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ついに現れた選挙カーは宇都宮健児
 東京都知事選が始まって、ついに、うちの回りにも選挙カーが来てしまいました。共産党の宇都宮健児です。
 うっすらと「知事選挙」「共産党」などと聞こえてきたのでげっそりしていたら、どんどん近づいてきて、5分ほどでしたが音が聞こえる範囲をうろうろ。
 前回、前々回の都知事選では、うちの近くに選挙カーが現れることはなかったのですが、ついに「汚染」されてしまいました(しかし、毎年のように都知事選をやって、どれだけ無駄金をどぶに捨てているのかね)。

 それにしても知事選に限りませんが、選挙の候補者には少なくとも、公職選挙法で「病院や学校などの周囲では静穏を保つ努力をする」ことが義務づけられているというのに、共産党の宇都宮健児はおかまいなし。うちの近くには病院も学校もあるのに、大音量で暴走し続けます。もちろんそんなことは、共産党に限らずどの政党の、どの候補者も同じです。

――――――

(連呼行為の禁止)
第百四十条の二  何人も、選挙運動のため、連呼行為をすることができない。ただし、演説会場及び街頭演説(演説を含む。)の場所においてする場合並びに午前八時から午後八時までの間に限り、次条の規定により選挙運動のために使用される自動車又は船舶の上においてする場合は、この限りでない。
2  前項ただし書の規定により選挙運動のための連呼行為をする者は、学校(学校教育法第一条 に規定する学校をいう。以下同じ。)及び病院、診療所その他の療養施設の周辺においては、静穏を保持するように努めなければならない。

――――――

 こんな連中に、人間としてまともな行為を期待するほうが無理ってもんです。

 私はついうっかり、今回の知事選の投票日は2月2日と思い込んでいて(たぶん、早く終われという願望でしょう)、昨日までどの選挙カーも現れなかったので「あと3日」と思っていたのですが、あれ? と思って調べてみたら投票日は9日だったのでがっくり。
 あと1週間以上も、こんな騒音にびくびくしながら暮らさなければならないのか。次に来るのは、どの「珍騒団」いや「珍騒家」なんでしょうか……。

 こういう選挙騒音や演説騒音に悩まされるたび、本会の会員でもある哲学者・中島義道氏の著書『うるさい日本の私』の記述を思い出して、思わず笑いすら出てしまいます。ちょっと長いけど引用。

――――――

 選挙の季節は日本を脱出したくなる。(中略)
 (選挙カーに苦情を言っても)ほとんどが無視。あるときなど、停車中には窓に顔を近づけて抗議する私に何も答えずにいて、信号が変わるや「ご意見ありがとうございました!」と叫びながら去っていった。これが、その事務所の方針なのだろう。
 鈴木弘子都議会議員候補は「環境、環境を考えているスズキ・ヒロコ、環境問題のスズキ・ヒロコ……」とがなりたてるものだから、ちょっと車が速度をゆるめたすきに近づき、窓から顔を出した「環境の鈴木弘子」に「音も環境ですよ! これだけ音環境を破壊して、あなた自分が言ってることが恥ずかしくないのか! 矛盾だとは思わないのですか!」とどなると「よく考えておきまーす」と言って走り去った。
 ある日、どうしても渋谷の街に用事があり、井の頭線の階段を降りたところ、ハチ公前広場では馬鹿な上田哲が環境も人権も無視した暴力的大音量政見放送の真っ最中であった。(中略)翌日上田哲選挙事務所に上田哲には投票しないことも含めて抗議した。幸い鈴木弘子も上田哲もみごと落選。その結果を知ったときは、たいへん幸せであった。

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カテゴリ:政治家・団体・デモ
選挙カーはついに世論調査から外されました
 東京では、都知事選というバカ騒ぎが始まってしまいました。

 とはいえ、「『選挙カーが役立った人』はたった0.5%」というエントリーにも書いたとおり、公職選挙法で「選挙カーの使用は候補者一人あたり1台(例外は参議院比例区の一人2台)」と決められているので、知事選で区市町村選挙のように狭い地域を何台もの選挙カーが走り回り、連呼の騒音に悩まされる日々が続くということはありません。
 ターミナル駅の駅前などでは、入れ代わり立ち代わりの演説が繰り返されていると思いますが、私は東京の外れの、駅から離れた住宅地に住んでいて、都心にはほとんど行かないので、あまり関係ありません。
 もっとも、私の住んでいる地域では、共産党後援会と名乗る死に損ないのジジイ、ババアども((c)毒蝮三太夫)が選挙があろうがなかろうが、しょっちゅう住宅地を練り歩きながら演説騒音を垂れ流します。選挙となればその頻度も高まるので、期間中に一度や二度は来て生活を妨害されるんじゃないか、と常におびえています。

 で、「『選挙カーが役立った人』はたった0.5%」に書いたように、東京都の選挙管理委員会が実施した2012年の都知事選後の世論調査には、不思議な点があります。「候補者の選定に役立った媒体」の中に、「自動車からの連呼(つまり選挙カーからの連呼)」という項目がないことです。
 調べてみると、その前、つまり2011年の都知事選まではこの項目があり、2011年の場合「選挙カーからの連呼が都知事選びに役立った」と答えている有権者がたった0.5%しかいなくて驚いたのですが、2012年の都知事選からは、この項目自体がきれいさっぱり消えてしまっているのです。

 私は、都の選挙管理委員会に、「なぜ、2012年の都知事選に関する世論調査から、自動車からの連呼が役立ったかどうかという設問をなくしたのでしょうか」と問い合わせてみました。余談ですが、東京都に住む有権者が都の選挙管理委員会に、疑問点があれば問い合わせをするのは当然のことなのに、回答をもらうまでが一苦労。電話をすると「担当者が不在でわからない」。メールを送ると1週間も放置。催促のメールを送って、ようやく答えてもらえました。本当にいいかげんです。

 なんとかもらえた返事は、かなり面白いものでした。「2011年の都知事選後の世論調査で、候補者の選定に役立った媒体として自動車からの連呼と答えた有権者が0.5%しかいなかった。これは極めて低い数字なので、2012年の調査から、この項目をなくすことにしました」というのです。

 これは要するに、選挙管理委員会が「選挙カーからの連呼は、有権者にとってなんの役にも立ってない」と認めたのと同じことです。「連呼なんてうるさくて迷惑なだけ」と感じているかどうかはともかくとして、少なくとも都知事選に限っては「選挙カーの存在って、世論調査をする価値もないわな」と認めたのと同じことなのです。

 にも関わらず、相変わらず今回の知事選でも、選挙カーは平然と走り続けています。マスコミも私の知る限り、「選挙管理委員会も調査項目から外すほど、選挙カーは有権者から無視されている」という事実を指摘しません。新聞やテレビなどの都政担当者なら、このことは当然、知っているはずでしょう。知らないというなら記者失格です。

 一票の格差がどうしたとか、裏金がどうしたとか、そんなわかりやすい、大きな出来事ばかり報道して、こういう小さな変化を報道しないマスコミに、私は意図的なものを感じます。「連呼する候補者や、駅前で演説する候補者は、被写体としておいしいから。これをなくしたら選挙報道で何を撮影したらいいかわからん」という自分たちの勝手な都合を優先したり、「表現の自由と表現手段の自由」をはき違えて、「政治のためなら、どこで、どんな大声を出してもええんや! 選挙カーが役立ってないだの連呼が迷惑だの、そんなもん関係ないわ!」と思考停止したりしているだけです。
 もちろん、一番アホなのは、こんな誰のためにも、なんの役にも立っていない、それどころかただ騒音を垂れ流しているだけの連呼という「風習」を相変わらず続ける政治家どもであり、「選挙カーが来ないと選挙気分が盛り上がらない!」などとわけのわからないことばかり言う時代遅れの住民であり、「うるさい、迷惑だ」と内心、思っていても、実際に「選挙カーやめろ」と意見を表明したり苦情を言ったりしない、ただ黙り込んでいるだけの住民たちです。

 「選管も認めた無用な選挙カー」。クレジットカードのCMか何かみたいですが、とりあえずこんなもの、都道府県の知事選からでも、さっさと廃止したらどうですかね。これは音の問題だけではありません。選挙カーをなくせば排気ガスも減るし、当然、選挙にかかる無駄な費用も減らすことができるんですよ(「政治家は無駄をなくせ!」と日頃勇ましいマスコミは、この点についても黙り込んだままです)。
 知事選を1回するごとに、税金から選挙費用がいくら使われているのか、そこまで詳しく調べようとは思いません。その費用の中から、選挙カーを廃止するだけでどれくらいコストを削ることができるのか、それも面倒なので調べません。でも、少なくとも百万円単位で無駄が減るのは間違いないんじゃないでしょうか。

 自治体の予算から見れば、百万単位なんてはした金かもしれません。選挙カーを廃止して浮いたカネを納税者に還付すると言われても、東京なら一人1円にもならないのだから困ります。でも、ただ無駄を減らすだけでなく、もっと有益にカネを使う道はいろいろあります。それこそ、この数百万円でワクチンを送れば、アフリカの子供たちが何十万人(何百万人?)救われるか……などと考えてみれば、選挙カーという無駄でやかましいだけのバカげた「風習」が、どれだけ貴重なカネをどぶに捨てているかよくわかるはずです。

 アフリカにワクチンを、じゃなくても、被災地の復興に役立てるとか、地域の住民の福祉に使うとか、なんでもいいです。そういう「本当に役立つこと」に頭を巡らそうとせず、選挙となれば平気で無駄金を使って街頭で、町中でただ叫び回るだけ。そんな政治家を支持する気になど一切なれませんね。

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カテゴリ:政治家・団体・デモ
他人の音や声が、耳に障ることがありませんか?
 1月20日(月)朝日新聞夕刊の『人生の贈りもの』というインタビュー記事に、音響設計士の永田穂氏という方が登場して、冒頭でなかなかいいことを仰っています。その部分だけ抜粋。

――――――

(人生の贈りもの)永田穂(88):1

2014年1月20日17時52分

■静寂に心向け、響きを大切にする

 ――この半世紀、国内外に建てられた劇場の音響を一手に引き受けてこられた感があります。響きに関心をもたれたきっかけは

 響きについて語る前に、私は「静けさ」に心を向けていただきたいと考えているのです。豊かさと引きかえに、私たちは静寂を失いました。ほんとうの静寂とは、音を排除した特別な空間ではなく、鳥や虫が鳴き、風が木の葉を揺らしたりする自然の息づかいのなかで「感じる」ものです。最近、他人が発する音や声が、妙に耳に障ることがありませんか。

 ――実際はそんなに大きくなくても、ですね。なぜでしょう

 自分の発する音や声が人に迷惑をかけているかも、との想像力が働かない現代人が増えているのだと思います。音を大切にすることは他者を大切にすることであり、響きは人と人の関わりの根本を築くものです。静寂を確かめ、自分自身の内面と対話できる空間をいまの時代につくることが、私の役割だと思っています。

「人生の贈りもの」永田穂.jpg

――――――

 「実際にはそんなに大きくなくても、妙に耳に障る、他人の発する音や声」。これはまあ無数にありますが、私の場合、真っ先に思い浮かべるのは、スーパーやコンビニ、飲食店などの店員の声です。

 ただ機械的に連呼するだけの「いらっしゃいませこんにちはあーーーー」。

 今、注文した内容をオウム返しにする「●●と●●、ご注文は以上でよろしかったでしょうかー」。

 なぜ、注文した品がそろったかどうか、客に確認させないと気が済まないのかまったく理解できない「●●をお一つ、●●をお一つ、ご注文は以上でおそろいでしょうかあ」。

 「お箸はお入れしますか」だの「袋はご入り用ですか」だのと聞かれて、聞かれたから「いりません」と返事をしただけなのに連発してくる「大変失礼いたしましたー」(「ください」と答えた場合でも言ってくるからバカバカしい)。

 あさっての方向を向いたままの「ありがとうございましたまたお越しくださいませええええー」。

 いちいち事例をあげていたら、いくら書いても書ききれないほど、どんな店に行ってもこういう機械語、マニュアル語、ロボット語、必要以上に自分を卑下することをおかしいと思わない「自虐語」ばかり。こんな接客が「すばらしいお・も・て・な・し」になってしまうのだから、実にくだらない国です(私は本当に、どこかのアナウンサーだかなんだかが言った「お・も・て・な・し」という、浅はかな言葉の流行にげんなりしています)。

 このインタビューで永田氏が言い、記者が「そうですね」と同意している「耳に障る音や声」が、具体的に何を指しているのかはわかりませんが、なんとなく「ヘッドホンから漏れるシャカシャカ音」とか、「ケータイでしゃべる声」とか、そういう「回りに迷惑をかけていることに気づかない自分勝手な音」をイメージしているような気がします。
 もちろん、そういう「音」も私は大嫌いだしおかしいと思いますが、この手の音は、出しているのが周囲の迷惑を考えられないただの「アホ」で、たいていの人が「迷惑だ」と思っていて、しかも注意すればやめさせることができたり、テクノロジーが発達したりすることで減る可能性もある(ヘッドホンの音漏れがそう)「耳障りな音」だから、まだましとも言えます。
 それよりも、ここに書いたような主に接客の現場に現れている、「『いいこと』と思い込んでやっているけれど、実はただ上っ面で他人を幼児扱い(あるいはモノ扱い)しているだけ、そして自分自身を過剰に卑下しているだけの空疎な言葉や態度の氾濫」のほうが、よほど社会にとって問題じゃないかと思いますけどね。

 一時期、話題になった、飲食店で店員が冷凍庫に入ったり、食材で悪ふざけをしたりする行動も、普段、あまりにも自虐的な接客をさせられているために、「バカバカしい! やってらんねえよ!」という鬱憤が本人たちの中に(無意識に)溜まってしまい、爆発したのが原因の一つじゃないですかね。ワイドショーの訳知りコメンテーターみたいですが、なんだか私にはそんな気がします。

 それにしても、スピーカー騒音が「うるさい」だけでなく、生の人間の声すら機械的な「騒音」にしたがるこの国の人たちは、いったいどこに向かって、何をしたいんでしょうか?

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カテゴリ:店・施設・商店街
マイク越しに30回の「ありがとうございました~」
 『地球バス紀行』という番組を見ていたら、カナダのバスの運転士がぼそぼそした声で「なんちゃら~」と、バス停の名前を一度だけアナウンス。ナレーションが「うわ、一度しか言うてくれへん。聞き逃したらどうすんの」みたいなことを言っていて失笑しました。
 「なんでもかんでも大声で、何度でも繰り返し教えろよ! でないとわからないんだよ!」と恥ずかしげもなく要求する、自分たちの幼児性をおかしいとも思わない日本人の典型的な発想です。

 まあ、このバスは200㎞くらい走る長距離バスみたいだったので、よけいにアナウンスが静かだったのでしょう。日本でも普通の路線バスと比べれば、リムジンのような長距離バスのほうがアナウンスは少ないし。
 でも、少なくともこの番組を見ている限り(と言ってもヨーロッパ、北欧、カナダなどの回しか見ませんが)、路線バスでも日本より海外のほうが圧倒的に静かなようです。
 日本のバスは停留所に着くたびに、キンキン声のアナウンスでバス停の名前を何度も何度も連呼し、店や病院の宣伝を流し、「つり革におつかまりください」「お得で便利なパスモは~」などと、おせっかいな放送が続き、バス停に止まっている間も「●●行きバスです」だの「乗車券をお取りください」だのと鳴らしっ放し。なんらかのアナウンスが流れている時間と、流れてない時間を比べたら、流れている時間のほうが長いんじゃないかというくらい「ああしろ、こうしろ」「あれに注意しろ、これに気をつけろ」「あれを買え、これを見ろ」という音、音、音の洪水です。

 以前、あるバス会社の運転士が、降りる乗客一人ひとりに「ありがとうございました~」と言っていました。それは別にかまわないのですが(というか、礼儀として当然のことです。こちらが「どうも」みたいに声をかけてもぶすっとされたままなら、私だって腹が立ちます)、ある時期からどの運転士も一斉に、マイクのスイッチを入れたまま「ありがとうございました」と連呼するようになってしまったことがあります。
 この場合、どういうことになるか。例えば途中の停留所で、ほんの数人の客に「ありがとうございました」と言う声が響くだけなら我慢しますが、終点で降りる客が30人いたとすると、マイクを通した大音量の「ありがとうございました」が30回もバスの中に鳴り響くので、最後尾の客はそのアナウンスを30回も、繰り返し繰り返し聞かされるはめになるのです。
 マイクを通さない生の声の「ありがとうございました」なら気になりませんが、スピーカー越しの「ありがとうございました」をそこまでしつこく聞かされると、これはもうただの「騒音」です。
 しかも、響くのは「ありがとうございました」だけではありません。「駅はその角を曲がって」だの「ここにタッチしてください」だのという、運転士が客に話しかける声もすべて、マイクを通し増幅されてバスの中に響き渡るのです。こんなバカな騒音に耐えられるわけありません。

 私は「終点に着いたら運転士は、マイクのスイッチを切って客に対応してくれませんか。うるさくてたまりませんよ。途中の停留所なら、運転中だからマイクを切るわけにいかないというのもわかりますが、終点でマイクは必要ないでしょう」とバス会社に言い、なんとか実行してもらうことができました。
 まあ、これはずいぶん前のことで、最近はそのバスに乗る機会がなくなってしまったので、今、どうなっているかわかりませんけれども。この手のスピーカー騒音は、苦情を言って「確かに、その通りですね」と相手も納得してなくなったとしても、いつの間にか復活しててあきれるばかり……ということの繰り返しですから。

 それにしても、バスに限らずどんな場所でも、何度も何度も機械的に「ありがとうございました!」「いらっしゃいませ!」「本日はご利用いただきありがとうございます!」などと連呼、絶叫しないと気が済まない、されないと気が済まない日本人の気質って、なんなんでしょうか。
 本当に心のこもった言葉なら、相手と向かい合って一度言えば十分なはず。何度でも繰り返さないと気が済まないのは、ただ「上っ面」で言っているからです。「しつこく言わないと、わからない奴ばかりだからな」という人をバカにした考え方と、「しつこく言ってくれないと、わからないから!」という幼児的な考え方が絡み合っているだけです。
 「やまびこ挨拶」や「人間自動ドア挨拶」のように、「情報」だけでなく「気持ち」まで、しつこく繰り返して言わなければ伝えられない、受け取れない。こんな人間ばかりの国のどこに、心の通う「お・も・て・な・し」なんてものがあるんでしょうか。「日本は世界に名だたるおもてなしの国!」などと平気で言っている人のことが不思議でなりません。

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カテゴリ:駅・車内
不動産屋の看板はがして肩を痛めたどー!
 またちょっと「音」の問題から外れて、「不動産業者の違法看板」について書きます。

 つい先日、自転車である町のある交差点を通りかかったとき、四隅のガードレールすべてに不動産屋の違法看板、つまり案内板を貼ったカラーコーンがくくりつけられていました。その交差点はときどき通る道なのですが、不動産屋のカラーコーンを見たのは初めてです。

 これが電柱や道路標識に貼られている看板なら、私はすぐにビリビリはがすのですが、カラーコーンの案内板を一人でどうこうするのは難しい。仕方なく一度は何もせずに通り過ぎたのですが、タイミング良く自転車に乗ったパトロール中の警察官がやって来たので、「ちょっといいですか」と声をかけて交差点まで案内し、「これ見てください。ひどいと思いませんか。この業者を取り締まってもらいたいのですが」と話したところ、警官はぼーっと見ているだけで、非常に反応が鈍い。

 この反応は、例えばやかましい移動販売車(カトウコーポレーションなど)の騒音で警察を呼び、「うるさいし、違法なのでやめさせてください」と言ったときの反応と似ています。「うるさいと言っても、相手も仕事だからねえ」などと、違法業者の肩を持ち始めるパターンとそっくりだったので、「こりゃ、時間の無駄かも」と思ったのですが、実は違いました。警官は「何が問題なんだ?」と思っていたわけでなく、看板を見てあきれかえっていたのです。

 私が「こういう不動産業者の違法看板は、どんどん増えてますよ。私は見つけ次第はがしたりしているんですが、そんなことをしても焼け石に水です。自治体にも警察署にも、交番にも話に行ったことがありますが、とても真面目に摘発に取り組んでいるとは思えません。もうちょっと、なんとかしましょうよ!」と、わざときつい言い方をしたところ、その警官はこんな話をしてくれました。

 「うちの署には、こういう不動産屋の案内板のことで、そこそこ住民から通報が来るんですよ。で、私らもそれなりに動いてるんですよね。業者が看板を貼るところを現行犯で抑えるため、張り込みなんかもしています。実はそれ、勤務中はほかの仕事もいろいろあって難しいんで、休日返上でやってるんですよ。上からの指示なので仕方ないんですが……」

 私は、いろいろな意味でびっくりしました。住民から、そこそことはいえ通報があること。その通報に警察がそれなりの対応をとっていること。
 しかし、よくわからないのは、違法な看板であるという証拠の「ブツ」がそこにあるのに、わざわざ「貼るところを現行犯で抑えるため」休日出勤までする理由です。
 私が「こういう看板は、軽犯罪法、道路交通法、屋外広告物条例違反なんだから、別に現行犯じゃなくてもパトロール中に見つけ次第、摘発することは可能だと思うんですが」と言うと、警官は「まあ、そうだと思うんですが、今のところ現行犯で押さえて注意をする。それが上の方針みたいなんですよ」とのこと。
 「わざわざそのために休日出勤で張り込みをさせられたら、現場のお巡りさんは大変ですよね」と言うと、苦笑いしていました。

 現行犯で注意をする、などという中途半端な対応ではなく、「ブツ」を見つけ次第摘発する。そうするには警察全体はもちろん、自治体との連携も必要だろうから、どんどん対策を進めてほしい。そうしないと、こういう邪魔で汚らしい看板がますますあふれかえる一方ですよ。それに張り込みなんて無駄な仕事で休日を潰されたら、お巡りさんもやってられないでしょう。
 このときはそんな意見を言い、できれば警察の偉いさんに上げておいてください、と話をして別れましたが、警察も、私が考えていた以上にこの問題について動いているのかもしれない、と感じられただけでも収穫はありました。

 その警察官は、「向こうに●●街道ってありますよね。最近、あのへんに違法看板が多いので、はがして回ったばかりなんですよ」などと、実際に現場でどんな対応をしているのか、いろいろなことを教えてくれました。休日出勤を強いられている恨みか、15分近くもの間、こちらから聞かなくても詳しい話を聞かせてくれたのでびっくりしたくらいです。
 にもかかわらず! 不動産屋の違法看板は減るどころか増える一方。いくらはがしても翌日にはまた貼られているという、いたちごっこが続くだけです。
 そんな堂々巡りを終わらせて、現場の警察官がまともな休日をとれるようにするためにも、警察や自治体がもっと「本気」でこの問題に取り組んでくれることを本当に望みます。

 警察や自治体だけではありません。偉そうな言い方かもしれませんが、前のエントリーにも書いたとおり、本当に本気で取り組むべきなのは住民です。
 今回のカラーコーンにしても、置かれていた交差点の四隅はすべて住宅に接しているのに、そこの住人が自ら撤去したり、警察や自治体に連絡した気配はまったくありません。なんで、自分の家の前に邪魔で見苦しく、たとえ法律を知らなくても一目で違法だとわかる看板が置かれているのに、自ら動こうとしないのでしょうか?
 「地球環境を守りましょう!」などと人の迷惑顧ず街頭でわめきちらしたり、自転車に「防犯パトロール中」なんてくだらないステッカーを貼って、誰彼かまわず犯罪者扱いしながら町を走り回ったりたりする「善意あふれる人々」に限って、「今、目の前にある違法看板」がまったく目に入らない、気にならないってのは、どう考えてもおかしいですよ~。

 ただ、不動産屋の違法看板をはがすときには、注意が必要です。これは私が実践から学んだことです。
 電柱や道路標識に貼られた案内板というのは、針金でくくりつけられているか、両面テープで貼られているかです。針金を切るなんて素手でできることじゃないのであきらめるしかありませんが、問題は両面テープ。不動産屋の看板は「世の中に、こんなにガチガチに貼れる両面テープがあるのか」と思うほど強力に貼り付けられている場合が多いので、無理にはがそうとすると腕を痛めてしまうのです。
 実は私は1カ月ほど前、電柱の看板を力任せにはがそうとして右腕を痛めてしまい、今も背中に手が届かない状態が続いています。病院には行ってないのですが、もしかするとただの筋肉痛ではなく、筋を切ったとか骨を痛めてしまった可能性もあるのかなと思っています。

 200勝を達成したピッチャーがついに肩を壊して引退! というならかっこいいですが、私の腕がこのまま動かなくなったとしても、一度も一軍で投げられなかったピッチャーがクビになりました……という程度のみっともない話です。誰も公傷扱いしてくれないし、あーアホらし。
 そんなバカな目に合わないよう、もし、率先して違法看板をはがすという行為をしてくれる人がいるなら、決して無理はせず、あまりにも固い場合はとりあえず「破り捨てる」程度でとどめたほうがいいかもしれません。
 それにそもそも、ラミネート加工された看板は破くことすらできないし、カラーコーンを個人で撤去するのも難しい。だからこそ、一人ひとりが積極的に自治体や警察に連絡して、違法業者の摘発と厳罰化を要請するなど、できることをしてほしいものだと思います。

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カテゴリ:景観
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■プロフィール

Author:H・K
市民グループ「静かな街を考える会」会員H・Kのブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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