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民営化で「痴の殿堂」と化す最近の図書館
 コンビニに代表される、「いらっしゃいませこんにちわああああ」(「こんにちは」ではなく「こんにちわ」と表記するほうがお似合い)という言い方。
 チェーン店だろうが個人商店だろうが公共施設だろうが、どこへ行っても聞かされるこのアホっぽい挨拶と、それに続くマニュアル語だらけの接客は本当に不愉快です。

 そんななか、余計なことにイライラせずに済む最後の砦「だった」のが図書館。これまでは職員が日常的な言葉遣いや態度の延長線上で、ある程度自然に、人間らしく対応してくれていまし「た」。
 しかし、過去形で書いているとおり、それも昔の話です。私がよく行く市の図書館は数年前、民間事業者に運営が委託された途端「接客態度」が激変。「お客様は神様です」のつもりなんでしょう、揃いの制服を着たコンビニ店員のような職員が、まさにコンビニレベルの定型言葉を連発する場になってしまいました。

 カウンターで本を借りるときのやりとりを例に挙げると、こんな感じ。

 職員 「こんにちわああああ」(男も女も薄ら笑いの「バスガイド声」で語尾を伸ばす。以下、職員の話し方はすべて同じ)
 私 (本と貸し出しカードを出して)「貸し出しお願いします」
 職員 「はいおあずかりいたしまあああす」、(カードのバーコードをスキャンして)「カードのほうおかえしいたしまあああす」、(本のバーコードをスキャンし返却日を印刷した紙を挟んで)「おまたせいたしましたああああ、×月×日までのご返却でえええす、ありがとうございましたああああ」
 私 (苦々しい気持ちを抑えながら)「ども」

 予約していた本を受け取るときは、さらに「うぜー」ことになります。

 職員 「こんにちわああああ」
 私 (貸し出しカードを出して)「予約した本の受け取りです」
 職員 (カードを受け取って)「はいおあずかりいたしまあああす」、(カードのバーコードをスキャンして)「カードのほうおかえしいたしまあああす、少々おまちくださあああい」、(後ろの棚に本を取りに行き、戻ってきて)「たいへんおまたせいたしましたああああ」、(本のバーコードをスキャンして)「おまたせいたしましたああああ、ご予約の本はこちら5冊でよろしかったでしょうかああああ」
 私 (むかつくので返事をしない)
 職員 「……×月×日までのご返却でえええす、ありがとうございましたああああ」
 私 (怒りのあまりキレそうになりながら)「どーも!」

 これのどこが鬱陶しいのか。

 ●鼻にかかった声でだらしなく語尾を伸ばす話し方。
 ●目の前に差し出されたのはカードだと見ればわかるのに、いちいち「カードのほうおかえしいたしまあああす」と説明を付け加えること。「はい、お返しします」で十分だ。「~のほう」という言い方も不快。
 ●ほんの数秒しかからない行動でも、「少々おまちくださあああい」「たいへんおまたせいたしましたああああ」と大げさな「謝罪」を連発すること。こっちは「待たせるな!」などと思ってもいないのに。
 ●自分が予約した本のことぐらい自分で把握しているのに、「こちらでよろしかったでしょうかああああ」と確認を求めてくること。

 本を借りるときだけではありません。何かの拍子に職員と話をすると、返ってくる言葉のなかに「~になりますねええええ」だの、「~させていただいておりまあああす」だの「コンビニ言葉」が頻発します。
 なんだかなあ。「~になります」ではなく、「~です」とスッキリ言えないのかね(私は、この「なります」の氾濫を「成増症候群」と呼んでます。成増というのは東京の地名)。
 それに私が何かを「させた」わけじゃないんだから、「~させていただいております」ではなく「~しています」と、主体的な言い方をすればいいのです。

 さすがに、カウンターで「いらっしゃいませええええ」「またご利用くださいませええええ」とは言われないし、館内で職員とすれ違うたびに「いらっしゃいませこんにちわああああ」「どーぞご利用くださいませええええ」と、「すれ違い挨拶」や「やまびこ挨拶」を繰り返されることもありません(今のところ)。
 しかし、民営化された図書館はコンビニやスーパーとあまり変わらない、「過剰にへりくだる態度やものの言い方」だらけの不愉快な場所になってしまったのです。

 その究極が、子供への対応です。
 これまで、その民営化された図書館で、職員が子供に「こちらでよろしかったでしょうかああああ」「カードのほうおかえしいたしまあああす」などと言っているのを何度も見て、私は腹を立てていました。

 ある日、我慢しきれなくなり職員(40歳くらいのおばさん)に「大の大人が子供相手に、そこまでへりくだる必要がありますか。『これでよかったかな?』とか、『先にカード返すね』とか、もっとふさわしい言い方があるじゃないですか」と言ってみました。
 しかし、職員は「わけわからんちんだわ!」という顔をするだけ。「子供だって大切な利用者様。その利用者様に丁寧な言葉で話しかけているのに、なんで文句を言われなきゃならないのかしら」とでも言いたげな表情でした。

 何も返事がないので「あなたは、子供相手にそんな言葉遣いをすることを、いいことだと思ってやってるんですか?」と質問しても口籠もっているだけ。「マニュアルで決まってるから、仕方なくそういう言い方をしてるのかもしれませんが、あなた個人はどう思ってるのか、それをお聞きしたいんですが」としつこく食い下がると、その職員は胸を張って言いました。
 「はい、素晴らしいことだと思っています!」

 そっかー。小学生や中学生、それどころか幼児にまで「よろしかったでしょうかああああ」「おかえしいたしまあああす」という口の利き方をするのが「素晴らしいこと」なのかあー。私は「大変ベンキョーになりました!」と言い捨てて立ち去るしかありませんでした。

 なんの本だったか覚えていないのですが、ファーストフード店で小学生に「お煙草のほうはお吸いになりますかああああ」と言った店員のエピソードを読んだことがあります。それと同じレベルの「接客」が、ついに図書館でも始まってしまったかと思うと、これはもう愕然とするしかありません。

 別の図書館(そこも民営化されている)では、入口のすぐ横にカウンターがあり、利用者が出入りする度に職員が「こんにちわああああ」「ありがとうございましたああああ」と言ってきます。
 ある日、私が館外のトイレに行くため外に出ようとすると、職員が「ありがとうございましたああああ」と声を掛けてきました。そして2分後に戻ってくると、何事もなかったように「こんにちわああああ」……。

 これが典型的な「人間自動ドア挨拶」です(これも私が勝手に名付けた)。目の前を通る人を個別の人間として認識するのではなく、ただ動くモノに反応するセンサーのように「こんにちわああああ」「ありがとうございましたああああ」と繰り返しているだけ。

 その図書館は小さい分館なので、私がトイレに行って戻ってくるまでの2分間に、他の利用者が出入りしたとしても、せいぜい一人か二人でしょう。ゼロだった可能性が一番高い。
 たったそれだけの人数なんだから、目の前を通る利用者を見ているのなら「この人はさっき出ていったばかりだ。トイレに行って戻ってきたんだろう。同じ人に何度も『こんにちは』を繰り返すのはおかしいな」と瞬時に考えて、せめて戻ったときの「こんにちわああああ」は言わずに「見て見ぬ振り」ができるはず。

 そういう判断をせず、音声装置が付いた自動ドアのように「こんにちわああああ」「ありがとうございましたああああ」と繰り返す職員は、利用者を「ただの物体」と見ているのと同じこと。これは丁寧どころか、とてつもなく失礼な行為だと思います。
 そもそも、斎藤工そっくりのイケメンである私を見て、2分で忘れるというのが信じられないんだよなあ。(←ついに壊れたか)

 以前の図書館は、職員の対応が完璧だった――と言うつもりはありません。自治体が直接運営していたころは、まずまずまともな人達に混じって、驚くほど横柄な態度の職員が何人もいました。

 後者は(たぶん)定年退職後に契約で市に雇用されたか、シルバー人材センターみたいなところから派遣されてきたおっさんじゃないかと思いますが、こういう人たちの態度は無駄にでかい。
 こちらが「お願いします」と本を出しても、「はい」の一言すら言わない。むっつり不機嫌そうな顔で本を受け取り、そのまま黙って突き返してくる、ということが何度もありました。表情を見ると、明らかに「なんで一部上場企業の部長を勤めて愛人までいたわしが、こんな場末の図書館に座らにゃならんのだ」と書いてあります。

 こういう高慢ちきなおっさんは論外ですが、それでも「その人らしさがある」と言えなくもないし、「ちょっと態度悪いですよ」と言って改善させることもできます。
 しかし、子供相手にへりくだることを「素晴らしいと思います!」とのたまうような、善意をコールタールでガチガチに固めた心でコンビニ接客をする職員には、「その慇懃無礼さがいかんのです」と言っても通用しません。

 すっかり「知の殿堂」から「痴の殿堂」に成り下がってしまった民営図書館。ブックオフ化も近いこの図書館には、もう一つ「館内に鳴り響く電子音」の問題もあるのですが、それについてはまた気が向いたら。

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カテゴリ:店・施設・商店街
廃品回収車への110番通報回数(2014年11月~15年4月)
 2014年11月の廃品回収車への110番通報は1回。12月も1回、15年1月も1回、2月も1回、3月だけ0回、4月は1回でした。

 最近は、この廃品回収車の騒音についてはあまり変化がなく、書くことがありません。
 相変わらず、業者が現れるのは月に6~7台くらい。(おそらく)業者の自滅で以前より台数が減ったのはうれしいですが、これがゼロになることはないんでしょう。スピーカー騒音にとことんまで甘い国で、そんな期待をしても無駄なだけ。
 今、110番するのはよほど長時間徘徊されたときか、家の前の道路まで進入されたときに限ってますが、その回数がここまで減少しただけましだと考えなければならないのかもしれません。

 一つ気になったのは、最近、遠方からの業者が立て続けに現れたこと。ここは東京ですが、4月に110番したのは湘南ナンバーの業者だったし、その前、3月には群馬ナンバーまで現れました。

 湘南ナンバーは以前からたまに見かけることがありました。ほかに春日部、熊谷、とちぎ(なんでひらがななんだ? 恥ずかしい)などもあって、今度は群馬か。
 しかもこの群馬ナンバーの業者、なんとハンドルの上にまんが雑誌を置いて、読みながら運転していたのだから驚きです。こういうのがねえ、野放しにされてていいのかねえ。群馬ナンバーなななないちになんだけど。
 110番した湘南ナンバーの業者は、堂々とケータイで話しながら運転してたし。

 まあ、当面はこのまま、しつこい業者は110番というやり方を続けるしかないんでしょう。

 で、いきなり話が変わるようですが、「SFマガジンが隔月刊になってしまった」と知って、それも時代の流れかと図書館で隔月化1号目をぱらぱらめくったところ、椎名誠氏の連載エッセイ「椎名誠のニュートラル・コーナー」が、廃品回収を含めたスピーカー騒音の話題でした。

 椎名氏は以前のエントリー『椎名誠氏が本会の活動に言及』でも紹介したとおり、日本の拡声器騒音について「なんなんだ、この状況は」と問題意識を持っている方のようです。この連載はユーモア脱力系エッセイなので、そうした状況をおもしろおかしく書いていますが、ほんの一部を紹介します。SFマガジン15年4月号から。

――――――

椎名誠のニュートラル・コーナー

「猛蛇注意」
日本では、機械がよく喋るのだが、あんまりしつこいのもどうかと思うぞ。

おねえちゃんとクマゴロウ

 諸外国の事情はくわしくはわからないが、日本には「喋る機械」がうんとこさある。

《中略》

 毎日自宅で仕事をしていて嫌でも何回も聞かされるのは「不要品回収」の軽トラックのかなり不必要にボリュームをあげた「回収」のよびかけアナウンスだ。「回収」といったってゴミをだすと金をとられる。あの小さなスピーカーで喋っている録音声もたいてい若い女である。一日に十回ぐらいはやってくる。そのうち同じ声で同じことを喋っているのが七割ぐらい。

 ぼくは最初同じクルマが六回も七回もまわっているのか、そんなに何回まわっても要らないテレビや冷蔵庫が一時間後にでるわけないだろが。なんてバカな奴だ、などと思っていたが、あれはおそらく「専用テープ」を卸しているところがあって、同じのを買って使っているいろんなクルマが走っているからなのだろう、と最近思うようになってきた。

 しかしあの「あまったるーい声」で、しかも言い方も文法も間違えてるバカ娘のニチャニチャ声を聞かされるほうの苦痛代はどうなるんだ。

 あまり丁寧語を喋ったことがないヒトが台本を書いているのだろう。

「○○もおうけたまわりいたして申し上げております」

 なんてバカ家老の口上みたいで、たかが粗大ゴミなどにそんなに丁寧にならなくてもいいじゃないか。粗大ゴミが照れてますねん。

《中略》

 それにしてもよく思うのはこんなふうに都心とはいえ、毎日のようにテレビ、冷蔵庫、洗濯機、パソコン、バイク、などといったものが捨てられている国、というのが世界にどのくらいあるのだろうか。このあいだは使わなくなった「農機具はありませんか」なんて言っているクルマがあった。このあたりどこに畑があるんじゃい。すぐそばに都庁が見えるところだけどな。

 ヨーロッパの多くの国は「空間も住人共通の静寂財産」というふうに認識されているから、あのような一日中ひっきりなしの「不要騒音」はゆるされない。

 物量の国、アメリカはあんがいコンサバティブであまり機械などのシステムを変えないから、壊れたら修理してつかう、という健全な精神がある。日本の場合は壊れたものを直すよりも新しいのを買ったほうがいいですぜ、のひったくりシステムだからああいう商売がなりたつのだろう。

みんな何かしゃべってる

 ちょっとハナシがそれた。

 喋る機械の話であった。

 都会の街をいくと喋る機械だらけだ。

 盛り場などはめちゃくちゃにそういう機械音が重層しているからどの機械が何を喋っているのか判別つかない。ああいうのは別に判別しなくてもいいのだろうけれど。

《中略》

 駅にいくと例によってエスカレーターが一日中喋っている。これも女の声だ。全部エスカレーターの乗りかたの注意だ。真ん中に立って前を見て子供の手は放さず息をとめて(まではいわないが)とにかく注意事項を連続して喋り続けている。でもあれを注意深く聞いている人はまずいないだろう。

 声を出している側は、何かあったときの責任のがれ(ちゃんと四、六時中注意をよびかけてますよ)で、あれを続けている。誰も聞いていない注意事項はただの騒音なだけで聞いている人の神経をマヒさせ、本当に危ないときに役にたたなかったりする。

 このエスカレーターの警告はデパートのなかでも同様で、日本語のわかる外国人がはじめて日本に来たとき、日本人はみんなエスカレーターの乗り方をしらないのだな、と思うかもしれない。《後略》

――――――

●2010年6月以降の110番回数

2010年6月  2回
2010年7月  5回
2010年8月  8回
2010年9月  7回
2010年10月  8回
2010年11月 14回
2010年12月  6回
2011年1月  4回
2011年2月  2回
2011年3月  1回
2011年4月  0回
2011年5月  1回
2011年6月  5回
2011年7月  5回
2011年8月  1回
2011年9月  5回
2011年10月  1回
2011年11月  7回
2011年12月  4回
2012年1月  3回
2012年2月  1回
2012年3月  1回
2012年4月  3回
2012年5月  2回
2012年6月  1回
2012年7月  2回
2012年8月  1回
2012年9月  2回
2012年10月  5回
2012年11月  3回
2012年12月  5回
2013年1月  1回
2013年2月  2回
2013年3月  4回
2013年4月  4回
2013年5月  0回
2013年6月  1回
2013年7月  2回
2013年8月  4回
2013年9月  0回
2013年10月  3回
2013年11月  1回
2013年12月  1回
2014年1月  1回
2014年2月  3回
2014年3月  1回
2014年4月  0回
2014年5月  1回
2014年6月  0回
2014年7月  1回
2014年8月  0回
2014年9月  1回
2014年10月  1回
2014年11月  1回
2014年12月  1回
2015年1月  1回
2015年2月  1回
2015年3月  0回
2015年4月  1回

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カテゴリ:廃品回収・移動販売
8年ぶりに復活した「絶叫選挙」の結果は……
 案の定、選挙が終わると、あれほど溢れかえっていた「選挙カーうるさい」の声もどこへやら。まるで何事もなかったように日常が繰り返されています。

 あらためて、なぜ、今回の選挙(市議選)をここまで「うるさい」と感じたか(本当に地獄だった)考えてみたのですが、前回、2011年の統一地方選挙は東日本大震災の直後だったので、選挙カーを使わないなど「自粛ムード」の中で行われたためじゃないでしょうか。それが今回は「通常」の選挙になってしまったので、8年ぶりに立候補者どもの「やりたい放題」が復活してしまった。

 私の住んでいる市の前回の市議選で、選挙カーを自粛していたかどうか、はっきりとは覚えていません。ただ、私は日記代わりの簡単なメモをつけてますが、11年の春に「選挙カーうるさい」というような言葉は出てきません。その前、07年の同じ時期には「選挙がうるさい」と書いてあるので、やっぱり11年はある程度「静かな選挙」だったんじゃないかと思います。

 前回の選挙の自粛ムードは全国的なものだったので、今回は8年ぶりに、日本中で選挙カーや街頭演説の絶叫が大爆発してしまった。それで「選挙カーうるさいよ」という声が溢れたのではないでしょうか。
 もちろん、その間にも国政選挙だの知事選だの、いろいろな選挙が行われているわけですが、やっぱり狭い地域で何十人ものアホが叫び続ける区市町村議員選挙のうるささは飛び抜けていますから被害は甚大です。

 でも、いくら選挙期間中に「うるさい」と言い続けても、それで選挙カーや街頭演説がなくなるわけじゃありません。本当に静かで実のある選挙を実現するなら、政治屋の意識を変える、公職選挙法を見直すといった具体的な成果が必要なのに、それを求めて動こうという人はまったくいません。せいぜいツイッターで「選挙カーうるさい!」とぶつぶつ言っている程度です。そして選挙が終わったらそれまでよ、と。

 まあ、人のことは言えません。私もこんなことをぶつくさブログに書いているだけで、別に政治屋や選挙管理委員会に「選挙の仕方を見直せ」と要求したわけではないし、「静かな街を考える会」として何か行動を起こしたわけでもありません。ぶっちゃけ、そんなことをしても無駄だというあきらめの気持ちしかないからです。

 ただ、いつまでもこのままなら、選挙のたびに「選挙カーうるさい、演説うるさい」と、死ぬまで悩まされるだけだということは、もう少し真剣に考えたほうがいいんじゃないでしょうかね。そして、自分が「うるさい」と思うなら、自分自身でなんとかするために動くしかないということも。「選挙カーはNO!!」と言わないと。

選挙カーNO!!01.jpg

 間違えた。

選挙カーNO!!02.jpg

 ……選挙カーを「うるさい」と言うと、「立候補者の名前を周知するために必要なんだ!」だの「選挙ムードを盛り上げるのは大切だ!」だの、揚げ句の果てには「選挙カーの否定は言論の自由の否定だ。民主主義が死ぬんだぞ!」だのと言い募るバカが多いです。
 じゃあ逆にお聞きしますが、選挙カーを自粛した前回の統一地方選挙では「民主主義が死んだ」んでしょうかね。もし死んだというならそんな選挙は無効にすべきだと思いますが、当選した議員はこの4年間、議員であり続けていたわけです。そいつらは「ゾンビ議員」か何かなんですかね? ま、ある意味では政治屋なんてみんな「ゾンビ」みたいなものかもしれませんが。

 「選挙ムードを盛り上げ、投票率を上げるためにも選挙カーは必要だ」もナンセンス。今回の統一地方選挙は、多くの選挙区で投票率が過去最低を記録したと報道されています。分析の仕方はいろいろあるでしょうが、少なくとも選挙運動を自粛した選挙より、バカみたいな乱痴気騒ぎが復活した選挙のほうが投票率が下がっているという「事実」を、どう説明するんでしょうか。

 そもそも、選挙カーがなければ民主的な選挙にならないというなら、そんなものがない国々の選挙はまともじゃないということになりますが、そうなんでしょうか。私には、ひたすら名前を連呼し、駅前や住宅地という人様の家の前で絶叫演説を繰り返す日本の選挙のほうが、キチガイ沙汰としか思えませんけどね。

 あらためて、前々回のエントリー『憲法学者が語る「表現の自由と拡声機」』へのリンクを張っておきます。ここで憲法学者の奥平康弘氏が語っていることは、非常に示唆に富んでいます。というか、憲法学者でなくても「当たり前」の感覚を持っている人なら、すんなり理解できる内容だと思うのですが……そうでないのがこの国の人々なんだよなあ。

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カテゴリ:政治家・団体・デモ
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■プロフィール

Author:H・K
市民グループ「静かな街を考える会」会員H・Kのブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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