「祭りの苦情」に苦情を言う身勝手な主婦
 そろそろ、「祭りの音がうるさい」という声が上がる季節になりました。

 私自身がどんな祭りの音に不愉快な思いをしているか。それはこれまでのエントリーに書いているので繰り返しません。
 それにしても「祭りの音がうるさいなんて、なんという世の中だ!」などと一方的に嘆き、「正義の拳」を振り上げる人が世の中にはたくさんいるもの。これこそ「厚顔無恥」と言うんだろうなあと思わせる新聞の読者投稿があります。
 朝日新聞の「声」欄に、2年ほど前に掲載された投稿です。

――――――

帰る前に片付けられた灯籠

主婦 ××××(神奈川県 34)

 先日、近所の公園でお祭りがありました。夕方から夜にかけて子どもたちが将来の夢などを描いた灯籠(とうろう)を池に放します。夜の水面にたくさんの夢が光を放ち、神秘的でした。

 しかし、最後の舞台演奏が終わった頃、「もっと楽しみたいところですが、ご近所から苦情がきています」というアナウンスとともに終了。さらに灯籠は来場者の帰りを待たずに引き上げられ、池のほとりに無造作に山積みされました。

 それを目にした6歳の長男は苦笑いし、4歳の娘は「大人はお祭り楽しくないのかな」と言いました。

 人との関わりが希薄になりつつある中、私には騒音に苦情を言う人も、早々に灯籠を片づけたスタッフも、地域の行事を「自分とは関係ないもの」と考えているように映りました。このような態度は、子どもたちに「自分さえよければ」と思わせてしまわないでしょうか。お祭りは子どもが他人を尊重することを学ぶいい機会でもあるのに、とても残念に思いました。

帰る前に片付けられた灯籠.jpg

――――――

 やれやれ、としか言いようがありません。スクラップしてある新聞の読者投稿の中でも、不快指数ベストテンにランクインする内容です。

 <灯籠を池に放します>とあるからには、この祭りはいわゆる「灯籠流し」なんでしょう。
 お盆の時期に先祖の霊を弔って、灯りを点けた灯籠を川に流す。灯籠流しはそういうものだと思うのですが、それが<子どもたちが将来の夢などを描いた灯籠を池に放>すことになっているのは、まあいい。どちらにしろ、灯籠流し自体はこの主婦が言うとおり神秘的で、おごそかな、すばらしい伝統行事だと思います。

 しかし、それならなおのこと、なぜ<舞台演奏>が必要なのか――。まず、ここがわからない。

 先祖の霊を弔うにしろ、子供が将来の夢を願うにしろ、音楽があるかどうかなんて関係なく、親子でしんみり語り合えばいいじゃないか。
 そのとき、バックに流れるのは「リンリンリン」と鳴く虫の音や、風が水面を揺らす「さらさらさら」という音こそふさわしいでしょう。周囲の人たちのざわめきや、(どうせあるんでしょうが)屋台で焼きそばを焼く「ジュージュー」という音も悪くない。遠くからかすかに聞こえてくる電車の音なんかを加えたっていい。あ、向こうの草むらから「アン、アン、ア~ン」と甲高い音がするぞ。新種の虫かな見に行こう!

 そういう「自然の音」に耳を傾けることなく、「舞台の演奏がないと物足りない! 音楽がないと情緒も何も感じられないのよワタシ!」と主張する、この主婦の不感症的ワガママ口調はなんなんだろうか。

 <灯籠は来場者の帰りを待たずに引き上げられ、池のほとりに無造作に山積みされました>
 この灯籠流しが、どのような場所で、どれくらいの規模でおこなわれたのかわかりませんが、いろいろと想像することはできます。なぜ、スタッフは祭りが終わった途端、灯籠を回収したのか。

 ●時間が経つと灯籠が池に沈み、引き上げるのが難しくなるから。
 ●灯籠が川に流れ込むと、回収できなくなるから。
 ●池は川にはつながってないが、排水口(?)に詰まるとまずいから。
 ●池とはいえ、火の点いた灯籠をそのままにしておくわけにいかないから。
 ●この日は日曜日でスタッフは翌日も仕事がある。当日のうちに灯籠を引き上げるしかないから。

 もちろん、本当はどんな理由だったのかわかりません。単に「終わったらさっさと引き上げよーぜ。あーめんどくせー」というだけだった、という可能性もあるでしょう。近所から苦情がくるほどの音楽を流すスタッフをかばう気は私にはないし、この主婦が<無造作に山積みされ>た灯籠を見て、スタッフを非難したくなる気持ちもわからないでもありません。

 でも、灯籠をすぐに回収した理由は何かしらあるはずで、疑問に思うなら「どうして、すぐに引き上げてしまうんですか」と聞けばいい。そして納得がいかなければ「おかしいと思います。もっとこうしたらどうでしょう」と、代案を出して話し合えばいいんです。

 それなのにこの主婦は、スタッフに何も聞かないまま<無造作に山積みされました>と嘆き、夜遅くまで流す音楽が近隣の住人にどんな影響を与えているか想像もせず、ただ、ぶうぶうと文句を垂れているだけ。
 そんなに不満があるなら、自分がスタッフの一員になって「もっと良い祭りにするには、どうすればいいんだろう」と考える選択肢もあるのに、そうした主体的な行動をとる気はさらさらないようです。
 6歳と4歳の子供が<苦笑い>したり、<大人はお祭り楽しくないのかな>とイヤミなことを言うのを誇ったり(しかしこれ、本当かね。話を“盛って”ねぇか?)。ここまでくると「なんてひねこびた親子なんだ」と<苦笑い>するしかありません。

 納得のいかないことがあったら相手と話してみればいいのに、自分は何もせず、子供をダシにまでして苛立ちを新聞に投稿する「正義の味方」もどき。こういう人が最も始末に負えません。
 この投稿の締めは、こんなふうに書き換えたほうがしっくりきます。

 『人との関わりが希薄になりつつある中、私には騒音に苦情を言われたことに文句を言う人も、早々に灯籠を片づけたスタッフに不満をぶつける人も、周囲への配慮を「自分とは関係ないもの」と考えているように映りました。このような態度は、子どもたちに「自分さえよければ」と思わせてしまわないでしょうか。お祭りは子どもが他人を尊重することを学ぶいい機会でもあるのに、とても残念に思いました。』

 自分の言葉が自分自身に返ってくることを、こういう人は気付きもしないんでしょう。

 しかしまあ、このエントリーはイヤミったらしい内容だな。私の頭の中も4歳児並みってことなんでしょう。

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カテゴリ:祭り・路上ライブ
「環境の専門家」も音にはまったく無頓着
 あまり内容のないエントリーです。ただの愚痴。

 数年前、仕事である大学の教授に会うため、研究室に行きました。
 その教授はエネルギーの専門家です。立場としては「原発はやめよう、火力発電も減らそう、風力や地熱を活用した『人と地球にやさしい』エネルギー政策に転換しよう」という人。本音を言えば私はそういう話題にあまり興味がないんですが、仕事が発生したので打ち合わせに行ったわけです。
 研究室は狭いので、と会議用のスペースに案内されました。8畳ぐらいの個室にテーブルと椅子が並んでいます。

 ドアを閉めると、教授がおもむろにパンツを下ろし「さあ、君も脱ぎなさい。むふ」と迫ってきて……ということではなく、打ち合わせはスムーズに始まったのですが、15分ほどすると天井から大音量の校内放送が。
 「学生課から夏期特別講義のお知らせです。履修登録を済ませていない学生は、締め切りまでに必ず……」

 もちろん内容まで覚えていませんが、だいたいこんな感じの放送です。これが個室の天井に設置されたスピーカーからガンガン響いてきて、目の前にいる相手と会話をするのもひと苦労というけたたましさ。
 教授は「うるさいっすよね」と苦笑い。私も「ええ、まあ」とあいまいに返事をするしかありません。しばし見つめ合う二人。

 なんとか放送に負けないよう、大声を張り上げながら打ち合わせを続け、しばらくするとようやく静かに。しかし、また10分ほど経ったところで「お知らせです。理学部の中間試験の日程は……」
 再び、大声を張り上げながら会話をするはめに。結局、1時間ほど打ち合わせをする間に、3回も校内放送を聞かされました。

 もちろん(そんなん、掲示板に貼り出しておけばええんちゃうんか、と言いたくなるようなことまで放送している点をあえて無視すれば)、大学の校内で校内放送をするのは別にかまわないし、いちいち部外者が口出しすることでもないんでしょうが、よくわからないのは、わざわざ狭い個室の中にまでスピーカーを取り付けていること。廊下に流れる放送だけで十分聞こえるのに、どうしてそこまでする必要があるのか実に不思議です。

 しかも、このスピーカーはスイッチを切ることも音量を調整することもできません。教授自身が「ちょっとうるさいよね」と言うから「スイッチ、切れないんですか」と聞くと「切れないんだよ」ということでした。わざわざアンプ内臓のスピーカーを取り付けるわけないだろうから、当然でしょう。

 その大学は理工学系なので、教員には音響を含む「環境のプロ」が何人もいます。私が打ち合わせをした教授は前述のとおりエネルギーが専門ですが、それだって「エコや、エコや!」と言うわけで、まさに「環境の専門家」なのです。
 大学の案内を見ると、お決まりの「緑あふれる××キャンパスは、大きな窓から明るい陽射しが差し込み……」という美辞麗句のオンパレードで「環境の良さ」を誇っています。

 それなのに、校内放送という「音」についてはまったく無頓着。「環境の専門家」が揃って「こんな放送はうるさい。スピーカーは廊下やロビーにあれば十分だ」と教務課にねじ込んだりすれば、少しは改善されるんじゃないの?……という気がしなくもないんですが、たぶん、彼ら自身もそこまでするほどのことじゃないと思っているんでしょう。

 環境、環境と言うけれど、環境って何かね? そんな問い掛けをしてもどうせ無意味なのがこの国なんだろう。ただただ、そんな印象が残った出来事でした。それだけです。

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カテゴリ:騒音をめぐるあれこれ
「切符は目的地まで買いまちょう」と説教するJR東日本
 クイズ「電車の乗り方」の時間です。
 「電車に乗るとき、切符はほにゃららまで買う」。この「ほにゃらら」に当てはまる言葉で、次のうち正解はどれでしょう。

 1.「電車に乗るとき、切符は『目的地』まで買う」
 2.「電車に乗るとき、切符は『終点』まで買う」
 3.「電車に乗るとき、切符は『有り金はたく』まで買う」
 4.「電車に乗るとき、切符は『お腹が痛くなる』まで買う」

 正解は1番「電車に乗るとき、切符は『目的地』まで買う」です。正解者全員に伊東温泉ハトヤホテルの2泊3日宿泊券をプレゼント!

 ……って、こんなクイズを間違える人がいるんでしょうか。もし本当にやったらハトヤが倒産するよ。

 しかし、JR東日本は「世の中『切符は目的地まで買う』ことを知らないアホばかりだ」と思っているようです。去年の7月、JR五反田駅に行ったとき、改札口でこんなアナウンスを聞かされました。

JR五反田駅アナウンス.mp3

 改札の「ピンポーン」をはじめ、周囲の暗騒音がうるさいし音が反響するしでよく聞き取れませんが、要はこれ「電車に乗るとき、切符は目的地まで買いまちょうね~。そうしないと係員が切符を確認するなど時間がかかりまちゅよ~」と言っているのです(後半、「ICカードで乗るときは自動改札機にしっかりタッチちまちょう」とこれまた余計なお世話を言っているのですが、今回そちらは無視します)。

 いったいこれは、なんなんでしょうか。

 私はこの日、五反田駅の改札で風俗嬢仕事の取引先と待ち合わせをしていて、約束の時間の10分前に着いてしまいました。駅の改札で待ち合わせをすると、やかましいアナウンスを聞かされるから嫌なのですが、先方の指定じゃ仕方がない。でも、まさかこんなバカげた放送を聞かされるとは。
 このときは結局、相手が10分ほど遅れてきたので、20分間もこのアナウンスを繰り返し繰り返し聞かされました。1回あたり約45秒なので30回近く。もう気が狂う寸前です。

 でも、改札を通る人も周囲で待ち合わせをしている人も涼しい顔ばかり。こんな放送をする駅員も、何一つ疑問を抱いていないんでしょう。そんな光景を見ると、駅に限らずアナウンス地獄としか言いようのないこの国の状況に、あらためて愕然としてしまいます。

 このアナウンスがおかしいのは、第一に「電車に乗るとき、切符は目的地まで買う」という幼稚なことを、いちいち「JR東日本なんとかキャンペーン」(「なんとか」の部分はよく聞き取れない)と名付けて大げさに放送する必要がどこにあるのか、という点です。

 「電車に乗るとき、切符は目的地まで買う」ことを知らない人間がいるんでしょうか。いるとしてもそれは「まだ電車の乗り方を知らない幼児」「アル中やシャブ漬けで頭がおかしくなった人」「ボケ老人」ぐらいでしょう。そういう人はそもそも「切符は目的地まで買いましょう」とアナウンスしても理解できません。

 まともな文明国の人間が「電車に乗るとき、切符は目的地まで買う」ことを知らないはずはないのですが、キャンペーンと称してまでアナウンスを流すということは、もしかすると日本は去年、初めて鉄道が開通したばかりの未開国か何かなんでしょうか。
 少なくともJR東日本はそう考えているらしいのですが、こんな放送を聞かされて「バカにするな!」と怒らない日本人はちょっとどうかしている。

 次におかしいのは「電車に乗るとき、切符は目的地まで買う」は、必ずしも正解ではないという点です。

 少し考えればわかる(考えなくてもわかる)とおり、電車で「乗り越し」をした経験は誰にでもあるでしょう。新宿で切符を買い、渋谷で降りてキャバクラに行くつもりだったけど、急に予定を変更して目黒のSMクラブに行った(どうしてそういう例になるのか!)。
 そんなときどうするか。窓口や自動精算機で乗り越し分の料金を精算すればいいだけです。

 それは別に咎められることではないし、JRから「切符はあらかじめ目的地まで買いまちょう」と説教されることでもありません。降りるとき、切符を目的地まで買った場合より精算で時間がかかるのも「自明の理」です。
 なのになぜ、こんな放送を頭ごなしに聞かされなければならないのか。

 おそらくこれは、JRが駅員の手間を減らしたいから放送しているんでしょう。今は大抵の駅に自動精算機があるので、駅員の手間など大したことはないはずなのに、それでも窓口に来る乗客を減らしたい。
 自動精算機に行列ができると「オレ様を並ばせるな!」と怒鳴り込んでくるバカな客もいるだろうから、そいつらを撲滅したいという意図もあるのかもしれません。

 しかしいずれにせよ、JRの本音は「係員が切符を確認するなど、お客様にお手間をかけますよ」ではなく、「係員が切符を確認するのが面倒だから、あらかじめ目的地まで買っておけよこの野郎」じゃないんでしょうか。「切符をごまかしてキセルする奴は許さねえぞ」の意味合いもありそうです。それを真綿でくるんだような、おためごかしの言葉でアナウンスしているだけ。

 これは想像に過ぎませんが、どんな理由であれ「切符は目的地まで買いましょう」といちいちアナウンスを流すというのは、いくらなんでも人を見下し過ぎている。そして「歩くときは前を見るのよ!」と同じレベルの説教を聞かされて、怒りもしない99%以上の日本人の鈍感さには、あらためて驚くばかりです。

 まあ、日頃から「手すりやつり革につかまりましょう!」「足元に気をつけましょう!」と、耳にタコができるほど説教されて何も感じないのだから、こんな放送ぐらい屁でもない。そもそも誰も聞いちゃいないというところなんでしょう。去年、このアナウンスがJRの駅で流されていたことを、いったいどれだけの人が気付いたのでしょうか?
 どうせ誰も聞いてないなら、やめりゃいいんだバカバカしい。

 この「なんとかキャンペーン」のアナウンスが、どれくらいの期間、どれくらいの駅で流されていたのか知りません。私が聞かされたのは五反田駅だけでしたが、この日以来、JRの駅に行くのがますます嫌になりました。
 キャンペーンと言うからには、今年もやるんでしょうか。本当にくだらないねこの国は。

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カテゴリ:駅・車内
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Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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