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ただ「聞かない態度」を養うだけの防災無線
 たとえば、1年ほど前にこんなことがありました。
 京王線調布駅前の喫茶店でコーヒーを飲んでいると、外から「ぼひらわぁじょうふじやくじょでずう。ごどおだぢがぎあうすうじがあんどなりまじだあ。じゅういのおどなはびばぼっでぐだざい」というような、くぐもった声が響いてきたのです。

 実際に聞こえてきたのは「§∥〃♂〆※★―~♪◇¶●》@♭〓」という、ただの解読不能な音。午後1時過ぎという時間や音量から、「どうせ、防災無線の『子供を見守れ放送』だろう」と判断しただけです。
 正確な文言もわからないし、大人の声なのか、それとも、この手の放送によくある、わざわざ子供に録音させた「私たちを見守ってください」という薄ら寒い(子供の人権や自尊心を無視した)放送なのかも判別不能でした。

 不思議なのは、こんな「正体不明の大音量放送」が聞こえているのに、店内にいる人間が誰一人、気にも留めていなかったことです。
 このとき、店の中には30人ほどの客がいました。私は不気味な音が響いてきたので、読んでいたエロ本から顔を上げ、うんざりした気持ちで「なんだろう」と注意を向けましたが、周囲を見る限り、ほかにこの放送を聞き取ろうとしている人は皆無。
 放送が始まる前と同じようにスマホをいじったり、書類を見たり、連れ合いとしゃべったり、イヤホンで耳を塞いだりしているだけ。「なんの放送? よく聞こえないけど何か起きたの?」と話題にしている客もいません。
 もちろん、放送内容を確認するためにわざわざ店を出る客など、いるわけがありません(もちろん、私もそんなバカなことはしません)。
 誰もが無関心なだけです。

 「市民全員(正確には『そのとき、市内にいる人間一人残らず』)に、この放送を聞かせてやる!」と、大音量で喚き散らす防災無線の放送。でも、この喫茶店のように「何かを喚いているのはわかるが、なんと言ってるのか聞き取れやしない」場所で、その放送に注意を向け、積極的に理解しようとする人はいません。
 オフィスビルや商業施設など、もっと防音のしっかりした屋内にいれば、そもそも放送はまったく聞こえません。
 その反面、路上や自宅にいると、そのとき何をしていても、何を考えていても(仕事に集中していようが、頭が痛くて寝ていようが、堀北真希食ったなんとかいう俳優許さねえちくしょうと転げ回ってようが)、耳をつんざく大音量で無理やり放送を聞かされます。
 なんとも理不尽で、ただの無意味な騒音でしかないのが防災無線です。

 10万人、20万人という人間に、一斉に「これを聞け、こう行動しろ」と強要するような放送は、よほどの緊急事態に限られるべきです。
 時報だの、音楽だの、子供を見ろだの、子供は帰れだの、振り込め詐欺にひっかかるなだの、バザーをやるから来いだの、狂犬病の注射に行けだの、納税しろだの、水を飲めだの手を洗えだのと(ほんと幼稚だね)、緊急性ゼロの放送を日々垂れ流しているから、「なんか放送してたみたいだけど、なんだっけ? まあいいや」という「ロバの耳」が、無意識のうちに出来上がってしまう。
 路上で防災無線の放送を聞かされると、私は耳を塞いで我慢しますが、目の前で井戸端会議をしている主婦などは、何食わぬ顔でケタケタケタケタ会話を続けています。おそらく、この人たちに「今、防災無線から何を放送してたかわかりましたか」と聞いても、「えっと、なんだっけ?」という答えしか返ってこないんじゃないでしょうか。
 こうして、立派なロバの耳が鍛え上げられるわけです。

 真面目に放送を聞く(聞いてしまう)人ほど「うるさい!」と腹を立て、無関心な人間にはなんの影響も及ぼさない。こんな放送が町中に、当たり前のように鳴り響いている国というのは異常です。
 防災無線などという無駄なものに費やす時間とコストを、実際に災害時に使う避難所を整備したり、食料を備蓄したり、老人を集めて振り込め詐欺被害防止の講習会を開いたりという具体策に振り分ければ、少しは現実的な効果も積み上げられるだろうに、ただ無闇に喚き散らして「何を言われても聞かない態度」を養うために奮闘している。
 日本の「防災政策」なんてアホの極みです。

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カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
「心はいつも古代人」のまま変わらない日本人
 「静かな街を考える会」は「拡声器騒音を考える会」という名称で1984年に発足し、機関誌『AMENITY』第1号を翌85年に発行しました。
 私はその頃のことを知りませんが、創刊号の巻頭を飾っている当時の代表と会員による座談会を読むと、この30年間で日本のスピーカー騒音問題が何一つ改善されていないこと、それどころかますます悪化の一途をたどっていることがよくわかります。

──────

鼎談 “音”と日本人

梅垣洋一(会社員)
志賀壽美子(主婦)
高梨 明(「拡声器騒音を考える会」代表)

高梨 私どもの「拡声器騒音を考える会」は昨年(84年)七月に発会し、志賀さんと梅垣さんには最初からずっと加わっていただいている訳ですが、皆それぞれ忙しく、膝を交えて話し合う機会が余りありませんでした。今日はひとつ、日頃考えていらっしゃる“音”の問題をざっくばらんにお話していただけたらと思います。志賀さんは西ドイツに行っておられたそうですが……。

 静かなドイツ

志賀 ええ、二年半ほど。三つの都市に住んだのですが、いちばん長かったのがアーヘンという町です。

高梨 どうでしたか、西ドイツは?

志賀 帰国して二年になりますが、帰国当初は西ドイツへ帰りたい、と思わぬ日は一日とてありませんでしたね、正直言って……。同じ経済大国といわれる両国なのに、生活環境の豊かさ、美しさ、静けさの面になるとまったく違うのですから。ドイツでは経済成長より人間らしい生活を優先させるという考えが生活のすみずみまでゆき渡っていますし、「子供と犬はドイツ人に育てさせろ」と言われるほど生活そのものが静かなんです。ましてや拡声器騒音なんて。

 日本では街中はおろか、大自然の中でさえ大音響が氾濫していますでしょ。どこへ行ってもうるさいだけですから、私はもう国内旅行はあきらめたんですよ。主婦にとって楽しいはずの買い物だって地獄の責め苦。商店街、スーパー、デパートなんかの頭の上から浴びせてくる喧噪ぶりには気が変になりそうです。

高梨 日本では選挙のときになると、例の「山田太郎、頑張っています。皆様の山田太郎です。山田太郎最後のお願いにまいりました。山田太郎……」(笑)といった候補者名の連呼がありますが、ドイツはどうなんですか?

志賀 たとえ選挙であろうと、街の中を宣伝カーが走りまわって叫ぶなんて、そんなことドイツ人は許しませんよ。私は直接見なかったのですが、選挙中でもソーセージの屋台か何かに風船などを飾ってビラを配る程度だそうです。

梅垣 街頭演説などは?

志賀 まったく無いですね。駅前でも広場でもガーガー、ピーピーは一切なし。それは静かなものです。西ドイツに限らず他のヨーロッパの国々でも、拡声器騒音を耳にしたことは一度もありませんね。ただ、駅や車内で行先や駅名のアナウンスはありますが、それも一回だけでボリュームも押さえてますから。これは騒音とはいえませんでしょう。

 日本では「投票日は○○日です」などと案内の広報車がまわってきますね。つまり、それは選挙というのが国民の貴重な権利の行使だという意識が日本ではまだ育っていない証拠だと思うんです。主権在民だという思想が。

梅垣 狩り出されて投票に行く、という感じですね。

志賀 そう。私なんかへそまがりだから号令かけられると行きたくなくなってしまう。(笑)当選させたくない人を投票できるというなら行くかもしれませんが。まあ、それは冗談として、投票したい人がいないから積極的に棄権するということもあると思います。

梅垣 あの広報車は、選挙に行った人には無用なアナウンスだし、投票する気のない人には余計なお世話ということですね。

 騒音に鈍感な日本人

高梨 ところで、梅垣さんは私たちの会員の中では数少ないサラリーマンな訳ですけれど、概して会社勤めの人というのは市民運動などに携わるパーセンテージが低いような気がするんですよ。どうですか、そのあたり?

梅垣 そうですね……、会社という組織に属していると、市民運動のような仕事以外の場にエネルギーを費やすことは余り好感をもって受けとめられないのは事実だと思いますね。そのため職場で自分の主張を出して、周囲の人たちが騒音にあふれた日本の社会をどう思っているかはなかなか聞けません。せいぜい一緒に外へ出たときに無用なアナウンスがあったりしたら、「うるさいなあ、君はどう思う?」などと雑談的に言う程度です。

 私の感じでは、私の職場で拡声器音をうるさいと感じている人は一割ぐらいじゃないですか。それ以外の人は全く無関心で、これは日本人全体にいえることだと思いますね。

志賀 言われてみて初めてうるさいと気がつく人もいるんではないですか。私が今まで話をした人たちの中にも「そういえばうるさいわねぇ」などとおっしゃる方、ずいぶんいましたよ。

高梨 このところ、街並みをはじめ住環境を見直そうという気運が高まりつつあるのも事実ですよね。街に緑を増やそうとか、商店街をモールにしようとか、また古い街並を保存しようとか、ブロック塀を生垣にしようとか……。

 騒音では「ちり紙交換車」がうるさいと思う人が多いことも統計に出ていますよね。通産省ではちり紙交換のアナウンスが不評なので、親しみ易い音楽を募集したようですが。

梅垣・志賀 (笑)

 ちり紙交換について

梅垣 規制をする人が音に対して鈍感なんですね。「ちり紙交換の声がうるさい? なるほど、声がうるさいなら音楽にしましょう」といった発想しか持っていないんですよ。まず営業する側の利益が最優先だとする考えは、商売をする側はもちろん、規制する側や利用する側の人も同じく持ち合わせていると思います。

志賀 私はこの問題は日本における“サービスは無料である”という意識と欧米のチップ制度との差とも受け止めています。チップというものは、観光旅行に行かれた方には非常に煩わしいものかもしれませんが、実際に生活してみると、自由を求める実に合理的な精神の上に成り立った制度だと思えるのです。そして自由であるためには自立していなくてはいけないんですね。ですから自分でできることはあくまで自分でする。やむなく人の手を煩わせたらそれに対しては心づけをしよう、という考え方で成り立っていると思えるのです。

 日本はどうかというと、きめ細かなサービスを得意とする国民性だからでしょうが、なにしろサービス合戦が非常に盛んで、受け取る側もサービスは無料と思い込んでいますね。

 ですから、ちり紙交換が成り立っている背景には「うるさいけれども、あの人たちは家までやってきてくれて、ポンと放り出した新聞紙を束ねて持って行ってくれる」という利便性を優先させる考え方があると思います。

高梨 ちり紙交換のアナウンスはうるさいので、特定の業者を決め、例えば月曜なら月曜のどこどこに何時に取りに来てくれるようにと業者と取り決めをしている地域も出てきているようですね。ただ問題は、そうすると今度は業者間の競争がより厳しくなり、景品を付けたり「当社とまぎらわしい名前の業者が廻っていますが当社とは関係ありませんので御注意下さい」とアナウンスで廻ったりね。

梅垣 むずかしいですね。

志賀 競争社会ぶりには疲れます。

高梨 話は変わりますが、学校や役所の流す放送をはじめ、バスの中、デパートなど日本中のあらゆるところで「……しましょう」という注意放送があるでしょう。さっき話に出た投票へのおさそい案内もそうだけど……。やっぱり僕なんか異常としか思えないんですけど。

 日本人は12才

志賀 ほんと。あれね、学校のスピーカーで子供たちを条件反射づけているんですよ。私には校内アナウンスの指示で校舎に入る子供たちと、「足もとに気をつけてお乗り下さい」と言われ、黙々と電車に乗り込む大人の姿がだぶって見えてせつなくなります。

 例えばデパートでスリが発生したとしますよね。そうすると、「店内放送で注意を促すべきだ」式の意見が日本ではすぐ出てきますでしょ。でも自分の懐中物でさえ注意を呼び掛けられなければ守れない体質というのは、やはりおかしいのではないでしょうか。

 それから日本では被害に遭ったりすると、自分の責任だとは考えないで、注意をしてくれなかった方が悪いと責任転嫁してしまいがちですね。自分の行動は自分で責任をもつという意識が低いと思います。それは一つには日本が単一民族で非常に安全な国だったという裏づけがあるからかもしれませんが……。

梅垣 昔、「日本人は十二才だ」と言った人がいましたけど、あれは実に名言ですね。それは単にその当時の日本人を指して言った訳ではなく、日本人の国民性、気質を適確に捉えていると思います。今日、至る所に氾濫している無用としか思えないアナウンスは、日本人が大人も子供も含めて小学校程度の判断力しか持っていないという前提のもとに生まれているんです。

高梨 前の人に続いて、すいたドアからお乗りください。

梅垣 そうそう。自分がもし小学生だったら、なるほどと思えるアナウンスもあるんですけど。子供のときには母親から「ドアはちゃんと閉めなさい」とか「靴は揃えて脱ぎなさい」とか言われますね。でも、ある程度の年齢に達すれば、そのような母親の注意をうるさいと思うようになるはずなんです。「わかりきったことをいちいち言うな」というのは、自我の形成のある段階を越えると当然起こってくると思うんですがね。ところが多くの人にそれが起きていないとすると、“日本人は十二才”説の証明になるんじゃないですか?

 それに、社会が使うエネルギーも無視できない量だと思います。家庭や学校でしつけや教育を行うのは、子供が社会へ出たときに、社会にそういう無駄なエネルギーを使わせないためじゃないですか。

高梨 評論家の犬養道子さんが『アウトサイダーからの手紙』というエッセイ集の中で、何でこんなキザったらしい書名を付けたかというと、自分にとって日本は気が狂うほどやかましい国だ。だけれども周囲の人を見ると、ほとんどの人が苦にもしていないようだ。自分にはそういう日本人の感覚は全く理解できない。だからアウトサイダーからの手紙なんだ、ってなことを書いていらっしゃいますね。

志賀 そうですね。静かにほっといてくれることがサービスであるとする犬養さんとは全く逆の発想に立った考えが支配的ですね。

 バスの中でもコマーシャル

梅垣 電車やバスのアナウンスは、運行上あるいは安全上必要最小限のことを言えばそれでいいのです。閉じ込められた箱の中でコマーシャルまで聞かされるんですからね。特にバスの車内アナウンス(テープ)はコマーシャルの間に停留所名をはさんでいると言った方が正確ですよ。

 それに昔のコマーシャルはせいぜい、「インテリアの○○店前」程度だったのが、今や民放テレビの洋画並みに枕詞が付いて、「あなたの生活にうるおいを与え、豊かな明日を約束する総合インテリアの店○○はこちらです」となりますからね。

志賀 ほんと、長くなったのよね。

高梨 かつては停留所ごとにコマーシャル一件だったのが、このところ絶えまなく流し出した。

梅垣 そう。乗客はバス会社の私有物ではないと言いたい。コマーシャルを止めたためにバス会社の収益が落ちて値上げをしなければならないのなら、料金値上げを選ぶのが筋だと思うんですよ。

志賀 今は昔の村落共同体と違って、さまざまな職業や生活時間、そして価値観の異なった人間が集まって住む世の中なのに、そういう都市生活での基本的な生活ルールが日本の社会にはまだできていないと思うんです。車内放送にしても、それを迷惑だと感じている人が仮に少数だろうといる訳ですよ。それなのに「放送を必要としている人もいるから」という論法。

 私に言わせれば、初めての路線に乗るのなら、事前に所用時間はどの位で、何時頃到着するか、どこで乗り換えるかなんてことは調べておくのが大人だと思うんですよ。ねぇ、そうでしょう?

梅垣 もちろん私たちはそう思いますよ。でもそう言うと、今度は、あなたたちは目の不自由な人のことを考えたことがあるんですか、という意見が出る。

志賀 でも、目の不自由な人たちは本当にあのアナウンスがみんな必要なのかしら?

梅垣 さあ……?

高梨 仮に盲人の方が細かいアナウンスを望んだとしても、それは見知らぬ乗客に尋ねにくかったりするからでしょう。あるいは周囲の人が自発的に助けないからでしょう。シルバー・シート設置の発想と同じですよ。

志賀 指示されないと何もしない国民なんでしょうか。「雨が降ってきましたので窓をお閉め下さい」なんていうバカバカしいアナウンスが流れてきても、うるさいと文句を言う人もいない……。

梅垣 そうしないと閉めないんでしょう。(笑)

高梨 にわとりと卵の関係ですね。でもだからといって御親切アナウンスばかりやっていると、私たち日本人はいつまでなっても十三才になれませんね。

 横断歩道の音楽

志賀 外国旅行へ出掛けてスリの被害にあう日本人がとても多いでしょう。十二才用の注意アナウンスなどしてくれる国などありませんからね。

高梨 さっきの目の不自由の人たちのため、という話に戻るけどね、僕は日本の福祉政策に根本的に欠けているものは、本当に当事者の望むことをしてない点にあると思うんです。障害者の問題、老人の問題、子供の問題、みんな同じです。お互いが社会の構成員、一緒にやりましょ、という感覚、ないですね。

 ちょっと話をそらしちゃったようで申し訳ないんだけど、たとえばね、横断歩道で鳴る「通りゃんせ」の音楽。あれ盲人の方たちが選んだ曲なのかしら? 僕が目が悪かったら、あんな曲で渡らせてもらうの嫌ですね。「そっと通してくだしゃんせ」なんて、ふざけてますよ。

志賀 仮に盲人の人たちが横断歩道が青のときは音楽を流して欲しいと望んだとしても、必要なときだけ鳴るという具合にはいかないのかしら。とにかく、あらゆる面で日本という国は効率一辺倒。やすらぎというものがないんです。障害者や老人にとってはさぞ辛いでしょうね。

梅垣 あの歩道橋なんか特にね。

志賀 あんなものがある限り日本は先進国なんていえませんよ。

高梨 誰でも年をとるんですがね。

志賀 それから、日本人て文句を言いませんね。耐えることが相変らず美徳なのかしら。

 制服好きの日本人

高梨 僕はね、日本人というのは管理したりされたりするのが好きな国民だと思うんです。私事で何だけど、子供を幼稚園に入れるときにね、僕は制服の決った幼稚園だけは絶対入れたくなかったんです。それで、いろいろ電話で問い合わせたところ、僕の住む区──横浜の港南区っていうんですが──には服装の自由な幼稚園は二つしかないんですよ。

志賀 へーえ。

高梨 幸いそのうちの一つが僕の家から近いところにあって大喜びした訳ですが、小学校を除くと中学生も高校生も制服着てるでしょう。公立の場合は標準服って言うらしいんだけど、拡声器でああしましょう、こうしましょうと、それこそ全体主義国家みたいに注意されて、それに反発を感じない国民性と制服好きとは非常に関連が深いと思いますね。

志賀 まったくその通りですね。久しぶりに日本へ帰ってきて何が気持悪いかって、皆同じ制服や同じようなもの着ていること。服装も自己主張のひとつだと思うんですね。疑問にも思わず従っていられるのは、やはり何かに捉われている証拠で、こういう情況からは創造的な物の考え方は生まれにくいでしょうね。

 とにかく、電気的に増幅された音が街中にあふれているのは日本独特でしょ。なぜだろう、そしてなぜみんな平気なんだろうと考えてゆくと、非常に根が深いみたいですね。

梅垣 私たちの会員の中で、駅の発車ベルを「駆け込み促進器」と名付けた人がいますね。実際、ベルが鳴るとみんないっせいに走り出して人にぶつかったりしますでしょ。ベルやアナウンスが長いので走れば間に合うのを知っている訳です。安全を考えたらあのベルはむしろマイナス面の方が多い気がするんですよ。その辺のことも鉄道会社の人たちに考えていただきたいですね。

志賀 あのベルはもう耳がつんざけそうです。それから駅で音楽や小鳥の声を流しているところがありますね。これらもサービス、親切心からなのでしょうが、テープで流される小鳥の声に心の安らぎを覚える人がいるのでしょうか。余りにも発想が貧弱ですね。悲しくなるくらい。

高梨 夕方の六時になると子供たちに帰宅をうながす放送がありますね。あれなども文句を言いにゆくと、緊急のとき用にチェックしてるんだという答えが返ってきますが、共働きの家庭もあるんですよね。そういう配慮が全くない。

梅垣 毎朝「区民の皆様お早うございます」とやるところもありますね。あれなんか夜中に仕事をする人はたまらないと思いますよ。

志賀 “あてがいぶち”が好きなんですよ。

高梨 「やさしく走ろうTOKYO」なんて標語もありますし、あんなもので交通事故が減るのかどうか知りませんが、アナウンスの洪水と日本人のスローガン好きとも何か根がつながっていそうですね。

志賀 うーん。そんな風に考えてゆくと日本の街が静かになるには、日本人の意識そのものが変らなければだめみたいですね。

梅垣 そう、先の長い話ですよ。

高梨 今日は、なんだか日本のケチばかりつけたみたいだけど、僕たちもまぎれもない日本人。つまり、自分たちの国を少しでも住みやすくしようということですよね。ま、気長にやりましょう。今日は、ありがとうございました。

──────

 〈日本人の意識そのものが変〉わることを期待して、〈自分たちの国を少しでも住みやすくしよう〉と、〈先の長い話〉とわかったうえで〈気長に〉取り組んだものの、30年経っても、あらゆるところで〈十二才〉用の放送は増え続けています。
 これを書いている今も、防災無線から聞きたくもない童謡を聞かされ、たった1台の救急車が何種類ものサイレンを鳴らし、同時に「はい救急車通ります道を空けてください!」と連呼しながら走っていきました。耳を塞いでやり過ごすしかありません。

 この座談会で話題に出ているさまざまな放送が、音源の種類が増えたり、説明口調のだらだら長いアナウンスになったりしてひどくなる一方、当時はなかったスピーカー騒音も新たに登場しています。代表的なのは街頭の大型ビジョン(当時もあったけれど、新宿のアルタなどごく一部)や、アドカー(アドトラック)でしょうか。

 せっかく右翼の街宣が減ったのに、今度は左翼が「デモは俺たちの権利だ!」と自分たちの正義を叫び続け、その騒音で苦痛を感じる人の権利を圧殺して平気な顔をしています。
 スーパーでは、ラジカセより設置スペースが小さくて済む小型の液晶モニターが登場したせいで、あちらこちらの棚から「買え買え!」とエンドレスの押し売りをしてきます。
 コンビニ、ファミレス、ファーストフード、チェーン店のコーヒーショップや居酒屋、ユニクロ、家電量販店など、けたたましいBGMと宣伝放送、店員の金切り声ばかりの店も比較にならないほど増えました。ラーメン屋など、飯を食うためにあるのか店員の雄叫びを聞くためにあるのか、わからないような店ばかりです。

 政治屋は相変わらず拡声器で絶叫する「どぶ板選挙」を続け、バスやトラックは周囲に誰もいなくても「左に曲がりますご注意ください」の音声を垂れ流し、ICカードが普及すれば、それに合わせて「しっかり1秒タッチして」などと、「こうするんでちゅよ、ああするんでちゅよ」の放送が増えます。
 先日の新聞に載っていましたが、携帯電話の電波は心臓のペースメーカーに影響を与えないと科学的に証明されているのに、東京メトロは「不安に思う人がいる以上、“優先席付近では携帯電話の電源をお切りください”の放送はやめない」とコメントし、迷信を根拠に無意味なアナウンスを流し続けます(この放送をやめると怒鳴り込んでくる、冷静さのかけらもない利用者の問題でもある)。

 まあ、どれだけ愚痴を書いても仕方がないのでこのへんでやめますが、新たなテクノロジーが出現すれば、それだけ「こうするんでしゅよ、ああするんでしゅよ~」という指示の放送が増えていく。そして「不安だからとにかく放送しろ!」「スローガンを叫び音楽を鳴らし続ければ願いは叶うのじゃ!」という、この国の「論より言霊」の呪術信仰も変わらず続いていく。
 テクノロジーが発達するのに、「心はいつも古代人」のまま変わらない日本人の精神年齢は、相対的に12歳よりさらに下がったんじゃないでしょうかね。

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カテゴリ:「静かな街を考える会」について
BGMが控えめなコーヒーショップの紹介
 他のエントリーで、東京都内のBGMのない喫茶店や、BGMがあってもそれほどうるさくないコーヒーショップをいくつか紹介していますが、その続き。
 味などは一切関係ありません。ただ「やかましくなく、そこそこ落ち着けるかどうか」だけが基準です。

椿屋珈琲店 池袋茶寮

 池袋駅東口を出てすぐ、ビックカメラとヤマダ電機が並んでいる向かいのビルの地下。絶叫と轟音にさらされるキチガイじみた一角にある喫茶店ですが、店に入ってしまえばBGMの音量は控えめ。店員も機械のような紋切り型でなく、もう少し自然な態度で接客をしてくれました。

 とはいえ数年前、吉祥寺駅の井の頭公園側にある系列店「椿屋珈琲 花仙堂」に入ったときはひどかった。BGMが控えめなのは同じでしたが、店員はキーキーキーキー甲高い声で「よろしかったでしょーかあああああ」「させていただきまああああす」のマニュアル言葉を連発。
 最も腹立たしかったのは、店を出る客に必ず「お足元にお気をつけてお帰りくださああああい」と言っていたことです。

 確かにその店は、外を日本庭園風にあつらえ敷石が並んでいたので、うっかりすると年寄りはつまずくかもしません。しかし、それなら老人や松葉杖をついている人、視覚障害者など「これは声をかけたほうがいいな」という相手に「気をつけてくださいね」と言えばいい(店員が外まで付き添ってやればもっといい)。
 そういう判断を一切せず、誰に対しても「お足元にお気をつけくださああああい」と決まり切った言葉を放り投げてくる、電車やバスのアナウンスと同じ「バカの一つ覚えのご注意放送」には、本当にイライラさせられます。
 そもそも敷石がそんなに危険なら、撤去して平らな通路にすればいいだろうに。

 客が一人帰るたびにレジから響く、「お気をつけくださああああい」「お気をつけくださああああい」の声を聞かされながら飲むコーヒーなんて、うまくもなんともありません。池袋の店はそれがなかったので良しとしておきますが。

フォレスティ コーヒー 永山店

 小田急永山駅改札の目の前にある、セルフサービスのコーヒーショップ。小田急系列の店らしいですが入ったのは初めて。「どうせ、やかましいんだろうな」と思いながらでしたが、意外とBGMの音量は小さめでした。

 まあ、店員が「いらっしゃいませこんにちわああああああ」「たいへんしつれいいたしましたあああああああ」などと、コーナーポスト最上段からの投げっ放しコンビニ言葉を連発するのは耳障りでしたが、もう、どんな店に行ってもこの空疎な言葉から逃げるのは無理だとあきらめるしかないんでしょう。

上島珈琲店 成城店

 成城学園前駅南口にあるUCCのコーヒーショップ。うるさいので二度と行かないと決めた「コメダ珈琲店」と同じフルサービスの喫茶店……と思っていたのですが、セルフサービスの店だったんですね。値段は喫茶店とドトールのような低価格チェーンの中間ぐらい。

 表に出ているメニューを見て「少し値段が高いぶん、落ち着かせろよ」と思いながら入店。ここでBGMがガンガン鳴っていたらすぐに背を向けるところですが、そこそこ小さめの音量で落ち着いた音楽がかかっていたので利用しました。

 しかし、ここも店員の脳天杭打ち式マニュアル接客は同じ。特に怒りが湧いたのは、カウンターでコーヒーを受け取った後、「お足元にお気をつけてお持ちくださああああい」と、すべての客に言っていたこと。ここでもまた「足元に注意しろ」です。

 いったいこれは、なんなんだろう。別にこの店は床がぐにゃぐにゃのたうっているとか、配線がうねって凸凹しているというわけではありません。もし、そんな店だったら「さっさと直せよ」というだけで、床は当然のように「平ら」でした。
 それなのに、いちいち「お足元にお気をつけくださああああい」と、老若男女すべての客に言わなければ気が済まない接客というのは実に不思議です。「日本には、まともに歩ける人間が一人もいなくなった」とでも思っているのでしょうか。

 セルフサービスだから、当然、コーヒーを運んでいる途中につまずいてこぼしてしまう客も、たまにはいるでしょう。この「お足元にお気をつけくださああああい」の氾濫は、そういう客に「店の責任でございますううううう」とペコペコして、代わりのコーヒーを無料で提供するのも癪だから、「ほーら、あらかじめ“気をつけろ”と言っただろ」というアリバイ作りのためなのか。
 それとも、相手を見ずに、誰彼かまわず「お足元にお気をつけくださああああい」と言い放つことを「やさしさ」だと勘違いしているのか。

 本当に「やさしい」なら、セルフサービスだろうがなんだろうが、「こりゃ、足元がおぼつかないな」という客のコーヒーは店員が運んでやればいい。そして、普通に歩いている中年のおっさん(私)のような客には、「足元に気をつけろ」などと人を小バカにするようなことは言わないほうがいい。

 飲食店で料理を出した後に「ごゆっくりどうぞ」と言うのは、「こんにちは」や「ありがとう」と一緒で「礼儀の言葉」として受け入れることができます。「そんなこといちいち言われんでも、ゆっくりしたければするし、したくなければせんわ!」と腹を立てることはありません(言い方にもよりますが。「ごゆっくりどーぞーーーーー」とだらしなく語尾を延ばし、いかにも「そう言えとマニュアルで決まってるから付け足しただけー」という言い方なら腹が立ちます)。
 しかし、「お足元にお気をつけくださああああい」というような直截的な「注意」は、相手や状況に応じて言うべきであって、溝がすり減ったレコードのように、ただ自動的に繰り返す言葉ではないはずです。私は「お足元にお気をつけくださああああい」と言われると、「余計なお世話だ!」と言い返すこともあります。

 ま、この店もそうですが、セルフサービスのコーヒーショップは音楽さえ控えめなら、カウンターのない階に移れば店員の声が聞こえないので静かに利用できる。それが唯一の取り柄でしょうか。
 ここ1年ほどの間に入った店で、BGMがうるさくてぶちキレそうになったコーヒーショップは、「エクセルシオール カフェ 都立大学駅前店」「プロント 池袋東口店」などいくつもあります。

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カテゴリ:店・施設・商店街
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Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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