なぜ騒音だけは擁護されるのか?
●原発容認派、推進派
「原発がなくなったら電気料金が高くなるし、いずれエネルギーもなくなるぞ。それでもいいのか!」
●原発反対派
「それでもいい! 多少、生活が不便になっても我慢する。原発のない暮らしを実現しよう!」
↑大多数のマスコミや世間の「良識派」が持ち上げるのは後者。

●騒音容認派、推進派
「騒音を出せなくなったら困る人がいるし、あんたらだって生活が窮屈になるだろう。それでもいいのか!」
●騒音反対派
「それでもいい! 多少、生活が不便になっても我慢する。騒音のない暮らしを実現しよう!」
↑大多数のマスコミや世間の「良識派」が持ち上げるのは前者。

この違いは、なんなんでしょう。
考えれば考えるほどわかりません。

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カテゴリ:騒音をめぐるあれこれ
日本人は管理放送が大好き!その2
「『声』の資本主義」読み終わりました。

終章のあたりに少し出てくる、ヒトラーの演説や天皇の玉音放送の話も興味深かった。
玉音放送については、私の知る限り誰も指摘していませんが、いまの日本のスピーカー騒音の氾濫には、やはり終戦時の玉音放送が大きく影響しているのではないか。あれがもともと「お知らせされるの大好き!」「ご注意されるの大好き!」な日本人の性向を決定的なものにし、絶え間なくスピーカー騒音が流れる町を日本の原風景にしてしまったのではないか、とあらためて思いました(著者がそう指摘しているというわけではなく、私の解釈ですが)。

また、ヒトラーのラジオ演説について思想家のマックス・ピカートが著述した文章が多数引用されているのですが、たとえば下記の文の「ラジオ」の部分を「スピーカー騒音」と置き換えてもまったく違和感がありません。

「このようなラジオの世界は、単に無関連的でばらばらだというだけにはとどまらない。ラジオの世界はまた、関連のない状態を製造するのである。というのは、ラジオの世界は、もろもろの事物がはじめからお互いに連関しないように――だから、事物自体が消え失せる以前にそれらがつぎつぎに忘れ去られてゆくように――そのように事物を製造する。つまり、ラジオの世界は、はじめから忘却の雲のなかに浮かび出るのである。ところで、このようなばらばらの外部世界は、人々のこころが世界の事物を一定の連関において受け取る能力をまったく欠いていること、――つまり人間の内部が世界の諸事物をあるがままに、あるがままのものとして、そして、それらがそれぞれの本質に従ってたがいに連関し合っているようには捉え得なくなっていることを前提としているのである」

また、次の文では、「ヒトラー」を「駅員」なり「スーパーやコンビニの店員」なり「防災無線」なり、つまり現代の日本のスピーカー放送や「やまびこ挨拶」等の騒音として読み替えても、まったく違和感がありません。

「聴衆だけでなく、ヒトラー自身があまりに無関連的であったから、彼も日々命令によってはじめて一つの明確さ、一つの中心点を、自己自身に与えることができたのである。彼は聴衆に向かってだけではなく、自己自身に向かっても日々命令を叫んでいたのだ。ヒトラーは日々命令によって聴衆を創造したように、またそれによって自己自身も創造したのである」

保育園から病院まで、近所のコンビニから観光地まで、どこに行ってもスピーカー放送や絶叫挨拶、マニュアル接客だらけの日本は、まさに「あまりにも無関連的でばらばら」で「自己自身に向かっても日々命令を叫んでい」る世界だと思います。
こうした点に着目した社会学的、心理学的、あるいは思想的、哲学的、現象学的な――まあなんでもいいんですが――調査や研究・思索というものが、日本ではまったくと言っていいほどなされていないのは不思議です。
それだけ、99.9%の日本人にとってスピーカー騒音は「あって当たり前」というふうに体に染みついてしまっているんでしょう。
どれだけ高潔なことをのたまおうが、国家や政治や社会や人生や環境を論じようが、この、町にあふれるスピーカー騒音に「気づかない」学者だの識者だのの言うことは、結局のところ間が抜けているとしか思えません。


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日本人は管理放送が大好き!その1
いま、吉見俊哉著「『声』の資本主義」という本を途中まで読んでいます。
この本は副題に「電話・ラジオ・蓄音機の社会史」とあるとおり、別に拡声器そのものを研究したり、その騒音を告発したりする内容ではありませんが、どうして、日本ではこんなに拡声器騒音が当たり前のように流されているのか、なぜ、誰もがこんなにたやすく受け入れてしまうのかを考えるにあたり、その側面を示唆してくれる内容もあります。

第四章「村のネットワーキング」のあたりがその部分で、
「明治天皇の巡幸とともに、異様なスピードで広まった全国電信網の誕生」
「日本の電話文化は同時代の欧米でみられたような大衆娯楽的なものではなく、国家による国民管理メディアとして役割づけられた」
「農村における、戦争末期からの有線放送設備(いまの防災無線の前身)の広まり、それに続く有線放送電話(屋内防災無線と電話を合わせたのようなもの)の大ブーム」
というあたりを読むと、日本人の「スピーカー放送大好き! 管理放送大好き!」な体質がいかに根深いものか理解できます。

著者は国により統制された電信や電話を「国家装置」、住民の自生的な運動から始まった農村における有線放送の広まりを「草の根的な装置」と分けて位置づけているようですが、根っこをたどれば規模が違うだけで、どちらも住民の「管理」や「相互監視」を目的にしていることに、大した違いはないと思います。
特に、農村における有線放送設備や有線放送電話の活用事例については、まさに現在の「よけいなお世話」としか言いようのない防災無線の放送とまったく同一。防災無線の乱用が、基本的に田舎に行けば行くほどひどくなる傾向にあるのもうなづけます。

防災無線に限らず、駅や店などさまざまな場所でのしつこい「ご注意放送」や「お知らせ放送」なども、すべてこの「村落共同体の管理放送」の延長線上にあるわけで、99.9%の日本人はこれが「大好き!」なんですから、あと1000年かかってもこの国からスピーカー騒音はなくならないんでしょうね。

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防災無線で振り込め詐欺は減らない
「振り込め詐欺注意放送」について、興味深いデータが出ました。
私が住んでいる市では、毎日のように「振り込め詐欺に注意しましょう」の放送が鳴り響いていた平成23年に、振り込め詐欺の被害が30件起きたそうです。
ところが、この放送が半年以上も中断していた(私が中断させた)今年、平成24年の振り込め詐欺被害は、現在のところ15件だそうです(いずれも、数字は若干丸めています)。

つまり「振り込め詐欺に注意しろ」の放送をしつこく鳴らしていた去年より、ほとんど放送をしなかった今年のほうが、振り込め詐欺の被害件数は約半分に減っているわけです。
このことから、データ上でも「振り込め詐欺に注意しろ」の放送など、なんの役にも立っていないことが明らかになりました。

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カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
他をぐんぐん引き離す共産党騒音
本日は自宅周辺で、選挙カーによる連呼を共産党が3回、自民党が1回おこないました。
私が衆院選で選挙騒音の被害を受けたのは、これで共産党からが12回、民主党からが3回、自民党からが7回。

私は「環境を破壊する共産党と民主党と自民党だけには、絶対に投票しません」

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Author:S.B
市民グループ「静かな街を考える会」会員S.Bのブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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