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消防団は「アホ」ですか?
東京はいま、ちょうど台風が猛威を振るってます。外はとてつもない暴風雨と、それに伴う轟音がうずまいてます。
で、その中をさきほどからずっと、市内を消防車が「カンカンカンカンカン!」とキチガイじみた鐘を鳴らしながら走り回ってます。風雨の轟音より、はるかに大きな騒音を消防団がまき散らしているのです。

「アホ」なんでしょうか、彼らは。
ただカンカンカンカンカンと鐘を鳴らしているだけなので、これは「台風が来たぞ、気をつけろ!」という意味以上のものは、何もないのでしょう。
しかし、これだけすさまじい雨と風が猛威を振るっているのだから、「いま、台風が来ている」というのは誰にでもわかりきっていることです。
「川が増水しそうだから避難しろ」だの「崖が崩れそうだから逃げろ」だのという行政から緊急の命令が出ているのなら、防災無線を使ってでもいいからそのメッセージを具体的に放送すればいいと思いますが(防災無線というのは、そのために設置してあるのですから)、ただ「台風が来た」というすでにわかりきっていることについて、無意味にカンカンカンカンカン鐘を鳴らしたからといって、いったいなんの意味があるんでしょう。
ただ無意味なだけどころか、それでなくても猛烈な雨と風の轟音で不安に思う人も多い中でけたたましい鐘の音などを鳴らせば、さらに過剰な不安をあおるだけにしかならないと思うんですけどね。
あんなものは、ある行為をするときに目的性や合理性を考えず、とにかく「ギャーギャー騒げばいい」「右往左往すれば何かをした気になる」という日本人独特の「バカさ加減」が発揮された典型的な騒音としか思えません。
それに加え、自分たちでは絶対に認めないんでしょうが、消防団の連中というのはきっと、ああした騒音を鳴らして自分たちの存在を誇示することを、まるでカラオケ変わりのように「楽しんでいる」んでしょうね。ただでさえ風雨の轟音がすさまじくうるさいのに、それに加えてやかましい鐘の音などを聞かされることの迷惑についてなど、これっぽっちも考えたことはないんでしょう。
台風なんてどうしたって避けようのない自然現象。今日、関東地方に来ることはあらかじめわかっていたことなのだから、自分に必要な準備は自分でおこなって、あとは静かにやり過ごす以外に何もする必要はないし、できることはないと思うのですが、その状況の中で「カンカンカンカンカン」というやかましい鐘の音を鳴らすことに、いったいどんな意味があるのか、本当に誰か教えて欲しいです。

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カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
迷惑行為を続ける日本共産党後援会
うちの町内をたまに、のぼりを手に徒歩で練り歩きながら100メートルごとに立ち止まってはハンドマイクで10分ほどの演説を繰り返す「共産党の後援会」の連中。
こいつらは10分演説、100メートルほど移動して止まってはまた10分演説、という感じの行動を町内で繰り返すので、一度演説が始まると近づいたり、遠ざかったりしながら1時間くらいは聞きたくもない演説を無理やり聞かされるはめになります。
これまではせいぜい、うちの目の前で演説を始めたときに部屋の窓から「うるせえ!」と怒鳴りつけていただけでしたが、先日、ついに堪忍袋の緒が切れて、うちの前にさしかかったときに直接出て行って「うるさい! ここでやるな! あっちへ行け! あんたら、自分たちの騒音がどれだけ人の生活に迷惑をかけているか、一度よく考えてみろ!」と怒鳴りつけて追い払いました。

「共産党の後援会」のおばさん、いや、罵倒してもかまわない相手だと思うのでハッキリ書きますが、いつも同じ70歳も近そうな「ババア」の三人組。
必ず「午後の静かなひととき、ご迷惑をおかけします。こちらは日本共産党の後援会です」というセリフで演説を始めるのですが、なぜこいつらは「人の迷惑になる」と自覚している行為を平気で続けられるのか? 「迷惑」になるとわかっているのなら、なぜやめようとしないのか?
今回も、私が「うるさい! ここでやるな! あっちへ行け!」まで言ったとき、こちらとは一切目を合わせようとはせず、まるで捨て台詞のように「はいはい、行きますよ」などとぶつぶつつぶやきながら歩いて行きましたが、なぜそんなふうに罵倒されてしまうのかを本当には理解していないんでしょう。その証拠に、うちの目の前で演説をするのはあきらめたようでしたが、やはり100メートルほど移動した場所で「午後の静かなひととき~」と、つい3分前に「やめろ」と言われたことがすっぽり脳みそから抜け落ちているかのように、いつもと同じ調子で演説を始めていましたから。

「自分たちの騒音がどれだけ人に迷惑をかけているか、一度よく考えてみろ!」という言葉も聞こえているはずなのに、そんなふうに言われてしまうのはなぜなのかを本当に頭の中でよく咀嚼して考えるという、まともな人間ならできて当たり前の行為がまったくできない。
これは例えれば、「万引きはいけないことでしょ? お店の迷惑だからやめなさい」と言っても万引きをし続けるような子どもと同じ。「だって、万引きは悪いことだしそれはわかってるいけど、僕はこれが欲しいんだから万引きするもん! 注意されたらその場はとりあえず逃げるけど、僕がやりたければいつだって万引きしてもいいんだもん!」とわけのわからないだだをこねる子どもと同じようなもの。ああ、うっとうしい。
今回はとりあえず家の前から追い払うだけにしておきましたが、今後は遠くからでも演説が聞こえてきたら即座に「やめろ!」と怒鳴りつけに行くことに決めました。

警察が、「表現の自由」を理由に「拡声機による暴騒音の規制に関する条例」に違反する違法な騒音を取り締まることに躊躇するのであれば、私は私の「表現の自由」でこの「共産党の後援会」の騒音に対抗します。
少なくとも私の「表現」つまり「やめろ!」という抗議はハンドマイクなど使わないので、それだけでも連中よりはずっとまともな表現です。

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カテゴリ:政治家・団体・デモ
誰かを救うためなら我慢しろ?
本日の朝日新聞朝刊に、またまた、げんなりする記事を発見。駅での自殺防止対策に関する暇ネタです。
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まず、記事の中盤に、
「総武線の駅では昨年から自殺防止のため『自律神経にやさしい音楽』を鳴らし始め、それに対する利用者からの『音が大きい』という苦情を受け、今年8月からはモーツァルトやショパンの音楽を鳴らすようになった」
とあり、左側の囲みには「自律神経にやさしい音楽」を監修した心療内科医・牧野真理子という人のコメント、
「音楽の効果は検証しづらいが、誰かは救われているはずだ」
が載っています。

はぁ……。
総武線の駅を利用する機会はほとんどないので、こんな音楽が鳴らされるようになっていたとは知りませんでした。記事には「総武線の駅では」としか書いてありませんが、具体的にどの駅なんでしょうかね。まさか全駅?

「この音楽は自律神経にやさしいから聞け」なんて、駅で強制されたくないんですけどね。だいたい「自律神経にやさしい」って、具体的にどういうことなんでしょう? なぜ、その音楽に対して「音が大きい」という苦情を言われたら、鳴らすのをやめるのではなく、ただ「モーツァルトやショパンの音楽に変えた」だけなのかも理解できません。そもそも、モーツァルトやショパンの音楽は、自殺防止に効果があるんでしょうか?
もし効果があるのだとしても、私のような「どんな音楽であれ、強制的に聞かされたくない」と思っている者など、JRにとってどうなってもいい存在なんでしょうね。自殺者を防止するためになら、ほかの利用者が嫌がろうがどうしようが無理やり音楽を聞かせてやる! そいつが苦しもうがどうしようが、自殺者を防ぐためにならかまわないんだ! というのがJRの考え方なんでしょうが、本当に恐ろしいなあと思います。
でも、もし私が総武線の駅で「強制的に音楽を聞かされたことを苦にして自殺」したら、JRは責任をとってくれるのでしょうか?

「自律神経にやさしい音楽」を監修した心療内科医・牧野真理子という人。こいつも本当に無責任ですねえ。「どこかの誰か」というはっきりしない人を自殺から防止する(わずかな可能性の)ためになら、ほかの誰かをその同じ音楽で苦しめてもかまわないと言っているわけですからね。心療内科医というのは、こんな奴ばかりなんでしょうか。この人にも、もし私が総武線の駅で自殺したら、必ず責任をとってもらいます。

それにしても、この記事で一番ひっかかったのは、最初に流された「自律神経にやさしい音楽」に対して、利用者からJRに「音が大きいという苦情」があったので、「モーツァルトやショパンの音楽に変えた」という部分ですね。
苦情は本当に「音が大きい」というものだけだったんでしょうか。「そもそも駅で音楽を鳴らすな」という苦情は1件もなかったんでしょうか?
実は「音楽を鳴らすな」という苦情もあったのに、JRが「音が大きいという苦情はあった」とねつ造しているのかもしせれませんし、記者が勝手に「音が大きいという苦情」という表現にしている可能性もあると思います。
でもおそらく……本当になかったのかもしれませんね。そこが非常に中途半端。問題は「音が大きいか小さいか」ではなく、「無理やり音楽を聞かせる」行為そのものにあるんですから、総武線の利用者でこれから苦情を寄せる人は、ぜひ「自殺防止だろうがなんだろうが、駅で無理やり音楽を聞かせるな!」と言ってほしいと切に思います。
でないと、どこに行っても強制的に無用な音や音楽ばかり聞かされ続ける騒音漬けの社会が、ますますひどくなっていく一方ですよ(実際この記事を読んで、もう本当に末期的、来るところまで来たんだなあと思いますが)。

私は、「人の自殺を防止するため」になら「聞きたくない音楽を聞かされるくらい我慢しろ」というバカバカしい屁理屈など、絶対に認めるつもりはありません。
「分煙」や「受動喫煙」の問題、つまり「あなたは好きで吸っているタバコかもしれないが、私は嫌いなのだから向こうで吸え!煙を周囲にまきちらすな!」というタバコのマナーついては異様なまでに神経質な社会になったというのに、なぜ「あなたは好きで聞いている音かもしれないが、私は嫌いなのだから向こうで聞け!音を周囲にまきちらすな!」という意見はまったく通らないんでしょうかねえ。

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カテゴリ:駅・車内
防災無線「終戦の日」放送
どこの自治体でも防災無線から流している、8月15日の黙祷放送。
本気で黙祷をしたいなら、公民館でもどこでもいいから慰霊集会でも開いて希望者が集まったほうが、よほど真摯な黙祷ができると思うのですが、誰がどこで何をしているのかをまったく斟酌せず、防災無線を使って安易に「黙祷しろ」と一斉命令。しかもその命令が「しょせん誰もまともに聞いちゃいない」ことなどあらかじめわかっているのですから、そんな放送を流す側も、流されて平然としている側も、どちらも始末に負えない。
「お足元にご注意ください」「よい子は手すりにつかまりましょう」などの無意味なバカ放送と一緒ですね。

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カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
Jアラート大失敗の詳報
J-アラート試験放送大失敗の詳報。
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太田泉生というのは、上記の通りJ-アラートの解説記事も書いた記者のようですから、J-アラート関連の担当か何かなんでしょうか。
こんなものが本当に役に立つのか、必要なのか。役人やメーカーのふところをうるおすため、こんなものに貴重な税金をつぎ込むことに少しは疑問を抱かないのか。
ただ政府の公報をリライトしたり、不具合があったらそれを調べて報道するだけでことたれりとして、それ以上、J-アラートの存在そのものについて踏み込んで考察してみようという気がまるでないのが不思議です。

そういえば、「安心、安全のため。未来を作るために必要な施設です!」という安易な説明にのせられて思考をストップしたくせに、あとになってマスコミも全国民も逆ギレしたかのように「やめろ! やめろ!」と大合唱している施設がありますねえ。
たしか「原発」とかいうものです。

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■プロフィール

Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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