スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


カテゴリ:スポンサー広告
東京メトロのBGMに抗議の電話をします
 前回のエントリーと同じネタですが、東京メトロの車内BGMについて。2月14日の東京新聞朝刊に、この件の記事が載り、本会の代表であるC・J・ディーガンさんのコメントも掲載されています。Web版にはないようなのでここに転載。

──────

BGM車両 必要ですか

 BGMが流れる車両は一月二十九日から走り始めた。《略》

 しかし、一部の市民からは「今の日本は音があふれているのに、さらに音を加えるなんて」と批判する声が上がっている。

 公共空間における拡声器音を減らそうと三十年以上の活動歴がある市民団体「静かな街を考える会」代表で英国籍の翻訳業C・J・ディーガンさん=東京都青梅市=は「アナウンスなどの上に音楽が『騒音』として乗っかっているだけ。海外では公共の空間で日本ほど放送やメロディーは流れてはいない。日本では生まれた時から音に囲まれ、気にならない人も多いと思うが、苦手な人もいる。駅の『発車メロディー』のようにあちこちで流れるのは困る」と訴える。

 仏教大の田山令史教授(哲学)は、この話を知り、一九九〇年代に京都市バスの車内で流された音楽をめぐる議論を思い出したという。同様に癒やし系の音楽だったが、田山氏らが反対の意思を伝えると、京都市交通局は当初、「賛成する人も多い」と退けた。しかし結局、数力月後には放送はストップとなった。

 田山氏は「反対意見が結構あったのだと思う。音楽は人の心にじかに入ってくる。公共交通機関内の身動きができない姿勢で、一方的に音楽を聞かせることは遠慮するべきだ。日本は同調圧力が強いと言われるが、電車内での音楽も、同調を強いる意味があるのではないか」と主張する。

 田山氏はこれまでも、駅やデパートでの「お下がりください」や「手すりにおつかまりください」などといった放送は過剰だと指摘してきた。「親切に注意をしているようで、必ずしも公共の安全を考えているわけではなく、何か起こった時の保身のためという意図も透けている。コミュニケーションのあり方として、いま一度考えるべきではないか」

BGM車両 必要ですか

──────

 仏教大の田山令史教授というのも、本会の会員かどうか私は知らないのですが、記事で紹介されているように、以前から「余計な拡声器放送はやめてくれ」という発言を続けている方ですね。

 今回の記事は、東京メトロのBGMに批判的な意見でまとめられています。それが新聞特有の「バランス感覚」を示すアリバイ作りのためなのか、本当に記者が問題意識を持って書いてくれたものなのか、私にはよくわかりません。
 でも、最近では「氾濫する拡声器音」に反対する切り口の記事を見かけることなどほとんどなくなったし(「うれちぃー」「元気が出る」「にぎやかでいいじゃないか」「癒されるわあ」ばかり)、本会が新聞に取り上げられることも珍しくなってしまったので、このような記事が掲載されたのはよかったと思います。

 とはいえ、この程度の記事が出たからといって、東京メトロの拷問のような仕打ちが終わるとは思えないし、このBGMに反対する人が増えることもないでしょう(どうせ「うれちぃー」「元気が出る」「にぎやかでいいじゃないか」「癒されるわあ」ばかりだろ。ケッ)。
 それに、今回のBGMのどこが問題なのかを詳細に指摘すれば、そこには1冊の本になるほど日本社会の根深い問題があるというのに(一言でまとめれば、この国は中身が伴わない「お経国家」であるということ)、短い記事では「苦手な人もいる」とか「一方的に音楽を聞かせることは遠慮するべきだ」といった、個人の好き嫌いを根拠にしたわかりやすい意見の表明になりがちです。
 まあ、それは当たり前のことなんですけどね。私がいくら「ラ・ムー」の曲が好きでも、地下鉄の車内で「聞け」と押し付けられる筋合いはないということです。
 あ、ラ・ムーをバカにする奴は、どら焼きの角に頭ぶつけて死んでしまえ!

 そんなことはともかく考えれば考えるほど、この東京メトロのBGMは放置しておくわけにいかない大きな問題なので、私はメトロに苦情を言いますよ。面倒臭いからしないつもりだったけれど、やはりそういうわけにはいきません。相手が根を上げるまで何時間でも電話で理路整然と抗議します。
 昨日、スーパー銭湯に行ったらのぼせて目がぐるぐる回ってしまうという、まるで小学生のようなことをしでかしてしまったので、体調が落ち着いたらですけどね。

スポンサーサイト
カテゴリ:駅・車内
ついに最悪の「電車の車内BGM」が始まってしまう
 「塩パンうめええええ!」とむしゃむしゃ食べていると、本会の代表・ディーガンさんからメールが。それを読んで、心の中にブルターニュの塩を思いきり擦り込まれたような絶望的な気分に突き落とされました。

──────

 次のサイトはfake newsであればいいのですが、それによると今月29日に日比谷線の何本かの電車にはなんとBGMを試験的に流すそうです。多分新聞にも載るでしょう。
 メトロさんに苦情を寄せるのであれば(その音楽)を聞いた方がいいと思いいます。ただ、主にラッシュの時間帯の電車が対象のようなので私にはちょっと遠いかもしれません。

日比谷線、車内BGMを試験導入 クラシック音楽で「より快適に」

日比谷線が車内BGMを導入.jpg

──────

 メトロ「さん」などと、アホな日本人のように、なんでもかんでも「さん付け」する風潮を真似しないでくださいと言いたいところなのですが、それはとりあえず横に置いといて。
 以下、私からの返信。

──────

 リンク先の記事は読みました。こんなフェイクニュースを流す理由なんてないし、本当のことなんでしょう。「電車の車内でBGMを流すなんて、信じられない」という意味でフェイクニュースだと書いたのかもしれませんが、いかにもバカな鉄道会社が考えそうなことですよ。
 ちなみに、BGMの放送は「日中時間帯の一部で」と書いてあるので、ラッシュ時ではなく、逆にラッシュ時を除いた午前中から夕方までのような気がします。

 記事には「試験導入」「当面の間」などと書いてありますが、どうせ最初から「本格的に」「無期限で」流すつもりでしょう。西武新宿線高田馬場駅のマルコメのメロディーも、「当面の間」と言っていましたが、結局やめることなく流し続けていますし、この手のやり方は鉄道会社の常套手段ですからね。

 これからはうっかり日比谷線に乗ると、電車の車内という密閉された空間で、十把一絡げに、そして強制的に、聞きたくもないBGMを聞かされることになるわけですね。もちろん、やかましい車内アナウンスも音楽と同時に放送するのだから、これはもう完全にキチガイ沙汰ですよ(アナウンスを流すときは、BGMをぶった切って放送して、またBGMに戻すんでしょうかね。それとも、BGMに被せてアナウンスを放送するつもりなのか。どちらにしろ、駅メロとアナウンスが入り混じるあのやかましさが車内でも続くわけですから、まさにアホの所業ですね)。
 しかも、どうせ「日比谷線のBGMが好評なので全路線に拡大した」などと言い始め、すぐにJRや私鉄も同じことを始めるでしょう。駅メロから始まって車内まで音楽漬けにさせられて、もう、電車に乗るときはどこにも逃げ場がなくなるわけです。

 鉄道会社はこんなことをする前に、あいかわらずひどい満員電車の解消やバリヤフリー化、迷路のような駅のわかりにくい案内板を整理するなど、具体的に役に立つやるべきことがいくらでもあるはずなのに、そういうことにはろくに手を付けず、「車内で音楽を流して快適にしました」などと情緒的で小手先のことばかりアピールする。そして「そんなことをされても快適ではない。むしろ不愉快だ。ほかのことをちゃんとやってくれ」という意見は無視するわけです。

 昔、JRが車内でプロ野球の結果の放送を始めたときは、「必要ない」「そんな放送を無理やり聞かされたくない」という意見が多くすぐ中止になったらしいですが、今ではこういう押し付け放送を「癒される」だの「おもてなしだ」などと喜ぶ人間ばかりになってしまったので、このBGMに反対する人はほとんどいないんじゃないですかね。メトロに反対意見を送ってもいいですが、どうせ無駄な抵抗のような気がします。彼らは「静かな街を考える会」の存在をちゃんと知っていて、余計なアナウンスやサイン音、駅メロはやめてくれという意見も把握しているのに、ますます増やし続ける一方なのですから。
 数年前、メトロにアナウンスがやかましいと電話をしたときも、オペレーターは「駅や車内のアナウンスがうるさすぎる、という苦情の電話はよくある」と言っていました。「よくあるならアナウンスを減らす、音量を小さくするなどの対策を取ればいいじゃないですか」と言っておきましたが、何も変わらないどころか結局はこのありさまですからね。

 私は以前から、電車のドアの上に設置された液晶モニターから広告やニュースを放送するようになって、今のところ映像だけで音は流していないからかまわないけれど、どうせそのうちたがが外れたように音声や音楽を流し始めるはずだと言っていました。いよいよそれが現実になってしまうのでしょう。
 電車の車内は、ガタンゴトンという走行音が自然でもっとも似合うBGMなのに、これからは「ほうら、この音楽を聞くと気持ちいいだろう。だから聞け、聞け」と強要されることになる。
 とにかく、電車にはできるだけ乗らないようにするしかありません。

カテゴリ:駅・車内
乗客の「心」にまで踏み込んでくる車掌の放送
 ある日、あるとき、あ~るところで知人と交わした会話。

 「さっき電車に乗ってるとき、車掌が『高齢者や障害をお持ちの方に、優先席を快くお譲りくださるようお願いします』って放送したじゃん」

 「そうだっけ」

 「言った言った。ま、どうせほとんどの乗客の耳を素通りしてるんだろうけどさ。でも、おれはこのアナウンスを聞かされて、一気に不愉快な気持ちになったね」

 「なんで?」

 「つまりさ。『高齢者や障害者に優先席を譲れ』と放送するのは、優先席についての情報や車内のルールを伝達しているんだと考えれば理解できる。本当は車内に『優先席』ってシールが貼ってあれば十分だと思うけど、まあ、放送するのも仕方がないかとあきらめることもできるよ。でも『快く』の一言は余計だろ」

 「なんで?」

 「だって、『快く譲る』か『嫌々ながら譲る』か『淡々と譲る』かは、個人の内面の問題だろ。どんな気持ちで席を譲るかは人それぞれの自由だし、そのときの状況によっても変わってくる。それなのになんで『快く譲れ』と、心の領域にまで車掌がずかずか踏み込んでくる必要があるんだよ。そう思わない?」

 「……」

 「『座席は快く譲りましょう』なんて言われるのは、小学校のホームルームや道徳の時間だけで十分であってさ。どうして、電車の中で大の大人が十把一絡げに『心の持ち方』を説かれにゃならんのよ。しかも、それを言ってるのは学校の先生でも寺の坊さんでもどこかの法王でもない、ただの鉄道会社の車掌なんだぜ。お前はどれだけお偉い人間なんだ、人様の心にまで踏み込んで説教する資格がどこにあるんだ、とおれは腹が立つけどね」

 「ふうん」

 「おれは別に『高齢者や障害者に優先席を譲る必要はない』と言ってるわけじゃないんだよ。ただ、車掌は『優先席は、高齢者や障害者が優先的に座るための席だ』という情報を伝えれば十分なんであって、いちいち『快く』とか人の内面まで指図するなってことなんだ(ドン!)」

 「ふーん」

 「そういえばこの前さ、電車の通路で吊革に掴まってたら、横にいたじょしこーせーが部活かなんかで疲れてたのか、立ちながら舟を漕いでたのよ。で、前の席が空いたから『君、座る?』って譲ってやったわけ。たぶんその娘は『トム・クルーズ似のかっこいいおじさん、ありがとう!』と感謝してただろうな」

 「それはきっと、『カンニングの竹山みたいな暑苦しいおっさんだし、断るのもメンドクセー』と思って座ってくれたんだよ」

 「そ、そうだったのか! 座席は快くお譲られくださるようお願いします!」

カテゴリ:駅・車内
「情報A」から「行動C」を導き出せない幼稚な日本人
 本だったか、ブログだったか、ウェブサイトだったかで、スピーカー騒音について、じつにスルドイ指摘を読んだことがあります。どこで読んだのかどうしても思い出せないので、ここで要旨を再現するとこんな感じ。

──────

 そもそも人間には、「情報Aを聞いたら、そこから自主的に情報Bを引き出し、行動Cに結びつける能力」が備わっているはずだ。どういうことか。たとえば電車の車内では、よく「ドアが開きます。袖や荷物が引き込まれると危険なので、離れてお待ちください」とアナウンスされる。

 しかし、「ドアが開く」という「情報A」を聞いたら、そこから自主的に「袖や荷物が引き込まれたら危険だ」という「情報B」を引き出し、「離れて待つ」という「行動C」をとるのは、人間として当たり前のことではないか。「乗客には、その程度の思考力も判断力も行動力もない」ことを前提に流すこのアナウンスはおかしいし、そのようなアナウンスを聞かされて「バカにするな」と怒りもしない日本の鉄道の乗客は、やはりどこかおかしいのだ。

──────

 日本の過剰におせっかいで、やかましいスピーカー騒音は、さまざまな切り口で批判することができますが、この意見はその問題の一面をじつに的確に指摘していると思います。
 鉄道会社のアナウンスに限らず、日本の街には、こうした「××すると、××だから、××ちまちょうね」式の幼稚なアナウンスが多すぎる。そのことについて、ほとんど誰も「おかしいぞ」と言わないこの国は、やはりどこかおかしいのです。

カテゴリ:駅・車内
むやみにチャイムを鳴らし、アナウンスをする鉄道会社
 忙しくてブログを更新する時間がとれないので、また、人様がスピーカー騒音について書いた文章を紹介します。
 たとえ20年前、30年前の文章でも、この国でスピーカー騒音がどのように語られてきたか、その記録を残すことには意味があると思うからです。

 今回は、本会の会員でもあった作家、故・城山三郎氏のエッセイ集『湘南―海光る窓』(1989年)から。

──────

江ノ電賛歌

 江ノ電は、いい電車である。何より静かなところがいい。

 駅での余計なアナウンスは一切ないし、発車のベルも、低くて小さい。車内でのアナウンスも、駅名の短い呼称だけ。

 おかげで、景色もゆっくり眺められるし、考え事もできるし、本も読める。《中略》

 それに比べて最悪なのは、名古屋の地下鉄である。各駅間、また各駅毎に、商店名を連呼する。それを埋め合わせるつもりであろうが、公共施設の案内やら乗車上の諸注意等々のアナウンス。つまり、のべつ幕なしのおしゃべり鉄道であり、うるさいことこの上ない。乗るには耳栓が要る。

 この地下鉄の経営者、つまり名古屋市長をついこの間まで三期もつとめた人は、よほど物事を考えることがないか、本を読もうとしない人種に思われるのだが、実は名古屋大学教育学部で教授だったというのだから、あきれる。

 それにしても、このごろ各地の交通機関でこの悪しき「名古屋方式」をまねるところがふえている。うるさいだけでなく、かんじんの駅名を聞き漏らす心配もあるのに、監督官庁の運輸省はなぜ野放しにしているのか、理解に苦しむ。

 ついでにこのごろ気になるのは、各駅でいっせいに「チャイム公害」がはじまったこと。まずチャイムが鳴り渡り、「まもなく──番線に列車が参ります。御注意下さい……」と、テープに吹きこんだアナウンス。

 どの駅どのホームでも、同じ男の声、同じ女の声。心がこもらず、寒々とする。

 それにボタンひとつですむからであろう。むやみにチャイムが鳴り、むやみにアナウンス。「まもなく……」「まもなく……」

 三度も「まもなく……」があったりして、注意のしようがない。「狼が来る」ではないが、これでは注意力が散漫になり、危険は増すばかりだ。

 本当に列車が入りこんでくる直前に、なまの声で鋭く短くアナウンスするのが、何より正確で安全である。交通機関としてはいちばん大事なところで手抜きをしていいものなのだろうか。

 このチャイム公害、駅によって程度の差はある。音量を絞るのはもちろん、できるだけなまの声でアナウンスする駅は、客の安全を考え、まじめに健気にやっている感じだが、無神経にチャイムを鳴らし続ける駅は、手抜きそのものを、その度に確認させてくれる形である。

 いや、国鉄は客にまで「騒々しくなれ」と言いたいのかも知れない。ナイス・ミディなんとかの女三人のあられもない広告ポスター。「ばか騒ぎしない客は国鉄に乗るな」と言わんばかりのポスターである。

「とにかく音を立てたい」「騒々しくしたい」と、チャイムの音は日毎、駅毎、叫び続けている。こうした体質だから、新幹線騒音訴訟など起されるのも、当然であろう。《後略》

どこへ行くJR

 《前略》JRになってから、はしゃぎが目立つ。

 試験的にせよ、プロ野球の結果を放送しようなどというのは、その典型的な悪例である。

 たとえ一瞬でも、それが放送されれば、車内がどよめいたり、ざわつく。体を休めて眠っていた人や、読書中の人、考えごとをしていた人はどうなるのか。

 その辺の配慮が全くなく、客を十把一からげにしている。

 野球ぎらいの人間はいくらでも居る。さらにプロレスやボクシングなどの結果、株価やニュースまで放送しろなどとなったら、いったいどうする気か。知りたい人は、携帯ラジオのイヤホーンを用いればすむのに。

 余計なお世話であり、無責任というか、ふざけた思いつきという他ない。

 おはしゃぎJRは、それにふさわしい相談相手を持つのであろう。JRアドバイザリーと称するグループから、「通勤電車にBGMを流せ」という提案があったという。おそろしい話である。

 音楽には好き嫌いがある。選んでこそ音楽であり、どんな名曲も強制されれば騒音でしかないのに。

 いま、音楽や広告を垂れ流す店や街では買物をしない、という人がふえている。そういうところは利用しなければすむ。

 だが、交通機関は利用せざるを得ないし、しかも見るものとちがって、いやだといっても聞かされる。客は車内にとらわれの身となっており、耳は閉ざすわけには行かないのだ。

 店に買物に来た客の腕をつかまえ、一人残らず聞きたくもない音楽を聞かせ、知りたくもない野球の結果を強制的に聞かせようとしたら、どういうことになるのだろう。

 店の主人は客にぶんなぐられ、客は二度と来なくなるであろう。

 車内の乗客の置かれた状況が、まさにそれである。望まぬ客が一人でも居る以上、余計な放送は厳に慎むべきである。それが客に対する良識であり、礼儀というものではないのか。

 似たようなことで迷惑千万なのは、新幹線などでの車内販売のアナウンス。これは私だけの感じではなく、徳川美術館長の徳川義宜氏も新聞のコラムに「禁音車」をというすすめを書いて居られた。

 それにしても、監督官庁である運輸省は、いったい何をしているのか。

 当然、規制を考えるべきなのに、業者への寄生しか考えていないのか。

 かつて車検制度の見直しに反対したのも運輸省だが、国民にとって存在理由がないどころか、むしろ有害な役所に堕しているのではないのか。《中略》

 東京駅などのBGMの渦。客は安っぽいキャバレー街に居るのかと、錯覚してしまう。

──────

 江ノ電が、今でも静かでいい電車なのかどうかはともかく(乗ったことがないのでわからない)、一読して感じるのは、うるさいうるさいと言いつつも、このエッセイで表現されたスピーカー騒音なら、現在より少しはましだろうな──ということです。
 今はプロ野球の結果を放送されることこそありませんが、〈むやみにチャイムが鳴り、むやみにアナウンス〉を聞かされる鉄道会社の放送のやかましさは、年々ひどくなる一方です。

 私が最近、駅の放送で(大袈裟でなく)衝撃を受けたことがふたつあります。

 ひとつは、ほぼ1年ぶりに東京メトロに(乗りたくないけど)乗ったとき。いつの間にか、乗車した高田馬場から降りた茅場町までのすべての駅で、発車メロディー(しかも、駅毎に異なるメロディー)が導入されていたことです。

 もともと、東京メトロはホームのアナウンスも車内アナウンスも、音量が大き過ぎて不愉快極まりない路線です(だから、できるだけ乗るのを避けている)。特に発車ブザー音の大きさは桁外れ。私は手で耳を塞ぐか耳栓をして、なんとか我慢しながら乗車していました。
 このブザーが音量はそのままに、ジャンジャンジャカジャカとけたたましいメロディーに置き換わってしまったのだから、不愉快さは300%大増量(当社比)です。

 一体全体、あのような音楽(とすら呼べないもの)を無理やり聞かせようとする発想や、聞かせられて「うれちぃぃぃぃぃ!」と喜ぶ感受性というのは、どこから生まれるんでしょうか。
 駅メロなどというものを喜ぶ人たちは、そんなに嬉しいなら、自宅でも童謡だのアニメの曲だのJ-POPだのを一日中聞きながら踊り狂っているはず……ですが、実際にそんなことをしている人はいないでしょう。
 それなのに、駅が勝手に押しつけてくるメロディーを聞かされて、「癒されるぅ」だの「心がウキウキするワ!」なんて幼稚なことを言う人たちの神経というのは、どれだけ前頭葉を働かせても理解できません。

 私は駅で癒されたり、ウキウキしたりしたいとは思いません。電車に安全に乗ることができれば十分。駅を利用するときに何より必要なのは「落ち着いて乗車できる環境」のはずだし、鉄道会社にそれ以上のものを求める(鉄道会社がそれ以上のおせっかいを焼く)のは、どだいおかしなことなのです。
 特に地下鉄の駅という密閉され、音が逃げる場所がない空間の中、100dBにも及ぶ超絶大音量で、ジャカスカジャカスカ音楽を鳴らすという行為が、当たり前のことになってしまったのは異常です。

 この国では新しい駅メロが導入されると、新聞でも「人気アニメの曲が駅メロに」などといちいち取り上げていましたが、それも数年前までのこと。最近では滅多にそんな記事も見なくなりました。それだけ、駅メロが「あって当然のもの」になってしまったのでしょう。
 ますます、電車に乗って外出するのが嫌になる一方です。

 もうひとつの衝撃はJR東日本。最近(こちらも当然、嫌々ながら)乗り降りしたいくつかの駅で、「東北旅行の案内放送」が構内全体に響き渡っていたことです。

 もともと「東北旅行の案内放送」は、ほとんどのJR駅の改札口周辺で流されていました。エンドレスで「東北旅行に行け、切符を買え」と押しつけてくるこの放送のやかましさについては、過去のエントリーでも書いています。

 私はこれまで、複数の駅で「電車に乗るために必要なアナウンスならともかく、旅行の販促放送なんか流すのはやめてくれ。ポスターを貼ったり、みどりの窓口にパンフレットを置いたりすれば十分だろう。金儲けに走るのもいいけれど、もう少し節度というものを持ってくれ」と苦情を言いました。
 しかし、口先だけで「はいはい、ふんっふんっ」と生返事をする駅員は、見事なまでに放送をやめようとしません。
 このアナウンスは駅の判断ではなく、管轄の営業所から「流せ」と指示されるので、ご意見は営業所に伝えておきます、というような返事をしてくる駅員もいましたが、どうせ何もしちゃいないでしょう。

 挙げ句の果てに最近はこの放送が、改札口周辺だけでなく、駅構内の通路やホームに通じる階段でも、何食わぬ顔で流されるようになっているのです。この変化に気づいた人はほかにいないんでしょうか?

 改札口から階段まで、ホームを除くすべての場所で旅行案内を聞かされるということは、改札をくぐり電車に乗るまでの間、完全に絶え間なくアナウンスを聞かされ続けるということです。
 通路で人にぶつかったりしないよう、うまく流れに乗って歩こうと神経を使っているときに、頭の上から「癒しの東北旅行に出掛けてみてはいかがでしょうか!」などと聞かされるのです。
 階段では、ホームから漏れてくる「間もなく×番線に××行き電車が到着します」などの「電車に乗るために必要なアナウンス」を聞き取って、「急ぐか、次の電車にするか」と判断しようとしているのに、わざとそれを邪魔するように「ゆったり温泉とおいしい料理の東北旅行!」と放送するのです。
 こんな、鉄道会社としての本分を忘れたアナウンスを「本末転倒」と言わずに、何が本末転倒なんでしょうか。まるで、泥水で手を洗って「きれいになった!」と喜んでいるような愚かな行為です(なんのこっちゃ)。

 おかしいのは、このような放送をするJR東日本だけではありません。駅という「公共の場」で、宣伝放送を一方的に聞かされることに「ノー」と言わない人たちばかりというのが最もおかしい。そんなこの国の現実には、つくづく呆れるばかりです。

 駅や車内のアナウンスについては、私鉄も含め無茶苦茶なことが山ほどあり、電車に乗るたびに「なんだこれは」と嫌気が差すことだらけなのですが、書いているとキリがなくなるので、今回はこれくらいにしておきます。

 なお、話を城山氏のエッセイに戻すと、氏は〈店に買物に来た客の腕をつかまえ、一人残らず聞きたくもない音楽を聞かせ、知りたくもない野球の結果を強制的に聞かせようとしたら、どういうことになるのだろう。店の主人は客にぶんなぐられ、客は二度と来なくなるであろう〉と書いていますが、これも現時点から振り返れば、まだ牧歌的な感想だったのかもしれません。
 今はどこへ行っても〈買物に来た客の腕をつかまえ、一人残らず聞きたくもない音楽を聞かせ〉たがる店ばかりですからね。
 〈音楽や広告を垂れ流す店や街では買物をしない、という人がふえている〉というのは、いったいどこの国の話だろうと考え込んでしまうほどです。

 忙しいと言いつつ、結局、長々と書いてしまった。

カテゴリ:駅・車内
TOP PAGE

 前のページ>>

 
■パンくずリスト

TOP PAGE  >  駅・車内

■プロフィール

Author:S.B
市民グループ「静かな街を考える会」会員S.Bのブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

■最新記事
■カテゴリ
■月別アーカイブ

■全記事表示リンク
■ブログ内検索

■会員の著書(上から順におすすめ)
■リンク
■RSSフィード
■QRコード

QR

■アクセスカウンター

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。