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アメリカの球場は自然な応援がすごい
 オリックスの金子がメジャー行きを希望したらしいですが、朝日新聞の記事では、インタビューの中で球場の応援についてふれてますね。

 <(アメリカの球場は)鳴り物がない中で、タオルを振ったりする応援が自然に出るのがすごい。(中略)日本には日本の良さがあるけど>

金子メジャー挑戦を希望.jpg

 <日本には日本の良さがあるけど>とフォローは入れてますが、やっぱり「鳴り物のない自然な応援っていいな」という気持ちがあるからこその発言じゃないんでしょうか。何があっても淡々と投げるのが持ち味の金子ですら、日本の野球の「不自然な応援」には違和感を抱いていたと。

 <球場の雰囲気もボールパークというだけあって、誰もが楽しめる場所だな、と>

 日本の球場も「ボールパーク構想」なんて言ってるところがありますが、調子っぱずれの鐘や太鼓、トランペットや、軍隊調の絶叫に支配され、「野球そのものの音」が聞こえない球場で「ボールパーク化」なんて無理無理。日本の球場は「ボールパーク」ではなく「応援団のコンサート会場(しかもヘタクソな)」と言ったほうがいいんじゃないでしょうか。

 野球というのは、そのほとんどが打者が構え直したり、ベンチからのサインを見たり、選手交代にかかったりする時間など「プレーしていない時間」が占めているスポーツです。先日の朝日新聞の記事によると<無作為に選んだ大リーグ3試合の平均試合時間は2時間58分。そのうち、打った、投げた、走ったなどの動きがあった時間はわずか「17分58秒」だった>そうです。

プロ野球の試合時間.jpg

 メジャーでもそうなのに、さらにそれを上回る「だらだらとした試合」ばかりなのが日本のプロ野球で、そうなってしまう一因は応援にもあるとこの記事は指摘しています。

 <日本のプロ野球は、(試合時間が)さらに長い。打席に入るときに選手が選んだ登場曲を流すチームも多く、全部聞き終えてから打席に入る選手もいる>

 私は日本のプロ野球のテレビ中継を見なくなったので知りませんでしたが、「わざわざ登場曲を全部聞き終えてから打席に入る選手もいる」、そんな状況だったんですね。プロレスや格闘技の入場シーンならともかく、1試合でのべ100人くらい選手が出場する野球でいちいち登場曲を流したり、それを最後まで聞いてプレーしたりするなんて、応援する側もされる側もいったい何やってんだか。

 巨人の選手は比較的、打席に入るのが早いそうですが、記事の中にはこんなことも書いてあります。<坂本は理由をこう説明する。「早く打席で準備したいから」>
 スポーツなんだから、坂本のように選手が自分に合ったタイミングでプレーしたいと思うのは当たり前。それを邪魔する登場曲や鳴り物応援なんて、百害あって一利なしでしょう。

 野球は「一瞬の動きを楽しむスポーツ」です。一瞬を楽しむには静寂と熱狂の緩急がなければならないはず。なのにその緩急やプレーの余韻をすべて台無しにし、球場の時間や空間をのっぺりと塗り潰してしまうのが日本のプロ野球の応援です。
 ま、鉄道の駅で毎日毎日「前の方に続いてご乗車ください」なんてアナウンスを聞かされて、「そんなこと、言われんでもわかっとるわ! だいたい『後ろの方に続いて乗車する』なんてあり得ないんだから、人をバカにするのもいいかげんにしろ!」という怒り一つ覚えないのが日本人ですから、応援団の「オレ様たちと一緒に、同じように応援しろ!」という強制にも何も感じないんでしょう。

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カテゴリ:プロ野球の応援
打席で音楽を聞かせる応援が「心地よい」?
 今日の朝日新聞朝刊のプロ野球記事から。
 日ハムの大谷が昨日バースデーホームランを打ったそうですが、その試合の記事で相も変わらず山口裕起という記者が、応援団のキチガイじみた騒音を賛美しています。

――――――

20歳 自ら祝うアーチ
日本ハム・大谷翔平

 幕張の風に乗って、左翼席から心地よいメロディーが耳に飛び込んできた。「ハッピーバースデートゥーユー♪」
 1回1死二塁で巡ってきた20歳最初の打席。「鳴り終わるまで打たない方がいいかな」。曲が終わった直後の3球目。バットが動く。スライダーを狙っていても、外角直球に「体が勝手に反応した」。(後略)

――――――

 で、めでたくホームランになったそうですが、なんだかなあ。

 この記者は、野球場で「シュッ! バスン! カーン!」 というような「野球そのもの」から発生する音より、野球とはなんの関係もなく鳴らされる身勝手な応援団のメロディーを聞かされるほうが「心地よい」んでしょうかね。
 ……そうなんでしょうねえ。

 私はこのシーンを動画で見るなどしていない(見れば確実に不愉快になる)ので詳細はわかりませんが、「ハッピーバースデートゥーユー♪」というのはトランペットなんでしょう、おそらく。
 試合中の選手に向けて、しかもその選手が打席に立ってまさにインプレー状態のときに、スタンドから無理やり音楽を聞かせるなんて、まともなスポーツの「応援」じゃないでしょう。
 実際、大谷自身「鳴り終わるまで打たない方がいいかな」と考えてしまったということは、本人がどういう気持ちでいたかは別として、この「応援」はプレー自体にも悪影響を及ぼしているわけです。
 ホームランになったのはあくまでも結果論。選手に「この音楽が鳴り終わるまで打たない方がいいかな」などと考えさせてしまう時点で、今のプロ野球の応援は異様としか思えません。

 しかもこの音は選手に影響を与えるだけでなく、球場全体に響き渡って、野球の音も、一緒に観戦している人との会話も、何もかも消し去るほど「暴力的」なのです。応援団の身勝手な騒音を「心地よい」と表現するなんて、そんな記者にスポーツを担当する資格なんかありゃしませんわ。

 以前、このエントリーで「イチローや松井のインタビューで、彼らもそんな日本の野球ファンのあり方、応援の仕方が嫌になったことが一因でメジャーに行くことにした、というようなことを言外に語っている雰囲気を感じたことがありました。」と書いたことがあるのですが、偶然、オリックス時代のイチローと私設応援団との確執について書いているホームページを見つけました。

 ここに書かれていることが事実かどうか、ソースが表示されていないので確認はできませんが、でたらめを書いているホームページとは思えないし、私もこれを読んで「そんなこともあったなあ」という程度には思い出しました。
 このホームページはもう10年ほど放置されているようですが、コンテンツのほとんどが日本のプロ野球のやかましい応援を批判する文章です。私は「もっともだー、もっともだ!」とうなずきながら読んでしまいました。

 私はテレビのスポーツニュースすらまともに見ることはありませんが(うるさいから)、たまたま昨日、NHK-BSの「ワールドスポーツMLB」という番組を見ました。

 やっぱりメジャーリーグの雰囲気はいい。チームや選手の細かい知識なんかなくても、あの開放的でいかにも「野球をしている、楽しんでいる」というムードこそ「ベースボール」の魅力です。応援団のヒステリックなどんちゃん騒ぎに支配されている日本のプロ野球とは大違い。
 大谷はもちろん、糸井や前田なんかにも早くメジャーリーグに行ってほしい。一流の選手はどんどんメジャーに進出して「本物の野球」をしてほしい。そして、日本のプロ野球なんか沈没してしまえばいいとすら思ってしまいます。

カテゴリ:プロ野球の応援
「やかましい応援団の問題」は無視する新聞
 1986年に刊行された、ジャズのサックス・プレーヤー中村誠一氏の『サックス吹きに語らせろ!』というエッセイ集を、たまたま読みました。
 その中に、「これでいいのかプロ野球の応援」というエントリーで触れた本『よみがえれ球音―これでいいのかプロ野球の応援』(渡辺文学・編著)でも軽く紹介されている、中村氏がプロ野球の応援を批判しているエッセイがありました。

――――――

 野球場の太鼓について

 このところずっとスポーツと音楽との関係について書いていますが、ここで一回、閑話休題。
 なぜかといいますと、プロ野球の下田コミッショナーが、野球場に鉦や太鼓やのぼり、それに楽器などを持ち込まないように各球団に要請したからであります。
 私は、ハッキリ言ってこの意見に大賛成。このような取り決めが早くできないものかと待ちわびていたのでした。それにしても下田さんはエライ!!
 この取り決めにはずいぶん考慮なされたことと思いますが、大英断、大ヒットであります。

 なんたって、野球場の太鼓ほどうるさいものはありません。非音楽的なことこの上ないんであります。いい音を出そうなんて気持で叩いているんじゃあない。ただ思いきりひっぱたいてるんですから、隣にいた日にゃあたまりません。野球どこじゃあない。応援団の奴共に金返せと怒鳴りたい位であります。

 私も野球が好きでありますから、たまには見に行きたいなあ、などと思うんでありますが、あのウルサイ応援団のことを思うと、つい二の足を踏むんであります。特に、パ・リーグはいけません。西武球場の相手チーム側なんかに行ってごらんなさい。イライラして健康に悪いことこの上ありません。なにせ太鼓のやむ閑がないんですからたまりません。
 ですから今回のこの下田さんの大英断には、諸手をあげて大賛成なのであります。野球なんて静かに見ていて、自然に盛り上がればいいんであります。

 そこへ行くと大リーグはいいですなあ。おととしN・Yに行ってヤンキースタジアムで野球を観ましたが結構でしたなあ。
 ホームランを打った打者が次の打席で観客の期待に応えようとブンブン振り回す。結果は三振でしたけど観客は大喜び。こういうのがいいですな。鉦や太鼓、それになんとかラッパなんていらないんであります。
 そしてヤンキースが勝ちますと、フランク・シナトラのニューヨーク・ニューヨークの唄が流れて、それを背に球場を後にする。これが文化ですな。

――――――

 「下田コミッショナーの要請」というのは、「これでいいのかプロ野球の応援」にも書いた通り、「1984年、当時の下田コミッショナーが『他人に応援を強要しない』、『他人の耳をつんざくカネや太鼓(後にトランペットも追加)を鳴らさない』、『他人の目を奪う大きな旗やのぼりを振らない』という『応援倫理三原則』を定めファンに呼びかけたものの、『各球団や関係者の強い反発もあって』結局は実現しなかったこと」を指しています。
 中村氏のエッセイは『アサヒ芸能』に連載されたものらしいので、執筆時は下田コミッショナーが「応援倫理三原則」を発表した時点だったのでしょう。しかし現実は、まるでそんな呼びかけなどなかったかのように無視されて、今に至るまでプロ野球のクソやかましい応援は延々と続いているというわけです。

 このエッセイの内容に、付け加えたい点は何もありません。書かれている通りのことを私も思ってます。30年たって、ますますひどくなるプロ野球の応援団の乱痴気騒ぎは、いったいどこまでエスカレートするんでしょうか。

 そういえば、これはうろ覚えで書くのですが、今年の春のオープン戦で、中日の東海地区の応援団が「カネや太鼓を使った応援」の申請をしなかったので、対戦相手の攻撃時はプープープープーカンカンカンカンカンやかましいのに、中日の攻撃時は人の肉声が聞こえるだけで、球場のバランスがとても悪かったというような新聞記事を読みました。

 それでバランスが悪ければ、両チームの応援団がプースカプースカとヒステリックな応援合戦を「して」バランスを取るのではなく、そんなものを「なくして」、野球本来の音が響く試合にすればいいじゃないかと思うのですが、やっぱり日本人はそういう発想ができないようです。

 記事には球場にいた「ファン」のコメントがいくつか載っていましたが、それは「太鼓やトランペットがないと張り合いが出ない!」だの、「誰かがリーダーになってくれないと応援しにくい!」だの、「選手に気持ちが届かない!」だのという、呆れ果てるような声ばかりでした。あんたの「張り合い」のためにカネや太鼓を鳴らされても迷惑だし、リーダーがいないと何もできないなんて「あんた子供か?」としか言いようがないし、選手に応援する気持ちを届けたければ、自分の肉声で自分らしく応援すればいいじゃないか。
 そんなことすらできない連中が群れを成し、調子に乗って周囲を威圧しているのが「応援団」なのだから、暴力団とのつながりが云々と言われるのもさもありなんというところです。

 それに名前は覚えていませんが、中日の選手まで「なんか静か過ぎてやりにくいっすね」というようなコメントまでしていたのには、嫌になってしまいました。まあ、高校野球からプロ野球まで、彼らのプレーは常に「カネや太鼓のどんちゃん騒ぎ」の中でするものだったのだから、それがないと不自然だと感じるようになってしまっているんでしょう。

 でも、以前のエントリーと同じことを書きますが、果たして球音一つまともに聞こえない環境でやる野球が、本当に「スポーツ」と言えるんでしょうか? 掛け声やベンチからの指示が選手に聞こえず、激突したり落球したりという「事故」だって、かなり起きてるんじゃないの? グラウンドで選手同士、選手と監督、監督と審判などが話をするときに、思いきり顔を近づけて大声を出さないと聞こえない! という仕草を見せるのにも笑ってしまいます。
 メジャーリーグの中継を観ていたら、グラウンドでもっと普通に会話をしてるでしょう。あれこそ「まともに野球ができる球場」というものだと思うんだけどなあ。

 そしてもう一つ腹立たしいのは、私が読んだ記事にはファンの側からも選手の側からも、「やかましい応援団がいなかったから観戦を楽しめた」とか「プレーしやすかった」という、応援団がいなかった試合を肯定する声がまったく載っていなかったことです。記者が、クソやかましい応援団の存在を「あって当たり前」のものとして、記事を書いているのは明らかでした。

 まあ、私が読んだのは朝日新聞の記事で、朝日は甲子園大会の実質的な主催者ですからね。バカみたいに大声を張り上げたり楽器を叩き鳴らしたりする高校野球の応援を、万が一にも否定することにつながる「応援団なんてないほうが、野球を楽しめるのではないか」という視点の記事など、絶対に書くわけがないんでしょう。
 「体が出来上がる前の投手の肩は、投げ過ぎると壊れる」という、今では常識となった考え方を絶対に取り入れず、炎天下の中「倒れるまで投げろ!」という非科学的な根性論で、子供たちに「模擬戦争」をさせて喜んでいるのが新聞なのだから、「野球そのものを楽しむ」という視点を持った記事など期待するだけ無駄というものです。

 でも、少なくともプロ野球の応援については、コミッショナーという最高の権力者が「カネや太鼓はやめましょう」と呼びかけたことは確かなのに、それを誰も守らない、守ろうとしないというのはおかしいよなあ。そんな呼びかけがあった以上、しっかりした議論を重ねて結論を出す義務はファンやマスコミにあるはずなのに、そんな話がされた記憶はまったくないものなあ。

 ここから先、話はどんどん変わっていきます。

 私がなぜ「応援団の問題について、ちゃんと議論しないのか」、「コミッショナーの要請が、ここまで無視されていていいのか」という点にこだわるかというと、朝日新聞には西村欣也というスポーツ記者(編集委員という偉い人らしい)がいて、この記者の書く記事(コラム)が、いつも異様なまでに教条的で失笑しているからです。
 選手獲得に関する「裏金」だとか、試合でもタイトル争いでの疑問を感じる選手起用だとか、野球界でちょっと問題があると、この記者は「コミッショナーには指導する義務があるのに動こうとしない!」だの、「以前の発言と矛盾しているじゃないか!」だのと(主にアンチ読売の立場から)、紙面の私物化と言えるほどコミッショナー(と、それを背後から動かす読売)という「権力者」を攻撃する感情的なコラムを書き続けています。

 スポーツに限らず、新聞は政治家の発言などについても「10年前にはああいう談話をしたのに、今、言ってることは違うじゃないか!」という、微に入り細を穿ちすぎた「追及」をするのが大好きです。まあ、それはマスコミの役目でもあるし当然のことだとも思うけれど、それなら、下田コミッショナーからはっきりと「過度な応援は控えよう」という要請があったのに、それが無視され続けている現実についてだって、「歴代のコミッショナーは、この要請をしっかり守らせるため動くべきだ」と書いてもよさそうなのに、新聞は絶対にそんな発言はしません。上記の記事のように「応援団サイコー!」という、30年前のコミッショナーの呼びかけに反する記事しか載せません。

 それは、応援団に象徴される「ただひたすら騒ぎたい」圧倒的多数の大衆に迎合するためであり、うっかり「やかましい応援は控えたほうがいいのでは」などと言って、高校野球のあり方にまで火花が飛ぶのを避けるためであり――というところが理由なんでしょうが、なんとまあ見苦しいものかと思います。
 特に西村欣也という編集委員は、やたらと「スポーツの本質とは」といったお題目が好きなのですが、観客論も含めて野球の本質を少しでも真面目に考える気持ちがあるのなら、「やかましい応援団の問題」についても肯定、否定どちらでもいいので、一度でいいからコラムを書いてみてもらいたいものです。
 もちろん「巨人の応援団は」というような、私怨の塊としか思えない偏向した内容じゃなく、まともな原稿としてですけれども(この人のコラムは、アンチ巨人の私も辟易するほど「読売憎し」で凝り固まっていて、ちょっとどうしようもないのです)。

 話が変な方向に行き過ぎてしまいました。
 ま、プロでもアマでも、やっている選手が「応援がうるさくても別にいい」というのなら、そんな状態が続くのもしょうがないのかもしれません。私としては、まさか21世紀も15年近くたって、いまだに応援を含めた野球というものが「こんな有様」であることに、ただただ驚くだけの話です。

カテゴリ:プロ野球の応援
これでいいのかプロ野球の応援
とてもいい本を読みました。

渡辺文学・編著「よみがえれ球音―これでいいのかプロ野球の応援」

もう10年も前、2003年に出版された本ですが、タイトル通りカネや太鼓、トランペットの音に象徴される、プロ野球の暴力的でクソやかましい応援のあり方に問題を提起しています。

内容は、前半がこの渡辺文学という人が書いた文章。後半が、さまざまな新聞や雑誌に作家や記者、スポーツライターなどが書いた、プロ野球の応援を批判するコラムやエッセイを収録したものです。
各章のタイトルと著者名を抜き出します。

●私設応援団はいらない――プロ野球の応援をみなおす 渡辺文学

●鳴り物入り応援廃止論――球音を楽しむ
 騒々しい野球応援は転換期に 武田五郎(元大洋球団社長)
 三行半の下書き 井上ひさし(作家)
 一瞬の静寂こそが最上の瞬間 鳴り物応援はやめるべき 豊田泰光(野球評論家)
 日本の私設応援団はいらない 大橋巨泉
 騒ぎたいならカラオケに行け 二宮清純(スポーツジャーナリスト)
 プロ野球を毒す騒音と強要 中田喜直(作曲家)
 ナゴヤ球場 江口圭一(歴史学者 愛知大学名誉教授・日本近現代史)
 野球は静かに味わおう 富永俊治(新聞記者)
 かき消される「競技音」 増島みどり(スポーツライター)
 球場における「自然の音」 工藤均(新聞記者)
 ラッパ応援は御免 自前の声で盛り上げよう 岡田忠(スポーツライター)
 危険なファウルボール 生島淳(ノンフィクション作家)
 応援団の騒音公害、TV中継の尻切れ、これだけはやめて 高田実彦(新聞記者)
 球音を楽しまない自由 藤島大(スポーツライター)

このほか、本文にはイチロー、福良良一(大リーグ解説者)、海老沢泰久(作家)、中村誠一(サックス奏者)、吉川潮(作家)といった人たちによる、応援のあり方を批判する発言も引用されています。

私は、この本に書かれていることのすべてに賛同します。書いて当然のことが書かれていると思います。
日本のプロ野球の応援というのは、野球そっちのけでただ騒ぎたいだけの連中と、一緒になって騒ぐことを押しつけられて喜ぶ連中が集団ヒステリーを起こしているだけで、とても「野球を楽しむ」という行為からほど遠いものになっている。
野茂がアメリカに行って以来、BSなどでメジャーリーグの試合が放送されることも多くなりましたが、あの自然な、人間的な盛り上がりで成り立っているアメリカの球場の雰囲気をテレビで見て、あらためて日本のプロ野球の応援が異様なことに気づいた人は少なくないのではないでしょうか。
私もその一人です。

でも、残念ですね。こういうふうに問題提起をする人はそれなりにいるというのに、「プロ野球の応援のあり方を見直そう」という機運は、まったく広がらないようです。

この本には、球場からやかましい応援を追放するために渡辺氏が、「球音を楽しみたい会」を設立しようとした動きも書かれています。新聞への投書をきっかけに野球評論家の佐々木信也氏と会い、大橋巨泉ともコンタクトをとって会長になってもらおうとしたらしいのですが、佐々木氏とは仕事の都合がなかなか合わず、大橋氏から「私はもう日本のプロ野球は見捨てて、メジャーリーグに走りました」と丁重な断りの手紙をもらったあたりで、計画は頓挫してしまったようです。
また、2000年にはセ・パ両リーグの会長に要望書を送って、応援についての規制を訴えたところ、返事が来たのはパ・リーグの会長からのみだった(「改善の余地はあるし努力したい」と書かれていたそうですが、その後、なんの進展もないことは明らか)そうです。

渡辺氏は「一般社団法人 タバコ問題情報センター」という団体の代表理事を務めている人だそうで、要するに長年、禁煙運動に関わってきている人です。そういう「運動のプロ」であっても、騒音についての運動だけは展開することができないのだから、いかに日本人が騒音というものに無神経で無頓着かよくわかります。
これだけ町中にあふれるスピーカー騒音の問題を取り上げているのに、地を這うような地道な活動しかできない本会の立場とも似ています(本会のほうが、まだ存在しているだけましかもしれませんが)。

本の中には、私が知らなかったことや、読んで「ああ、そういえばそうだったかな」と思い出すことが、いくつも書かれています。

1984年、当時の下田コミッショナーが「他人に応援を強要しない」、「他人の耳をつんざくカネや太鼓(後にトランペットも追加)を鳴らさない」、「他人の目を奪う大きな旗やのぼりを振らない」という「応援倫理三原則」を定めファンに呼びかけたものの、「各球団や関係者の強い反発もあって」結局は実現しなかったこと。

2000年6月14日には、東京ドームの巨人-横浜戦が、鳴り物応援を自粛した「球音を楽しむ日」として開催されたこと。この試合は選手会長の桑田の発案で私設応援団に要請し、長島監督がネーミングして実現したものだったそうです。
試合後は観客から好意的な声が多く、松井や仁志、元木といった選手たちも評価するコメントを残し、何より長島監督が、
「ややもすると今は鳴り物の野球で、お客さんはずっとお祭りムードですが、われわれ玄人筋に言わせると、ミットにボールが吸い込まれる音、打球の音や高さ、そういうものの余韻に浸ると、われわれの時代はこれが魅力でしたから。ベンチですがすがしく、野球の原点に戻った雰囲気でしたね」
と発言しているにもかかわらず、その後、同様の企画がおこなわれることはなく、今も鳴り物入りのやかましい応援スタイルが続いているのが現実です。

私はアンチ巨人ですが、やはり長島は別格の存在。たとえ現役時代を知らなくても「野球の神様」と言っていい人でしょう。その神様がこうして、鳴り物応援を否定するコメントを残しているというのに一切やめようとしないのだから、応援団や彼らと一緒になって騒いで喜んでいる連中など、野球ファンではなくただの「バチ当たり」でしかありません。

なお、千葉ロッテの応援団が12球団で唯一(今はどうなのかな?)、鳴り物は使わない応援をしていますが、それについても「鳴り物を使ってないのだからいい」と評価はできません。
たとえ鳴り物を使っていなくても、声をそろえた軍隊調の絶叫応援であることは変わりないし、その声のせいで球音や選手の息づかいが聞こえなくなっているのは同じこと。
渡辺氏も「実に素晴らしい応援団だと高く評価したいが、しかし私は、個人の意志で応援・声援を送る『大リーグ方式』に軍配を上げたいと思っている」と書いています。

私がここ数年、野球の応援で一番嫌でしょうがないのは、日ハムの「稲葉ジャンプ」です。稲葉の打席になると、お約束で観客が全員ジャンプをするので、球場全体が波のように揺れてしまう。テレビカメラを通してもその様子がわかるのですが、そのたびにバカなアナウンサーは「これが稲葉ジャンプです!」と興奮して叫びます。
でも、プレーしている場所を揺らして楽しむなんて、まともなスポーツではあり得ないですよね。テニスでもラグビーでもなんでもいいですが、わざとグラウンドを揺らして選手にプレーさせるなんて、考えられないことです。また、これは「音」だけでなく「振動」の問題でもあるので、テレビを消音して試合を見ていても、画面が揺れるのは防ぎようがありません。それだけに悪質です。
あんなことをしているファン、あれを見て喜んでいるファンなんて本当の野球ファンじゃない。肝心の稲葉は、あのジャンプについてどう思っているのかとても気になりますが、果たしてどうなのでしょうか……。

ちなみに、この本には本会の会員が二人、登場します。
一人は作曲家の藤田崇文氏。もう一人が哲学者の中島義道氏です。
二人とも、著書やインタビューで町の騒音を厳しく批判しているのに、プロ野球の応援については一言も言及していない。特に中島氏には手紙まで出したのに、返事をもらえず残念だったと書いています。

まあ、これはわからないでもないですね。
私も会のミーティングで、「プロ野球の応援もうるさいですよ」と話題を振ってみたことがあるのですが、中島氏はすぐに「まあ、それは球場に行かなければいいことだから」と言って、興味を示しませんでしたから。
おそらく中島氏も藤田氏も、プロ野球にまったく関心がないんでしょう。球場に行くこともなければ、テレビで試合を見たりスポーツニュースを見たりすることもない。「見たいと思っても、うるさいから見られないんだよ!」と困ることがなければ、別に憤る必要もありません。
それはそれで当然のことではあるのですが、私は「プロ野球の応援騒音」というのは、もう少し騒音一般への広がりのある問題ではないかと思っています。

たとえば、ライブハウスに行って「この店はうるさいな! 音楽をやめてくれ!」と言うのは頭のおかしい人です。ライブハウスというのは、音楽を聞きながら酒を飲んだり飯を食ったりするところであって、初めから音楽があって当然の場所だとわかっている。それこそ「嫌なら行かなければいい」ですむ話です。
しかし野球場というのは「野球を楽しみに行く」場所なのに、そこを支配しているのは自分勝手な応援団が鳴らす、けたたましくて調子っぱずれなカネやラッパの音ばかり。目と耳の両方で野球を楽しみたいと思っても、応援団という「他者」が決してそれを許してくれない無残な場所に成り果てているのです。

それにライブハウスのような「私的な場」と違って、プロ野球を楽しむ場所である球場は、半ば「公共の場」と言っていい存在でしょう。
公共度の高さというのは簡単に言えば、「駅や役所、病院など」「スーパーやコンビニなど」「野球場などのさまざまな場所」という順番に、「誰もがその施設を利用せざるを得ないかどうか」「利用したいと思っている人が、どれくらいいるか」で決まるものだと思います。
そういう意味で、プロ野球という国民的スポーツをする球場という場所は、駅や役所ほどではないかもしれないけれど、完全に私的な場(しかも「音」があって当たり前の)と言っていいライブハウスなどと比べれば、はるかに公共度の高いところだと思います。

それなのに、応援団の騒音というのは球場はもちろんのこと、「見に行くとうるさいから、テレビで我慢しよう」と考える人にすら無理やり聞かせようとする音なのですから、これでは「まっとうな野球観戦を楽しみたい」と思うファンは選択肢がない。
「野球は見たいけど、あの応援が嫌だ」という人を球場からも、テレビの前からも、完全に排除しようとするプロ野球の応援騒音。これはまさに「誰もがこの音を聞くべきだ!」と信じ込んで強制的に流されている、町にあふれるスピーカー騒音と同じ構図で発生しているのです。

プロ野球の応援騒音とは、「たかがスポーツの応援だろ?」ではすまない、日本社会に巣食ったとことん根深い問題じゃないのか。私はそう思います。

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野球もうるさくて見とられんわい
プロ野球。
好きだし、新聞のスポーツ欄で結果は熟読しますが、あの日本独特の「応援団」と称するやかましい連中や、それと一緒になってバカ騒ぎを繰り広げることを恥ずかしいとも思わない「自称野球ファン」、こうした連中がスタンドで幅をきかせている限り、球場に見に行くことは絶対にないでしょう。

以前、東京ドームに日米野球を見に行ったことがあります。日米野球には応援団というものが存在しないので、観客それぞれが自分なりのやり方で応援する生き生きとした声や、グラウンドからありのままに聞こてくる「カキーン!」「パシン!」という球音のすがすがしかったこと。心の底から「野球を見ている」という実感が湧きました。
それに比べて12球団同士の対戦で繰り広げられる、球音の楽しみも何もかも打ち消すキチガイじみた調子外れのラッパの音や、声を揃えた軍隊調絶叫応援のひどさときたら……。

日本の球場は、野球をする場、野球を見る場ではなく、ただの観客によるどんちゃん騒ぎの場、ストレスの発散の場。
応援団が「オレ様たちのラッパを聞け! そして一糸乱れず同じ応援しろ!」というゆがんだ考え方を強制する場であり、それを強制されて「ヘンだな」とも思わない観客のためだけに存在している場なんでしょう。

先日まで行われていたメジャーリーグのワールドシリーズは、時間のあるときに音声を出して見ました。メジャーの球場の「落ち着きながらもにぎやかで活気のある」雰囲気はすばらしい!
それにひきかえ、今、行われている日本シリーズも、ときどきテレビを付けてチェックはしますが、音だけは絶対に出しません。無音で見るだけです。

以前読んだイチローや松井のインタビューで、彼らもそんな日本の野球ファンのあり方、応援の仕方が嫌になったことが一因でメジャーに行くことにした、というようなことを言外に語っている雰囲気を感じたことがありました。
ハッキリ口に出すことはできなくても(口にしたら「自称野球ファン」がたちまち「叩く」でしょう)、現役の日本の選手や野球関係者の中に、あのような応援のあり方を苦々しく思っている人もいるのではないでしょうか。あんなやかましさの中で、とてもまともに「野球」ができるとは思えません。
なんとかしてほしいものです。

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Author:静かな街を考える会 別館
市民グループ「静かな街を考える会」会員のブログ。日本の街にあふれるスピーカー騒音や絶叫騒音、うるさい接客、醜い景観などの問題について書き綴っています。

下記の「カテゴリ」から、気になるテーマを選ぶと読みやすいと思います。また「ブログ内検索」で検索すると、その言葉の含まれたエントリー一覧が表示されます。

「静かな街を考える会」については、このブログのトップエントリーで簡単にご説明しています。詳しくは「静かな街を考える会」のホームページをご覧ください。

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