乗客の「心」にまで踏み込んでくる車掌の放送
 ある日、あるとき、あ~るところで知人と交わした会話。

 「さっき電車に乗ってるとき、車掌が『高齢者や障害をお持ちの方に、優先席を快くお譲りくださるようお願いします』って放送したじゃん」

 「そうだっけ」

 「言った言った。ま、どうせほとんどの乗客の耳を素通りしてるんだろうけどさ。でも、おれはこのアナウンスを聞かされて、一気に不愉快な気持ちになったね」

 「なんで?」

 「つまりさ。『高齢者や障害者に優先席を譲れ』と放送するのは、優先席についての情報や車内のルールを伝達しているんだと考えれば理解できる。本当は車内に『優先席』ってシールが貼ってあれば十分だと思うけど、まあ、放送するのも仕方がないかとあきらめることもできるよ。でも『快く』の一言は余計だろ」

 「なんで?」

 「だって、『快く譲る』か『嫌々ながら譲る』か『淡々と譲る』かは、個人の内面の問題だろ。どんな気持ちで席を譲るかは人それぞれの自由だし、そのときの状況によっても変わってくる。それなのになんで『快く譲れ』と、心の領域にまで車掌がずかずか踏み込んでくる必要があるんだよ。そう思わない?」

 「……」

 「『座席は快く譲りましょう』なんて言われるのは、小学校のホームルームや道徳の時間だけで十分であってさ。どうして、電車の中で大の大人が十把一絡げに『心の持ち方』を説かれにゃならんのよ。しかも、それを言ってるのは学校の先生でも寺の坊さんでもどこかの法王でもない、ただの鉄道会社の車掌なんだぜ。お前はどれだけお偉い人間なんだ、人様の心にまで踏み込んで説教する資格がどこにあるんだ、とおれは腹が立つけどね」

 「ふうん」

 「おれは別に『高齢者や障害者に優先席を譲る必要はない』と言ってるわけじゃないんだよ。ただ、車掌は『優先席は、高齢者や障害者が優先的に座るための席だ』という情報を伝えれば十分なんであって、いちいち『快く』とか人の内面まで指図するなってことなんだ(ドン!)」

 「ふーん」

 「そういえばこの前さ、電車の通路で吊革に掴まってたら、横にいたじょしこーせーが部活かなんかで疲れてたのか、立ちながら舟を漕いでたのよ。で、前の席が空いたから『君、座る?』って譲ってやったわけ。たぶんその娘は『トム・クルーズ似のかっこいいおじさん、ありがとう!』と感謝してただろうな」

 「それはきっと、『カンニングの竹山みたいな暑苦しいおっさんだし、断るのもメンドクセー』と思って座ってくれたんだよ」

 「そ、そうだったのか! 座席は快くお譲られくださるようお願いします!」

カテゴリ:駅・車内
「情報A」から「行動C」を導き出せない幼稚な日本人
 本だったか、ブログだったか、ウェブサイトだったかで、スピーカー騒音について、じつにスルドイ指摘を読んだことがあります。どこで読んだのかどうしても思い出せないので、ここで要旨を再現するとこんな感じ。

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 そもそも人間には、「情報Aを聞いたら、そこから自主的に情報Bを引き出し、行動Cに結びつける能力」が備わっているはずだ。どういうことか。たとえば電車の車内では、よく「ドアが開きます。袖や荷物が引き込まれると危険なので、離れてお待ちください」とアナウンスされる。

 しかし、「ドアが開く」という「情報A」を聞いたら、そこから自主的に「袖や荷物が引き込まれたら危険だ」という「情報B」を引き出し、「離れて待つ」という「行動C」をとるのは、人間として当たり前のことではないか。「乗客には、その程度の思考力も判断力も行動力もない」ことを前提に流すこのアナウンスはおかしいし、そのようなアナウンスを聞かされて「バカにするな」と怒りもしない日本の鉄道の乗客は、やはりどこかおかしいのだ。

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 日本の過剰におせっかいで、やかましいスピーカー騒音は、さまざまな切り口で批判することができますが、この意見はその問題の一面をじつに的確に指摘していると思います。
 鉄道会社のアナウンスに限らず、日本の街には、こうした「××すると、××だから、××ちまちょうね」式の幼稚なアナウンスが多すぎる。そのことについて、ほとんど誰も「おかしいぞ」と言わないこの国は、やはりどこかおかしいのです。

カテゴリ:駅・車内
むやみにチャイムを鳴らし、アナウンスをする鉄道会社
 忙しくてブログを更新する時間がとれないので、また、人様がスピーカー騒音について書いた文章を紹介します。
 たとえ20年前、30年前の文章でも、この国でスピーカー騒音がどのように語られてきたか、その記録を残すことには意味があると思うからです。

 今回は、本会の会員でもあった作家、故・城山三郎氏のエッセイ集『湘南―海光る窓』(1989年)から。

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江ノ電賛歌

 江ノ電は、いい電車である。何より静かなところがいい。

 駅での余計なアナウンスは一切ないし、発車のベルも、低くて小さい。車内でのアナウンスも、駅名の短い呼称だけ。

 おかげで、景色もゆっくり眺められるし、考え事もできるし、本も読める。《中略》

 それに比べて最悪なのは、名古屋の地下鉄である。各駅間、また各駅毎に、商店名を連呼する。それを埋め合わせるつもりであろうが、公共施設の案内やら乗車上の諸注意等々のアナウンス。つまり、のべつ幕なしのおしゃべり鉄道であり、うるさいことこの上ない。乗るには耳栓が要る。

 この地下鉄の経営者、つまり名古屋市長をついこの間まで三期もつとめた人は、よほど物事を考えることがないか、本を読もうとしない人種に思われるのだが、実は名古屋大学教育学部で教授だったというのだから、あきれる。

 それにしても、このごろ各地の交通機関でこの悪しき「名古屋方式」をまねるところがふえている。うるさいだけでなく、かんじんの駅名を聞き漏らす心配もあるのに、監督官庁の運輸省はなぜ野放しにしているのか、理解に苦しむ。

 ついでにこのごろ気になるのは、各駅でいっせいに「チャイム公害」がはじまったこと。まずチャイムが鳴り渡り、「まもなく──番線に列車が参ります。御注意下さい……」と、テープに吹きこんだアナウンス。

 どの駅どのホームでも、同じ男の声、同じ女の声。心がこもらず、寒々とする。

 それにボタンひとつですむからであろう。むやみにチャイムが鳴り、むやみにアナウンス。「まもなく……」「まもなく……」

 三度も「まもなく……」があったりして、注意のしようがない。「狼が来る」ではないが、これでは注意力が散漫になり、危険は増すばかりだ。

 本当に列車が入りこんでくる直前に、なまの声で鋭く短くアナウンスするのが、何より正確で安全である。交通機関としてはいちばん大事なところで手抜きをしていいものなのだろうか。

 このチャイム公害、駅によって程度の差はある。音量を絞るのはもちろん、できるだけなまの声でアナウンスする駅は、客の安全を考え、まじめに健気にやっている感じだが、無神経にチャイムを鳴らし続ける駅は、手抜きそのものを、その度に確認させてくれる形である。

 いや、国鉄は客にまで「騒々しくなれ」と言いたいのかも知れない。ナイス・ミディなんとかの女三人のあられもない広告ポスター。「ばか騒ぎしない客は国鉄に乗るな」と言わんばかりのポスターである。

「とにかく音を立てたい」「騒々しくしたい」と、チャイムの音は日毎、駅毎、叫び続けている。こうした体質だから、新幹線騒音訴訟など起されるのも、当然であろう。《後略》

どこへ行くJR

 《前略》JRになってから、はしゃぎが目立つ。

 試験的にせよ、プロ野球の結果を放送しようなどというのは、その典型的な悪例である。

 たとえ一瞬でも、それが放送されれば、車内がどよめいたり、ざわつく。体を休めて眠っていた人や、読書中の人、考えごとをしていた人はどうなるのか。

 その辺の配慮が全くなく、客を十把一からげにしている。

 野球ぎらいの人間はいくらでも居る。さらにプロレスやボクシングなどの結果、株価やニュースまで放送しろなどとなったら、いったいどうする気か。知りたい人は、携帯ラジオのイヤホーンを用いればすむのに。

 余計なお世話であり、無責任というか、ふざけた思いつきという他ない。

 おはしゃぎJRは、それにふさわしい相談相手を持つのであろう。JRアドバイザリーと称するグループから、「通勤電車にBGMを流せ」という提案があったという。おそろしい話である。

 音楽には好き嫌いがある。選んでこそ音楽であり、どんな名曲も強制されれば騒音でしかないのに。

 いま、音楽や広告を垂れ流す店や街では買物をしない、という人がふえている。そういうところは利用しなければすむ。

 だが、交通機関は利用せざるを得ないし、しかも見るものとちがって、いやだといっても聞かされる。客は車内にとらわれの身となっており、耳は閉ざすわけには行かないのだ。

 店に買物に来た客の腕をつかまえ、一人残らず聞きたくもない音楽を聞かせ、知りたくもない野球の結果を強制的に聞かせようとしたら、どういうことになるのだろう。

 店の主人は客にぶんなぐられ、客は二度と来なくなるであろう。

 車内の乗客の置かれた状況が、まさにそれである。望まぬ客が一人でも居る以上、余計な放送は厳に慎むべきである。それが客に対する良識であり、礼儀というものではないのか。

 似たようなことで迷惑千万なのは、新幹線などでの車内販売のアナウンス。これは私だけの感じではなく、徳川美術館長の徳川義宜氏も新聞のコラムに「禁音車」をというすすめを書いて居られた。

 それにしても、監督官庁である運輸省は、いったい何をしているのか。

 当然、規制を考えるべきなのに、業者への寄生しか考えていないのか。

 かつて車検制度の見直しに反対したのも運輸省だが、国民にとって存在理由がないどころか、むしろ有害な役所に堕しているのではないのか。《中略》

 東京駅などのBGMの渦。客は安っぽいキャバレー街に居るのかと、錯覚してしまう。

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 江ノ電が、今でも静かでいい電車なのかどうかはともかく(乗ったことがないのでわからない)、一読して感じるのは、うるさいうるさいと言いつつも、このエッセイで表現されたスピーカー騒音なら、現在より少しはましだろうな──ということです。
 今はプロ野球の結果を放送されることこそありませんが、〈むやみにチャイムが鳴り、むやみにアナウンス〉を聞かされる鉄道会社の放送のやかましさは、年々ひどくなる一方です。

 私が最近、駅の放送で(大袈裟でなく)衝撃を受けたことがふたつあります。

 ひとつは、ほぼ1年ぶりに東京メトロに(乗りたくないけど)乗ったとき。いつの間にか、乗車した高田馬場から降りた茅場町までのすべての駅で、発車メロディー(しかも、駅毎に異なるメロディー)が導入されていたことです。

 もともと、東京メトロはホームのアナウンスも車内アナウンスも、音量が大き過ぎて不愉快極まりない路線です(だから、できるだけ乗るのを避けている)。特に発車ブザー音の大きさは桁外れ。私は手で耳を塞ぐか耳栓をして、なんとか我慢しながら乗車していました。
 このブザーが音量はそのままに、ジャンジャンジャカジャカとけたたましいメロディーに置き換わってしまったのだから、不愉快さは300%大増量(当社比)です。

 一体全体、あのような音楽(とすら呼べないもの)を無理やり聞かせようとする発想や、聞かせられて「うれちぃぃぃぃぃ!」と喜ぶ感受性というのは、どこから生まれるんでしょうか。
 駅メロなどというものを喜ぶ人たちは、そんなに嬉しいなら、自宅でも童謡だのアニメの曲だのJ-POPだのを一日中聞きながら踊り狂っているはず……ですが、実際にそんなことをしている人はいないでしょう。
 それなのに、駅が勝手に押しつけてくるメロディーを聞かされて、「癒されるぅ」だの「心がウキウキするワ!」なんて幼稚なことを言う人たちの神経というのは、どれだけ前頭葉を働かせても理解できません。

 私は駅で癒されたり、ウキウキしたりしたいとは思いません。電車に安全に乗ることができれば十分。駅を利用するときに何より必要なのは「落ち着いて乗車できる環境」のはずだし、鉄道会社にそれ以上のものを求める(鉄道会社がそれ以上のおせっかいを焼く)のは、どだいおかしなことなのです。
 特に地下鉄の駅という密閉され、音が逃げる場所がない空間の中、100dBにも及ぶ超絶大音量で、ジャカスカジャカスカ音楽を鳴らすという行為が、当たり前のことになってしまったのは異常です。

 この国では新しい駅メロが導入されると、新聞でも「人気アニメの曲が駅メロに」などといちいち取り上げていましたが、それも数年前までのこと。最近では滅多にそんな記事も見なくなりました。それだけ、駅メロが「あって当然のもの」になってしまったのでしょう。
 ますます、電車に乗って外出するのが嫌になる一方です。

 もうひとつの衝撃はJR東日本。最近(こちらも当然、嫌々ながら)乗り降りしたいくつかの駅で、「東北旅行の案内放送」が構内全体に響き渡っていたことです。

 もともと「東北旅行の案内放送」は、ほとんどのJR駅の改札口周辺で流されていました。エンドレスで「東北旅行に行け、切符を買え」と押しつけてくるこの放送のやかましさについては、過去のエントリーでも書いています。

 私はこれまで、複数の駅で「電車に乗るために必要なアナウンスならともかく、旅行の販促放送なんか流すのはやめてくれ。ポスターを貼ったり、みどりの窓口にパンフレットを置いたりすれば十分だろう。金儲けに走るのもいいけれど、もう少し節度というものを持ってくれ」と苦情を言いました。
 しかし、口先だけで「はいはい、ふんっふんっ」と生返事をする駅員は、見事なまでに放送をやめようとしません。
 このアナウンスは駅の判断ではなく、管轄の営業所から「流せ」と指示されるので、ご意見は営業所に伝えておきます、というような返事をしてくる駅員もいましたが、どうせ何もしちゃいないでしょう。

 挙げ句の果てに最近はこの放送が、改札口周辺だけでなく、駅構内の通路やホームに通じる階段でも、何食わぬ顔で流されるようになっているのです。この変化に気づいた人はほかにいないんでしょうか?

 改札口から階段まで、ホームを除くすべての場所で旅行案内を聞かされるということは、改札をくぐり電車に乗るまでの間、完全に絶え間なくアナウンスを聞かされ続けるということです。
 通路で人にぶつかったりしないよう、うまく流れに乗って歩こうと神経を使っているときに、頭の上から「癒しの東北旅行に出掛けてみてはいかがでしょうか!」などと聞かされるのです。
 階段では、ホームから漏れてくる「間もなく×番線に××行き電車が到着します」などの「電車に乗るために必要なアナウンス」を聞き取って、「急ぐか、次の電車にするか」と判断しようとしているのに、わざとそれを邪魔するように「ゆったり温泉とおいしい料理の東北旅行!」と放送するのです。
 こんな、鉄道会社としての本分を忘れたアナウンスを「本末転倒」と言わずに、何が本末転倒なんでしょうか。まるで、泥水で手を洗って「きれいになった!」と喜んでいるような愚かな行為です(なんのこっちゃ)。

 おかしいのは、このような放送をするJR東日本だけではありません。駅という「公共の場」で、宣伝放送を一方的に聞かされることに「ノー」と言わない人たちばかりというのが最もおかしい。そんなこの国の現実には、つくづく呆れるばかりです。

 駅や車内のアナウンスについては、私鉄も含め無茶苦茶なことが山ほどあり、電車に乗るたびに「なんだこれは」と嫌気が差すことだらけなのですが、書いているとキリがなくなるので、今回はこれくらいにしておきます。

 なお、話を城山氏のエッセイに戻すと、氏は〈店に買物に来た客の腕をつかまえ、一人残らず聞きたくもない音楽を聞かせ、知りたくもない野球の結果を強制的に聞かせようとしたら、どういうことになるのだろう。店の主人は客にぶんなぐられ、客は二度と来なくなるであろう〉と書いていますが、これも現時点から振り返れば、まだ牧歌的な感想だったのかもしれません。
 今はどこへ行っても〈買物に来た客の腕をつかまえ、一人残らず聞きたくもない音楽を聞かせ〉たがる店ばかりですからね。
 〈音楽や広告を垂れ流す店や街では買物をしない、という人がふえている〉というのは、いったいどこの国の話だろうと考え込んでしまうほどです。

 忙しいと言いつつ、結局、長々と書いてしまった。

カテゴリ:駅・車内
駅・車内のアナウンスは現代の「無用物」
 書きたいことは山のようにある(特に今は「デモ騒音」や「救急車のサイレン騒音」について)のですが、仕事や生活がわやくちゃになってしまい、ブログ一つ落ち着いて更新する暇がありません。そこでまた、人様の覆面でプロレスをさせてもらおうと思います。
 私のようなただの馬の骨が書くことより、著名人やメディアが「うるさい!」と言っていることを紹介するほうが、ほんの少しでも人の耳に届くだろうし。

 今回、紹介するのは、朝日ジャーナル編『現代無用物事典』(1985年)という本。本書は「朝日ジャーナル」に84年から連載された同名コラムをまとめたもので、タイトル通り「こんなもの、本当はいらないんじゃないか」と疑問に思う世の中のあれこれを論じています。

 まな板に載せられたのは「戒名」「敷金」「私物としての傘」「ズボンのチャック」「書店のブックカバー」など、生活に身近な38のものごと。今回はその中の一つ「駅のアナウンス」を紹介します。

 ちなみに、このブログのテーマと近い内容では、ほかに「電話の“お待たせオルゴール”」「電信柱」「校歌」「朝会(朝礼)」「車内販売」「映画館のCMと予告編」なんてものも。
 ついでだから、残りのテーマもすべて書いておくと「公団の分譲住宅」「有料道路」「五〇〇円硬貨」「お正月」「給料の銀行振り込み」「プロ野球の引き分け」「マイルドセブン」「合否電報」「イッキ飲み」「時価」「ボトルキープ」「おいしい水」「あまちゃづる」「ホスト・テイスト」(レストランなどのテイスティングのこと)「お色直し」「男性用化粧品」「キュロットスカート」「動物園のコアラ」「政府広報」「雑誌の〈発行日〉」「主催者側発表」「ハウツー」「クルマの厚化粧」「血液型性格判断」「ダイエットのウソ」「禁句集」(差別用語集)となっています。

 本当は、このコラムの内容を下敷きに、いろいろぶちまけたいこともあるんですが、それはまた気が向いたらということで。

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駅のアナウンス

どうする。不快97パーセントの親切過保護!

「ハチバンおさがりくださーい。ヤマノテセンつづいてトーチャクになります。ハチバンにヤマノテセンがトーチャクをいたしまーす」

「ピッ」

「シンジュクでーす。シナガワほうめんにまいりまーす」

「プルプルプルプル」

「ごジョウシャになるかたは、サユウにわかれてくださーい」

「シナガワほうめんゆきはハッシャをいたします。シナガワほうめんゆきハッシャしまーす」

「カイダンふきんのかたは、つづいてねがいまーす。まもなくドアがしまります。ヤマノテセンはまもなくドアをしめます」

「カラダ、ニモツをひいてください。カラダ、ニモツをつよくひいてください」

「しまりかけましたら、おそれいりますが、イチダイおまちください。イチダイおまちくださーい」

「ドアがしまりまーす」

「ナナバンセンには…」

 一日百三〇万人の乗降客を誇る東京の国鉄新宿駅。一日のうちで最も混雑する朝八時二〇分ごろのホームのアナウンスは、ほとんど途切れがない。

 アナウンスの主はホームにいない。ホーム端の、司令塔みたいに一段高くなった事務室で、テレビ画面を併せ見ながらマイクに向かっている。

 二つ隣の高田馬場駅へ足を伸ばしてみると、ここは女声。近くの大学の放送クラブ員らしき女性が“司令塔”にいた。

「おはようございます。タカダノババ-。タカダノババ-」

「乗り降りは前の方に続いて」

「ドア付近の方は、閉まるトビラにご注意」「右側通行に皆様のご協力を」「白線の内側まで十分に下がって」「電車が止まりましても、降りる方が先となります」

 過保護ママのそれに似た気配りが、延々と続く。

 長時間、ホームにいるわけではないから、駅アナウンスの一部始終を聞かされてはいないのだが、電車に乗り込み、ホッとしたところへ、今度は車内アナウンスが待っている。

「次は、池袋、池袋。赤羽線、東武東上線、西武池袋線、地下鉄丸ノ内線、有楽町線はお乗り換えです。お出口は左側です」

「本日はカサの忘れ物が多くなっております。お忘れ物のないよう、もう一度、お確かめ下さい」

 文字にしてみれば、さほどのことでもないようだが、聞き漏らしのないように、とボリュームいっぱいに放送するシンセツ車掌さんもいる。そんな電車に乗り合わせたら、「不運」としかいいようがない。

 そうした不快感体験を、スーパーエッセイストを名乗る椎名誠さんは、こう表す。

「三台に一台の割ぐらいで、もうやたらとでっかいボリュウムのスピーカーになっていて、さらにまた悪いことに、三人に一人ぐらいの割で鼓膜ぶっちゃき電気ドリル声という非人類型の車掌が乗っているのである

 このデカボリュウムの電車のスピーカーと、電気ドリル声の車掌が組み合わさった時の車内といったらこれはもう九七パーセントが不快、という『全車輌ギヤマンくずしの脂汗ネトネト陰獣ギャオスの背骨双手ひしぎ、血ヘドの逆襲』という『東京スポーツ』二面の大見出し的状況になっていくのである」(『さらば国分寺書店のオババ』情報センター出版局)

賛否両論のサイレント・タイム

 椎名さんのいうデカボリュームや電気ドリル声は、東京の営団地下鉄丸ノ内線での体験だが、国電や他の私鉄などでも似たような事態。まして私鉄の電車やバスとなると、春の××半島へどうぞ、○○遊園ではこんな催しを開催中など、自社の営業案内を流したり、△△家具センターへはここで降りて、などCM放送のオマケまでつく。

「うるさ過ぎる」「ラッシュ時は放送不要」「『無音の日』をつくって」などの声が、年ごとに強くなっていることを受けて国鉄では、一九八一年四月、国電の神田、有楽町、新橋の三駅にかぎって朝八時~九時の一時間、駅アナウンスをピタッとやめた。名付けて「サイレント・タイム」。一ヵ月間続けられたが、乗降客らの反応は真っ二つに割れた。

「その駅で降りてしまうお客さんは、圧倒的に無音賛成派が多く、他の電車に乗り換えのお客さんや不案内の人からは無音反対の意見が多かった」(東京南管理局)。またテスト期間中、ホームからの転落や電車との接触事故が起きやしまいか、とも心配していたが、無事だった。

 そこで国鉄は、無音テストへの賛否の反応を合わせて二で割った答えを採用した。従来の「のべつまくなし型」から「簡潔型」へ改良したのだ。

 神田駅を例にとると、「大船行きがまいります」「神田、神田」「ドアがしまります」を三本柱にし、「お降りの方はお急ぎ下さい」「ご乗車の方は、空いているドアへお回り下さい」「足元にご注意下さい」などはカットするというものだ。車内放送も、「忘れ物……」はやめて、次はどこどこ、開くドアは右か左かぐらいに、などの減音対策をとっている、と当局は説明する。

 だが、現実はシンセツ車掌、シンセツ駅員がいっぱいで、減音対策が守られているとはいいがたい。

 そういえば、何年か前、アナウンス抑制をめぐって新聞紙上に賛否の論が載った。その中で放送賛成論は「放送が客を幼児扱いしているとしたら、幼児扱いされている客の方が悪いのではないか」「列への割り込みなど、マナーを心得ない人に他人が注意したら殺されかねない社会情勢。放送で注意を」といい、抑制論は「マナーは、マイクでがなり立てても、よくはならない」としていた。

 そして、賛成論をよくみると、アナウンスの音よりも、列を乱したり、中の方が空いているのにドア付近で立ち止まって行く手を阻む客の態度が、もっと腹立たしいわけで、やはりアナウンスはうるさいことに変わりはない、と解釈できないか。

問われる“人格権侵害”

英国鉄道物語』(晶文社)などを著してイギリス事情にくわしい小池滋・東京都立大学教授は、「イギリスは欧州でも一番そっけないかもしれませんが、駅のスピーカー施設そのものが、大きなターミナル駅ぐらいにしかありませんね」という。数少ないスピーカーからでさえ、電車が入ってくることなど必要最小限の情報しか流されず、「危ないですから、白線の……」や「カサの忘れ物……」放送は全くない、そうだ。

 車内放送も似たりよったり。汽車や電車を利用する人は、あらかじめダイヤを調べておくか、駅員や居合わせた乗客に尋ねるかしなければならない。

「駅の放送だけに限りませんが、自分のことは自分で始末し“おかみ”などに頼らない、という個人主義が徹底しているから」と、小池教授は指摘する。

 車内放送に異議を申し立てている人もいる。大阪市に住む弁護士の森賢昭さんは、市営地下鉄が、百貨店などのCM放送を車内で流すのを中止するよう、裁判所へ訴えている。一、二審は敗れたが、現在、最高裁で審理中。(注=八八年一二月、上告は棄却され、結局請求は通らなかった)

 訴えの理由は、「拘束された車内で、聞く義務のない放送(CM)を強制的に聞かされるのは人格権の侵害」というものだ。だが、これまでの判決は「人間は本来、聞きたくない音を聞かない自由を持っているが、程度の問題。社会生活でその自由を完全に保つことは不可能だ。(CM放送という)赤字解消としての目的は正当で、一回五秒ぐらいの放送は、一般乗客に嫌悪感を与えない」と、しりぞけている。

 これに対して、「程度問題にすり替えることが問題だ」と森さん。「安全かつ快適に目的地へ運んでもらう、という契約で運賃を払っているのに、なぜ乗客が我慢して営利放送を聞かなくてはならないのか」と、徹底抗戦の構えである。

「放送」は駅や車内に限らない。

 水戸市に近い茨城県勝田市では、行政無線と称して市内八八ヵ所に放送塔をつくり、時報や定時放送が毎日最低五回、火災発生による消防団集合の連絡など臨時放送は昼夜の別なく流れる。

「仕事に誇りを持ち、楽しく働きましょう(市民憲章の一)/警察から採用試験のご案内をします/自衛隊の演習があります。危険ですから近寄らないように/暴走族は、市民に暴力を加えています/全国戦没者追悼の日です/……」などといったアナウンスが家の中にいても聞こえてくる。長いときは五、六分間も続く。

 ここでも、画家の山西一郎さんが、「意味や思想性を持つ言語を強制的に聞かされることは、思考の自由に影響を与える」と、人格権侵害を訴えている。

 山西さんは「仕事に誇りを」などの内容や放送のやり方をみて、「かつて『労働は人間を自由にする』と看板に書かせたヒトラーを思わせる」と、キナ臭さを感じとっているのだ。

 あるとき、作家の中上健次さんがこんなことを話してくれた。

「水俣病のことだけど、あそこの魚が『危ない』と声ならぬ症状をみせた。そのときの魚の声や、異状を訴えた漁民の声を聞く耳があったら、患者の多くは救えたのではないか」

 大きな声、一方的に押しつけてくる声にマヒし、小さな、弱い声を聞けなくなったときこそが、最も恐ろしいのではないか。そして駅や車内で、盲人や不案内な人を導く手段が、そうぞうしいアナウンスしかない社会も、コワーイとはお思いにならないか。

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カテゴリ:駅・車内
「新幹線のスピーカーをぶっ壊したい」by津川雅彦
 俳優の津川雅彦氏が、新幹線のアナウンスについて「スピーカーをぶっ壊したい」と激怒しています。といっても15年も前の文章ですが。
 縮刷版を調べていて見つけた、朝日新聞2000年4月20日付夕刊のコラムから。

――――――

オフステージ

津川 雅彦

「心」忘れたアナウンス 虚と実の狭間 3

 《前略》「心」はフランスの駅にもあった。パリからアムステルダム行きの列車に乗った時、ベルも鳴らず、アナウンスもなく、窓の景色がゆっくりと流れて、初めて動いているのに気付いた。別れの時を迎える乗客の「心」を尊重し、気付かせないように静かに走り出すことをポリシーとしているからだ。

 翻って日本の新幹線は、「列車が入ります。黄色い線よりお下がり下さい」に始まるけたたましいアナウンスとベル、動いた後も「飛び乗り飛び降りは危険です」と絶え間ない管理と案内に終始し、乗客の「心」を逆撫でする。セリフを覚えるにも、集中力が保てない。この「心」ないスピーカーどもをぶっ壊したい。

(俳優)

津川雅彦コラム.jpg

――――――

 本当にぶっ壊してくれればよかったのに(笑)。

 津川氏は<乗客の「心」を逆撫でする>と書いていますが、実は、こういう<管理と案内に終始>する<たたましいアナウンスとベル>を大多数の乗客が「望んでいる」ところに、スピーカー騒音の根本的な問題があるということは、これまでに何度も指摘したとおり。
 日本人の多くが、このような放送に<「心」ない>と腹を立てているのであれば、そんなものはとっくになくなっているはず。現実はむしろ逆で、人をバカ扱いするような放送を「心ある」と感じてしまっている人が圧倒的多数だからこそ、この国の至る所に「ああしましょう、こうしましょう、お知らせです、ご注意ください、踊り子さんには触れないでください!」式の過剰なアナウンスが溢れかえるわけです。

 それにしても、津川氏クラスの「大物」になると、新幹線は使うけど在来線に乗ることはないんだろうと思います。新幹線のアナウンスとは比べものにならない、在来線の駅や車内放送の凄まじさ(特にJRと東京メトロ)を体験したら、津川氏はいったいどうなるんだろうか。口から火を噴いて暴れ出し、本当にスピーカーをぶっ壊してくれるかな。

 私は数年に一度利用する程度ですが、新幹線のアナウンスも確かにうるさいです。特に東京駅のホームに行くときは朝からうんざりします。
 ただ、車内アナウンスについては、発車直後のだらだら続く放送は気になるものの、全体的には在来線と比べればずっとましだと思っています。なぜ、そうなのかは『京都、そして新幹線の騒音雑感その2』というエントリーに書いているので繰り返しませんが。

 このエントリーには、在来線ではあまり遭遇することがない、新幹線ならではの騒音として、乗客がパソコンのキーボードをカタカタ叩く音についても書いています。
 実は去年、東北新幹線に乗ったとき気づいたことがあります。座席の背もたれに「ノートパソコンをご利用の際は、キーボードの音にご注意ください」というような文言の貼り紙が貼られていたのです。最近になって、新幹線でキーボードの音について苦情が増えたのでしょうか。

 このブログではあまり触れていませんが、やたらに貼り紙をベタベタ貼られるのも不愉快なものです。本質的に「ああしましょう、こうしましょう!」と規範や道徳を押し付けてくるという意味で、スピーカー放送も貼り紙も同じだからです。
 ただ、放送が「耳を塞ごうがどうしようが、否応なく聞かされる」のに対して、貼り紙は「目を背ける、つむる」という手段をとることができる。だから放送より少し許容範囲を広くとって、あまり問題にしていないだけのことです。
 本当はこんな貼り紙などなくても、長時間、キーボードをカタカタカタカタ叩き続ける無神経な乗客がいなくなれば一番いいのですが、東北新幹線では貼り紙をして少しは状況が改善されたのでしょうか。
 東北より、東海道新幹線のほうがよほどパソコンカタカタいわせて「“わし、忙しくて目が回りそうな一流ビジネスパーソンだもんねケケケ”アピールをするアホ」は多いような気もしますが、現在どうなっているのかも気になります。

 しかしまあ、そうやって考えていくと、「人が直接発するやかましい音」については、この国ではわりあい「うるさいから、なんとかしよう」という方向に行くようです。
 携帯電話の通話しかり、キーボードの音しかり、新幹線では車内販売が行き来することも少なくなって、「浜松名物うなぎ弁当、温かいコーヒーに冷たいアイスクリームはいかがでしょーかあー」というしつこい声に、イライラさせられることも減りました(どうせ、採算が合わないからやめただけなんでしょうが)。
 子供連れや、昼間っから酒を飲んでいい気になっている乗客の大声についても、新聞の読者投稿欄などで「いいじゃないか」「いや、うるさい」と、ときどき議論になるのを見かけます。

 一方で、過剰なアナウンスについては減るどころか増え続けるだけ。議論が巻き起こることすらありません。JR西日本が山陽新幹線で走らせていた、車内放送を極力しない静かな車両「サイレンス・カー」も需要が少なかったようで、11年にわずか十年あまりで廃止されてしまいました。
 この車両に人気が出なかったという現実こそ、日本人が「アナウンスで指図されなきゃ気が済まないんだよ!」と考えていることの証明ですね。せっかく「鉄道会社にしては、気の利いたことをするやんけ」と思っていたのに残念です。

 芸能人が「うるさい」と怒っているコラムは、『薬屋、うるさいぞ!静かにしなさい。』というエントリーでも紹介しています。

カテゴリ:駅・車内
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Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

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