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選挙期間中の憂さ晴らしツイート
 選挙騒音2日目にして、気力、体力もう限界。国政選挙はまだしも、区市町村議員の選挙はやかましさが桁外れだ。耐えられそうにない。

 朝8時から夜8時まで、5分と空けず何台もの選挙カーが連呼をして回る。あれだけバカでかい音だから、数百m離れていても聞こえてくる。うちの近くの公園の前で路上演説はするし、商店街で喚き散らしている候補者の声も聞こえます。
 ヘタをするとこれらの轟音を同時にいくつも聞かされるのだから、どう考えても日本の選挙は「狂っている」としか思えません。

 ブログの使い方としてはおかしいのかもしれないけど、選挙期間中、このエントリーでツイッターのように、そのとき思ったことをぶちまけます。

2015/04/19
8:05
さっそく、ガイキチたちの饗宴が始まった……。

11:43
昼前の段階で、あまりのうるささにもう涙目。とにかく歯を食いしばって我慢しながら仕事を続ける。

14:22
ついに耳栓をする。

20:14
耳栓をし続けたのでなんとか耐えられたが、あれはあれで感覚がおかしくなって体に負担がかかる。静かになったと同時に気を失うように寝てしまう。

23:47
気がついたらこんな時間。ヨルタモリを見逃した! これもクソ選挙のせいだ。

2015/04/20
8:26
連呼と演説まみれで、とても食欲が湧かない。あんなキチガイ騒ぎを聞かされながら飯を食う気になどなれない。昨日一日耳栓をしていたので耳が痛い。今日はしたくない。

11:35
新聞のラテ欄を見たら、「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」にビートたけしが生出演と書いてあったので、あわててラジオをつける。でも、選挙カーがうるさすぎて集中して聞けない。笑ったり「あークソうるせえ!」と怒ったり、あまりのやかましさに泣きたくなったり、わけがわからん心理状態になる。たけしは、ラジオのトークが衰えないのがすごい。

15:17
とにかく、選挙カーと演説がひっきりなし。小バエのように湧いてくる。私の住んでいる町内を移動しながら演説し始めた奴がいるようなので、うちの近くに来る前に脱出。

16:03
東京は傘が吹き飛ばされそうになるほど風雨が強く、外に出ると誰もがイライラしている感じ。それに加えて、どこに行っても選挙カーが追いかけてくるのだから、キレそうになっている人も多いんじゃないか。買い物をして帰ってきたら、バカ演説がいなくなっていたのでほっとする。

16:55
わずかに連呼が途切れた瞬間、買ってきたサンドイッチを流し込む。選挙のせいで飯もろくに食えない。

18:41
ポール・マッカートニーが来日したらしいけど、同行の海外メディアが日本の選挙を見て「日本人ってアホでっせ」と発信してくれないだろうか。

2015/04/21
7:32
新聞で「選挙カー乗車歴24年」の安東美智子というウグイスばあさんが紹介されていた。拡声器から絶叫して街を支配した気になって、気持ちんよかあ~! ってとこなんだろうなあ。政治屋とは別にこういう連中がいるから選挙カーの騒音がなくならない。なお、記事は「公職選挙法で選挙運動の禁止規定が多過ぎるから、選挙カーで連呼をするのも仕方ないのだ」というニュアンスだが、選挙カーからの連呼が認められていてもそれをしない選挙はできるし、実際に選挙カーを使わない候補者も少ないとはいえいるのだから、公職選挙法の規定があるから連呼せざるを得ない、という理由は成り立たない。連呼や街頭演説は立候補者の「義務」じゃないのだ。そもそも、戸別訪問を認めると買収が増えるとか、ポスターのサイズからのぼりの立て方までこと細かに規制しないと不正ばかりになる、という日本人の「愚かさ」が根本的な問題。今日も轟音開始まであと30分。

11:30
うちの目の前10mのところでバカ共産党が演説を始めやがった。こうなると耳を塞いでも耳栓をしてもほとんど効果がない。15分以上聞かされて、確実に血圧が50は上がった。しかし、生活道路にでかい選挙カーを止めて、他の車は通れないだろうなあ。

12:12
午後から仕事で千葉県某市へ。自転車で駅に向かう途中、住宅地の細い道で選挙カーに出くわしてしまったので、あわてて横道に逃げる。するとそっちにも別の選挙カーが! こいつらはバルタン星人か!? くねくね曲がっていたらえらい遠回りをしてしまい電車に乗り遅れそうになった。

13:24
電車で移動中は選挙騒音から逃げられるが、久しぶりに乗ったJRと東京メトロの轟音アナウンスはやっぱり凄まじい。ずっと耳栓をしていたが、そんなものなんの役にも立たない。メトロの自動放送で「1番線は発車します」って2回聞かされたけど、日本語が不自由なのか?

13:50
千葉の某駅に着くと、バカ候補者がバカ演説の真っ最中。仕事中は完璧な防音のビルにいたので集中できた。駅前に戻ると、また別の候補者が演説の真っ最中。

19:37
今回の選挙騒音はとにかくひどい。どんどん気持ちがブラックになっていく。地元の駅に着くと演説。帰りも住宅地で選挙カー。帰宅すると、また別の選挙カーが立て続けに現れた。「静かな住宅地で大きなマイクを使いご迷惑をおかけいたしますが、これも地域のためとご理解をお願いいたします!」なんで、あんたの連呼や演説を我慢することが「地域のため」に直結するのか理解不能。

2015/04/22
15:48
今日は、あまり選挙カーが回って来ない。昨日までが引きも切らずで、今日はぽつぽつという感じ。それでもうるさいのは変わりないし、13時ごろ、うちの近くで路上演説を始めた奴がいて悶絶する。

18:35
夕方から、仕事の調べ物で図書館に籠もる。その間はまったく選挙カーの音を聞かされずに済んだ。やっぱり公共施設は防音性能が高いから、働いている役人も街のスピーカー騒音に無頓着になるんだろう。うらやましいよ。廃品回収車や移動販売車のアナウンスがいかに迷惑か説明し、最低でも条例に則って取り締まれと言ってもやる気ゼロ。それどころか、自ら防災無線や広報車で騒音を撒き散らしておかしいとも思わないんだからなあ。

20:19
帰宅すると、夕方までとは打って変わって選挙カーの嵐。20時までの1時間半、ほぼ絶え間なく連呼を聞かされてまた悶絶する。

2015/04/23
12:54
10時過ぎにアホの自民党がうちの前で路上演説という名の騒音テロを始めたので、すぐに耳栓をする。それにしてもつくづく不思議なのは、「選挙カーうるさい」という人は多いのに、その他のスピーカー騒音についてはまったく無関心なことだ。「名前の連呼が鬱陶しい」というなら、スーパーやドラッグストアの液晶モニターで繰り返されるエンドレスCMは鬱陶しくないのか。「大音量の演説なんて、うるさいだけ」というなら、アドトラックや街頭ビジョンから垂れ流されるキチガイじみた宣伝放送はうるさくないのか。「家の中でまで聞かせるな」というなら、廃品回収や移動販売、防災無線の音だって同じだ。「とにかく押しつけがましいんだよね」というなら、商店街の音楽や宣伝放送はどうなんだ。「同じことを何度もしつこい」というなら、駅や車内で無数に聞かされる「●●にご注意ください!」のアナウンスはなぜ気にならないんだ。すべて共通した問題なのに、まるで何も感じない人ばかりじゃ話にならない。選挙カーだけ特別に「うるさい」と腹を立てるのではなく、これら日常の拡声器騒音にもっと問題意識を持って欲しい。

2015/04/24
16:41
さっきまで共産党が、町内を徒歩で移動しながら演説を繰り返した。1時間近く、絶叫と金切り声が続いてとても仕事にならん。窓を開け、水でもぶっかけてやろうかと本気で洗面器を取り出したが、あんな連中のせいでお縄になったら割に合わないと気づきなんとか自重する。それにしても連中は、なんとかドラッグ、いやシャブでも打ってんじゃないか? でなければ、人様の家の前で拡声器で叫び続けるなんてイカれたことができるわけがない。あ、たった今50mほど先で別の政治屋が演説を始めた。そこ、保育時間中の保育園の真ん前なんだけど。恥知らずとはこのこと。どうやら自民党のようだ。

17:01
しかしなあ。連中は公職選挙法第百四十条の二「2  選挙運動のための連呼行為をする者は、学校(学校教育法第一条 に規定する学校をいう。以下同じ。)及び病院、診療所その他の療養施設の周辺においては、静穏を保持するように努めなければならない」の規定すら、一切守る気がないんだからあっぱれだ。だいたい20歳未満の子供や、もう投票の判断なんてできなくなった老人、帰化していない在日外国人や海外からの旅行者、すでに期日前投票を済ませた人、その地域の住民ではなく働きに来ている人などにも無理やり聞かせる連呼や演説という不合理な手法は、音の暴力以外のなにものでもない。

17:07
キチガイ自民党の演説が、場所をほんの少し移動しただけでまだ続いてる……。そこ、歯医者という立派な診療所の前なんだけどねえ。そして選挙騒音に煽られるんだろう、公園から聞こえる子供の奇声がいつもよりひどい。井戸端会議の主婦までキーキー声を張り上げる。勘弁してくれよほんとに。

17:24
わはははははは。さっきまでクソ自民党が演説をしていた保育園の前に、今度はクズ民主党が現れて叫び始めた。「みなさん、どう思いますか!」と問いかけ調のくせに回りには誰もいない。もう吐きそうだ。

2015/04/25
10:16
「最後のお願いに参りました、キー!」「あと一歩、あと一歩でございます、ギョエエエエーーーーー!」。案の定、最終日ということでさらにオクターブを上げた奇声が突き刺さる。そういえば、昔は「私を男にしてください!」なんて言い方もしていたが最近は聞かないような気がする。女の候補者やウグイスばあさんが「私を女にしてください!」と絶叫したらどうなるんだろう。お前らなんかバター犬とやってろ。

11:02
以前、書いたことがあるが、曲がりなりにも先進国なんて呼ばれている国で常軌を逸した選挙カーが走り回るのは、日本と韓国が代表例のようだ。『繰り返される「選挙カーの騒音問題」』『韓国の選挙活動は激くてちょっと迷惑!』『選挙遊説騒音、京畿地域で抗議相次ぐ』。どっちの国も愚かで野蛮極まりない。「激くて」がちょっとツボに入った。

22:58
何も日本中すべてが選挙中というわけじゃない。近くの市は選挙をしていないので、自転車を飛ばして図書館に籠もることにする。本当は朝イチからのつもりだったのに、動く気力すら湧かず午後になってしまったが。2時から4時半までひたすら読書。30分ほどパン屋でパンを買ったり近所を散歩したりして(日本の醜い街並みなんて見ても腹が立つだけだが)、5時から7時半までまた読書。スーパーで買い物をして選挙が終わった8時過ぎに帰宅。この1週間こそ超絶騒音地獄だった。でも、どうせ喉元過ぎればなんちゃらで、選挙うるさいうるさい言ってた人たちも、日本のスピーカー騒音の酷さについて本気で考える気はないんだろうね。

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カテゴリ:政治家・団体・デモ
憲法学者が語る「表現の自由と拡声機」
 明日からの選挙騒音を考えると、それだけでうんざりしてしまいます。

 ちなみに、ここ1カ月の間にうちの周囲を街宣車で走り回ったのは、共産党と公明党が共に5回ぐらいずつ。公明党は住宅地の路上で演説までしやがりました。
 私はJRと東京メトロに乗るとき以外はできるだけ耳栓を我慢するようにしていますが、この公明党の演説が10分ほど続いたところで、仕方なくぶっとい耳栓をハメました。明日から1週間、どうなることやら。ワイハにでも逃げてーなあー。

 いずれにせよ、この時点で共産党と公明党への投票は論外。そもそも私は「NO!選挙カー推進ネットワーク」に参加している議員か、「選挙カーは使いません」と表明した立候補者以外には投票しないと決めているのですが、私の住んでいる市にはそのどちらもいません。つまり、棄権ということです。投票するに値しない政治屋ばかりなんだからしょうがない。

 「選挙カーや政治家の演説がうるさい」と言うと、「表現の自由をなんだと思ってるんだ! 民主主義の根幹なんだじょ!」だのと喚く輩が多いですが、本当にそうなんでしょうか。日本を代表するリベラル派の憲法学者が「民主主義という制度を守るために表現の自由があるわけではない」、「人間は民主主義のために生きているのではない」と発言していたらどうでしょう。

 今年1月に亡くなられた憲法学者で「九条の会」を結成した一人でもある奥平康弘氏が、ちょっと古いのですが1989年に本会の機関誌『AMENITY』7号でインタビューに答えてくださっています。「表現の自由と拡声機」というタイトルで、選挙カーや街頭演説などの政治騒音だけでなく、電車やバスのやかましいアナウンスまで「放送と自由」について幅広く語っていて、そこに出てくるのがこのような発言です。

 以下に、そのインタビューを転載します。たっぷりあって約9000字。もちろん、転載するからには、私は奥平氏の発言をもっともだと受け止めているということです。
 次回は、この内容を踏まえてさらに何か書くつもりです(気が向いたら)。

――――――

表現の自由と拡声機

奥平康弘(東京大学社会科学研究所教授)

聞き手
T
U

<U> 私たちの会のメンバーの間で、いちばん意見が分かれるのが政治活動のスピーカーでして、右翼の宣伝カーを何とかすべきだ、という声があるかと思うと、政治的な演説などのスピーカー使用規制はするべきではない、という意見もあるのです。

 今年(一九八九年)の七月に環境庁が発表した「拡声機騒音規制強化に関する報告書」も、政治的な面でのスピーカー使用は、規制から除外してありますし、環境庁にかつて要望書を出した私たちの会も、同じように政治的なものは外しておいたんですが……。

<奥平> 拡声機の使用規制の問題は、表現の自由というより、正確に言えば表現手段の自由の問題ですね。まず、政治的な演説であろうとちり紙交換だろうと、騒音であるという側面は変わりません。受け手の側からみれば、物干しざおを売るメッセージも、ある政党を売り出すメッセージも同じだと思うんです。ですから私は、公共空間に流される拡声機の音は、すべて規制の対象になり得ると思うのです。また、拡声機の使用規制が表現の自由や政治活動の自由を規制することになるというふうには考えません。

 なぜかという説明をすることは、すなわち、表現の自由とか表現の手段を利用する自由とは何のためにあるのか、あるいは、憲法は何のために表現の自由を認めるのか、ということを話すことになるのですが……。

 表現の自由は、民主主義過程において必要だから、という側面もあるんですが、僕は民主主義という制度を守るために表現の自由があるとか、何かのために表現の自由がある、というだけのものとは考えません。一言で言えば、人間が人間であるために、僕が生きるために表現の自由がある、というふうにとらえているんです。

 もっと言うと、民主主義のために人間は生きているのではなくて、いろんな活動のためにたまたま生きている。その活動を十全たらしめるために民主主義はある。表現の自由は民主主義という脈絡だけで考えるべきではないのです。

 そうすると、表現の自由を主張する人は、否応なしに聞かされる側の人の人間的自由を調節しなければならない、ということになる。人間は民主主義のために生きているのではないのだから、プライバシーを侵害する騒音に対し「民主主義のために」という理由で我慢することは、どこかで無理した議論をしていることになる。

 もちろん、ときには「民主主義のために」という議論も必要なんですが、根本的にそれだけでいいのか、ということですね。表現の自由は民主主義のためにあるんだという、非常に傾いた形で表現の自由を考えすぎてしまっているように思います。

 欧米社会では、営業用のスピーカーのみならず、政治的メッセージの拡声機騒音もありません。そのことをどう考えるか。問題はなぜ拡声機を使う必要があるのか。そのレベルで議論する必要があるでしょうね。

<U> 選挙運動のスピーカー音に批判的な人は「表現の自由」を尊重しない人、というふうに思われてしまいがちなのが現実に思えますが。

<奥平> 憲法研究者の一人として僕は、「表現の自由を保護するために政治的な表現に関しては拡声機規制をしてはいけないのだ」という憲法論には疑問を覚えますね。それに、政治的なメッセージを、いったいどうやって区別するんでしょうか。区別なんかできませんよ。

 そのようなことを深く考えないで、日本の場合は、政治的自由、表現の自由ということで議論を止めてしまっている。これは、騒音一般に対するセンシビリティのレベルが驚くほど低いからでしょう。

 公職選挙法では、朝八時から拡声機を街中で使っていいようになっているけれど、日本国民たるものは朝八時には起きてあの騒音を我慢しなきゃならない、というのはおかしいと思います。八時なら多くの人が起きてるだろう、というだけのことであって、人によっては真夜中に仕事していて朝はゆっくり眠りたい人もいるんです。

 「今は聞きたくない」という権利は誰にもあるはずです。それを、「いや、今、あんたは聞く必要がある、聞かなきゃいかんのだ」というのが拡声機ですね。また、選挙にはあのようなメッセージをスピーカーで流すことが不可欠なのか……ということを考えていきますと、公選法のシステムそのものがおかしいのではないか、という議論があってもいいですね。昔からこのようなシステムがあったわけではないのですから。名前だけを繰り返すケッタイな選挙が、一般になってしまっているんですよね、現実は。

 僕の恩師であるICU学長だった鵜飼先生が、おととしの五月に亡くなられ、有楽町の銀座教会というところで葬式をしたのですが、葬儀の間中ずっと、すぐ脇の有楽町のどまん中で赤尾敏さんの演説が聞こえ続けていました。それを一緒に聞きながらしか葬儀ができませんでした。列席者たちは「あれが表現の自由かね」とささやいていましたが、厳かに葬式をして亡き人をしのぶという自由よりは、政治的表現のほうが優先するんだというふうに議論を建てなくちゃならないのかどうか。憲法研究者としては、やはり葬式をする自由も確保しなくちゃいかんのではないですか、という議論をどうしてもしたくなる。赤尾敏さんだから悪いと言うのではなく、そういう仕組みというものを考え直すということは意味があると思います。そうじゃないと、日本人の音に対する感性がどんどん悪くなっていってしまう。それは長い目で見ると恐ろしいことじゃないですかね。

<U> そうしたいわゆる「政治的」なスピーカーのほかに、お節介なアナウンスがあまりにも多いと思うのですが……。

<奥平> どうも拡声機騒音の問題の根っこは、表現の自由とか憲法論とかを越えたところにありそうですね。何て言いますか、すき間があれば、そのすき間に何か埋めないと気が済まないというような気持ちが日本人の中にあるからかもしれません。

<U> BGMなんか、そうでしょうね。

<奥平> そうでしょうねぇ。地下鉄のエスカレーターに流されている注意放送、つまり「お乗りの際は黄色い線の内側に……」とか「お子様の手を引いて……」といったテープ放送ですが、あれが夜遅く、誰もいないところで繰り返し流れているのを聞くと、なんか、とても異様な感じを受けますね。

 バスの中で流される、意味のないさまざまな注意放送テープも異常ですね。これはもう、法律論でも憲法論でもないんですよ。しかし、このような放送を異常と思わないで受け入れている社会が、法律論、憲法論を支えているということでもあるんです。

 外国人の書いたものの中に「日本人は深閑とした禅的風景を好む人種であると聞いたが、いざ日本に来てみたら、そんなことはまったくない」とありましたよ。

<U> 龍安寺では、「静けさを満喫してください」というようなテープが絶えず流されているそうですね。今はどうか知りませんが。

<奥平> (笑い)あり得る話ですね。

<U> 私がかつて住んでいた東京の大田区では、火事があると、消火の後に「火事が消えました」という放送を真夜中の三時に触れ回っていたんですよ。

<奥平> そうしてくれるのは結構なことじゃないか、と思う人が多いのでしょうね。一種のパターナリズムの受け皿が日本にあるんだと思います。流すほうと流されるほうの両方に。

<U> 確かにスピーカーから流される内容は悪いことではない。だから、なかなか否定しにくい面がありますね。音を出している側も、プライバシーを侵害しているという意識は皆無ですから……。

<T> そうしたお節介な音がとても多いのですが、奥平先生もおっしゃられたように、こういうのは憲法論や法律論を越えているわけですよね。従ってお節介だからという理由で取り締まることはできないと思います。例えば、デパートの中では必要最小限のこと以外は放送してはならない、というような法律は作れませんよね。だから市民運動などで要望していくしかない気が私も致します。

 他方、先程言われた街頭の拡声機使用規制のほうですが、候補者が公職選挙法上できる運動というのは極めて限定されているわけですよね。だから、宣伝カーによる「誰それです。よろしくお願いします」という連呼にしても、そういう形での運動しかできないという側面もあります。そのような現状に加えて、さらに拡声機使用も全面禁止ということになると憲法上問題ではないかと思うのですが……。

<奥平> おっしゃるように、デパートの中の放送などは、それは悪趣味であるとか、それはうるさいとかは言えますが、法律で取り締まる問題ではないでしょうね。ただ街頭ということになると、人一般を相手にすることになるので、条例なりで規制しなければならないし、現に多少の規制をしている。

<T> 岡山県の「暴騒音規制条例」とか……。この間は「国会周辺の静穏を保持する法律」というのもできましたが、それについてはどう思われますか。

<奥平> 岡山の条例の場合には、かなり多くの憲法学者が憲法違反である、あるいは政治活動の自由を規律してしまっているとして、かなり評判が悪かったのですが、僕がこの条例についてコメントを避けてきたのは、ちょっとこの議論に乗るには慎重に考えていきたいと思っていたからです。

 「暴騒音条例」について言うと、適用除外の挙げ方(第三条)にしても、公務員の行うものは別だというのは非常におかしいし、祭礼や運動会等、住民が慣習として行う行事なら拡声機使用を許す、という点などは、このこと自体が問題になり得るわけですね。また、音の大きさの規制と時間の規制(第四条)で言えば、これはこれで問題を含んでいるように思える。それに、取り締まる側がなぜ公安委員会なのか、なぜ警察なのか、という点も依然として払拭し得ないものがある。公安条例が公安委員会や警察の管轄になっているからだろうけれど……。

 このように問題点は多々あるにしても、地方公共団体がこの種の規制をすることが、直ちに政治的自由を制限することになるから憲法違反だという議論は、ちょっと粗雑にすぎると思うんです。直ちに違憲だと言うには慎重であっていいんじゃないかと思います。

 国会周辺の法律の場合は、市民のための法律ではありませんね。「これらの地域の静穏を保持し、よって国会の審議権の確保と良好な国際関係の維持に資することを目的とする」(第一条)というのであって、僕はこのこと自体に非常にひっかかる。国会の審議のために、また国際関係のためになら規律する、ということが。

 僕たちが拡声機を規律して欲しいのは、国民にとってうるさいからであり、一種のプライバシー侵害になるからです。でも、そう言うと「いや、それはちょっと待ってください。私たちが議論するのは国会の審議が邪魔されるからです」あるいは「外国の人たちとの良き外交関係を保持するために必要なんです。さし当たりそっちだけです」というシングルアウトする論理が憲法論以前にあるんですね。それが気に入らない。

 しかし、これも憲法違反かというと、外交代表機関で働く人たちの活動の自由が妨げられていれば、直ちに違憲とは言えない。

<U> 国会の審議のためや国際関係のためだけでなく、良好な国民生活のためにとか言ってくれればいいんですがね。

<奥平> そうすると、うるさいのは国会周辺だけではないんですよ。これをきっかけに全体に広がってゆくのか、あるいは国会周辺だけで必要にして十分な規律であるから他は知りませんとなるのか。その分かれ目になるような感じですね。

 それから、拡声機の使用をより強く規律する法律なり条例なりが仮に出てきた場合、全面禁止となると問題が出てくるので、何らかの形で、やり方とか目的とか騒音の程度とかを規律するしかないだろうと思います。

 僕は他の国の状況はよく分からないのですけれど、例えば西ベルリンに住んでいるときに、うるさいと気付くほどの拡声機騒音を街で耳にしたことはまったく一度もありませんでした。それは、条例とか法律とかが制限したり禁止したりしているからだとは必ずしも思わないんです。社会の質、人々のセンシビリティといったものが、スピーカーを使わせないんだろうと思います。

 たまたま西ドイツにいる間に選挙があったんですが、選挙の前日までその日が投票日だという放送はありませんでした。公職選挙法で規律しているからかどうかは調べてきませんでしたが、たぶんそのせいではないでしょう。騒音を規律する法律なり条例なりがあるから人々はセールス(政治的セールスを含めて)に拡声機を使わないのではなくて、例えば政治家が、日本でやるように拡声機を使えば人々が怒るから、つまりマイナスになって宣伝効果がないからでしょう。そういう歯止めがあるからだと思います。

 拡声機によってやるということ自体がマイナス効果になるから淘汰されてしまうんだ、という側面を、もう少し見直す必要があると思います。そこのところが非常に難しいんですね。日本ではマイナス効果ではない。仕方ないから法律でやりましょ、ということになってしまい、そこから問題が出てきてしまう。

<T> ヨーロッパなどでは、法的な縛りがあるから拡声機を使わないんじゃなくて、他人に迷惑をかけるからやらないのでしょうね。ところが、日本ではそれが期待できないというので、先程の「暴騒音条例」「国会周辺の静穏法」ができたのですが、公務員は適用対象外。立候補者は戸別訪問もビラ配りもできない一方で、もともとお節介な役所や学校の放送は全然取り締まられません。それも問題に思えるんです。

<奥平> さっきも言ったように、騒音の問題に国家が乗り出してきて、ま、非常に不満足な内容ながら規律を始めましたが、これが日本全体の領域でも静ひつを保持できるよう国家がお助けしましょう、という方向へ行くかどうかは分かりませんね。国民の側にも問題があるんじゃないでしょうかね。

<T> 多数派的支配的見解を持つ者はスピーカーを使わなくても、ラジオやテレビ、新聞などで労せずして自己の見解を広めることができるが、少数派非オーソドックスな見解を持つ者は、そうした機会が与えられないのでスピーカーに頼るしかない、という意見もありますが……。

<奥平> その問題は、政治的自由というものを考えるときのひとつのポイントですね。そういうメディアがどうしても自分の手段として必要なんだ、それ以外ではダメなんだという議論が今でも通用するのかどうか。音量、時間帯を含めて、自分にとってアヴェイラブルな手段ならどういうふうに使おうと勝手なのだ、聞きたくない人も他の仕事を止めてでも聞きなさい、という種類の表現手段しかないのかという議論を、もっと突っ込んで考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 今の日本には、プライバシー侵害的な騒音が生活に入り込んでおり、人々はそれを当たり前のことだと考えすぎています。それに異論を述べてみる必要があると思います。それほど日本の拡声機騒音はすごいですよ。

 Tさんのご指摘のように、少数意見の権利はあるんで、だからこそ慎重に考えるんですが、それにもかかわらずなんですよね。スピーカーを持つ少数者と静ひつを欲する人間としての意味、社会の質の問題などを考えてみることも日本では必要だと思います。そのくらいのこと言ってもいいんじゃないかな、やっつけられるかも知れないけれど……。

<T> 現在の日本は規制だらけで、デモやビラまきは無許可でやれば、すぐ警察に取り締まられてしまいます。拡声機の使用を厳しく規制して欲しいと思う一方で、そうするとますます警察の監視下になってしまいそうな……という不安も捨てられないんですよ。

<奥平> 現状における効果が疑わしいという点では、そうですね。公職選挙法がその典型であって、いろいろのものを規制しているから、否応なしに拡声機による車上演説になってしまう。

 また、このシステムの中では拡声機しかないというのも、これまた日本的特色と言わざるを得ません。

 最高裁判所の役割ということでいうと、非常におかしなことですけれど、全部システムの問題なんですね。しかし、裁判ではシステムの一部しか問題にならないんで。

 僕の理解するところでは、戸別訪問の禁止なんて問題があると、それがダメと言うとシステム全体が崩れてしまうんです。公職選挙法が持ってる規律全体が崩れて、自民党政府を始めとした国会が大混乱になってしまうんですね。

 つまり、ちょうど積み木のように、日本的土壌の上にうまい具合にできあがっているブロックのひとつを取り除くように、戸別訪問を禁止する規律、拡声機はこうこうこのように使えというように、選挙運動はこういうものだと思い込まされている積み木の一部を取ってしまうと崩れてしまう。

 僕ら憲法学者はその積み木を取ってくれと要求しているわけですが、システム全体を裁判はできないので、みんなでシステムが崩れるのを防いでいて、その結果、戸別訪問の禁止も大いに結構だし、拡声機を使って候補者の名前を宣伝するのもいいじゃないかというふうになっている。

 システムってこわいなと思います。戦後四十年間の独特の選挙運動の仕組みを作ってしまった。普通の人は選挙をそんなもんだと思っている。外国ではどんな選挙をしているのか、どんなに自由でどんなに静かであるかを知らないわけですから。そういうシステムを有効だと思っているし、裁判所もどこかをいじれば全部がダメになってしまうだけでなく、公選法は違憲だという判決を下そうものなら、国会を怒らせることになるし、自民党を怒らせるのでちょっと荷が重すぎるということになる。そういう争点なんですね、僕の理解によると。

 それぞれの仕組みが、日本式論理からするともっともな論理で組まれている。だからこそその修正を期待するのは、とても難しい。選挙運動の拡声機を規律するというそれだけを問題にしてしまったのでは、今、現にこのシステムが有効に働いていると思っている人々からすると、とんでもない議論だということになる。システム全体として考えれば解けるはずのものが、システム全体を解決するような解き方が制度としてない。最高裁判所は国会や自民党から叩かれても、一度システムの見直しをやってみたらいいと思うんですが。

 それはそうとしても、日本の社会はあまりにもやかましいと思う人が、少数ではあっても増えてきていることは事実だと思います。このことは新聞の投書を見ても分かります。現にJRなんかも、あなたたちの理論に反応を示してきていますよね。

<U> それと逆に、街のBGMなどはますます増えている気がしますね。

<奥平> そうですね。駅などで拡声機からピーチク小鳥のさえずりを流してるのなど、こっけいそのものだと思うのですが、こっけいと思わない人が多いんでしょうねえ。日本人はああいうアーティフィシャルなものに抵抗感がないみたいですね。

<U> コピー食品って言うんですか、カニの味がするが実はカマボコであるというような……。あのたぐいのものも多いですね。

<奥平> 大切なことは結局、社会を規定している力、人の心とでも言いますか、そういった社会の質が法律を作り出したり適用させたり支えたりしているんですね。この面から日本の拡声機騒音を考えると、ほとんどが絶望的なんですが、さっきからの繰り返しになっちゃうけど、そこから出発するしかないですね。

 ところで、会の皆さんは音楽好きが多いのではないですか?

<U> そうですね。職業としての音楽家もいますし、音楽愛好家が多いのは確かですね。

<奥平> 音楽的な感性を育ててゆくのには、今の日本社会はよろしくない社会ですね。

<U> それから、会の中心メンバーに外国人がいるのも私たちの会の特色だと思います。

<奥平> 外国との比較ができますね。そのような方に、この日本の騒音が世界でも特殊だということを言っていただかないと。

<T> さっき話にも出たお節介放送について、もうひとつ言いたいのは、音が管理の手段としてよく使われるようになってきているということです。

 ハックスリーの『すばらしい新世界』には、幼児に絵本を持たせて、同時にサイレンショックを与え続ける。すると幼児は絵本に憎悪を持つようになり、生涯、書物から遠ざけさせられるという話がありますが、これに似たものが現にある。

 伊勢丹では、雨が降り出すと『雨にぬれても』を流し、晴れると『蒼いノクターン』を流してるんです。雨が降り出すと新たに入ってくる客が減るので、現在店内にいる客を大事にして、売り上げを減らさないようにしなさい、と音楽で店員を管理しています。

 そういうのは、うるさいというわけではないんですが、何か嫌な予感がするんですね。予想される方向としては、市民の拡声機使用は取り締まられ街は静かになってゆくけれど、肝心の役所は取り締まられずに、むしろ国家が音を使って国民の精神を管理する、まさに、『一九八四年』の世界のようになってゆくんじゃないかという気がしたりするんです。

<奥平> そういう社会になる可能性ということで考えると、日本人のハードルは低いですよね。そういうものに対する抵抗も、エネルギーも、意欲も……。

<U> 天皇崩御の日なんてのは、マスコミの体質が戦前から変わっていないということを示したと思います。

<奥平> 大勢順応主義というと、そういうことを含めて日本人て何だろうと、よく分かんなくさせられます。

 僕、この前ちょっとイタズラに書いたことなんですが、一九三〇年代の日本というのは、外から見たらものすごく変な国だったと。あのホメイニ率いるイランのイスラム共和国と、そんなに違わなかったと思うんですよ。とにかくメチャクチャに天皇を崇拝しなくちゃならないと。

 しかし、あの中で、僕も子どもだったから、あれがおかしいなんて全然考えなかったわけですね。今のイスラムの人たちはそうだと思う。日本の天皇報道や拡声機騒音も、それに非常に近いんじゃないかと思います。

 ただ、日本の三〇年代と今日とひとつ違うのは、今なら「外国から見ればおかしいですよ」と、さっき言ったような比較の観点で見ることができるという点です。だから、まんざら捨てたものでもありません。

<T> 『世界』八九年一月号に執筆された「日本国憲法と『内なる天皇制』」ですね。

<奥平> そうです。最高裁の判決を批判するようなときは、あえてアメリカの最高裁の判決を持ってきて、叩いてみるというのが僕のひとつの方法なんです。常に有効な方法とは思いませんが、人間として当たり前じゃないですよ、人間の社会では通用する判決ではないですよ、ということを説明するときに、肩ひじ張らず言える利点があります。

<T> 元号も不便で、しかも日本でしか通用しないのは明らかなのに皆使っている。似てますね。

<奥平> そうですね。典型ですね。とにかく皆さんの会の意見は、この日本では少数意見であることは確実だし、当分の間は少数意見のままだろうけれど、ファンダメンタリズムが全面的に展開しないで済むんだ、というふうに思うんですね。誰かが頑張っているんで、まったく変になることはない、と。

 戦後四十年の歴史は、ある意味ではそういうものだったんじゃないか、という感じが致します。世の中の支配的意見にはならなかったけれども。環境問題ひとつ例にとっても言えることだと思います。

<U> お忙しい中、ありがとうございました。

――――――

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カテゴリ:「静かな街を考える会」について
女性用化粧水を使ってよ~くわかったこと(笑)
 あらかじめお断りしておきますが、今回のエントリーの90%は、ただの与太話です。言いたいことは最後の数行だけなので、もし読む人がいたらそれを承知の上でお願いします。

 先日、うちの郵便受けにD●Cが試供品を入れていきました。中年のおっさんの一人暮らしの家に女性用化粧品を投げ込んでどうすんだ、と思いつつ、捨てるにしても分別しなきゃならないので袋を開けると、7種類くらいの商品が。

 そのうち2種類はメイク落としとか、明らかに「わしにゃ関係ないよ」というものなのですぐ捨てましたが、残りの5種類は洗顔後につける化粧水やジェル、クリームなど。私も一応、洗顔後に男性用化粧水を使うぐらいのことはしているので、この際、女性用の商品を試してみることにしました。別に害があるわけじゃなかろうし。

 どの化粧水やジェルも「美肌に欠かせないコラーゲンとヒアルロン酸をたっぷり配合!」とか、「うるおい成分が肌の奥深くまで浸透!」とか、期待を煽るキャッチフレーズが書いてあります。
 いざ使ってみると、どれも1回分の量がものすごく多く感じて、何分間、顔に塗り続けてもぬちゃぬちゃしている。「いつになったら浸透するんじゃ!」とイライラしました。

 ところが、「もういいだろう」と思って顔をこねくり回すのをやめ、しばらくすると、確かに肌がつるっつるに(笑)。触るともちもちして、いつもの自分の顔とはまったく違う肌触りになりました。しかも、翌日までそのぷるぷる感が続くのです。恐るべし本格的化粧水。

 テレビでうっかり通販番組を見てしまうと、「これで10歳若返りました!」とか、「人生が変わりましたね!」とか、「何を大げさなこと言ってんだ」と思うことばかりですが、いやあ、実際にこういうものを使ってみると、確かに「いつもと違う」ことが(文字通り)肌で実感できる。これはちょっとした驚きでした。

つるっつる.jpg
つるっつるやがな!

 私は別にD●Cのまわし者じゃないので、商品を宣伝するつもりでこんなことを書いているわけじゃありません。何が言いたいかというと、「世の中には、実際に体験しないとわからないことが山ほどある」という当たり前のことです。
 誰に向かって言いたいのかというと、「子供の声がうるさいわけないだろ!」と決めつけて善人ぶりたい人たちにです。もう御託はいいからさ、そういう人は進んで保育園や公園の隣、道路族が雄叫びを上げ続ける住宅地に住んでみたら? それをしないで、自分は一切傷つかない安全地帯から石を投げてたって、何も解決しないんだよね。
 「子供の騒音」については書きたいことがたんまりあるんですが、とりあえず今回はそれだけです。

 試供品で残念だったのは、「美白クリーム」を塗ったらバカ殿みたいになるのかなあ、とちょっとだけ楽しみにしていたのですが、別にいきなり顔が白くなるわけじゃなかったこと。あたりまえだ~ね(ただのバカ)。

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カテゴリ:子供・学校・保育園
防災無線から「させていただく」までリンク集
 ただのリンク集です。

 早稲田大学教授(憲法学)・水島朝穂氏のホームページに、防災無線の乱用を指摘するコラムがあるのを見つけ、他のコラムもざっと読んだところ、同感しきりという内容のものがいくつかあったので、メモ代わりにリンクしておきます。いや、今風に言い直すか、リンクさせていただきまあす、よろしかったでしょうかあ(笑)。
 なお、このブログのテーマとは、直接関係のないコラムも含まれています。

半クエスチョン(半疑問)を考える

以上でよろしかったでしょうか?

挨拶励行で「治安回復」?

安全・安心のディレンマ

「ご協力」と「ご注意」の間―「女性専用車両」

防災放送で「人権相談」

「させていただく」症候群

青年はエスカレーターをめざす?

痴漢冤罪事件はなぜ起きるか(その1)

痴漢冤罪事件はなぜ起きるか(その2・完)

監視カメラは何を監視しているのか――「安全・安心社会」の盲点(1)

攻め込んでいく防犯?――「安全・安心社会」の盲点(2)

「安心保障」の先に何が――「安全・安心社会」の盲点(3・完)

 おまけ。
 YouTubeで見つけた、「いらっしゃいまぜええええええ!!!!!」と絶叫を繰り返す日本の居酒屋に呆れる外人さんの動画。ほんと、こんな国の人間であることが恥ずかしいわ(笑)。

Irasshaimase!!!

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カテゴリ:騒音をめぐるあれこれ
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Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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