防災無線の騒音で引っ越しを余儀なくされた
 前回のエントリーの続き。

 中国文学者の高島俊男氏が『週刊文春』に連載していたエッセイ「お言葉ですが…」に、駅のアナウンスと防災無線の騒音に憤慨している回がありました。
 文庫版第3巻『お言葉ですが…(3) 明治タレント教授』(2002年)から紹介します。

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 *〔あとからひとこと〕

 これ(註:駅アナウンスについてのエッセイ)を書いたのは琵琶湖の西の団地にいたころである。その後わたしはこの地を離れた。

 おしまいの一年ほど、わたしの生活はほとんど破滅状態であった。

 毎日、午後五時になると大音響の放送がはじまるのである。どんなに窓をぴったり閉めきっていても、それはあらゆる方向からガンガンと突入してくる。

 まず「わらべは見たり野中のばら」の音楽が鳴る。それから女の猫なで声が、「ただいま五時になりました。よい子のみなさんはそろそろおうちに帰る時間です。家族のかたに心配をかけないよう、みんな誘いあって帰りましょう」と言うのである。

 いったいだれがあんな放送をやっていたのか、わたしは知らない。また、ああも四方八方からひびいてきたのは、どういうしかけになっていたのか知らない。

 夏のころなら五時はまだ日がカンカンしている。この放送を聞いて、遊ぶのをやめて帰る子どもなんかいやしない。だいいち子どもは遊びに夢中で、放送なんか聞いていない。たいてい七時ごろまでは遊んでいる。

 また逆に、ひどい雨で外で遊んでいる子どもが一人もいない日でも、やはりこの放送は鳴り出して、「よい子のみなさんはそろそろ……」と大音響の猫なで声をまきちらす。

 つまりこの放送は、実質的意味は皆無である。この放送をやっている連中が、あたしたちは児童の善導に大いに力をつくしているのだわ、と自己満足しているだけだろう。

 あの地区には、駅前など人の目につきやすいところで、中学生か高校生とおぼしきダブダブのズボンをはいた不良どもが地べたにしゃがみこんで、タバコを吸いながら通りかかる人をじろしせろとねめまわしている場所がいくつかあった。そういうところへ、これら児童善導の連中が出てきて善導しているのを見たことがない。実質的なことをやるつもりはないのである。

 五時前後の時間に、どうやってこの放送のきこえない所にいるか。それが、朝起きた時からのわたしの問題だった。スーパーマーケットのなかにいるときこえない。また住宅街のはずれの自動車道路まで行くと、一部分きこえない所がある。たいていそういう場所で五時前後をすごした。

 しかし、その時間だけが問題なのではない。毎日、その時間にむかって緊張が高まってゆく。四時をすぎるともう動悸がしはじめる。突然襲ってくるものより、毎日きまった時間にきっちりと襲ってくるもののほうがおそろしく、人の神経を破滅させるものであることを、わたしはに如実に知った。

 あの猫なで声の女を見つけ出して殺そう。そのために生涯を監獄でくらすことになってもいい、とも考えた。それはあんまり割に合わぬから、あの放送をやっている所をさがして、かなづちを持って押し入って機械をぶちこわそう。それならば器物損壊ぐらいですむだろう、とも考えた。

 しかし結局、この地を離れるほかない、という判断にかたむいたのである。

――――――

 「だれがあんな放送をやっていたのか、わたしは知らない」とか、「どういうしかけになっていたのか知らない」とか書いていますが、明らかに防災無線の放送です。高島さんが防災無線の存在を本当に知らなかったのか、それとも、知らないふりをして書いたほうが原稿として面白くなるからそうしただけなのか、そこはよくわかりませんが……。

 私も高島さんと同じですね。防災無線に限らず、よけいなお世話の注意放送を聞かされると、「あの猫なで声の女を見つけ出して殺そう」とか「かなづちを持って押し入って機械をぶちこわそう」(笑)とか考えます。

 もっとも、私の住んでいる市で防災無線から流されるのは、現時点では夕方の音楽のみ(この音楽が流れる間、私は仕事の手を止め耳を塞いで我慢しています)。
 「小学生の下校時間になりました。子供たちを見守りましょう(私たちを見守ってください)」という究極の「女の猫なで声」放送は、数年前にテスト放送がありましたが、「これは不要だ」という市の判断で本放送には「昇格」せず済みました。
 一時期毎日のように流された「振り込め詐欺に注意しましょう」は、私が「振り込め詐欺なんて、究極的に自分で気をつけるしかない犯罪なんだから、意味のない放送は不要です」と苦情を言ったところやめてくれました(抵抗は激しかったですが)。
 これらの判断に限っては、市の英断を褒めたいと思いますね。

 このような放送をするのとしないのとで、町の治安にどんな違いができるというのか。明確に違うというデータがあるなら持って来いという話です。むしろこんな放送をするから「あいつも不審者、こいつも不審者だ!」と、人々が互いを疑心暗鬼の目で見て、よりギスギスした「人と人との繋がりのない町」になってしまうのだ、と私は思いますけどね。
 防災無線の放送にどんな問題があるのか、それはこのエントリーにまとめているので、時間のある人はぜひ読んでいただきたいと思います。

 最近は、子供を道路で遊ばせる「道路族」の迷惑行為が話題になっているようです。自分の子供を公園に行かせず、目の前の道路で遊ばせる親は「公園は、不審者ばかりで危険だから!」という、わけのわからない理由でそんな遊び方をさせています。
 実際、数カ月前まで私の家の前の道路で遊んでいたガキどもの親も、そんな考えで子供を道路で遊ばせていました(今は、子供たち自身が同じ場所で遊ぶのに飽きたらしく、公園に行ったりどこかに遠征したりしているようで、ひとまず道路は静かになりました)。

 でもねえ。いったい日本の公園のどこが「不審者ばかり」なのか。そこまで「危険だ!」「注意しなければ!」と怯えるほどのことが、公園で毎日のように起きているという証拠がどこにあるのか。
 ちょっとベンチに(親以外の)大人が座っているだけで「あいつは不審者だ! やっぱり公園は危険だ!」などと考える人たちは、何がどうなれば「安全」だと思えるんでしょうか。

 子供も大人も、日本ほど安全に暮らせる国はない。それはほとんどの人が皮膚感覚で理解しているはずです。
 「外国はスリや置き引きばかりで怖い。店に強盗ばかり入って、子供の誘拐も多いらしい。いつテロが起きるかわからないし、アメリカなんて銃犯罪ばかりだもんなあ。それに引き替え日本の治安はすばらしいよ。治安の良さこそ日本が世界にアピールできる観光資源だ」なんてことは、誰もが口にしたり思ったりしていることでしょう。マスコミだってそう言います。

 客観的に見てそこまで安全だと「知っている」のに、なぜ「注意しましょう! 気をつけましょう!」の放送がこんなにも必要なのか、「公園は危険だ!」などと思い込むのか。「日本は安全だなあ」と口にする人(やマスコミ)が、同じ口で「最近の日本は犯罪だらけだあ!」と叫ぶ自己矛盾になぜ気づかないのか。

 今の日本ほど安全な国でも「不安で不安でしょうがないんじゃ!」とガタガタ怯え、「注意放送が必要だ!」「もっと監視カメラをつけろ!」などと考える人は、一度、病院に行ったほうがいいんじゃないかと私は思いますけどねえ。何科の病院かは言いませんが。

 話を高島さんのエッセイに戻すと、正直、私が不満を覚えるのは、高島氏が「大音響の猫なで声」の正体は防災無線の放送であると調べて、役所に「やめてくれ」と苦情を言いに行かなかったことです。
 最終的に「この地を離れるほかない」という判断に傾くのは仕方ないとして、生活が「破滅状態」に追い込まれるほどひどい放送なら、なおさら、一度でいいから苦情を言いに行ってほしかったと思います。

 おかしいことはおかしいと言わないと、「町が怖いよお! 危険だよお!」と、なんの根拠もなく思い込んでしまった人は「治らない」し、防災無線から「注意しましょう! 気をつけましょう!」と放送することを「いいことだ!」「放送すれば問題が解決する!」と信じ込んでしまった人たちは、絶対に放送をやめようとはしません。
 もちろん、悲しいことに苦情を言ったからといって、この手の放送がなくなる可能性は低いのが現実です。でも、言わなければ何も始まらないのもまた現実です。

 ところで、この本の解説は、評論家の呉智英氏が書いています。呉さんは居住地である愛知県西枇杷島町(現在は合併で「清須市」になったらしい)で、防災無線の放送を止めさせるため裁判を起こした方です。

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防災放送のテスト「うるさい」と提訴へ=西枇杷島町相手に呉智英さん-名古屋地裁

 昨年9月の東海豪雨で最大の被災地となった愛知県西枇杷島町の防災放送のテストをめぐり、「静寂を破られ苦痛」として、同町の評論家呉智英さん(55)が町を相手取り、放送の中止を求める訴訟を16日、名古屋地裁に起こす。
 訴状などによると、同町は東海豪雨で町内約6600世帯のうち、約4000世帯が床上浸水するなどの被害を受けた。住民から「避難勧告が伝わらなかった」などとする声が相次いだため、町は6月、防災放送塔26基を設置。試験放送として朝夕2回、ドボルザークの「家路」などを流し始めた。 (時事通信)

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 呉さんがこの訴訟を起こしたのは2001年。そして最高裁まで争った末、2005年に敗訴が確定してしまったようです。

 今回、紹介している高島氏の本が出版されたのが2002年。呉さんは解説を書いた時点で、すでにこの訴えを起こしていたのではないかと思うのですが、解説では特に触れていません。また、どこかで「この裁判の顛末は、いずれ本にする」と書いていたと思うのですが、現時点でそういう本は出版されていないと思います(出しても売れないだろうしねえ)。

 呉氏は、今も裁判を起こしたのと同じ清須市に在住のよう(Wikipediaによれば)ですが、相変わらずこの「朝夕2回のドボルザーク」に悩まされているんでしょうか。それとも、防災無線についての発言が途絶えたということは、この放送がなくなったか、あるけど気にならなくなったのでしょうか。気になります。

 敗訴は残念(予想どおりでもあったのでしょうが)ですが、高島氏にしろ呉氏にしろ、こういう著名な人たちが、もっと「スピーカー騒音」のおかしさに言及してほしい。私はいつもそう思っています。

カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
防災無線で高校野球の結果を「大本営発表」
 やれやれ。先日の朝日新聞の記事から。

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大島の夏

(2)防災無線で勝利届けたい

 ◆支えられ苦境乗り越える

 □大島高・天野一道監督

 大島の夏。(高校野球の予選が始まると)試合結果は防災無線で島中に流れ、勝てば島は沸く。初戦は7月12日。「できるだけ、長い夏にしよう」。それが、島に「日常」を取り戻すきっかけになればいい。天野監督はそう願っている。

伊豆大島防災無線.jpg

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 だ、そうです。すごいですねー。
 野球に限らずスポーツなんて、当人たちの趣味、楽しみでやればいいことだし、そうであるほうがよほど健全なのに、朝日新聞にかかると、自治体の設備である防災無線を使って、まるで大本営発表のように自社のイベントの結果を放送することまで「いいこと」になってしまうわけですか。
 すごいですねー。
 野球の結果を流すことの、どこが「防災」無線の役目なんでしょう?

 この前段では、

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 「部員はみな、野球ができる喜びをかみしめてくれている。それで十分」。(島への)恩返し、などとプレッシャーをかけるつもりもない。「そんな大きなものは背負わなくていい」

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 なんて書いてあるけど、試合結果を防災無線で流すなんて、それこそプレッシャーをかける最大の要因、「大きなものを背負わせる」ことにつながるんじゃないの?
 子供に何を背負わせようが背負わせまいがどうでもいいし、高校生たちがそれをどう感じようが赤の他人のことなんか知ったこっちゃありませんが、言ってることが矛盾だらけですね。

 それに、高校野球の結果だけ防災無線で流す、というのもおかしな話でしょう。バスケットボールでも卓球でも、なんでもいいけど島の学校にはいろんな部があって、それぞれに一生懸命練習や試合をしてるんじゃないの?
 どうせ野球だけ特別扱いして、ほかの試合の結果は流していないんだろうけど、それって「差別」ですよね。この疑問については、どう答えてくれるんでしょうか。

 差別、絶対に許さないぞおおおおおおー!

 ま、高校野球の結果みたいなどうでもいいことまで、防災無線を使って大本営発表する自治体って、伊豆大島だけじゃないですからね。「●●町の××さんがお亡くなりになりました。葬儀は3日午後1時から▲▲で」だの、「みなさん、今日も1日笑顔で過ごしましょう!」だの、災害放送、避難放送以外の「どーでもいい」放送を日常的に垂れ流す自治体は、日本中に山のようにあるようです。

 私が住んでいる市では、夕方の音楽以外の放送は(基本的に)ありません。「振り込め詐欺に気をつけましょう」の放送が一時期ありましたが、私が苦情を言ってやめさせました。
 それでも、音楽だけでも苦痛です。毎日毎日、聞きたくもない音楽を大音量で流されて、その間は耳を塞いで耐えています。

カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
子供にまでこけにされる防災無線
 気温が上がり、しかも学校が春休みに入ってしまったせいで、午前中からガキどもの奇声がひどいです。今もうちの周囲は、男児の獣のような咆哮や「グエッグエッ」というガマガエルみたいなだみ声、女児の断末魔の叫びのような金切り声が響き渡っています。

 そしておかしいのが、つい先ほど、防災無線から「かーえーりーまーしょー」の音楽が流れた直後、ガキの一人が「まだ帰らない! まだ帰らないって!」と何度か絶叫していたことです。「やらせはせん、やらせはせんぞぉ~!」みたいな感じ?
 まあ、誰に向かって叫んでいたのかよくわかりませんが、ガキにまで反抗的な態度をとられるなんて、防災無線もこけにされたものです。

 これに限らず、防災無線の放送なんて、ただの無意味な騒音にしかなっていないんだから、さっさとやめりゃいいのに。どうしてもこの放送でガキを家に帰したいなら、罰則付きにでもすればいいんです。そこまでする気がないなら、行政がいちいち「ああしろ、こうしろ」と命令するおせっかい放送は一切やめてくれ。
 ガキがうるさい、防災無線がうるさいで、迷惑の上塗りにしかなっていないんだからさ。

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ノーチャイムにしたいなら、防災無線の放送もやめよう
 うちの周りは、今(夕方5時40分)でも、ガキどもがキーキーギャーギャー騒いでいます。今日は夕方まで不気味なほど静かでほっとしていたのに、4時半を過ぎてから何人かのガキどもが現れて暴れ始めました。

 不思議です。4時半(今の季節はどの自治体も、だいたいこの時間でしょう)には防災無線から盛大に、「子供は家に帰れ」というメロディーが鳴り響くのに、この音楽を聞いて帰る子供など、今まで一人も見たことがないのですから。むしろその放送の後からでも、平気で現れるのですから。

 別にうちの周りだけがそうだというわけではありません。外出先で夕方の「家に帰れ」音楽や放送を聞かされると、私は周りにいる子供がどんなふうに行動するかよく見るのですが、いまだかつて一人も「あ、防災無線が帰れと言ってるから帰ろう!」と(ある意味で)殊勝な行動をとる子供など見たことがありません。

 子供が「もう家に帰ろう」と判断する理由は、だいたいこんなところでしょう。
 ・暗くなってきたから
 ・親に「何時には帰って来い」と言われている時間になったから
 ・腹が減ったから
 ・見たいテレビ番組があるから
 ・塾の時間になったから
 ・遊ぶのに飽きたから
 ・友達が帰ると言うから
 などなど。

 「防災無線が鳴ったら帰って来いと言われてるから帰る」という子供や、自分の子供にそうするようしつけている親というのが、いったい世の中にいるんでしょうか? 少なくとも私は上記の通り、一人も見たことはありません。
 それに「暗くなって、そろそろ遊ぶには危ない時間になってきたから」と、子供なりにちゃんと判断して家に帰るようしつけるならともかく、「音楽が鳴ったら帰る」などと、まるでパブロフの犬のような条件付けをしたって、しつけ上いいことがあるとはとても思えません。
 もう一度書きますが、大切なのは「暗くなってきたら帰らなきゃ」と子供にわからせることであって、「音楽が鳴ったら帰る」ではないのです。日が暮れて暗くなるという自然現象と、音楽や放送を流すという人為的な行為には、なんの関連性もないんですよ。
 その二つを結びつけて、まるで犬のしつけのような条件付けをしても、いいことは何もありません。世の中のお母さん、お父さんも、そのことを薄々わかっているから、子供に「防災無線から音楽が鳴ったら、帰ってくるんだよ」なんてアホなことを教えないのだと思いますが、違いますか?

 先日の朝日新聞に、「ノーチャイム 学校の挑戦」という記事が載っていました。子供たちの自主性を伸ばそうと、各地で「ノーチャイム」を実践している学校の取り組みを紹介したものです。

ノーチャイム

 でも、じつはこんな取り組みはもう数十年も前からずっと続いていることなのです。最近になって急に始まったわけではありません。それなのにいまだにノーチャイムで教える学校はごく一部で、いつまでたっても広まる気配はありません。

 そりゃ、そうでしょうね。子供を音で条件付けするなんてバカなことに、誰も「おかしい」と言わないのが日本の社会なんですから。百万歩譲って「そろそろ帰りましょう」という放送や音楽を、学校内や公園内だけで流すならともかく、自治体の隅から隅まで、各家庭の中にまで、防災無線という暴力的な装置を使って無理やり聞かせるのが当たり前と思っているのが日本社会なんですから。

 ノーチャイムを本気で広めたいのなら、まず、防災無線のおせっかいな放送をやめること。「ああしましょう」「こうしましょう」と、誰彼かまわず「同じ行動をしましょう!」と強制する防災無線の放送に「おかしい」と言わない限り、学校のチャイムやよけいな校内放送だって減るはずはありません。

 それに、私にとって何より腹立たしいのは「防災無線が帰れと言っているのに、そんな放送を無視してギャーギャー遊び回る子供ばかり」という現実です。
 放送を聞いて本当に子供が一斉にいなくなって静かになるなら、教育上どうのこうのなんてことは抜きに「防災無線、ありがとう!」とひれ伏して感謝の言葉を捧げてもいいですが、実際は「防災無線がうるさい、そして、放送を聞いても帰らない子供がうるさい」という、ただの二重苦になっているだけなのですから。

 もし、私が「帰れ」の放送の後も外で遊んでいる子供に「防災無線が帰りなさいと言っているのだから、帰りなさい」と注意したら、きっと「何、このおっさん」という反応しか返ってこないでしょうね。そこに親が現れたら「よけいな口出しはしないでください!」なんて言ってくるでしょうね。場合によっては警察にだって通報されるでしょう。
 でも、おかしなことです。自治体が「子供は帰れ」と放送しているのに、誰もそれを守らない。そして守らない子供に帰るよううながしたら、(間違いなく)白い目で見られるのですから。

 私の住んでいる市では放送していませんが、今は多くの自治体で「子供たちを見守ってください」などという、究極のおせっかい放送が流されています(日本人は「子供を見守れ」と言われなければ見守らないということ?)。ならばよけいに、防災無線の放送を聞いても帰らない子供に「もう帰りなさい」と注意するのは、自治体が求める「市民の正しい責務」だと思うのですが、実際にはそんなことは誰も望まないし、しようともしないのだから不思議です。

 そんなバカげた防災無線の放送に、いったいなんの意味があるんでしょうか。

カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
台風が来たら、早めに避難所に行けばいいじゃん
 少々古い話ですが、去年、伊豆大島を襲った台風の後で朝日新聞の読者投稿欄「声」に載った、防災無線に関する意見をいくつか紹介し、批判と賛同をしたいと思います。

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(声)聞きとりづらかった防災無線

 無職 ●●●●(千葉県 65)

 台風26号が千葉県を通り過ぎるころ、寝床で同県船橋市の防災無線の音を耳にした。ただ、大型台風で上陸の恐れありという報道もあり、雨戸を閉め切っていた。風の音も激しく、外にいなければよく聞き取れない。これでは、せっかくの防災無線も役に立たない。緊急避難放送ならば聞き漏らして、逃げ遅れる事態にもなるだろう。

 特に、私のように視覚に障害がある者は、一人で緊急避難するのは難しく、少しでも早く情報を知って安全な場所に移る必要がある。台風などの風雨の激しい環境下では、音声でも聞ける一斉メールや一斉電話、広報車による聞き取りやすい呼びかけなど、防災無線以外も使って、確実に緊急情報が伝わるよう関係機関に要望したい。

朝日新聞「声」01.jpg

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(声)半鐘鳴らし災害防止しては

 商店経営 ●●●●(静岡県 63)

 このたびの伊豆大島の大災害で、避難勧告を出すべきだった、と言われていますが、大雨と強風の中、スピーカーでの広報は聞こえません。こうした場合、音がよく響く半鐘を鳴らしたらどうでしょうか。

 たたき方で内容を伝えるのです。自分が幼少のころ、消防署の塔から警報が伝えられました。火災の場合は、「どこそこが火事です」と放送した後で、チャイムを鳴らしましたが、そのチャイムの長さで火災の大きさを表現していたように記憶しています。

 また強風注意報などの場合は、「ボー」とサイレンが鳴ってから、一度小さくなってまた繰り返し鳴るのですが、回数で事の重大性を知ることができました。

 携帯電話などで伝えることも良いと思いますが、半鐘の音は、誰もが分かりやすいものです。今なら実際に半鐘を打たなくても、デジタル音で知らせることもできます。関係各位にご一考をお願いします。

朝日新聞「声」02.jpg

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 視覚障害があるから広報車でもなんでも使って避難情報を知らせろとか、台風のときに音声放送は聞きづらいから半鐘を鳴らせとか、いろいろ言ってますが、どちらも共通するのは「避難命令が聞こえたら逃げるから、ちゃんと教えろよ」という要求ですね。私にはこの考え方がわからない。

 このブログでは何度も、同じようなことばかり書いていて自分でもうんざりしますが、避難を考えるほど大きな台風が来たら、いちいち自治体が命令を出す前に、自分の判断で早めに逃げればいいじゃないか。なぜ、こういう人たちは、自分が生き延びるための判断を、自治体の放送という他人任せにしてしまうのでしょうか。

 近くに知人がいたら早いうちに連絡をとって避難させてもらったり、知り合いがいなければ公民館などに駆け込んだりすればいい。この場合、本当に必要なのは、台風が「来る」前の「近づいてきた」段階で、「こりゃ、やばいかもしれないな」という状況になったら、自治体が公民館や学校など避難できる場所を早めに開けておくこと。自分は避難すると判断した住民が、いつでも入れるようにしておくことでしょう。
 もし、避難所を開けたはいいけど実際の被害は大したことがなかったとか、早く開けすぎたせいで避難所を維持するコストが必要以上にかかってしまったとしても、自治体は「早く対応したおかげで被害がなくてよかった」と考え、「無駄なコストを使ってしまった」などと思わないこと。住民も「早く避難しすぎると恥ずかしい」だの、「無駄足を踏んでしまった、チッ」などと思わないことが大切です。
 こういう考えを持って自主的に行動してくれない人、つまり「行政が指示してくれたら避難するもん(指示してくれなきゃしないもん)!」という幼稚な考えを持ち、命令があるまでテコでも動かない、というわけのわからない人ばかりいるから、防災無線の無駄な放送が氾濫してしまうんです。

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(声)災害時には自己責任で避難を

 中学校非常勤講師 ●●●●(愛知県 72)

 台風26号に襲われた伊豆大島では、多くの尊い命が奪われました。犠牲者が出るのを抑えるにはどうしたらよいのか、改めて考えさせられます。私は、被災地の人々が、行政の発する避難指示や、メディアの情報に頼りすぎているように思います。被害にあってから、行政やメディアの対応を批判する傾向がありますが、後の祭りではないでしょうか。

 伊豆大島では、助かった人がテレビのインタビューに、「10歳の時の台風で土砂崩れと洪水を経験していたので、すぐに、激しい風雨の中を高台へ避難した」と語っていたのが印象的でした。

 自然災害の多い日本では、山の斜面や崖下に住んでいる人は土砂崩れを、川の近くに住む人は洪水を、海岸沿いに住む人は高潮・津波を常日頃から意識し、逃げ場所を決めておくことが必要だと思います。気象庁は全国津々浦々の地形にまで対応した警報を出せるとは限りません。自然災害が予想される時は、自己責任で素早く避難することが何より大事だと思います。

朝日新聞「声」03.jpg

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(声)命は自分で守る努力が必要

 無職 ●●●●(神奈川県 81)

 台風26号で伊豆大島(東京都大島町)は大変な災害にみまわれ、多数の犠牲者が出ました。関係者の皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

 伊豆大島は台風26号が、ど真ん中を通るニュースがたびたび報じられ、新聞、テレビの報道によれば、気象庁の「土砂災害警戒情報」が出されていました。町長が「避難勧告」を出さなかったと、町長の責任を問う声が出ています。しかし、私は住民の自衛の意識を考える契機にするべきではないかと考えます。

 今回の台風は何十年ぶりかの大型台風だと、新聞、テレビで報道され、それが「警戒警報」でした。私たち戦中派は「警戒警報」が出されたら、その後の空襲に備えて、普段着のままで寝ずにいたことを思い出します。台風の進路の中にいる人たちは、もっと早く、自分自身で逃げる準備をすることはできなかったのかと思うと、残念でなりません。

 もちろん、自治体の長としての町長の責任も議論されてしかるべきだとは思いますが、そこだけに流れてはいけないと思います。自分の命を自分でまず守るためにはどう行動するべきなのか、今回の悲劇から多くのことを教訓とするべきでしょう。

朝日新聞「声」04.jpg

――――――

 私は、この二つの投書には全面的に賛同します。

 特に台風の場合、風雨の音で防災無線の放送が聞こえなくなるのは当たり前なのです。ケータイにメールや(技術的に可能かどうか知りませんが)音声で情報を個別送信するのはいいことだと思いますが、防災無線や広報車から無差別に一斉放送を流すなんて物理的に「無駄!」としか言いようのない手法をとるのは、もうやめにしませんか。
 近所の火事のような本当の緊急事態のときに消防車がサイレンを鳴らすのと、台風で防災無線から放送をするのは、まったく違う性質のものなんだと、なぜわからない人ばかりなのか、そのことのほうが私は理解に苦しみます。

 それから、防災無線以外のメディアを使って災害情報を流すのはいいのですが、これだって最近はどう考えてもやりすぎです。
 例えば1、2カ月前にテレビを見ていたら、いきなり画面に「和歌山県に大雨・洪水警報」というテロップが出てきてびっくりしました(確か和歌山だった)。あのー、ここは東京なんですが、なぜ東京の住民が和歌山の災害情報を、そこまで強制的に見せられなきゃならないんでしょうか。空前絶後の巨大台風がついに和歌山で上陸した! というなら話は別ですが、大雨情報ぐらい天気予報の時間に伝えればいいことでしょう。
 別の日には、「島根県に大雨・洪水~」というテロップも見た記憶がありますし。

 そんなふうに「また災害だ~! ほら災害だ~! 怖いぞ~! 恐ろしいぞ~!」なんて、行政やマスコミがわざわざ遠く離れた場所まで、いちいち恐怖心を煽るような情報ばかり流すから、受け取るほうは結局「あ、そ」と見逃す(聞き逃す)ようになる。そのオオカミ少年効果のせいで、いざ本当の災害時に情報を流しても、誰も本気で受け取らなくなって、避難せず被害に合うようになる。被害に合ったら合ったで「指示してくれない行政が悪い~、教えてくれないマスコミが悪い~」の大合唱になり、自分で判断できない(したくない)人たちは「もっと情報を流せ!」と要求し、さらにオオカミ少年効果で……。

 日本の災害対策というのは、官民そろっていつまでも、こんな堂々巡りを続けているだけなのですから、進歩も何もありゃしません。「あえて情報を流さないことの大切さ」を、少しぐらい考えてみればいいのに。
 いっそ災害情報こそ「特定秘密」に指定して、一切ひ・み・つにしたらどうすかね。「死ぬときはみんな一緒やでえ~」という考え方もまた、日本人らしいじゃあ~りませんか?

カテゴリ:防災無線・広報車・夜回り
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■プロフィール

Author:S.B
市民グループ「静かな街を考える会」会員S.Bのブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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