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アメリカの球場は自然な応援がすごい
 オリックスの金子がメジャー行きを希望したらしいですが、朝日新聞の記事では、インタビューの中で球場の応援についてふれてますね。

 <(アメリカの球場は)鳴り物がない中で、タオルを振ったりする応援が自然に出るのがすごい。(中略)日本には日本の良さがあるけど>

金子メジャー挑戦を希望.jpg

 <日本には日本の良さがあるけど>とフォローは入れてますが、やっぱり「鳴り物のない自然な応援っていいな」という気持ちがあるからこその発言じゃないんでしょうか。何があっても淡々と投げるのが持ち味の金子ですら、日本の野球の「不自然な応援」には違和感を抱いていたと。

 <球場の雰囲気もボールパークというだけあって、誰もが楽しめる場所だな、と>

 日本の球場も「ボールパーク構想」なんて言ってるところがありますが、調子っぱずれの鐘や太鼓、トランペットや、軍隊調の絶叫に支配され、「野球そのものの音」が聞こえない球場で「ボールパーク化」なんて無理無理。日本の球場は「ボールパーク」ではなく「応援団のコンサート会場(しかもヘタクソな)」と言ったほうがいいんじゃないでしょうか。

 野球というのは、そのほとんどが打者が構え直したり、ベンチからのサインを見たり、選手交代にかかったりする時間など「プレーしていない時間」が占めているスポーツです。先日の朝日新聞の記事によると<無作為に選んだ大リーグ3試合の平均試合時間は2時間58分。そのうち、打った、投げた、走ったなどの動きがあった時間はわずか「17分58秒」だった>そうです。

プロ野球の試合時間.jpg

 メジャーでもそうなのに、さらにそれを上回る「だらだらとした試合」ばかりなのが日本のプロ野球で、そうなってしまう一因は応援にもあるとこの記事は指摘しています。

 <日本のプロ野球は、(試合時間が)さらに長い。打席に入るときに選手が選んだ登場曲を流すチームも多く、全部聞き終えてから打席に入る選手もいる>

 私は日本のプロ野球のテレビ中継を見なくなったので知りませんでしたが、「わざわざ登場曲を全部聞き終えてから打席に入る選手もいる」、そんな状況だったんですね。プロレスや格闘技の入場シーンならともかく、1試合でのべ100人くらい選手が出場する野球でいちいち登場曲を流したり、それを最後まで聞いてプレーしたりするなんて、応援する側もされる側もいったい何やってんだか。

 巨人の選手は比較的、打席に入るのが早いそうですが、記事の中にはこんなことも書いてあります。<坂本は理由をこう説明する。「早く打席で準備したいから」>
 スポーツなんだから、坂本のように選手が自分に合ったタイミングでプレーしたいと思うのは当たり前。それを邪魔する登場曲や鳴り物応援なんて、百害あって一利なしでしょう。

 野球は「一瞬の動きを楽しむスポーツ」です。一瞬を楽しむには静寂と熱狂の緩急がなければならないはず。なのにその緩急やプレーの余韻をすべて台無しにし、球場の時間や空間をのっぺりと塗り潰してしまうのが日本のプロ野球の応援です。
 ま、鉄道の駅で毎日毎日「前の方に続いてご乗車ください」なんてアナウンスを聞かされて、「そんなこと、言われんでもわかっとるわ! だいたい『後ろの方に続いて乗車する』なんてあり得ないんだから、人をバカにするのもいいかげんにしろ!」という怒り一つ覚えないのが日本人ですから、応援団の「オレ様たちと一緒に、同じように応援しろ!」という強制にも何も感じないんでしょう。

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カテゴリ:プロ野球の応援
久米宏氏のラジオで「音」を語る
 2009年5月9日、本会の会員である哲学者・元電気通信大学教授の中島義道氏がTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」に出演し、日本の町にあふれる「音」について久米氏と語っています。

 このときの録音が本会のホームページにアップロードされているのですが、今まで聞いていませんでした。「そういえば」と思って聞き、ついでに文字起こしをしたのでここに掲載します。
 音声を聞きたい方はこちらです(約20分)。

――――――

久米 (冒頭のはがき紹介は省略)今日のテーマは「好きな音、嫌いな音」。日本の町にあふれる音に苦痛を感じて声を上げて闘っている方がいらっしゃって、哲学者で『うるさい日本の私』をお書きになってらっしゃいます中島義道さんとお電話がつながっています。どんな音が気に障ります?

中島 よく誤解されますけど、日本社会は人々のしゃべる声も比較的小さいし、車の音とか比較的静かなんですよ。ヨーロッパに行くと怒鳴り合っていたり、ものすごい人間同士の叫び合いなんかあるんですが、日本人は非常に静かで、それなのに至る所から注意放送とかスピーカーの音が撒き散らされているという状況ですね。

久米 ヨーロッパ暮らしが長いから、よけい気になるということなんでしょうか。

中島 それもありますね。向こうに5年くらいいて帰ってきて25年くらいですけれども、それまでは気がつかなかったですね。帰ってきて非常に驚いてしまって、これはどうしたことかと思って。不思議なのは私がいらだって仲間たちもいるんですけれども、ほとんどの人がいらだたないということにいらだちましたね。

久米 最近はタクシーに乗ると「お客様のためを思って申し上げます、シートベルトをお付けください」とかあるんですよ女の声で。

中島 私、高い女性のああいう慈しみ深いというか、あの声が大嫌いなんですね。新幹線なんか乗るとそうですよね。

久米 山手線でも、ラジオネーム電車通勤46歳さんから「次は渋谷です、渋谷ですと録音された音が入ったあとで、英語でザ ネクスト ステーション イズ シブヤ ネクスト ステーション イズ シブヤ、駅が近づくと今度は車掌さんが渋谷でーす渋谷でーす、のべつまくなしにうるさい」と電車の中は。こういう音にうるさいといらだたない日本人にいらだつ。

中島 そうですね。それは理由があると思っていて、私も半分くらいあきらめていて、25年やってますけどね。前は日本人は鈍感だからとか、感受性が鈍いとか、アホだからとかいう議論はしたんですが、それじゃどうしても駄目でですね、結局、発想を逆にしまして、日本人の持っているものすごく他人に配慮するとか、やさしいとか、傷つけないとかいうことが氾濫の原因だと考えるのが一番いいと思ってるんですよ。つまり、日本人は隣の人に「ちょっと窓開けてください」とか「詰めなさい」ってなかなか言いにくいですよね。自分も言われたくないんですよ人から。席を譲って断られると困る人が多いわけですが、むしろそのへんがポイントで、すべて車掌さんが言ってあげるんですね。ヨーロッパですとスーパーで閉店時間になりますと、勝手に電気消して「出ろ」と言いますけれども、日本では「蛍の光」流して――あれ私大嫌いだけども――延々と放送が流れるわけですよね。ああいう人を傷つけないというものが、かなりの原因だと思ってますけどね。

久米 たとえば駅のエスカレーターとか動く歩道なんかでも、終わりになるときに「そろそろ終わります」とか、いろんなピンポーンピンポーンなんて音がしたりして、つまり近くにお子さんが、他人のお子さんでもいいんですけど、お年寄りがいた場合には、そばに立っている人たちが「足元気をつけましょうね」って言ってあげればいいんだけれども、そういうことをしないから、しょうがないから公共の放送に頼るんだということですね。

中島 それから、いわゆる弱者に合わせている社会ですから、これは非常に難しいんですけれども、ヨーロッパでも障害者はたくさんいるし、老人もたくさんいますが放送はないわけです。つまり日本の場合には、もっともわからない人に全部合わせていますから、私が抗議しますと「わからない人もいるんです」と言われるんですよね。「わかる人もいるんです」と言っても通じないんですよね。ですから、わかる人の立場を一切考えてくれない社会で、これ問題ですよね。

久米 どうすればいいですかね。

中島 たぶん、どうやっても駄目ですね。つまりはっきり言いましてですね、私たちも「運動」にはなり得ないんですよ大衆運動とか。なぜかというと、結局はほとんどの人が音に対して無関心、ではなくて受け入れているんですね。最近で言いますと、学校帰りに「下校時間になりましたから子供たちを見守りましょう」と、世田谷区でも大音響で流れるわけですけど、私があれに対して「するな」と言うのはかなり反社会的に見られてしまうわけでしょ。つまり「やさしさの暴力」という言葉を使いたいんで、やさしいという暴力なんですよ。「やさしいからいけない」となかなか言えませんからね。この難しさがありますね。

久米 僕、5年前まで自由が丘という町に住んでいたんですけど、午後になるとセスナが飛ぶんですよ。で「ひったくりに注意しましょう」と放送して、あれは驚きました。確かにひったくり増えてたんですけど、セスナから放送することはないだろうと思いましたよね。

中島 世田谷でも「振り込め詐欺に注意しましょう」というのが、朝と夕方に車で走ってますね。振り込め詐欺の被害者は確かに気の毒だけれども、それはある程度の場合には、自己責任で(対処)しなさいということが、なかなか通じない社会ということで、これは広い意味において日本人のやさしさ(の問題)ですよね。

久米 どうしようもない、というお話ですけれども、たとえば横断歩道で弱者の近くにいる人たちが黙って助けてあげる、注意してあげるということが、もし自分たちでするのがなんか嫌だから公共に任せよう、音に任せようとしちゃうと、ますますしなくなっちゃうということになります。

中島 そうですね。ですから欧米経由のいわゆる弱者思想が入ってきて日本化してしまうと、向こうでは放送ないんですけれども、日本では多くなるんでしょうね。そのとき私たちの運動にとって一番の敵が、実はそういう人権主義者だったりして、「盲人のことを考えなさい」とか「何もわからない人もいますよ」という声が、私たちに対して一番抗議してくるという構造ですよね。

久米 それは機械任せとか、役所任せとか、公共に任せるってことは、結局、日本人のお上に任せる姿勢と根本は同じなんじゃないですかね。

中島 お上もそれでいいと思ってますので。お上というのは商店街でもどこでもお上で、私、商店街の音楽も全部嫌いで、千歳烏山でもさまざまな「寝たばこに注意しましょう」まで入るわけですね。私、言われたくないんですけれども、(ほとんどの人が)そう言われて体に浴びて別にそれで不快ではない、むしろ快感だっていうことで共謀構造ですよね。お上と買い物している人たちが、お互いに支え合って成り立っているわけですよね。あるいは、季節感って日本人すごく好きですよね。あれがやはり放送で、たとえば4月になると「さくら さくら」が流れてぴらぴらぴらぴらセルロイドがあってという、あれで季節感を感じるという日本人の感性も問題だと思いますね。

久米 本物ではなくてね。

中島 日本人が非常に大切にしている伝統的文化を守ってきた感性が、こういうふうなものに間接的に加害性を持っていると思うんですけれどもね。

久米 季節感の押しつけみたいなものなんですかね。「春をみんなに味わってもらいたいからサービスしてあげたよ」みたいな。

中島 そうですね。日本人のほとんどが「あれ、うるさいからやめてくれ」って怒鳴り込めば、やめるに決まってるわけですよ。秋葉原でもどこでも私は買い物できませんが、バーゲンセールのときに静かにしてて客が集まればいいけども、一番うるさいですね。逆になればいいけども(うるさいからこそ人が)集まりますね。こういう共謀構造ですから、私たちはどうしようもないですねはっきり言って。

久米 25年間の運動で、疲れ果てていらっしゃるようなんですけど。

中島 いや、全然疲れてないんです。

久米 これからも闘っていこうと。

中島 そうですね。原因がわかってくると、悪い意味でいろいろこちら側もテクニックを磨いてきて面白いですよね。無駄なことはしなくなりますから。

久米 何か日本の町で、これだけは残してもいいなという好きな音あります?

中島 私ね、ほかの方々がいろんなことおっしゃってるから、言いたくないんですよ。私「日本の音風景100選」とか大嫌いで、これだけ音漬け社会で錯乱炸裂しているのに、その中から選り分けていい音を探すっていう発想が嫌いなんですよ。ですからそういうのには荷担しませんけどね。

久米 町中で、この音だけは残しといてもいいというのはありませんか?

中島 あるけど言いたくないです。

久米 (笑)ヒントだけでもありません?

中島 つまりね、台風でもなんでもいいんで、自然の音はすべていい音ですよはっきり言って。でも、人は今、逆になっていて、商店街ではなんともない人も「カエルの音がうるさい」とか「カラスを撲滅してくれ」とか言ってるそうですけども、逆転してるんですよね。自然の音がうるさいと言って、商店街のスピーカーはなんともないというふうになっていて。ご存じですか、京都のお寺も3分の1が(鐘を)鳴らしてないんですよ。周りの人がうるさいからと言って。私もいろいろ市役所の人、知ってますけども苦情だらけで、問題なのは日本人は非常に苦情を言う国民なんですね。世界で一番、商品に対して要求が高い国民ですよね。区役所に行っても市役所に行ってもものすごい苦情だらけで、その中で「テープ音がうるさい」という苦情がないわけですから。

久米 ないんだ。

中島 ほとんどないんですよね。(でも)犬の声がうるさいとかいう苦情はたくさんあるわけです。そういうことを知ると、じゃあどういうふうに考えればいいかって次の段階に行きますよね。

アシスタント 火の用心とか、昔からのそういうのも駄目なんですか。

中島 昔の豆腐屋さんのラッパとか、金魚金魚とかいうのはよかったわけですよね。それが急にすべてテープになってしまって、中で売ってる人はふんぞり返ってるわけですよ。ああいう雰囲気が。つまり、音というのはデシベルとか物理的な問題ではなくて、その背後の人間の態度というものを読み取ってしまうんですよ。だから野良犬はうるさくなくても、飼い犬だとうるさいんですよ。そういう人間心理が微妙に動くところなんですよ。

久米 なるほどね。どうもありがとうございました。今、火の用心の話しましたけど、港区の中村さんというのが火の用心で週に2、3回やってるんですけど、数年前にあるマンションの住人から「うるせーお前」と怒鳴られて、それ以来、そのマンションの前を通るときは拍子木だけ打っている。心の中で「火の用心」って言ってるそうです。それから埼玉県深谷市のちり紙交換歴50年「昔は朝、6時30分から『まいどおなじみ』ってやってたんですけど、今は平日は共働きで留守が多いんで、土日に限ってやっている」んだそうです。最近、僕、特に感じるんですけど、勤務時間がみんなバラバラなんで、昼間寝る人っているわけですよ。そういう人たちにとっては、昼間だからって何かやられたら「昼間は寝る時間だから静かにしてもらいたい」という人が予想のほか多いんです。だから昼間は大音量出していいっていう時代ではなくなってきているんですよね。セスナの飛行宣伝、これは東京はできないんだそうですが、大阪はOK。平日のみ土日は禁止で、酒屋さんとか肉屋さんとか自動車教習所、神社の宣伝。

アシスタント えー。

久米 セスナで上空300mを最短10分、最長2時間、1時間8万円だそうです。

――――――

 最後の最後で「火の用心にうるさいと言われた」とか、「ちり紙交換が土日しかできなくなった」とか、騒音を出している側に同情を誘うようなはがきを紹介していますが、こういうものの考え方こそが「やさしさの暴力」であり日本人の鈍感さであり、スピーカー騒音の元凶だということに、久米氏は気づいてくれたのでしょうか?

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カテゴリ:「静かな街を考える会」について
だから「路上ライブ解放区」でも作れっちゅ~の
 こういうことが、必ず起きると思ってました。10月8日の朝日新聞朝刊から。

――――――

新宿駅前で無許可ライブ容疑、アイドルら10人書類送検

 東京・新宿駅前の路上で無許可でライブをしたとして、警視庁は8日、関西を拠点に活動する女性アイドルグループのメンバー7人を含む18~26歳の男女計10人を道路交通法違反(道路の不正使用)の疑いで書類送検し、発表した。

 メンバーの他に書類送検されたのは、グループ責任者の男(24)=大阪市=と、24~25歳のものまねタレントの男2人=同。

 新宿署によると、10人は8月13日午後1時20分から午後2時10分ごろまで、新宿区新宿3丁目のJR新宿駅南口前の歩道で、道路使用許可を得ずにライブを開いて客を集め、道路を不正に使用した疑いがある。

 グループはこれまでに少なくとも9回、新宿駅前で路上ライブを開きCDを販売。その都度、署が注意し、誓約書を書いていた。

 新宿駅周辺での路上ライブをめぐっては、今年に入って545件の苦情などが寄せられているという。

路上ライブ書類送検.jpg

――――――

 以前のエントリーに書いた通り、このままならそのうち、バカな自称ミュージシャンだのアイドルだのの間で、路上ライブをめぐって場所取りの喧嘩や殺人事件なんかも起きるんじゃないですかね。いや、もう起きてたりして。

 こういうことにならないよう、誰もが「道路は公共物である」という認識を持ち、「道路を私的に占有しない」よう心がけ、「違反した者は取り締まる」ことが必要なのに、日本人というのは「公共」という概念が理解できないのだからどうしようもありません。
 廃品回収車や移動販売車の騒音、デモや政治屋の演説、商店街のアナウンスやBGM(おまけに、おびただしい数の違法看板やはみ出し陳列!)まで、ライブに限らず日本の道路というのは「やりたい放題」の場所ですからね。

 「道路を私的に利用するな。路上ライブはやめろ」と言うと、「表現の自由をなんだと思ってるんだ!」などとわめく人間がたくさんいるようですが、公共の場である道路で大きな音を出さない、私的に占有しないというのは「表現の自由」ではなく「社会的規則」の話。「車は左、人は右」と同じ社会のルールの問題です。
 路上ライブができない=あらゆる表現活動ができないわけじゃないんだから、音楽をやりたい人間は自分でCDを作って売ったり、ライブハウスで演奏したりすればいいだけです。

 それでも、CDを作ったりライブハウスに出演したりするほどのカネも実力もない自称ミュージシャン連中が、「もっと手軽に、カネをかけずに演奏できる場所が欲しい」と考えるのも、わからなくはありません(ずいぶん自分勝手な望みだとは思いますがね)。
 だからこそ、行政や警察が「ここで演奏するならいいぞ」というしっかりしたルールのもとで、路上ライブ解放区を作ればいい。
 これも以前のエントリーに書いたことですが、新宿なら歌舞伎町のコマ劇場前なんかぴったりです。秋葉原も、どうせあれだけやかましくて、もう無茶苦茶な町になっているんだから、電気街の道路を路上ライブOKと正式に認めてしまえばいいんです。都内ならほかに、渋谷や池袋あたりに1カ所ずつあれば十分でしょう。

 もちろん、これらの場所を野放図に「路上ライブOK」にするのではなく、曜日や時間を区切り、申込み制にすること。先着順か抽選かなど細かいことはともかく、税金で整備された公共の道路を無料で使わせるのはおかしな話なので、演奏者からは1000円程度でも道路使用料を取るべきでしょうね。パーキングと同じことですよ。
 どうせなら、CDの売り上げや聴衆の「お布施」からも、その場で何%かマージンを取ったらどうですか? 警察や公務員のみなさんも裏金が作れてうはうはだ!

 もっとも大切なのは、近隣住民に「ここを路上ライブOKにしていいか」と聞いて100%の同意を得ること。コマ劇場周辺に住んでいる人がいるのかどうか知りませんが、秋葉原の場合、再開発された青果市場周辺には、まだ古くからの住民がいるので、その人たちの中から一人でも「迷惑だ」と反対されたら中止すべきでしょう。

 そういうふうに「ライブができる場所を作ってくれ」という声を上げず、路上で身勝手な演奏ばかりする自称ミュージシャン連中も、前向きなアイデア一つ出そうとせず、ただ誓約書(そんなもの、法的にどんな意味があんの?)を書かせ、従わなかったら見せしめに吊し上げるだけという警察も、知恵を出したり「公共とは何か」を考える力がなさすぎる。
 だいたい、今回の事件も「書類送検」で終わらせるだけじゃ、なんの抑止力にもならないんじゃないですかね。どうして「逮捕」しないのか理解に苦しみます。

 ところで、以前のエントリーで取り上げた朝日新聞の記事は、同じ新宿駅南口の路上ライブを情感たっぷりに褒めそやしていたわけですが、今回の事件を受けて、記事を書いた上沢博之という記者や朝日新聞は、路上ライブのあり方についてどう考えるのか。ぜひ聞いてみたいものです。
 あなたたちが褒めている路上ライブは、違法行為ですから~、残念!(古すぎる……)

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カテゴリ:祭り・路上ライブ
『AMENITY』32号発行のお知らせ
 本会が年に一度発行している機関誌『AMENITY』32号が完成しました。購読のお申し込みは本会のホームページからどうぞ。
 購読料は発送1回につき何冊でも1000円、同時にバックナンバーを注文しても、発送1回あたり1000円でお送りします(送料を負担していただく場合あり)。

 32号の内容は下記のとおり。

●東京近郊鉄道会社へのアンケート 香山弘行……1
 鉄道会社10社に、車内アナウンスや駅メロのあり方についてアンケートを送付。その返信を掲載し、今後の鉄道アナウンスがどうなっていくのかを考察しています。なお10社のうち、JR東日本だけがアンケートを無視し返信してこなかったとか。

●拡声器音をめぐる2つのエピソード(転載) 永幡幸司……12
 福島大学准教授・永幡幸司氏の原稿の転載。拡声器を使った選挙演説や募金活動の配慮のなさ、矛盾点を指摘しています。

●プールやジムでのBGM騒音 福田、原田、大嶋……14
 スポーツジムや市民プールなどで流れるBGMがいかに迷惑か。そんな声を集めました。

●意見広告について 竹内昭子……16
 本会の会員が、信濃毎日新聞(2013年10月20日付朝刊)に自費で出稿した意見広告(選挙カーの使用や街頭演説に反対)の後日談。

●日本人の方が苛々する騒音に寛容なのか(転載) ダニエル・クリーガー……18
 駅、車内、スーパー、飲食店、右翼の街宣など、日本のあまりの騒がしさを不思議に思う。英文サイトからの転載(翻訳)。

●音霊 言霊 鈴木捺保……20
 日常のさまざまな騒音や、日本の景観の汚らしさに苦言。

●日本人のノイズ感覚の変化についての考察 其の二 石上和也……22
 電子音楽の作曲家が、日本人の音感覚やノイズ感覚の形成過程を考察。

●もうちょっと静かになりませんか、JRサン(転載) 猫池……28
 JR東日本の駅や車内のアナウンスがいかにうるさいか。ブログからの転載

●防災行政無線の屋外スピーカ(その二) 五味広美……32
 屋外スピーカーからの音声放送は、災害対策として役に立ちにくいにも関わらず、行政はなぜ防災無線を使うことに固執するのか。情報公開を請求した自治体の資料などをもとに考える。

●合成音声システムでより静かな放送(転載) カトリオナ・ケリー……41
 合成音声の技術が発達すれば、ボリュームを上げることなく聞き取りやすいアナウンスを流すことができるという報告。英文サイトからの転載(翻訳)。

●インタビュー 町田市の防災無線の運営について 福田隆太、C.J.ディーガン……42
 東京都町田市の防災無線の運用方法について、市職員にインタビュー。「災害時以外、原則として防災無線を使わないほうがいい」という方針だそうです。

●関東地区の2014年初の会合……46
 2014年1月におこなわれた本会のミーティングを要約。

●随筆 静寂(転載) 出浦照國……51
 昭和大学客員教授・出浦照國氏からの寄稿。フランクフルトなどヨーロッパの都市から日本に帰国するたび、「なぜ、日本の街はこんなに騒々しいのだろう」と疑問を抱き続けてきた。

●小うるさい日本の私 永井広……54
 スピーカー騒音は思考停止を招くだけ。「同じ」ことを考える人間ばかり作ろうとすると日本社会の問題点を指摘。

●九州の片隅から 古賀知行……58
 28店舗のうち営業しているのが10店舗しかない寂れた商店街でも、BGMを流さないと気が済まない日本人の病巣。

●防災無線 誤報の数々(新聞の切り抜き)……60
 災害警報やJアラートなど誤放送の数々。

AMENITY32号.jpg

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カテゴリ:「静かな街を考える会」について
アウトサイダーが告発する「叫び声公害」
 評論家の犬養道子氏が書いた『アウトサイダーからの手紙』(1983年)という本があります。内容は以下の通り。

内容(「BOOK」データベースより)
 列車内や街角の騒音公害、化粧されたリンゴ、病的なまでの贈答合戦、老人ホームの日欧比較など、外国暮しの長い著者が、異なる発想で日本人の「食」「住」「慣習」を見直した貴重な提言の数々。

目次
 叫び声公害
 「紅茶」と「英国」
 「贈答品」と「たわごと」
 化粧されたリンゴ
 「サクラ」と国際人
 自由と規制
 老人と女子学生
 「窓」と「洗濯槽」
 共同生活と老人
 色彩と日本人
 「拾う」はなし
 生活のリズムと風習

 第1章の「叫び声公害」というのは、このブログで取り上げているスピーカー騒音や絶叫騒音のことです。
 本会が設立されたのが84年で、この本の初版が出版されたのが83年。そのほか、拡声機器騒音や近隣騒音などについて問題提起する本が出版されるようになったのも、だいたい80年代が始まりとなっています。それまでは「当たり前」のものとして受け止められてきた日本特有の「騒音」に、おかしいんじゃないかと気づく人が出てきた時期なのかもしれません。

 ただし、それ以降も疑問を抱く人はまったく増えず、日本のスピーカー騒音や絶叫騒音はひどくなる一方。むしろ、よけいなアナウンスや音楽を「うるさいけど、しょうがない」と割り切って考えるならともかく、「注意すること、お知らせすること、大声で叫ぶことが『おもてなし』なんだ!」と、いかにも日本的に情緒で押し売りしてくるようになっている気がします。

 本書は内容紹介からもわかるとおり、日本的な押しつけの蔓延を、主にヨーロッパ社会と比較し批判したものです。
 テーマは騒音だけでなく景観や贈答習慣など多岐にわたりますが、第1章「叫び声公害」の冒頭を紹介したいと思います。

――――――

叫び声公害

 一九七八年から九年にかけて日本に八ヵ月ばかりいた。

 そんなに長くいたのは、ほとんど九年ぶりのことである。

 私は東京に小さな仕事場を置き、時々、新幹線や飛行機を使って旅行をし、快速電車や地下鉄で、都内都下、近郊近県にもちょいちょい行ってみた。

 そして、しんそこから驚いた。

「驚いた」と言うのは、あまり適切な表現でないかも知れない。何しろ、「驚かされっぱなしなこと」に毎日ほとほと驚いたと言った方がよさそうに思われる。じゃあ、何に驚かされっぱなしだったのかと聞かれれば、答は簡単・単純で、音に、である。

 ヨーロッパに戻って数日のち、私は新聞の社会欄のすみっこに小さな記事を見出した。東京に住むフランスの一青年が、選挙ポスターを破ったかどで警察につかまったと言う記事だった。日本の新聞には、どのように報道されたか知る由もないが、私の読んだパリの新聞にはこう書かれていた。「街頭演説の声のうるささのため、すっかりヘンになって……」わかる、わかる、と私は思わずひとりごとを言った。ヘンになるのは、当たりまえだ。日本で私は何度、思ったことだろう、「ああ、気が狂う!」。

「音」は、自動車や電車の音ではない。

 そういう言う機械の醸し出す音は、いまや、不幸にも、世界じゅうのすべての都会にとってつきものとなってしまった。自動車の音のうるささから言えば、四車線道路に面と向かって建てられているアパルトマン――そんなものはパリにはざらにある――の方が、東京の多くのアパート、マンションより少々「ひどい」かも知れない。

 が、いましがた言ったように、東京のみならず、日本国じゅうを満たしに満たして、日本の生活に不馴れな人間の気を「ヘンにして」しまう「音」は、自動車その他の音ではない。

 私の親しい友人のひとりは、日本人と結婚し、日本を愛し、いまはパリに住んでいるが、いつか「ゆっくり」日本に住みたいと思っている――が、

「ひとつ、問題がある」

 と彼女は言う。

「あの音! あれには耐えられないのじゃないかしら。あの音!」

 彼女の言う「音」と、私のここで言いたい「音」とは、同義語である。

 警察につかまったフランス青年は「街頭演説の声のうるささ」でヘンになったと言うが、実は、それまでにすでにヘンになっていたのが、あの形容に絶する「……お願いいたします」の叫び声の連続で、ついに爆発したのだとしか思われない。

 音とは、人の声による音、である。

 ――まず、駅に行く。どの駅でもかまわない。日本に着いてはじめて、駅と言うところに行ったそのときから「驚かされっぱなし」は開始する。

(山あいの赤字路線の、一日に乗降客何人と言うような駅も、日本のどこかにはいくつかあるにちがいなく、そのような駅だけが、最も「まとも」な状態を辛うじて保っていると察せられるが、そのような駅は、不幸にして東京・関西・中国地方の都市周辺と言う、私の行動範囲の中には存在しなかった。多くの外人旅行者の行程の中にも通常は入らない)。

 ――アナウンスと言うものをやっている。そりゃ、ヨーロッパのいろいろの国のあちこちの駅だって、アナウンスをやるところはたしかにある。が、それは大方、「何番線にハンブルグ経由デンマーク行きが入ります」とか、「イスタンブール行きはおくれています」とか、外国・外地行きの国際列車発着・通過の大きな駅であって、そのアナウンスも極めて短く、簡単ときまっている。

 それがどうだろう。日本と言う不思議な国では、微に入り細をうがつアナウンスが、ほとんどひっきりなしなのだ。千葉・東京間の短距離だろうと、ぐるぐるまわる山手線だろうと、フランス・デンマーク間などの汽車のためのアナウンスの十倍がたは、ていねいにやる。

 電車が来ます、からはじまって、危ないから白線の内側にいてくれの、ドアが閉まりますの、ちゃんと並んでくれの、考えつく限りをアナウンスする。まるで乗客が何のわきまえも判断力もない三歳児であるかのように。

 電車は驚くほどちょいちょい来る上に、どんな駅にも上り下りと、少なくとも二線は必ずあるから、いきおいアナウンスは、ほとんどひっきりなしとなる。そのうるささは耐えがたい。のみならず、ガァガァと混乱する音によって、アナスンスの内容は理解し得ない。

 しかし、人はそのような「音の絶えまなさ」をもって、「サービス」と取りちがえているとみえる。

 が、駅のアナウンスで早々とヘンになってしまったら、あとは到底つづかない。乗りこんだ車の中でもアナウンスは途切れないからだ。ああ、東横線! 「揺れるからつかまれ」「ドアに手をはさまれぬよう気をつけろ」からはじまって、ひどいときには、わずか一時間なんぼで行きつく筈の桜木町までの停車駅名と時刻を延々としゃべる。全部言ってくれたのだから、やれやれこれで終わりだと思うとさにあらず、いましがた全部言ったばかりの駅名の中から「次は××駅」と、拾いあげて、一々に言う、降り口は右だ左だと、それまで言う! 地下鉄、国鉄(いまのJR)は、それにくらべ少々静かだが、それでもやっぱり次は何駅で、と言わずにことはおさまらない。

 外出するのが苦痛になった。神経の底まで揺さぶられる気がした。揺さぶられて神経はピリピリして来た。だから、他のあらゆる公共乗物をこころみ、そのあげく、くたびれはて、「ああ気が狂う」と六本木のどまん中で大声で空に向かって叫んだ。まわりの人はびっくりしていた。

 バスは運転手ひとりの「ワンマン式」だから大丈夫だろうと考えたのは早とちりで、テープ録音というしかけがしてあった。せっかくテープを使ってきれいな声のお嬢さんを動員したからにはと言うつもりであろうか、大へんていねいだ。うるさいことに変りはない。しかも、そこまで「サービス」をしている筈なのに、外国人などのための大きな一目瞭然のバス路線図はなく、細かい、見にくいのが車内に貼ってあるだけだ。大体、フランスやスイス、ドイツ等々のバスのように、どてっぱらに大きく、遠眼にも読めるほどの文字で、どこ経由どこからどこへ、は書いてないし、まことに片手落と言う他はない。サービスとは「叫びつづけること」ではないのだ。

 バスも駄目とわかったから、タクシーをこころみた。運転手の人や好みによっていちがいには言えまいが、不幸にして私のつかまえたのは数台とも、ラジオをかけっぱなしにしていた。「すみませんが止めてください」と言ったら、ひとりは非常に不機嫌になり、ひとりは全く返事をしなかった。

 こうなったら、もう近いところは歩くに限る。いや、遠いところも歩くに限る。道路も静かどころではないが。しかし、歩いてたどり着いた先がまた大問題で、必要なこまごまとした買物にはデパートが一番だろうと考えて、入ってみれば、そこはまさに「音の殿堂」である! ことに暮近くなってからは。「坊や」と甘い声が響いて来る、「危いからエスカレーターで遊ぶのはやめましょうね」。「お母さまがた」と甘い声はまた呼びかける、「エスカレーターにお乗りのさいは……」。こんどはちがう声が響いて来る、「ただいま何階では××特別展を……」「お歳暮はお早目に……」。

 出来るだけ早く買物をすませて、ああくたびれた、コーヒーの一杯でもと喫茶店をのぞく。するとそこがまた「音」などと言うなまやさしいものではなく、音楽と人の声とでめちゃめちゃになっている。これはいかんと飛び出して、あたり一帯、コーヒーとか喫茶とか書いてある店ははじからのぞいてみたが、なんと! 「音」のない喫茶店など存在してはいなかった!

 帰京早々はいろいろと用があって、午前から外出することが多かったが、一段落して、仕事場に落ちついて、さあ、ぼつぼつと意気ごんだところ、週に数回、午前を容赦なく切り乱して、広報車とやら言うものの通るのに気がついた。都のだか区のだか、あるいは公共の団体のだか、よくはわからないが、「不用の紙や衣類等があったら……お知らせください、電話番号は」とくりかえしやる。青竹売りが性能の大へんによい、つまり大へんな音で響きわたるラウドスピーカーを使いながら週に二度くらい、ゆっくり通ることもわかった。

 私の仕事場は地面すれすれではなく、窓もアルミサッシュだから、音はかなりのていど遮断される筈なのだが、それでも(大きなデモなどの特殊事態を除き)「街に人の叫び声は全くないもの」ときまっている国々に馴れてしまった身には、大雑音となって(大仰な表現を使えば)襲いかかって来たのである。日曜と言う、現代の生活リズムに疲れはてた人々がようやく休むその日さえ、例外ではない。ヨーロッパでならどんな大きな町でも、しんかんとしずもりかえるあの、安らぎに満ちた日曜日。あまつさえ、ある日、早朝のミサに急ぐ背中に、何とか政治団体の広報車が、伴奏入りの何とか宣言を浴びせて来たときには、よほど警察に走って行って、「叫び声公害」を訴えようかと考えたほどである。

 教会の鐘の音だけが響きあう日曜日のヨーロッパの町々を、私はその朝、涙ぐむばかりになつかしんだ。

「竹や、青竹」

 たしかに風情はある。しかし、そう言う風情は、生活の質の緊張度の急速に高まった時代、果して、昔と同じ「風情」なのだろうか。焼芋売りも同じことで、夜の十時ごろから窓の下で叫びつづけるのには閉口した。ほとほと悩まされた。私の仕事場の場所柄えらびまちがっていたのじゃあるまいかと、しみじみ思った。が、どうやら他の人は、青竹にも焼芋にも不用品にも、全く無関心であるらしかった。

 私はとうとう、青竹、焼芋、新幹線、街頭演説、広報車一切合財くるめた「叫び声公害」について、数人の識者の意見を聞きに行った。人選がまちがっていたのかも知れないが、オピニオン・リーダーとして各方面に知られているその数人の答は、私を驚倒させた。「そりゃ、たしかにうるさい。やめさせたほうがいい。しかし叫び声禁止令を出したとき、どうなるか、考えたことがあるかね。酔漢にからまれたり追剥ひったくりに出合ったりした人が『助けてェ』と叫んでも、罪に処せられることになってしまうんだよ。火事に気づいて大通りに走り出て『火事だァ』と叫んでも、ね」! 私は自分の頭の悪さを思い知らされた。識者たちの言おうとしていることが全く理解出来なかったからである。あまつさえ、「悪平等とはこのことだ。いまの日本の悪のひとつがこの悪平等なのだ」などと考えてしまったからである。

“アウトサイダーからの手紙”とはキザな題だが、日本に住む日本の人にとって何とも感じられないことどもに、「ついて行けなくなってしまった人間」の意味でのアウトサイダーである。ヨーロッパの方が万事よい、などと言う時代錯誤的な「崇拝」は、長くその地に住めば住むほど、不可思議な迷信と思われて来る。だから、どちらがよくてどちらが悪いと、客観的に、もしくは十把ひとからげに比較しようなどと言うつもりはさらさらない。いま、ここで問題になっているのは、日本と言うところは、列島一帯「人声」に満ちあふれているところであって、それを人はサービスと思い風情と思い(あるいはてんで耳にとどめず)、当りまえに受けとめて暮している、それが私には、もはや出来なくなってしまったのだと言う点である。

 そして、それを私流に分解(と言うと大げさだが)してみると、第一に健康上、衛生上よくないとしか思われない。(後略)

――――――

 興味のある方は、図書館で借りたりして続きを読んでみてください。

 あとは、本題とはなんの関係もない息抜きのくだらない話です。
 上記のリンク先、この本のAmazonの売り場は、なぜかカバー画像が谷崎潤一郎になっているのですが、こういう画像の取り違えって意外にあるみたいで、以前、こんなものも見つけて笑ってしまいました。

虚航船団の逆襲.jpg

藤原紀香.jpg

ホンダCBR250RR.jpg

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カテゴリ:騒音をめぐるあれこれ
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