やっぱりあった「震災黙祷放送」その4
今回の「黙祷放送」は、年に一度のこととはいえ、防災無線を使った新たな「騒音放送」の始まりです。
しかも、これをきっかけにして、今後、防災無線の目的外使用や過剰使用がさらに進むのではないかという嫌な予感が、個人的にはぬぐえません。

今回の放送は内容が内容だけに、このようなことを書くと「震災の犠牲者を悼む放送に難癖をつける非国民!」などと罵倒する人もいるでしょうが、「こんな騒音放送を黙祷だとする勘違いこそ、犠牲者(と、幸いなことに生き残っている私たち)をバカにするものだ」という私の考えは変わりませんね。

それにテレビや新聞などのメディアも、口先だけで「民主主義だ!自由と権利だ!」などと叫ぶわりには、「全国民が一斉に、同じ行動をとること」がうれしくてしょうがない、自らも国民をそのように仕向けたくて仕向けたくて日頃からうずうずしていた、という本音が震災以降ものの見事にあらわになって、ああ、この国のメディアは戦時中の「進め一億火の玉だ」から何一つ進歩していないんだなあということがよくわかります。

そんなこと、私のような無名の人間がこのようなブログに稚拙な文章で書かなくても、もっときちんとした場で、きちんとした「知識人」がしっかり指摘するべきだと思うのですが、私は寡聞にしてそのような発言を見たことがありません。言論人ですら誰もが「震災商法」に便乗するか、もしくは「ヤバイ発言をしたら社会的に抹殺される」とでも考えているのか、口をつぐんでいるだけのようです。

関連記事
カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
やっぱりあった「震災黙祷放送」その3
もくとう [ 黙祷 ・黙禱 ]
( 名 ) スル
無言で神や死者の霊に祈ること。 「一分間-する」 「-を捧げる」

すいめい [ 吹鳴 ]
( 名 ) スル
吹きならすこと。 「汽笛の-」

いずれも大辞林より。

これを読むだけで、「サイレンを鳴らしながら黙祷する」「サイレンを『吹鳴』することで死者を悼む」などという行為が、いかに罰当たりかわかりますね。
なのに新聞を読んでも、「震災から1年、響き渡るサイレンの中で犠牲者を黙祷した」というようなアホな言い回しを平気でしている記事が、いくつも目に飛び込んできました。
いったい、いつからこんな「大音量のサイレンが哀悼の意を表することになる」などというバカげた考え方が、日本に定着してしまったんでしょう。
調べてみれば面白いかもしれませんが、面倒なのでそんな気はありません。
軍隊、空襲警報、政治、甲子園、メディア。このあたりが密接に関わって、ある特定の意図のもとに形成されていったような気がしますけど。
いずれにせよ、「この放送を合図に黙祷するんですよ!」と、そんなことまで指図されないとできない日本人の幼児性が、いかんなく発揮されている現象の一つが「黙祷放送」といえるでしょう。

思うに、今回の震災にあたって宗教界は何をやっているんでしょうかね。
私はお涙頂戴ばかりでうんざりしているので、最近は震災関連の記事や番組などまったく見ていませんが、犠牲者に哀悼の意を捧げるなら、汚らしく無粋なだけの防災無線のスピーカーではなく、宗教や宗派を超えて全国の寺社や教会などが一斉に3月11日の2時46分に1分間、鐘を鳴らせばよかったと思うのです。そのほうが、私のような無宗教の人間でも、ずっと厳かな気持ちになれます。
なのに、そのようなことをした宗教施設があるという話を一つも目にしません。
彼らにとっては、「鐘を鳴らすのは金が目的」だから、たくさんの人が集まり金が落ちる大晦日や正月以外に、そんな面倒なことしたくねえよ、というところなんでしょうかね?
そういう皮肉の一つも言いたくなります。
宗教界がそんなことだから、代わりに現代の日本では、あの汚らしい防災無線の放送が一大宗教になってしまっているのでしょう。もちろん、これは私の勝手な見方ですが。
宗教と防災無線の関連性については、考えるといろいろ出てきそうです。

関連記事
カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
嫌がらせで夜間作業をする工務店
前のエントリー
http://bunkasouonn.blog.fc2.com/blog-entry-88.html
に書いた工務店の件で、少し詳しいいきさつを思い出しました。

その工務店の騒音が条例か何かにひっかからないのかと思い、まず自分で調べたところ、確か都の騒音関連の条例の一つに明らかに違反するものであることがわかりました。
その条例によれば、工務店のような作業場の騒音は、確か午前8時から午後8時までは60デシベル以下、午後8時から翌朝8時までは50デシベル以下にしなければならない、というような内容でした(詳しく調べ直す余裕はないので適当ですが)。
その工務店は夜間作業こそしていなかったものの、昼間の騒音は明らかに条例の設定を超えた音量を出していました。

そこで当時住んでいた市役所の環境課に行き、職員と話したところ、条例違反であることはわかってもらえ、「もちろん指導をします」という返事ももらいましたが、「『条例を守りなさい』という主旨で指導するのは、あなたのためにもやめたほうがいい」と言われてしまいました。
なぜなら「条例を守れ」と言って、仮に昼間の騒音が条例を遵守したものになったとしても、逆に嫌がらせのためにその工務店がわざと夜間作業を始めて、今よりさらにひどい騒音に悩むことになるかもしれないから、ということでした。
実際に、その市内の別の工務店に近所の住人が苦情を言ったところ、工務店が「条例を守ればいいんだろ」と、嫌がらせで夜間作業を始め、ますます問題がこじれてしまったという事例があったそうです。

こちらとしても、昼間の騒音が少しばかりマシになるからといえ、嫌がらせで夜間に騒音を出される可能性もあると言われればそれは困るので、結局、上記エントリーのとおり妥協した指導をしてもらい、さらにこちらがひょんなことからその後すぐ引っ越すことになったので、結果としては事なきを得たのですが、いずれにしろ昼間はもちろん、夜中にまで住宅地で工務店が騒音を伴う作業を「できる」となっている条例そのものがおかしい。だから嫌がらせで夜中に騒音を出すなどということが法律上「許されてしまう」のは、ちょっとどうかしている。
もっと自治体は騒音の取り締まりに対して、法や条例や罰則の整備をきちんとしてほしい、ということを担当者に伝えましたが、その後、そちら(工場騒音)関連にの動向については詳しく把握していないので、どうなっているのか全然分かりません。

関連記事
カテゴリ:近隣騒音
音に対する配慮がなさすぎる日本
「静かな街を考える会」は拡声器騒音についての会なので、私もここでは主にそのことしか書いていませんが、実はいわゆる近隣騒音にも、これまでずいぶん悩まされてきました。
その中でも特にひどかったのは、以前住んでいた場所で、斜め向かいにあった工務店の騒音ですね。
朝8時から夜7時頃まで、大工仕事の作業音が一日中続いて頭がおかしくなりそうでした。

第一種専用住宅地で、こんな工場(個人工務店も立派な工場ですから)の騒音が許されていいのか?と思い、市役所の環境課に相談をしに行きました。
当時は法律や条例を自分で調べることまで頭が回らなかったので、職員が「とりあえず話をしてみますから」というのに任せただけなのですが、結果はさんざんでした。

市の職員が「近隣から苦情が来ていますが」とおだやかに話をしたらしいのですが、「こっちも仕事なんだ」「今さらそんなことを言われても」と抗弁するばかり。
結局、作業中は防音シートをしてなるべく音漏れを防ぐ、という案で落ち着いたという報告を受けましたが、作業場の入り口にすき間だらけのシートを張ったからといって音が防げるわけもなく、そもそもシート自体しばらくすると約束を破って外してしまい、何も状況は変わりませんでした。

そうこうしているうちに、騒音のこととは関係なく私がそこから引っ越すことになったので、以来、その工務店の騒音がどうなっているのかはわかりません。
ちなみに、私が転居した後に、その工務店の真向かい5メートルの場所に建売住宅が6棟ほど建ったことを知ったのですが、そんなところに住んだ住人はまともな暮らしができているのだろうかと、今でもときどき思います。

「●●だから音が出るのは仕方ない」というのは、騒音主がよく言う言いぐさで、「仕事だから」はその筆頭です。
しかし「仕事だからこそ、法律や条例、近隣マナーをきちんと守るべき」が正しいのであって、この言いぐさはまったく勘違いしているんですよね。
なのに、日本人は「仕事だから」をまるで魔法の言葉のように思っている。
特に、大企業については「コンプライアンス」などと言って、たとえ建前であっても法律や条例を守ることにある程度神経質になってきているように思いますが、騒音問題についてはむしろ個人商店が問題で、「仕事だから」ではなく「商売だから」という言いぐさが相変わらずまかり通っている状態がまったく変わらない。

また騒音主以上に、嘆かわしいことに騒音被害を受けている側も「仕事だから」「商売だから」と言われると「仕方ない」「お互い様」などと思いがちなところが、私にはわけがわかりません。
「お互い様」というのは、「お互いに迷惑をかけあっているから我慢しあおう」というときに使う言葉であって、向こうがこちらに一方的に迷惑をかけているだけでこちらは向こうに何もしていないのに、なぜそれが「お互い様」になるのか不思議です。

この言いぐさは「仕事」以外にも、「家族がいなくてさみしいから(ペットを飼う)」「子どものためだから(ピアノを弾く)」などたくさんありますが、どれも本当に勝手な言い分だと思います。

以前書いた犬の鳴き声以外にも、数年前に別の家に犬の鳴き声の苦情に行ったことがありますが、そこは老人の一人暮らしで、たまたま拾ったという犬を2匹、ろくにしつけもせず庭で放し飼いをして、とんでもない鳴き声(というより大型犬2匹の吠え声)を深夜まで響かせていました。
私が苦情に行くと、「だって、だって」の言い訳オンパレードです。
「だって、どうやってしつければいいかわからない」
「だって、今さら手放すのはかわいそう」
「だって、家の中で飼うのは不衛生だし(庭で飼って周囲に騒音をまき散らすのは平気だが、中で飼って自分の家が不衛生になるのは嫌。なんて勝手なんでしょうね)」
「だって」「だって」。

結局、私が「とりあえず犬を柵で囲んで、周りが気にならないようにしてみなさい!」という具体的な方策を伝えたところそれを実行したようで、それ以来、たまに吠え声が聞こえますが、我慢できる範囲なので黙っています。

しかしこんな例は、今回の犬の鳴き声もそうですが、枚挙にいとまがありません。今現在、他の近隣騒音でも悩んでいることはあります。
まあ都会に住んでいる以上、ある程度の近隣騒音は仕方がないと思うしかないのはわかっていますが、それにしても日本は「音に配慮する」文化がなさすぎますし、だからといって田舎に引っ込んだとしても、下手をすれば1日何回もの防災無線の放送に悩まされる可能性もある。
日本にいる以上、どこにも行き場なし、です。

関連記事
カテゴリ:近隣騒音
やっぱりあった「震災黙祷放送」その2
報道によると、今日は防災訓練などをした町が多く、その連絡を朝っぱらから防災無線で放送した町もたくさんあるようですね。
私の住んでいる市でも確か防災訓練(というかイベントみたいなもの)をやっていたはずですが、その連絡に防災無線を使わなかっただけマシかもしれません。
「振り込め詐欺注意放送」をやめ、夕方の音楽を鳴らさなければ完璧なのですが。

関連記事
カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
TOP PAGE

 前のページ>>

 
■パンくずリスト

TOP PAGE  >  2012年03月

■プロフィール

Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

■最新記事
■カテゴリ
■月別アーカイブ

■全記事表示リンク
■ブログ内検索

■会員の著書
■リンク
■RSSフィード
■QRコード

QR

■アクセスカウンター

FC2Ad