の看板を立てるということは、「このペデストリアンデッキで歩行者が転んだら、それは市の責任である」と認めることにもつながるんじゃないですか? 別に整備を怠ったわけでもないのに、わざわざ自らに責任があるかのような看板を立てる必要なんかないじゃないですか。

職員 ……。

福山 あのですね。どんな道路でも凍結すれば転倒しやすくなるのは当たり前なのだから、「注意をうながせ」という要求にいちいち応えていると、道路という道路が「転倒注意」の看板だらけになりますよね。どこもかしこも「転倒注意」と書いてあるということは、逆に言えばどこも等しく「転倒に注意する必要がない」と言っているのと同じです。道路を注意看板だらけにするというのは、そういうことを意味してるんですよ。

職員 ……。

福山 そもそも、その歩行者は自分が転倒したからといって、ペデストリアンデッキを通る誰もが看板で注意されるべきだと要求しているわけですよ。これって、ものすごく人をバカにした考えだと思いませんか。私はわざわざ看板で注意されなくても、凍結した道路は注意して歩かなければ、転倒することぐらい知っています。そんなの、小学生にでもなればわかることですよ。

職員 ……。

福山 もちろん「ここは凍結しているから気をつけよう」と思っていても、転倒するときはします。私だって冬の凍結した道路で転んだことぐらい何回かありますよ。でも、それは仕方のないことだと思っています。道路が陥没していたとか不自然な急斜面があったとか、明らかな不具合のせいで転倒したなら「私が転んだのは、道路の整備を怠った市の責任だ」と文句を言うかもしれませんが、そうでなければ「転んだのは自分の注意が足りなかったせいだ。仕方がない」で済ませるしかないじゃないですか。

職員 ……。

福山 そもそも「看板を立てろ」と要求してきた歩行者は、すでに一度転倒したのだから「自分は、このペデストリアンデッキが凍結すると滑って転ぶ人間だ。気をつけなければいけない」と学習したはずですよね。本人にとってはそれで十分であって、無数の赤の他人に同じ注意をしろ、と市に要求する必要はないはずです。だいたい「転倒注意」と書いた看板を立てたからといって、実際に転ぶ歩行者が減るとはとても思えないのですが、あなたは本当にそんな看板に効果があると思いますか?

職員 ……。

福山 それに「転倒注意」の看板というのは、一度設置したらそのままそこに立ち続けるわけですよね。「冬に路面が凍結すると危険だから看板を立てる」とおっしゃいましたが、それなら、真夏の日中でも「転倒注意」の看板があるのは変でしょう。というか現状の「スリップ注意」の看板が、すでにそうなっているわけですよ。まじめに看板の注意書きを読む私のような人間は、その看板を見て不思議に思ったり、不快感を覚えたりするだけです。何も感じない人たちは、そもそも看板が目に入ってないか、内容を理解しようという気がないということです。そんな看板になんの意味があるのでしょう。

職員 ……。

福山 私がなぜ看板について、ここまであれこれ申し上げているかというと、あの黄色い地に赤い文字のドギツイ看板が立っていると、それなりに落ち着きのあるペデストリアンデッキの景観が台無しになるからですよ。原色の毒々しい看板が鬼のツノのように突き出ているせいで、周囲の雰囲気をぶち壊しています。無意味で汚い看板を立てるより、せっかく開発した多摩センターの景観を保つことを優先しよう──そんな発想も大切ではないでしょうか。

職員 ……。

福山 それから、ちょっと話を戻しますが、そもそも今の看板は、なぜ「自動車のスリップに注意」になっているのでしょう。歩行者に注意する目的で立てたのに、自動車のイラストが入っているのはおかしいですよね。設置するとき、誰もそう思わなかったのでしょうか。

職員 そのようですね……。

福山 あの看板を立てようと企画し、制作し、設置するまでに、何人もの関係者が看板を見ているんでしょう。誰一人おかしいことに気づかなかったんですか。

職員 ……。

福山 それはつまり、無意識のうちに「こんな看板、どうでもいいんだけどね」と思ってるからじゃないんですか。とにかく、現在の看板を撤去した後に新しい看板を立てるのはやめていただきたいですね。せっかく整備したペデストリアンデッキなんだから、無駄で汚らしい夾雑物は少しでも減らしましょうよ。これで、私が言いたいことはすべて申し上げたのでよろしくお願いします。

──────

 会話の中に書きそびれましたが、この看板について市に問い合わせをしたのは、私が初めてのようです。多摩センター駅前のペデストリアンデッキは一日何千人か、何万人かの人が通っているはずなのに、これまで誰一人、あの看板について「おかしいのではないか」という意見を寄せた人がいない。これが一番残念なことです。

 まあ、何をどう言っても、新しい「歩行者の転倒注意」の看板は立てられ、無意味な警告を発し、ペデストリアンデッキの景観をみすぼらしいものにし続けるんでしょう。
 もし、多摩センター付近の住人で、この「人様を何もわからない幼児扱いする看板」に腹が立つ人がいたら、多摩市に苦情を言ってはいかがでしょうか(いるとすれば、ですけどね)。
 「滑って転ぶの注意!」と言われバカ扱いされるのは、この看板の前を通るすべての人なんですよ。

 次回もまた、景観(看板)の話が続くと思います。

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カテゴリ:景観
多摩センター駅前の「スリップ注意」はバカ看板の代表
 今回も、前回のエントリー「日常の生活圏から荒廃していくこの国の景観」の続きを、ちんたらちんたら書いていきます。

JR横浜線中山駅南口商店街.jpg

 この、JR横浜線中山駅前の景観があまりにも醜くて、思わず写真を撮ってしまったわけですが、ここにある醜さを構成している要素は、じつのところかなり単純です。

●高さも形もデザインもバラバラなビルと、その汚らしい並び方
●建物の壁面にへばりついているものはもちろんのこと、縦横あらゆる方向に飛び出して、攻撃的に人の視線を奪おうとする無数の商業看板・のぼり
●乱立する電柱と街灯。そこから延びて頭上を這い回るグロテスクな電線やケーブル類

 ほぼ、これだけです。
 商店街によっては、ここに「万国旗」だの「セルロイドのビラビラ造花」だのという、いかにも日本的でチープなアイテムが加わったりするのですから、じつは「中山駅前が特に醜い」ということもないのでしょう。

 それでも、一目見て「きったねええええ!」という印象を抱いたのは、この場所の場合、電線のインパクトが強烈だったからなのかもしれません。
 前回のエントリーで紹介した、松原隆一郎氏の著書『失われた景観―戦後日本が築いたもの』にも同じようなことが書いてありましたが、電線は道路に沿って延びているぶんには、まだ我慢できる。でも、中山駅前のように電線が道路を横切って、視野を分断するように這い回る光景は、見苦しくてとても耐えられるものではありません。

 ところで、松原氏はこの夏『無電柱革命』(まだ読んでないけど)という本を出版し、政治家にも働きかけ、電線を地中化する活動を進めているようです。ツイッターをちらっと見るとシンポジウムを開いたり、国会議員や全国の自治体首長とともに無電柱化を進める会を設立したりして、本格的に活躍されている様子です。

 言うまでもなく、私も地上から電柱や電線を減らすのは大賛成です。
 政治家や役人がこの問題に急に熱心になったのは、景観のことを考えたからではなく、「電柱は災害時に倒れたりして二次被害をもたらす」ことに気づいたのが主な理由じゃないのか。じつは、電線の地中化工事で生まれる利権がすんごいおいしいからなんじゃないのか。などと嫌みなことは言わず(言ってるけど)、本心から「少しでも無電柱化が進み、まともに見られる景観が増えればいいなあ」と思います。

 しかし、この国の汚らしい景観の中で、電柱や電線が占めている割合など、ごく一部に過ぎないのも事実です。また、景観に関しては電柱・電線だけでなく、前回までのエントリーで挙げたさまざまな点について、松原氏をはじめそれなりに多くの人(建築家や学者、ジャーナリストなど)が疑問を呈しています。

 ところが、そこからまったくと言っていいほど抜け落ちているのが、

●役所・警察・自治会・学校・PTAなどが立てる注意・道徳・スローガンの看板、のぼり、垂れ幕、ポスター、貼り紙

 の問題なのです。

 次の写真は、中山駅と同じく数カ月前に仕事で何度も通った、東京・多摩市の多摩センター駅南口に広がる、ペデストリアンデッキに立てられている看板です。この「スリップ注意」の看板を見て、何かおかしいと感じないでしょうか。
 自分がペデストリアンデッキ(空中回廊)を歩いていると想像しながら見れば、一瞬でわかるはず……だと思うのですが。

多摩センター駅前ペデストリアンデッキの交通看板01.jpg

多摩センター駅前ペデストリアンデッキの交通看板02.jpg

 私は一目合ったその日から、この超ウルトラスーパーエキサイティングバカ看板のことが忘れられなくなり、日毎にムカムカが迫り上がってきました。とても我慢できそうになかったので、数週間前、設置責任者である多摩市役所に電話をし、道路交通課の職員と話をしました。
 そのときの会話にはインド人もびっくり! ということで、また次回に続きます。

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カテゴリ:景観
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■プロフィール

Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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