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「空いている席」に座らないで、どこに座ればいいの?
 先日の朝日新聞の読者投稿欄「声」に載っていた投書から。

――――――

後から来る人への席配慮は悪習

大学非常勤講師 ●●●●
(神奈川県 64)

 過日、ある集まりに参加した。開始10分前には席がほぼ埋まった。主催者が「後から来る方のために前にお詰め下さい」と繰り返しアナウンスをしていた。アナウンスだけでなく、端の方の席に座っていた私を含め数人が、強引に真ん中の席に移動させられてしまった。

 座席指定がない集まりではしばしばあることだが、これは悪習ではないだろうか。かぶりつきがいい人もいるだろうし、席を立ちやすいように端がいい人もいるだろう。だから早めに行って、自分の好みの場所をキープするのである。

 遅れて来る人のために、先に来た人が好みの席から移動させられるのはどう考えてもおかしい。電車やバスのように入り口で止まってしまうと、中は空いているのに乗れないというのとは事情が違う。遅れてきた人は空いている席に座るよう、主催者は促せば十分だ。

――――――

 この投稿者は「先に来ていた人が、後から来る人のために席を移動させられるのはおかしい」と言っているわけですが、その主張は正しいと思います。
 ただ、あえて言えばもう一歩踏み込んで、「早く来て好みの席に座っていたのに、強引に移動させられた」という行動そのものより、「どんなことにでも、いちいちアナウンスを流すバカらしさ」について考えてもらえたら……と思いますけどね。

 「遅れてきた人は空いている席に座るよう、主催者は促せば十分だ」とありますが、そもそも、そんなアナウンスすら不要なんですよ。
 だって「空いている席」に座らないで、どこに座ればいいの? 「空いていない席」に座るなんて物理的に不可能なんだから、「空いている席に座れ」なんて、いちいちアナウンスで促すようなことじゃないでしょう。
 それとも日本人は、「空いている席に座れとアナウンスで言われないと、空いている席に座ることすらできない」ってこと?

 ……いや、これが実際にそうだから恐ろしい。
 少し考えてみれば「それ、なんの意味があるの? なんの役に立つの? なんでいちいち命令されなきゃいかんの?」と言いたくなるようなアナウンスや看板が、そこかしこに氾濫しているのが日本の社会なのに、そのおかしさにほとんど、誰も気がつかないんだから。

 この人は、電車やバスで「扉付近に立ち止まらず中にお詰めください」なんてアナウンスを流すことは肯定しているようですが、それだって本当は必要ありませんよ。
 ちょっと想像力があれば、扉付近に人が固まったら後の人が乗れなくなることぐらいわかるはずなのに、「お詰めください」というアナウンスが流れようが流れまいが、扉の近くから梃子でも動こうとしない人間ばかりというのが現実だもんね。
 だったら、そんなアナウンスなんてないほうがましですよ。

 「詰める」といえば、とても胸くそ悪いことを思い出したので書きます。

 もう数年前のことですが、突然の夕立に襲われながらバス停に行ったら、先に並んでいる人が12~13人ほどいました。日本人はこういう行列を作るとき、必要以上に前の人との距離をとるから、先頭から7~8人くらいはバス停の屋根の下に入っていましたが、最後の数人は屋根からはみ出して、ずぶ濡れのまま立っていました。私も含めてみんな傘は持っていましたが、それがほとんど役に立たない豪雨です。

 私は最後尾に並びながら猛烈に腹が立ったので、「後ろの人が濡れるんで、もっと詰めてもらえませんかね!」と大声を出しました。前のほうの連中はほとんど振り返りもせず、誰かなんか言ってるな~、しょ~がね~な~、という態度で少しずつじりじりと間隔を詰め、ようやく私を含め全員が屋根の下に入ることができました。

 こんなとき何がイライラするって、列の後ろの人を気遣おうともせず、ガバガバ間隔をとって並んでいる鈍感な先頭の連中……に対してだけじゃありません。
 そいつらはもちろん、ずぶ濡れのままバスを待たされているのに「詰めてください」の一言すら言わず、私が「詰めてくれ」と言ったから屋根の下に入ることができたのに「ありがとう」とか、別に言葉にしてくれなくてもいいけど、感謝するような仕草をしてくれる人すら誰一人いなかったことです。
 それどころか、チラチラこちらを振り返ってくる目は、明らかに「なんなの~この人」とでも言いたげだったもんね。

 こういう人たちは「もう少し詰めてくれ」と言うより、黙ってずぶ濡れになっていたほうがいいんでしょうかね。「濡れるから詰めてください」と言うのは、断崖絶壁から飛び降りるほど難しいことなんですかね。日本の社会では「詰めてください」と言う人間のほうが「おかしい」んでしょうかね。

 ま、同じ状況でも、私という個人が個人の権利として「詰めてくれ」と言うのではなく、スピーカーから「後ろの方のためにお詰めください! 後ろの方のためにお詰めください!」なんてアナウンスが流されていたら、誰もが黙って従うんでしょうね。ガバガバに並んでいたとしても、私が「スピーカーからも放送してるだろ!」なんて言うと、急に赤面しながら前に詰めたりするんでしょう。

 店などに作った行列で、店の人間が「前にお詰めくださ~い!」と指示しているときには、誰もが従順に従うのも同じこと。
 「個人が個人として発する声は異様に嫌うくせに、スピーカーという権力を通した声にはとたんに従順になる」のは、日本人の典型的な反応です。

 だから、世の中のほとんどの人は「もっとスピーカーで放送して! 看板で注意して!(自分では言えないから!)」なんて要求し続けるわけですが、「そんなことすら言えない自分はおかしいんじゃないか」「子供じゃないんだから、それくらいはっきり言わなければ」とは一切考えません。
 「権力」に言ってもらわないと何もしない、できない(そのくせ、自分が権力の一員になったとたん、どんなくだらないことでも「ああしろ、こうしろ」と大声張り上げて押しつけてくる)のに、自分ではそのことの幼稚さやおかしさにまったく気がつかない……。

 このときも、私はバスに揺られながら「どうしてだろ、なんでだろ」といろいろ考え込んでしまいましたが、きっと考えたってしょうがないんでしょう。
 日本人なんて「そんなもん」なんでしょうからね。

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カテゴリ:騒音をめぐるあれこれ
防災無線で高校野球の結果を「大本営発表」
 やれやれ。先日の朝日新聞の記事から。

――――――

大島の夏

(2)防災無線で勝利届けたい

 ◆支えられ苦境乗り越える

 □大島高・天野一道監督

 大島の夏。(高校野球の予選が始まると)試合結果は防災無線で島中に流れ、勝てば島は沸く。初戦は7月12日。「できるだけ、長い夏にしよう」。それが、島に「日常」を取り戻すきっかけになればいい。天野監督はそう願っている。

伊豆大島防災無線.jpg

――――――

 だ、そうです。すごいですねー。
 野球に限らずスポーツなんて、当人たちの趣味、楽しみでやればいいことだし、そうであるほうがよほど健全なのに、朝日新聞にかかると、自治体の設備である防災無線を使って、まるで大本営発表のように自社のイベントの結果を放送することまで「いいこと」になってしまうわけですか。
 すごいですねー。
 野球の結果を流すことの、どこが「防災」無線の役目なんでしょう?

 この前段では、

――――――

 「部員はみな、野球ができる喜びをかみしめてくれている。それで十分」。(島への)恩返し、などとプレッシャーをかけるつもりもない。「そんな大きなものは背負わなくていい」

――――――
 
 なんて書いてあるけど、試合結果を防災無線で流すなんて、それこそプレッシャーをかける最大の要因、「大きなものを背負わせる」ことにつながるんじゃないの?
 子供に何を背負わせようが背負わせまいがどうでもいいし、高校生たちがそれをどう感じようが赤の他人のことなんか知ったこっちゃありませんが、言ってることが矛盾だらけですね。

 それに、高校野球の結果だけ防災無線で流す、というのもおかしな話でしょう。バスケットボールでも卓球でも、なんでもいいけど島の学校にはいろんな部があって、それぞれに一生懸命練習や試合をしてるんじゃないの?
 どうせ野球だけ特別扱いして、ほかの試合の結果は流していないんだろうけど、それって「差別」ですよね。この疑問については、どう答えてくれるんでしょうか。

 差別、絶対に許さないぞおおおおおおー!

 ま、高校野球の結果みたいなどうでもいいことまで、防災無線を使って大本営発表する自治体って、伊豆大島だけじゃないですからね。「●●町の××さんがお亡くなりになりました。葬儀は3日午後1時から▲▲で」だの、「みなさん、今日も1日笑顔で過ごしましょう!」だの、災害放送、避難放送以外の「どーでもいい」放送を日常的に垂れ流す自治体は、日本中に山のようにあるようです。

 私が住んでいる市では、夕方の音楽以外の放送は(基本的に)ありません。「振り込め詐欺に気をつけましょう」の放送が一時期ありましたが、私が苦情を言ってやめさせました。
 それでも、音楽だけでも苦痛です。毎日毎日、聞きたくもない音楽を大音量で流されて、その間は耳を塞いで耐えています。

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カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
そもそも、ヤジが当たり前になってるのがおかしいんだよ
 「音」の問題、「うるさい」の問題に通じることなので書きますが、バカな都議会議員の「セクハラヤジ」を巡る騒ぎには、違和感しかありません。

 このアホ議員のヤジの内容については、どうでもいいです。そんなことより問題は、誰一人「そもそも、議会という場でヤジが日常的に飛び交っていること」について「おかしいだろ」と指摘しないことです。
 たとえば、昨日の朝日新聞で、このヤジについての記事をざっと眺めても(読んじゃいません。眺めただけです)、ヤジの内容についてはああだこうだと糾弾していますが、「そもそも、議会でヤジが当たり前になっていることが問題なのだ」と指摘した文言はまったくありません。
 どうなってんの?

 あのさあ、小学生のホームルームでさえ、いつまでも無駄口ばかり叩いているバカなガキがいると、メガネをかけた三つ編みの委員長が「みなさん静かにしてくださーい!」とか、「言いたいことがある人は、手を挙げてからにしてくださーい!」とか注意するでしょう(イメージが古いなあ)。
 で、それでも静かにならなければ、横にいる担任の先生が「パン、パン!」と手を叩いて、「ほらほら、これじゃホームルームにならないでしょ!」などと注意して、それでようやく静かになってまともな「会議」が始まるわけです。

 「議会」や「会議」って、そういうふうに「発言者以外は静かに議論を聞く」「言いたいことがあれば、挙手をして発言する」のが当然の場であって、「ヤジが飛び交うのが当たり前」になっていること自体がおかしい。そんなことは小学生レベルで学ぶことです。

 それなのにこの国は、都議会だけでなく国会でもどこでも、人の発言を邪魔するようなヤジが日常的に飛び交い、それを「おかしい」とも思わない政治屋連中と、そのことを指摘もしないバカなマスコミ、有権者ばかり。今回のセクハラ議員のヤジだって、内容云々より「ヤジはおかしい」というところから考えるいい機会なのに、誰もそうしようとはしません。

 聞くところによれば、政治屋というのは議会でヤジを飛ばすことが「義務」になっていて、特に若い議員はヤジを飛ばさないと党や長老から「もっとヤジれ」と怒られるらしいじゃないですか。議員が、自らの職場である議会の進行を妨害する行為を「推奨」するって、ちょっと狂ってるでしょう。さすがは、駅前や町中でギャースカギャースカ連呼や演説をして、人に迷惑をかけて平気でいられる政治屋様たちです。

 マスコミだって、以前「ヤジは議会の華と言うが……」なんて言い回しの記事を見たことはありますが、「それにしても限度がある」といった程度で、「ヤジをやめろ」という指摘を読んだ記憶は一度もありません。
 「議論」ではなく、「いかに人の発言を妨害するか」しか考えない連中が集まっている場所。そんな「一升瓶抱えた酔っ払いが、好き勝手に管を巻く田舎の寄り合い」みたいなものを「議会」などと言っているのだから、面白い国ですねえ日本ってのは。

 ま、この議員がアホなのは、「結婚しろ~」だの「子供産め~」だの、心の中で思っているだけなら自由なことを、うかうかと口に出してしまったことです。ヤジなんか飛ばさず、鬱憤を晴らしたかったらノートに「結婚しろぉ~」「子供産めぇ~」とか、いじいじ落書きでもしてれば誰にも気づかれなかったのに。

 このバカ議員のように「さすがに、これ言っちゃまずいよなー」という判断すらできなくなるのは、ヤジなんてものが当たり前になっているから。そんな行為が日常的になってしまっているから、周囲の雰囲気に煽られて、自らの発言や行動を自分で制することができなくなってしまうんです。
 何も考えずにヤジを飛ばし、コソコソコソコソ隠れたあげく、逃げ切れなくなって「早く結婚してほしいとの思いから言った」なんて、それこそ小学生にも「こいつ、ごまかすのヘタクソ!」と笑われるような言い訳をする51歳が「議員様」「先生様」なんてねえ。
 なんでこんな奴を、税金で養ってやらなきゃいかんのよ?

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カテゴリ:政治家・団体・デモ
「ピンポーン」が聞こえないのはBGMがうるさいから!
 前回の続き。

 某日。
 ある食品メーカーの工場の前を通りかかったら、いきなり「車が出ますご注意ください! 車が出ますご注意ください! 車が出ますご注意ください! 車が出ますご注意ください!」の耳をつんざくスピーカー音を聞かされました。別の場所の録音ですが、こんな感じ
 今までに何度も通った工場の前ですが、門にスピーカーが取り付けてあることに初めて気づきました。

 あまりのけたたましさに腹が立ったので、しばらく立ち止まって様子をうかがってみました(暇だね)。
 というのは、こんな連呼を聞かせるからには、すぐに(工場なので)トラックか何かが出てくるはず。商業施設やオフィスビルなら、駐車場から車が来る様子がすぐわかるのに、このときは門の中に見える駐車場から、何も出てくる気配がなく不思議だったからです。

 2分ほど様子を見ていたのですが、やはりトラックも乗用車も出てきませんでした。駐車場で動いてる車もなし。門の横にある警備員の詰所では、警備員のおっさんが下を向いて書類か何かをずっと見ていました。

 うーん。
 どうして、車が出るわけでもないのに、平気で「車が出ますご注意ください! 車が出ますご注意ください!」なんて、けたたましい「ウソ放送」を撒き散らすことができるんだろう。
 防災無線にしろ駅のアナウンスにしろ、日本には人を耳を「ロバの耳」にするウソ放送ばかりあふれかえっていますが、こんなところでも聞かされるとはね。

 それに「車が来ないのに注意音を鳴らしてしまった」のがたまたまのミスだったとしても、別のエントリーにも何度も書いているとおり、そもそも「車が出るから(左に曲がるから、右に曲がるから、バックするから)注意しろ!」と、アナウンスやボイスアラームで歩行者に命令するのはおかしいのです。
 歩行者に注意すべきは車の運転手なんだから、アナウンスを流すなら「車を出します歩行者に注意しましょう! 左に曲がります歩行者に注意しましょう! 右に曲がります歩行者に注意しましょう! 左に曲がります歩行者に注意しましょう!」と、運転席で運転手に向けて注意放送を流すべきなのです。

 また、工場の門で警備員がいるのなら、スピーカーで「車が出ますご注意ください!」と、歩行者を蹴散らすような放送をするのではなく、なぜ、警備員が出てきて「オーライ」と誘導しないのか。そうやって「人間の手」で何かをするために警備員がいるんだろうに。
 「人と人とのふれあいを大切にしよう!」なんて言うわりに、日本人ってこういう機械任せの無機質な行為が大好き。「本当は“ふれあい”なんて、誰も求めてないんだろ。本音で言ってみろよ」と、挑発してやりたくなります。

 次に、ヤマト運輸の営業所へ。
 私はコンビニには極力行かないようにしているので、宅急便を出すときは、できるだけヤマトの営業所を利用することにしています。ヤマトのほうが、まだコンビニのロボット店員よりましだから……なのですが、結局、どんどん差がなくなりつつあるようです。
 コンビニと同じように、店員が「目の前50cmのところにいる人に向かって、大声張り上げて『いらっしゃいませこんにちはーーー!』と叫ぶ」なんて当たり前。
 この日、特に腹が立ったのはこんなやりとりです。

 私が荷物を渡し、タイミングを見計らって「支払いはSuicaで」と言い、店員が「Suicaですねー」と言い、端末をいじってわずか5秒後に「お支払いはSuicaでよろしかったですねーーーー」。
 ……。

 この人は、たった5秒前に言われたこと、しかも自分で端末を操作して「Suicaで支払い」とわかっていることについて、なんでいちいちプログラムされた機械みたいに聞き返すんだろう。
 私はこういう非人間的な対応が大嫌いで、ファミレスなどの「ハンバーグセットお一つ、以上でよろしかったでしょーかあー」にしろなんにしろ、聞き返されると「さっき、そう言っただろ」と言い返します(これが嫌だから、ファミレスなんてもうほとんど行きませんが)。
 ま、そういうときの店員の反応は、「たいへんしつれいいたしましたー」と棒読みの返事をするか、右から左へ聞き流して「しつれいいたしまーーす」とか「しょうしょうおまちくださーーーい」とだけ言っていなくなるか、たいていはそんなところですが。

 この日のヤマトの店員は、「お支払いはSuicaでよろしかったですねーーーー」と言ったあと、返事を求めてじーっとこちらを見ているので、やれやれと思いながら「さっき、そう言ったよね。わかってるんだよね」と言いました。すると「Suicaでよろしかったですねーーーー」と同じセリフを口にして、何事もなかったように端末を差し出してきたので、もうバカ負けするしかありません。

 この、どんなところにもはびこるようになった「オウム返し接客」、なんとかならんもんなのかね。
 でも、世の中の大多数の人は、こういう5歳児のままごとみたいに幼稚な接客を「確認してくれて親切だあ!」「やさしいわ!」なんて喜んでいるんだろうから、どうしようもないんやろね。みんな「ハイ! ハイ!」って声を張り上げて、うれしそうに子供みたいな返事してるもんね。

 その後、スーパーの「業務スーパー」で買い物。
 ここもBGMがうるさいわ、店員の接客も不愉快だわで行きたくないスーパーですが(ま、行きたいと思うスーパーなんて一つもありませんが)、行かなきゃ食い物が調達できないのでしょうがありません。

 この日、「おかしいなあ。どうしてこうなるんだろ」と思ったのは、こんなシーン。
 ちょうど夕方で店が混み始めたので、レジに一人しかいなかった店員がボタンを押して、ほかの店員を呼びました。店内にいる私の耳には、はっきり「ピンポーン」という呼び出し音が聞こえました。

 ところが、しばらくたっても応援の店員が来ない。もう一度レジの店員が呼び出しボタンを押して、ようやく気づいた店員がやって来ました。
 数分後、レジが空いたときに店員の会話が耳に入ったのですが、「呼び出しの音が聞こえなかったよー」「そうそう、ちょっと小さくて聞こえにくいんだよねー」

 悪いんだけどお嬢さん、「ピンポーン」の音は私の耳にはよく聞こえたし、もし聞こえにくかったとすれば、それは「ピンポーン」が小さいんじゃくて、BGMがうるさすぎるから。あなたたち店員が絶え間なく「いらっしゃいませこんちにはあああああーーーー」「どーぞごりよーくださああああーーーい」などと、大声を張り上げているからですよ。

 もっとBGMの音量を下げ、不要な「叫び」をやめれば、呼び出し音なんかすぐ聞こえる店内になるのに、どうしてそういう簡単なことに気づかないんだろう?
 音が聞こえにくかったらさらに音量を上げる、じゃなくて、周りの音を下げる、という発想ができない人ばかりなのが、不思議でなりません。

 本当に細かいことなのですが、その後レジで精算するときも、首をかしげてしまいました。
 買い物の値段が「2011円」だったので、私は5000円札と小銭で「5011円」出したつもりだったのですが、うっかり1円玉を1枚多く「5012円」出してしまいました。1円玉って小さいし指に張りついたりするから、たまにこうなることがあります(おれだけ?)

 こういうとき、 釣りがちょうど3000円になるよう出したつもりが、間違えて1円多くなってしまったのは「自明の理」なんだから、「あ、1円多いですね」とか言いながら先に返してくれれば「ありがとう(ニコッ」と、まさに“あたたか~いふれあい”になると思うのですが、この日の店員はなーんにも言わず、そのまま精算して「3001円のおかえしでーすありがとうございましたまたおこしくださいませーーーー」と、決まり切ったマニュアル通りの言葉を発するだけでした。

 こういう人間味のない接客というのは、「1円多いです、なんて言うとお客様に失礼かも」「バカにしたようにとられて気分を害されたら嫌だ」「“お客様”がとにかく怖い!」とか、いろんな心理的な葛藤の結果なんでしょう。
 私もまんざら、客商売をまったく知らないわけでもないので、意識的にか無意識にかは別として、そういう葛藤のあげく「決まったこと意外、何も言わない、何もしない。決まったことは、必要がなくてもしつこく言う、する」接客に流れていく風潮を理解できないわけじゃありません。

 でも、スピーカー騒音にしろマニュアル接客にしろ、本当にそれでいいのかもう少し考えてみよう、という世の中にならんもんなのかね、と思います。こんな出来事は、別にこの日行ったスーパーに限ったことじゃありません。
 日本の政治が! とか、国際情勢がっ! とか、そんな大きなことよりもっと足元で大事なものが、どんどんどんどん壊れていってるんですよ。
 こんな国がどうなろうが、知ったこっちゃありませんが、毎日毎日、こんなふうに不愉快な目に合わされるのは、もううんざりです。

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カテゴリ:騒音をめぐるあれこれ
お袋にご協力お願いいたしまあーーーす
 ほんの1、2時間ほど外に出て用事を済ませるだけで、これだけたくさんの「スピーカー騒音」「子供の奇声」「おかしな接客・絶叫接客」に遭遇して、私などは「なんなんだろう、これは」と首をひねったり、腹を立てたり、抗議したりするのですが……なんとも思わない人ばかりなんでしょうか、世の中は。
 そんなことについてざざっと書きます。

 某日。
 最近、近所にできたラーメン屋へ。外から見るとカウンター10席ほどしかない小さな店で、壁にかかったテレビが午後のワイドショーを映していました。
 「テレビの音ぐらいかまわんか」と思い店に入ると、なんと店内に流れていたのは「アバ」の音楽! しかもテレビの音も同時に流していました。店内は「アバ」と「ワイドショー」の音が混在するカオス!
 アバはたぶん有線ではなく、店主の趣味でCDをかけているんだと思います。

 とりあえず、メニューを見るふりをしながら店内の状況を把握。アバの音楽がかなり大きかったものの「なんとか耐えられるか」という音量、ワイドショーの音は聞こえるか聞こえないかくらいだったので、腹が減っていたこともあり我慢しながら注文して飯を食いました。

 こういう、「テレビとBGMを同時に鳴らす」飲食店では、しばらく前に別の店で「頼むから、どっちか消してくれ!」と抗議して、無残な結果に終わったことがあるのですが(それについては、気が向いたら書きます)、このラーメン屋の場合、ワイドショーの音がかなり小さくしてあった(それなら、消音しときゃいいのに)ので、なんとか我慢できました。
 まあ、音楽がさわやか~で人畜無害なアバだから、耐えられたというところでしょう。

 店内には、私のほかに50歳くらいの地元の男女客3人がいたのですが、やれ「クリーニング屋が割引券を月・水・金しかくれなくてせこい」だの、「あの和菓子屋のおはぎは、最近、あんこが減ったのよね!」だの、んなことでブーブー文句を言いながらラーメンを食っていました。そんなことには敏感なくせに、この「カオスな音の状態」には無頓着でいられるというのが、私には不思議でなりません。

 アバでもなんでも、店主が自分の趣味で音楽を鳴らすのは別にかまいませんが(でも、ラーメン屋にアバは似合わないだろう)、頼むから「音」は一つにしてほしい。テレビと音楽を同時に流すのは法律で禁止すべき!――それくらい言いたいです。
 串カツが二度漬け禁止なら、「音」だって二つは禁止!――でなければおかしいはずです(なんだかよくわかりませんが)。
 ま、このラーメン屋に行くことは、二度とないでしょう。

 次に、市の施設へ。この施設には児童館が併設されているのですが、たまたまその前を通って目を(耳を)疑いました。たった20畳ほどの部屋で、10人くらいの子供(小学校低学年くらい)が、「ギエーーー! ギエーーー!」と奇声を上げながら、全力でドッジボールをしていたからです。

 子供がドッジボールをするのは当たり前でしょうが、普通、こういう遊びは屋外か、屋内でも体育館のように広い場所でするもの――と私は思っていました。わずか20畳くらいの狭い部屋の中で、全力ドッジボールをさせるというのは、当たり前のことなんでしょうか。

 児童館だから、付き添いの保育士みたいな人たちが何人かいましたが、子供にドッジボールをさせて「●●くんがんばれー!」なんて大声を張り上げ、さらに奇声をあおるような保育をしているのを見て、「これって、まともなのか」と思ってしまいました。
 私は結婚していないし(もちろん)子供もいないので、子育てについての確たる見識なんて何も持っていませんが、「たった20畳くらいの狭い部屋で全力ドッジボール」なんてさせるから、子供がどこでもギーギーギャーギャー叫ぶようになってしまうんじゃないか――そんなふうに考えてしまいます。
 屋内なら屋内らしく、お絵かきとか工作とか読み聞かせとかでもすればいいのに、そっちの部屋はすっからかんでした。

 いや、ちょっと考えたのですが、もしかすると「子供が外でドッジボールをすると、『うるさい』と文句を言うやつがいるから、仕方なく屋内でさせている」という可能性もあるんでしょうか。この場合「うるさいと文句を言うやつ」とは、私みたいな人間を指すんでしょうが。
 それなら、子供に児童館でドッジボールをさせているおかげで、どこかの誰かが「うちの周りが少し静かになった」と喜んでいる可能性もあるわけで、一概にいい、悪いと決めつけることはできないのかもしれません。
 これについては、なんだかよくわからなくなってきました。判断保留。

 次は、セブン-イレブンへ。
 私は「どうしてもコンビニでないと済ませられない用事」がなければ、あんなうっとおしいところには行きませんが、どうしてもという場合、うちから自転車で10分ほどのセブン-イレブンに行きます。

 うちの近所には大手コンビニが一通りありますが、どの店もDJやCM付きのけたたましいBGMが耐えられません。でも、セブン-イレブンは店内に流れているのが音楽だけで、しかも私が行く店はその音量が(なぜか)極端に小さくて、私のような人間でもほとんど気にならないからです。だから、自転車で10分かけてでもこの店に行きます。

 ここはもう一つ、利用しやすい理由があって、それは「場末のスナックのホステスみたいに、けだる~い態度で接客してくれる女性店員」が一人いるからです。
 けだるいといっても、別にいいかげんだとか投げやりだということではなく、大きな声を張り上げず、自分なりの自然な振る舞いの延長で接客してくれるということです。

 店に入ると、どのコンビニでも店員が「いらっしゃいませこんにちはああああああああ!」と大声を張り上げるのに、この店員だけはほとんど何も言いません。レジでもほかの店員が「いらっしゃいあせええええええ!」「ありがとうございあしたまたおこしくださいませえええええええ!」と、目の前50cmのところにいる人間に向かって発する必要のない絶叫をするのに、この店員は「いらっしゃあ~いませ~」「ありがとぅ~ございましたぁ~」と、妙にアンニュイな態度で接客してくれます。

 私が「●●もください」なんて言うと、ほかの店員は「はい●●ですねしょうしょうおまちくだざいあせええええええ!」と、いちいち子供みたいに復唱し、何十秒も何分も待つわけじゃないのに、さも「大変なことを仰せつかってしまった!」と言わんばかりの雄叫びを発しますが、アンニュイ店員は「あ、はぁ~い」と自然に受け答えしてくれます。
 私は、この店員の接客のほうが絶対に「正しい」と思いますけどね。

 この店も、アンニュイ店員以外は「うるさいやつ」ばかりなので、行って「やれやれ」と思うことも多いですが、逆にこの店員がメインで接客しているときもあるので、そういうときは思わずほっとします。ただし、この日はアンニュイ店員がおらず絶叫店員ばかりだったので、うんざりしてしまいましたが。

 それから、ダイソーへ。
 このダイソーもセブン-イレブンと同様、うちの周囲の100円ショップの中ではBGMの音量が比較的小さいので、少し遠いのですが自転車を飛ばしてわざわざ行きます。
 ただ、この店はBGMは控えめですが、レジにいる店員がうるさい! ちょっとした体育館並みに広いフロアの端にまで聞こえるほど大声を張り上げる店員ばかりなのですが、それはどんな店に行っても当たり前なので、今さらどうのこうの言ってもしょうがありません。

 私がとにかく腹が立つのは、この店で特徴的に聞かされる「お袋にご協力お願いいたしまあーーーす」という言い回しです。
 最初に聞いたときは「何を言ってるんだ」と思ったのですが、要するに「少量の買い物ならレジで袋詰めするけど、多いときはレジ袋を渡すから自分で詰めろ」ということのようで、その意味はわかりますが「お袋にご協力お願いいたしまあーーーす」って、どう考えてもまともな日本語じゃないでしょう。

 レジのすぐ横にレジ台があるのは見ればわかるし、黙ってかごの中にレジ袋を入れてくれれば、袋詰めぐらい自分でやるから、いちいち「お袋にご協力お願いいたしまあーーーす」なんておかしな日本語で叫ばないでほしい――と思うのですが、これもあれですかね、そういちいち「宣言」しないと、「なんであの客のはレジ袋に詰めたのに、おれのは詰めてくれないんだよお!」なんて詰め寄る「お客様」がいるからなんでしょうか。

 そういう意味では店に同情もしますが、それなら精算が終わったときに「レジ台はあちらです」とでも言えばいいんじゃないのかね。それじゃまだ「なんであの客のはレジ袋に詰めたのに、おれのは詰めてくれないんだよお!」客は撃退できないか。「袋詰めはご自身でお願いします」でも駄目なのか?

 サービスを受けるとなると「どんなことでもしてもらって当然、してもらわなきゃ気が済まない!」と考え、する側になると「人に奴隷のように尽くさないと気が済まない(そうしないと、何を言われるか怖くて怖くてしょうがない)!」と考える日本人には、「レジ台はあちらです」でも「袋詰めはご自身でお願いします」でも「高圧的」になってしまうんでしょう。
 それなら、スーパーみたいに「何品買おうが袋詰めは客がする」というルールにしてしまえば、すっきりすると思うんだけどなあ。

 まあ、店のルールなんかどうでもいいのですが、少なくとも「お袋にご協力お願いいたしまあーーーす」なんて珍妙な日本語だけは使わないでほしい。不愉快でしょうがありません。
 どうせ、こんなことを直接、指摘しても「貴重なご意見ありがとうございまああああーーーーす」で終わるだけなのはわかってるから、何も言いませんが。 

 続きがあるのですが、面倒になったのでまた後日書きます。

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Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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