日本も韓国も「蛮族の国」
釜山News
繰り返される「選挙カーの騒音問題」
[発行日] 2010-05-26 오후 1:18:03

「本当に迷惑です。市民に迷惑をかけるような候補者には絶対投票しません。」

選挙のたびに持ち上がる選挙カーの拡声器による騒音問題が、6月2日行われる地方選挙(日本の統一地方選挙に当たる)でも繰り返されている。釜山だけで1日100件以上の被害届けが警察や選挙管理委員会に寄せられている。

通常、選挙カーの音量は100デシベルを超えている。工事現場は85~90デシベル、地下鉄のホームに電車が進入する場合でも100デシベルを超えることはない。「住宅地における拡声器使用規定」によると朝と晩は70デシベル、昼間は80デシベル、夜間は60デシベルとなっており、選挙カーの音量は「騒音及び振動規制法」にも違反する。

拡声器による騒音問題が選挙のたびに繰り返される理由は、取り締まる規定がないためである。公職選挙法は午後9時から翌朝8時までの拡声器使用を禁止しているだけなので、候補者は拡声器の音量にまで気を使わないのだ。このため、候補者たちは住宅街をはじめ、団地、商店街など人々がたくさん集まっているところでは、競って拡声器のボリュームを上げ、支持を訴えることになる。

2008年8月、騒音にたまりかねたある有権者が、「選挙カーの拡声器による騒音で精神的にも肉体的にも被害を受けた。公職選挙法に拡声器の音量基準を定めていないのは幸福追求権と環境権を侵害する」とし、憲法訴願を提起したが棄却された。当時の裁判官は「公職選挙法の規定で拡声器の使用場所や使用台数などが決められており、立法者としての義務を果たしていないとは言えない」という趣旨の意見を述べた。

一方、公職選挙法上、釜山市長と敎育監(日本の教育委員長)候補者は一人につき車両19台、区庁長(日本の首長)候補者は地域の国会議員数に応じて一人最大2台まで拡声器を装着できる。また、市議員と区議員候補者は一人につき車両1台に装着可能である。

この規定でいくと、釜山地域だけで最大686台の拡声器付き選挙カーが、都心の随所を走り回っている計算になる。

http://japan.busan.com/jp/news/sub2.asp?num=21

――――――

先進国と言われる国の中で、拡声器を載せた選挙カーなどという野蛮なものが走り回っているのは、日本と韓国ぐらいだそうです。

どちらの国も、先進国なんかじゃありません。ただの後進国、未開国、「蛮族の国」です。

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カテゴリ:政治家・団体・デモ
初めてのスーパーに苦情を投函
今日も、試しにと思って初めて入った某大手スーパーで、さっそく、お客様ご意見箱の用紙に「店内のモニターやスピーカーの音がうるさすぎる」と書いて投函しました(実際、すさまじかった!)。

苦情を言うのに店員と直接話すか、用紙に書いて投函するか、何も言わず黙って帰るかは、その店がどれだけうるさいか、そのときの私にどれくらい気力や時間の余裕があるか、その店を今後も利用せざるを得ないどうか、などで決めますが、まあ、スーパーの場合は特に、店員と直接話すよりも、紙に書いて投函したほうが楽っちゃー楽でいいですね。何十回もこういう苦情を繰り返してきて、ようやくコツを身につけました(静かにさせるコツではなく、自分ができるだけ疲れないように苦情を伝えるコツですが)。

店員と直接やりとりしても、「まったく話が通じない! おれは宇宙人と話をしているんだろうか?」と頭の中が???マークだらけになることがほとんどなので(ま、お互い様なんでしょうけどね)疲れ果てるだけです。
話をしたからといって確実に静かになるわけでもなし、それなら同じことを紙に書いて、何度でも、何度でも、その店に行くたびに、しつこく投函したほうがいいのかもしれないと思いました(やりますよ、私は)。

今日のスーパーでは、壁に張り出されたほかの客からの苦情の中に、「毎週木曜日の大売り出しで流される、エンドレスの音楽がうるさい。なんとかしてくれないか」という、音に関する要望が1件だけありました(たった1件でも、「うるさい」という意見があるのはかなり珍しい)。
でも、店からの返事は「音楽は本社からの指示なので、変えることができません。ご理解、ご協力をお願いします」という、見事なまでにテンプレ返事でした。

音楽なんかなくても、買い物をするのになんの支障もない(音楽がないと苦しくて、苦しくて、買い物ができません! という人が世の中にいるんでしょうか???)。
その一方で、「うるさくて苦痛だ」という意見は実際にある。それなのに、店はその要望には見向きもしない。
どうしてそうなるのか、私にはまったく理解できません。

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カテゴリ:店・施設・商店街
「嫌音の主張には敏感でありたい」(笑)
ひぃぃぃぃー、思わず大笑いしてしまいました。
調べものをしていて見つけた、2001年の朝日新聞の社説。

―――

01/12/16 朝日新聞
おせっかい、ほどほどに 嫌音権(社説)

 愛知県西枇杷島町は、名古屋市の西隣にある。美濃路沿いに古い家並みが残る小さな町だ。評論家の呉智英(くれともふさ)さんは、高齢の両親の世話のため、2年半前に東京からこの町の実家近くに仕事場を移した。
 昨年9月に大水害に見舞われた。仕事場は浸水を免れたが、実家は生け垣まで水があふれた。だから町が今年6月、防災放送塔を設置した時はほっとした。
 だが、防災放送塔からは毎日、午前7時に「ピンポンポン」の電子音が15秒、午後6時にはドボルザークの交響曲「新世界より」の第2楽章「家路」が1分15秒流されてくる。読書や思索の邪魔になる。いらだちが募るようになった。

 直後から、「早朝の大音響は迷惑」との苦情が町側に寄せられた。10月初めから早朝の放送はやめた。が、夕方の放送は、「住民への安心感のため必要」として、呉さんの抗議は聞き入れられなかった。
 静かな生活を求める権利が侵害されている。そう考えた呉さんは「災害のためのテストなら月1回でもいいはず」として、放送の差し止めを求める訴訟を名古屋地裁にこのほど起こした。

 防災無線のあり方をめぐっては、各地で住民からの苦情が相次いでいる。もともとは災害時の緊急放送を目的に導入されたのに、時報や食中毒のお知らせから行政連絡まで、使われるようになった。
 宮崎県えびの市や静岡県清水市などでは「うるさい」との声を受けて、放送内容の縮小や広報項目の見直しをしている。
 裁判の前例はある。茨城県勝田市(現ひたちなか市)で放送塔の使用差し止め請求訴訟が水戸地裁に起こされたが、85年に棄却された。防災無線を使った広報に好感を寄せる住民も多かった。だが、市側は翌年から放送量を3分の1程度に減らした。

 呉さんの訴訟には、町の住民としての主張のほか社会への警鐘の意図もある。
 大学で講義するため東京に通うが、途中の街頭や駅、車内での騒音に悩まされてきた。「不必要な音があふれすぎていないか。音が無意味に生活を統制している気がする。少数派を覚悟の上で嫌音権の問題提起をしてみた」と語る。
 確かに至る所で音の洪水である。
 駅や車内の放送は、一時より騒がしくなっている。関東の小田急電鉄で昨年春に改訂されたマニュアル集は、10年前に比べて3倍の厚さになった。客のマナーが悪くなったのに加え、客同士で注意することを嫌う傾向がある。これらが「音漬け社会」を生む要因になっているようだ。
 行政や鉄道の善意は理解できる。でも、防災放送も駅や車内の放送も、必要な情報の最小限の伝達を基本にすべきだろう。善意は度が過ぎると、自助努力を妨げ、公共機関に頼る依存心を招きかねない。

 静穏の尊重は文化のバロメーターでもある。嫌音の主張には敏感でありたい。

―――

新聞の社説というのは、「我が社の主張」です。
「至る所で音の洪水である。」
「駅や車内の放送は、一時より騒がしくなっている。」
「これらが「音漬け社会」を生む要因になっているようだ。」
「行政や鉄道の善意は理解できる。でも、防災放送も駅や車内の放送も、必要な情報の最小限の伝達を基本にすべきだろう。善意は度が過ぎると、自助努力を妨げ、公共機関に頼る依存心を招きかねない。」
「静穏の尊重は文化のバロメーターでもある。嫌音の主張には敏感でありたい。」

これだけ読むと、まるっきり本会「静かな街を考える会」と同じ主張をしているじゃないですか。うひひひひー!(大笑い)。
では、社説でこんな偉そうなことを書いていたくせに、なぜ朝日新聞は、防災無線からJアラートでおせっかい放送を流すことを推奨し、駅メロを「すばらしいこと」ともてはやし、路上ライブを褒めそやす、他のエントリーで取り上げたような「騒音賛美記事」を、相変わらず作り続けるんでしょうかね。

こんな社説を「我が社の主張」として載せたことなんて、書いた本人も書き終わった瞬間に忘れてるんでしょう。
社説と言えどもこうなのだから、新聞がいかに「いいかげん」で「風見鶏」で「その場限り」の記事ばかりでっち上げているかまるわかりです。

そもそもこの社説は、中島義道さんの著書「うるさい日本の私」や、宮川輝子さんの著書「静かさは文化のバロメーター」から、内容や表現をぱくりまくっているだけじゃないか。
しょせん借り物の言葉で作り上げた社説だから、書いた本人(と朝日新聞)が「嫌音の主張には敏感でありたい」なんて、ちっとも思ってないのは読めばすぐにわかります。
笑いすぎて、腹が痛くてたまりません。

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カテゴリ:騒音をめぐるあれこれ
銃も拡声器もただの「武器」
アメリカでは、銃規制の問題でもめているらしいですが、銃の所持に賛成という意見は、つまるところ「自分の身を守るためには、銃を持つ必要がある。その自由は侵されざるものだ」。反対の意見は「いくら身を守るためとはいえ、銃の所持を認めるのはいきすぎだ。時代遅れだ」ということなんでしょう。

これ、日本の拡声器騒音の問題とそっくりです。
いくら私のような人間が「言論のため、安全のためと、拡声器でがなり立てる自由を認めるのはいきすぎだ。時代遅れだ」と言っても、圧倒的多数の人(や組織)は「言論や安全のためには、拡声器でがなり立てる必要がある。その自由は侵されざるものだ」と言って譲らないわけですから。

銃がなければ、自分の身が守れないと思い込むアメリカ人。
拡声器がなければ、言論の自由や安全が守れないと思い込む日本人。
でも、日本には銃を所持する自由などないのに、アメリカよりはるかに日常生活での安全は確保されています。
アメリカに拡声器騒音はない(日本よりはるかに規制されている)のに、「だから言論の自由や安全が保てない」という話は聞いたことがありません。

そんな簡単なことに、いつまでたっても気づかないのだから、この問題についてはどっちの国民も、まるっきり思考停止してしまっているようです。
いや、銃規制の問題を議会できちんと(と言っていいのかどうかわかりませんが)議論しているだけ、アメリカ人のほうがまだましかもしれません。

「銃」も「拡声器」も、「安心」「安全」つまり「防御」のためと装いつつ、いとも簡単に人に迷惑をかけ、攻撃をするただの「武器」になりうる。
そのことに、もっとしっかり気づいてほしいものです。

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カテゴリ:騒音をめぐるあれこれ
今日は投票日だ。投票しろ
都議選が終わりました。
私の住んでいる市では、少なくとも選挙の投票日に防災無線から「今日は投票日だ。投票しろ」という“大きなお世話放送”が流されることはありません。広報車も走りません。これをやっている市町村は多いようなので、それだけでもましですね。

“投票日の当日に「今日は投票日だ。投票しろ」と言われないと投票しない人”なんて、どうでもいいじゃあないですか。そんな人に何を言っても、投票なんか行きゃあしませんってば。もし行ったって、ろくに考えもせず、ただ知っている候補者の名前を適当に書くだけでしょう。そんな票が「民意の反映」になるとしたら、そっちのほうがむしろおかしいすよ。

次は参院選かあ。ため息しか出ません。

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カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
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Author:S.B
市民グループ「静かな街を考える会」会員S.Bのブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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